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【低成長時代の会社選びと年代意識差】

夏休みのお盆の頃に、就活から解放された息子の友人たちが
わが家に来てくれていた。
食事などの機会に、現代の「会社選び」「人生選択」について聞く機会があった。
それと一昨日、はるか40年以上前に会社選びをした高校同期の同窓会があった。
その両年代での意識差について感じることがあった。

一部上場企業ばかり9社から「内定」をもらったという息子の同級生。
話を聞いていても、わたしも「こういう学生ならウチの会社に来てもらいたい」と
率直にそう思えるタイプだった。
わたしのように一流企業就職にはまったく縁のなかった人間には
はじめてこういった人材から話を聞く機会を得たようなものでした。
一流企業というのはこういった人材が入社していくのか、とも新発見した。
で、結局どういう会社に入社するの?と聞いたら、
その会社の将来性を最優先に考えて、入社先を決定したという。
いまの世界の動き、技術革新の進展、経済動向など分析は
きわめて現実的で鋭利なものがあり、わたしも納得もできた。
かれなりに、長期的経済動向を見据えてある業種のトップ企業に決めたという。
「これからは、この業種が先端的になっていく」という選択眼。
人生選択の最初の段階で、長期的な視点と人生プランを立てている。
かれはアルバイト先の選択でも東京都心のレストランを選択していて
そこにはたとえば黒田日銀総裁のような方たちなども出入りすることがあり、
あるときには会話を交わしたこともあったと言うことだった。
まことに人生に対して「戦略的」な考えを持った青年だと感心させられる。
聞いたら、大学1年生の時からそういった考えで行動してきたという。
と思えば、バックパッカーでいろいろな国も見てきているという。
そういった青年なので、会社選びにもまことに戦略的な選択をするのだろう。
日本経済は低成長の時代が長く、また業種によって衰退化傾向も現れている。
わたしが選択したメディア関係、広告関係という業種。
たとえば雑誌出版事業などは、1995年をピークに
いまは、業種全体で総売上規模がほぼ半減している。
業種に対する選択眼で就活生から、厳しくふるいに掛けられるのですね。
そういえば、朝日新聞に東大からの応募者がゼロになったと話題にもなった。
たしかに情報の世界はインターネットという巨大発明によって、
もっとも大きく揺さぶられているとはいえるけれど、そもそも
わたしたちの就職時期には、こんな技術は影も形もなかったのだ。

そんな話題を同窓会で振ったら、わたしたち現在66-7才の年代は、
「どんな業種も拡大していく意識しかなかった」というのが多くの声。
そうなのだ、高度成長の余韻の中で人生をスタートした年代には
日本経済や資本主義が無限に拡大するイメージの方が一般的だった。
どんな業種が伸びるかというよりも、それぞれに伸びると考えていた。
少なくとも、どの業種が衰退しどの業種が伸びるかというように
シビアに選択するより、その位置でベストを尽くすことを優先と考えていた。
逆にいまの若い人たちは、資本主義の大きな変化を肌で見て知って、
その変化の中での「安定」をこそ志向しているのだと思える。
政治意識も含めて、こうした世代の相違はきわめて大きい。
ひとの意識に於いて、時代は移っていくことを実感させられた次第。

<写真はひな鳥の寓意ですが・・・無関係>

【炎の癒やし力】

一昨日の新そばの会では、おおむね食事が終了後、
炎を囲んでの一時を過ごしておりました。

最近は農家の「野焼き」に対してすら、煙が臭いとかいう
そういった苦情が寄せられるのだという。
野焼きを忌避する発想って、いったいなんだろうと疑問です。
どうもそういう意見には賛同しがたい。
人間の都市的な居住域が周辺地域に向かって拡散して
都市居住での環境の方が優先性を持っていると錯視して
そのような主張を持たれるのかなと思うのですが、納得しがたい。
人間の感受性の中でも大きな領域を占めている臭覚にとって、
炎が発する大きな要素としての匂い、そういうバイタルな感覚を
こういった忌避傾向は、遮断させると思う。
炎は初源的な人類体験。それと接する機会を大切にして体感しないと
人間的なバランス感覚を失することになるのではないか。
「通報」があれば、いまは公権力が
こういう野焼きなどにも介入せざるを得ないのだという。
そういった他責的「個人主義」には、大きな疑問があります。

