あんまり人気の無い戦国武将に藤堂高虎がいる。 関ヶ原をピークとする徳川家康の権力奪取時期にその先兵として なにか腰巾着みたいな印象を持たれている人物。 その功あって江戸期を通じて有力大名として存続したけれど、 幕末に至っ […]
Posted on 5月 13th, 2022 by 三木 奎吾
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あんまり人気の無い戦国武将に藤堂高虎がいる。 関ヶ原をピークとする徳川家康の権力奪取時期にその先兵として なにか腰巾着みたいな印象を持たれている人物。 その功あって江戸期を通じて有力大名として存続したけれど、 幕末に至っ […]
Posted on 5月 13th, 2022 by 三木 奎吾
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さてきのう「積雪寒冷地・クルマの未来はどうなる?」と記事を書いたら いろいろな反響ご意見を戴きました。 たまたま愛車がトラブったのでその経緯に沿って考えて見た次第。 で、本日はその続篇で北国積雪寒冷地での住宅エネルギーの […]
Posted on 5月 10th, 2022 by 三木 奎吾
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本日からGW明けの通常営業日であります、がんばるぞっと。 連休の間、お世話になっていた愛車でありますが、トラブル発生。 まったくうっかりしていたのですが、オイル点検を怠っていて エンジンスタート時などやや異音を感じていた […]
Posted on 5月 9th, 2022 by 三木 奎吾
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平城京建設は日本の中央集権国家建設と同義で同時進行した。 唐という強大な「近代国家」が成立し周辺諸国はその対応を迫られた。 百済という朝鮮半島国家は国家ごと消滅した。 日本は百済を救援したが白村江で敗北し、遺民は大挙して […]
Posted on 5月 8th, 2022 by 三木 奎吾
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わたしが高校生の頃に修学旅行で訪れた「奈良の都」とは、 シカが群集まってくる東大寺南大門〜大仏殿建築が主役。 いまの奈良市役所周辺の地域でしたが、創建時の平城京にとって このいまの「中心地」は外京エリアであって、 本当の […]
Posted on 5月 6th, 2022 by 三木 奎吾
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大極殿建築というものは、重要な国家行為の場であり 最重要な儀式を荘重化させる建築装置。 東アジア世界ではその中心建築思想として中華思想が広がった。 写真上は復元された「平城宮・大極殿」の高御座。 下は中国清国皇帝の北京紫 […]
Posted on 5月 5th, 2022 by 三木 奎吾
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さて昨日は奈良県シリーズから賀茂神社つながりで遠く北海道知内町に。 で、賀茂神社系の話題展開はあまり大きな進展がなく むしろ鎌倉期の甲州からの産金事業者軍団の北海道での活動ぶりに スポットを当てた記録が友人読者の助けもあ […]
Posted on 5月 3rd, 2022 by 三木 奎吾
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このブログでは基本的にシリーズ構成で現在は「奈良・飛鳥」探訪中。 全15回まで飛鳥とその周辺・奈良県内を探訪中。 15回では御所市の「高鴨神社」のことに触れさせていただいた。 で、わたし自身は道南のサクラ&遺跡史跡探訪し […]
Posted on 5月 2nd, 2022 by 三木 奎吾
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昨日まで道南のサクラ探訪ツアーで過ごしておりました。 毎年わが家の恒例で花見は函館五稜郭、松前サクラその他。 その合間に見学するのは遺跡など、ということで春満喫。 ことしはこの3日間、北海道地方は好天続きで写真のように […]
Posted on 5月 1st, 2022 by 三木 奎吾
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高鴨神社探訪の続篇であります。 私的コレクションとしてこの神社のお札を購入させていただいたのですが、 その折りに神社として発行されている由緒誌も同時に購入した。 読み返してみると、そこにはこんな記述もありました。 「神武 […]
Posted on 4月 30th, 2022 by 三木 奎吾
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