人類が進化してきた過程で、炎との共生はもっとも重要な部分。
ものを焼いて食するというのは、衛生という意味でもっとも根源的体験。
そして調理という基本的営為を人間は獲得した。
さらに炎を囲むと、そこに沈黙の時間が訪れると思う。
たぶん一箇一箇の人格が、炎と向き合う瞬間があって、
それが寡黙にさせるのだと思っています。
動物として火を扱うことを憶えたのは人間だけだったはるかな記憶が、
蘇ってくるのではないかと思っています。
また宗教とか社会の成立にも、たぶん炎は相当に関与していたように思う。
人間集団のバイタルな結束感を炎はいや増す効果を持っている。
野焼きの煙は、わたし自身の幼年期の記憶の中にも強く残っている。
まだ2才くらいのときに、岩見沢市郊外の農村から、一家は札幌に移住した。
そのときに、移転にそなえて不用な品々を野焼きしたのではないかと
そしてその様子を、こども心に強く焼き付けていたのではと、
そんなふうに思っています。
いまでも、農村風景のなかで野焼きの匂いがしてくると
無性になつかしくて、クルマをつい停車させてたたずんでいたりする。
ノイジーマイノリティが生み出す無味無臭な世界とは対極の
多様性に満ちた感覚の世界を失わせてはならないのではないか。

【自然エネ循環体感 in日日庵・秋の新そば祭】



天気予報では終日雨予報でやや危ぶまれたのですが、
北海道の住宅関連事業者有志による「新そば」堪能の会。
こりにこったおじさんたちの自慢料理大会が昨日、開催されました(笑)。
会場は、武部建設・武部英治専務の岩見沢市内の隠れ家、日日庵。
好きが高じてのそば畑、本人曰く「縄文そば」というヤツですが、
毎年、その収穫を祝って同行の士が集うという次第です。
わたしももう7−8年前に一度参加したけれど、
その後しばらくご無沙汰で、きのうは久しぶりの参加であります。
参加者は、旭川、帯広と幅広く全道から集結、総勢15-6人。
こういう会なのでお酒や食べ物は各自好き勝手に持ち寄り。
わたしは最近の社長食堂メニューから、イカ刺身を手作り持参。
まぁしかし、そこに生えているそばの畑での自作蕎麦食は醍醐味がたっぷり。
お昼から夕方6時過ぎまで、停電騒ぎのなか、北海道的野趣の盛り上がり。

先日もキャンプ的な北海道スタイルの暮らしようが
電気遮断のくらしのなかでも、元気よくしたたかに危機をいなそうとしていると
書きましたが、まさにそういうライフスタイルの探究であります。
この武部さん所有の日日庵地所も、札幌から電車でも1時間圏内ですが、
北海道内にはこういうちょっとした場所でも
サバイバル的な生きる環境条件が整っている。
電気が高度に暮らしを支えてくれているのはありがたいけれど、
それとはまた別に、自立的なライフスタイル環境を構築するのは、
共感をもてるところではないでしょうか。
この日日庵は、中心施設の小屋があって、その周囲にキッチン装置〜
プロパンガスによる調理火力や、水道設備、食堂機能を持った
食遊空間などが、屋根だけが架けられたカタチで成立している。
小屋には床暖房も敷設されているので、寝泊まりも可能になっている。
まぁしかし、ひとりが限度。
きのうは、遠隔地から来たひとたちはキャンピングカー「持参」での参加。
最近女性の参加も増えたので、女子トイレだけはしっかり建築的な
現代的快適性・ウォシュレット完備で小屋がけされたものが作られている。
一方で、男性の方は自然回帰型の天地循環方式で、目印としての
石が数個置かれている場所のみ(笑)。
そして枝豆などは食べる先から、それを自然循環よろしく、
畑の堆肥代わりにあちこちに投げ捨てる(笑)。
周囲には葦などが威勢良く繁茂しているけれど、
地面を見るとこのように施肥した地力が旺盛に感じられます。

こういう環境の中でのオヤジたちトークですが、
さすがに建築とエネルギー論議が口角泡を飛ばして炸裂していました(笑)。
まぁこれだけ元気なら、北海道の危機もなんとかなるかもと錯覚していました。

【冬場電力危機に応急暖房ボイラー運転確認】

さて北海道電力のでんき予報をよく見るようになった北海道民です。
北海道電力としては巨大投資した泊原発なしでの対応を迫られている。
インターネット上ではいろいろな泊原発への意見があるようです。
どうも見る限り、多数派は命に係わる問題なので、
いま利用できる電源として、安全に配慮して稼働せよという意見のようですが、
しかし反対派は、まさに原理主義的に反発している。
ではどう命の危機から逃れられるかは、残念ながらそういう意見からは聞けない。
この問題は北海道民の冬場の生活の安心。安全に直接関わるので、
推移を注視したいのですが、この日本社会の状況では稼働は「ない」という前提で
冬場の北海道で万が一の全道ブラックアウトが再度あり得るということで、
各暖房システムごとに、各自が自己防衛を考えていかなければならない。
もうちょっとこのテーマ、日本社会はきちんと向き合って欲しいと思います。

ということで、わが家の非常時対策として、
灯油熱源のボイラーのチェックを致しました。
当然ですが、熱源は灯油であっても、起動とコントロールには電気が必要。
9月6日のブラックアウトでは丸2日間の時間が復旧にかかった。
しかし、冬場はこの9月時期よりも暖房需要のプラスがあって
390万kwに対して550万kw超の電力需要があるとされる。
苫東厚真の再稼働がまったく不可欠なわけですが、
なんとか頑張っていただくしかない。
で、わが家の暖房ボイラーの消費電力を確認したわけです。
写真がその確認画面です。
わたしのサバイバル作戦としては、以下の通り。
1 クルマにはこまめにガソリンを補給しておいて
満タン状態を維持するようにしておくこと。
2 停電が勃発すれば、クルマをエンジン起動させてロックをかけたまま
シガレット電源から延長コードでボイラーを電源接続させる。
3 シガレット電源からのアンペア数は10Aなので、ボイラーの消費電力を確認する。
4 写真のように250Wとなっている。換算計算をいろいろやってみています。
現状で可能な追加的な方法でチャレンジしてみたい。
・・・というような作戦を考えています。
9月6日には、停電時間中でパソコンなどにこのシステムで電源供給したのですが、
そのときはクルマのガソリンは3/4くらいの残量だったモノが、
7日の停電終了時には、約1/2くらいの残量になっていた。まぁOK。
シガレット電源からの延長コードはどうしても一部「窓を開ける」ことになるけれど、
冬場のことを考えると同時に「換気装置」も停止するので、
そういう意味では最小限、窓を開けるというのはやむを得ないし、
換気にとってプラスになるとも言えるでしょうね。

まぁこういった事態にならないように祈るしかないのが北海道民の現実です。
停電に伴う室温の低下については、それぞれの住宅・建物の
性能によって違いが出るし、蓄熱要素もそこに加わってくる。
外気温が最低でマイナス30°にもなる時期で、どれくらい無暖房で
室温を維持できるかは、ある程度の目安は持っていたいと思います。
10年前くらいに、年末年始の休暇で家を1週間程度空けたときに、
行く前の室温が20°程度が、帰ってきてたしか15°程度だった記憶がある。
15°というのはかなり体感的には寒く感じられ、
冬場の室内気温としてはやはり厳しい。しかし、非常時と考えると
ダウンジャケットなどを室内で着込めば、数日程度は生存環境としては問題ない。
・・・こういうシミュレーション想定を、この冬を前に
北海道民は各自がしっかり把握する必要があると思います。
残念ながら、いまはそういう自己防衛しか対策はないと覚悟しなければ。

【美を編集する。「見る」を再発見する】


先日このブログでも写真家の講演のことを書きましたが、
家をどう表現するか、というわたしのメインテーマに非常に近しい領域なので、
実はわたし的には生々しすぎる時間でした。

住宅の写真撮影に数知れないほど立ち会い続け、
住み手や作り手と対話することで、人間のすまいというものの把握、
その感受性部分での「伝え方」を意識下でずっと考え続けることになった。
いつしか個人的興味分野として、そういう「取材対象者」が過去にしか
存在しない古民家を見続け、瞬間的にはくらしの実質を感じられることがある。
さまざまな人間がそこで生きて死んでいった空間から
その断片を切り取ることで、人間感受性の断面を見られると感じています。
ビジュアル体験が過去の人類と比較して圧倒的に「進化」したに違いない
20世紀以降の人間たちは人間が感じた事、この「見える」世界を
どのように表現するようになるか、
そのようにテーマが沈殿し続けているのです。
ようするに「アングルはどう決定し、なにを表現するべきか」なのです。

たとえば上下2枚の写真ですが、
下の写真のような風景の場所に来たときに、わたしはなんとなく
上の写真のようにアングルを切り取りたくなった。
まだ、このように切り取りたくなるということの理由、
その心理的必然性について自分自身ではまだ明瞭ではありません。
ただ、なぜかこのようなアングルに気分が向かったということ。
わたしは20世紀中庸まんなかくらいに生を受けた人間です。
幼児期にはメディアとはほぼ接触が無かったので、それまでの人間と同じような
「見える世界」体験がベースにはあるのだろうと思います。
しかし小学生になるころには、わが家にテレビがやってきていた。
紙に表現されたビジュアルよりも、先験的に大量の動画ビジュアル体験をした。
「見る」という営為はひたすら受動的に見えて
実はそうではなく、見ることでその表現のされ方、ものの見方、
というような部分について圧倒的に大量の情報が瞬時に入ってきて
それらを瞬間的に解析し、その背景意図と対話もしてきたのだと思うのです。
たぶん過去の時代のビジュアルの専門家を幾何級数的に上回る
「ビジュアル体験」を現代の普通の人間がもつ時代を生きてきた。
現代ではさらにスマホという感受性ツールがほぼ普遍化した。
「見る」とか「切り取る」という営為が専門者の手から普通人に一般化した。
たぶんその先にあるのは「気付く」ということではないかと
いま、直感的に感じています。
たぶんフロイト的精神解析のような領域で、「なにに気付くのか」
というようなことが、多くの人にとっても共通テーマになる可能性が高い。
なんともオモシロい時代をわたしたちは生きていると思う。

【にぎり寿司作り、80カン超に挑戦】


調理場所も確保された事務所環境ということに変化したことに伴って始めた
「社長食堂」。先週は地震勃発で延期にしていましたが、
今週火曜日にふたたび再開いたしました(笑)。
で、大量のにぎり寿司を握ること、第2回目であります。
今回は寿司ネタのほうも自分であちこち探し回って、仕入れました。
まぁふだんの買い物のついでが主で、日曜日に積丹近辺で仕入れたモノが若干。

切る方もたいへんオモシロいですね。
「刺身包丁」というヤツはふだんの料理ではあんまり使いませんが、
カミさんが手入れもしてくれているので、切れ味もいい。
こんなに醍醐味のあるものだとは、と興味が深まった。
とくにホタテをタテ半分に切るときには、
「包丁の重みで下に落とす」感じが味わえまして、悦に入れた(笑)。
上の写真のように皿に盛りつけていくと、馬子にも衣装で
「こりゃぁ、刺身盛り合わせにしちゃおうか」とあやうく脱線し掛かった(笑)。
別に社長食堂企画はにぎり寿司だけをやるわけではないので、
そういう展開もありかもと思っています。
しかし、ネタを切る大きさではシロウトらしくバラバラ感は否めない。
ありゃ、というほどに大きかったり、逆に申し訳ないほどに小さかったり・・・。
シャリの用意の方ですが、味付けの方は2週間と間が空くと、トリ頭で忘れる。
研ぐ方と炊く方はほぼ毎日練習できているので、そこそこにはなってきているけれど、
この味加減はなかなり奥が深すぎるようです。
自分では味見すればするほど「薄味」志向になっていく傾向。
カミさんはどっちかというと濃い味派なので、中庸の着地点が計りがたい。
方法も含めて、また次回、どうするか、迷い続けることになりそう。
握りの方も、第1回の「やればできる」という猪突猛進でいけた段階を過ぎ
だんだんと奥行きの深さに気付かされるという胸突き八丁段階。
今回80カン以上握ったのですが、今回気付いたこと。
1 左手でシャリを包んで右手指で押さえるとき、2本指よりも1本指では?と思った。
2 寿司のシャリの大きさをもっと小さくして、カタチを揃えるにはどうすべきか?
3 前回よりも、握りの圧力をかなり高めてみた。
っていうようなことを考えながら握ってみた次第です。

それにしても80カンの握りにおおむね1時間半かかった。
まぁひたすら手先の労働なので筋肉的疲労感ではないのですが、
精神的な集中力疲労感がけっこうきますね。
段取りが8−9割の仕事でしょうが、
お寿司屋さんの職人さんたちは、これの何倍も何十倍も毎日握ると考えると
あだやおろそかには食べられませんね、頭が下がります。
自分でやってみる効用は、案外こういう他人の仕事へのリスペクトが
最大の気付きポイントなのかも知れませんね。
これからも遙かな道をたどって迷い続けたいと思います(笑)。

【北の自然林倒木被害 災害と暮らす列島社会】



北海道地震発生が9月6日。
その後しばらくはさすがに散歩などには行く心理ではなかったのですが、
先週くらいからややゆとりも出来て、
いつもの北海道神宮周辺緑地、自然公園内を早朝散策しています。
ことしの北海道はほとんど雨の夏だったのですが、
その上、関西を襲って関空に大きな被害をもたらせた台風がその後、
北海道にけっこうな被害をもたらせました。
北海道はそんなに台風も来ないし、地震も太平洋岸を除いて
そんなには多くない、という心理的なスキがあったことは事実でした。
気候温暖化の影響なのか、台風の凶暴化が進んでいます。
写真のように札幌周辺地域でも、こういう風で倒された自然木が多かった。
大雨とまでではないけれど、とにかく長い期間日照不足で雨がち。
そういう意味では樹木も地盤面が水分を含んで軟弱になっていて
そこに強風が吹いて、各所の森林で倒木被害が相次いだのです。
各所の森などにその痕跡を見ることができます。
この台風の後に、時間をほとんど置かずに地震が来たので、
ほぼ忘却してしまうところですが、
わたしの記憶ではこの札幌円山自然林でこんなに倒木が見られるのは初めて。

台風は風の被害が大きかったのですが、
しかしこの倒木メカニズムを考えてもやはりその前の
長雨が長期的に地盤面を軟弱化させたことで、
地震の被害を加速させたように感じられてなりません。
毎日少しずつ処理が進んでいるようですが、
まだまだ「立ち入り禁止」の案内が各所に見られています。
気候変動によって災害のレベルが一段スイッチが上がってくるように思われます。
ことし、というよりも、今後とも長期にわたってこういう
気候変動に伴うさまざまなキケンの高まりはあるのだろうと思います。
普段の暮らしレベルから、安全保障・危険の回避を
考えて行動していかなければなりませんね。

【迫る北海道の冬、具体策で電力危機突破を】

きのうたまたま毎日新聞WEBで北海道停電関係の記事を読んだ。
「記者の目」北海道大停電 原発依存が招いた“人災”=筑井直樹(夕刊編集部)
発表されたのは9月12日という日付になっていた。
記事執筆者は署名原稿で毎日新聞夕刊記者と明記されています。
この記者さんは北海道に妻子を残して東京に単身赴任されているそうで、
地震当日〜長時間にわたった全域大停電にご家族も遭遇された。
文中、「泊原発の例外的な再稼働はあってはならない」と
書かれているので、そういう考え方の記者さんのようで、
北海道電力に対してひたすら責任追及的記事構成になっている。
署名原稿で責任も明示しているし、そういう考え方は持つことは自由でしょう。
しかし、では肝心のいまの電力危機に対してどういう具体的な対応方法があるかは、
まったく示されていない。まさに空論としか思えない。
あるのは、気の長い自虐的節電強要・エネルギー過剰消費の生き方への
上から目線の反省強要など抽象的な警句だけ。
資本主義を否定したいのかもしれないけれど、いまその世界で人は生きている。
さらに北海道電力若手社員に対して会社の設備投資経営方針を変えよと
「対応策」意見が開陳されている。・・・まるで間に合わない。
いったい何年かかるか、それまでどうするかくらい子どもでも考える。
いま現実に向き合って、耐震震度5程度とされる苫東厚真火力が
すべて稼働したとしても、再度震度5以上の地震が起これば、
ふたたび全道ブラックアウトがやってくる可能性が高い。もし真冬に来たら・・・。
残念ながら危機認識のリアリティがこの記事にはないと判断できた。

いろいろな電力危機への対応方法が考えられるけれど、
思考停止としか言いようがないこうした既存メディア言論を見ていると
日本社会として合意形成可能な手段はきわめて少ないと感じる。
今回の電力危機を体験してみて、いろいろな安全保障策を考えましたが、
個人的アイデアで、1kwのPVの北海道内全戸配布アイデアが浮かんだ。
反原発論の人もPVには心情的支持が多い。社会同意形成可能ではないか。
北海道全戸295万戸とすれば計算上は出力295万kwの電源が確保される。
地震とそれ由来の停電で、おのずとPVについて考えてのアイデアです。
遡ってみたら、これまでFITで電気料金を負担してきている一般ユーザーは
累計ですでに各家庭1kw程度のPVは無償で「貸与」してもいいくらい
エネルギーの「負担」をすでにしてきているのではないでしょうか。
負担の公平実現という意味合いもあると思っています。
このPV1kwと自家消費用の変電設備+できれば蓄電池をセットして
他電力からの「融通」に依存できない北海道の電気ユーザーに対して
無償で配布するのは、エネルギー不安への「生活安全保障策」に
なりはしないかと夢想しています。公共事業よりもはるかに
生活密着・現実的だし、けっしてムダな投資ではないと考えられる。
なんと言っても電気を生み出せる。
必要なコストについては得られる電力を通常時は売電して返済に充てればいい。
緊急時には自家消費にバイパスできるように装置設計する。
1kw程度あれば、冬場でも最低限のエネルギーは担保されるのではと。
まぁやや唐突感は否めないでしょうが、具体的アイデアをみんなで出し合って
この危機をどうやったら乗り越えられるか、論議は大きく起こって欲しい。
どうも最近の動向を見ていると、拓銀が破綻した金融危機のときの
「社会危機のエリア実証実験」に近づいている危惧を抱いています。
北海道はさらにもう一回、危機を経験させられかねないかも。

【北海道民の柔軟なアウトドア的「停電」生活対応】

さて電気供給の不安が日増しに高まってくる北海道であります。
先日も苫東厚真の火力発電所の耐震性能が新しく耐震性能を決定する
以前に建てられた発電所なので震度5レベルだったという。
そのために今回の震度7でやられた、とされていた。
このことは国の方でも、その状態で許諾を得ているという情報が出ていました。
売上規模5,000億円程度の規模の会社で、
そもそも全国一経営効率の悪い広大な北海道を基盤とする電力会社。
発電の効率を考えてさまざまな手を打ってきたけれど、
それらはすべてにおいていま、厳しい状況になっている。
資本主義社会、その最たるものとしての上場企業として
効率を最優先させて利益の最大化を果たしていくのは「責務」でしょう。
まぁ北海道電力の経営環境その他を考えていくと、
このギリギリの状況が続いていくと、再度冬場にブラックアウトが起こる確率も
決して低いレベルではなくあり得ると考えなければならない。
もしそういう事態が生起したら、地域としての北海道は
壊滅的な状況にならざるを得ないと思います。
本当に「凍死者」が出ることが可能性として十分にありえるでしょう。
こういう状況でキレイ事を言っていても、事態はなにも解決しない。
現実的に北海道での経済活動を担保していけるエネルギー政策、安全保障を
ぜひ確立させて欲しいと、経世済民の立場からお願いしたい。

そういう厳しい状況の中ですが、
先般の停電でもどっこい北海道民はなかなかにしたたかでありました。
北海道は自然が豊かであり、札幌から数十分もクルマを走らせれば、
キャンプなどの好適地がそれこそふんだんに存在する。
停電生活でも、そういう道民的ライフスタイルが功を奏した部分があった。
ジンギスカン鍋など、野外でのバーベキューコンロなどは
相当の普及率であり、ちょうど停電の結果、解凍せざるを得なかった
肉や魚類を野外炊事セットを使って「処分」していたという話題をよく聞く。
「かえって豪華料理満載の夕飯が続きました(笑)」
というような、災害も「柔軟にいなしていこう」というおおらかさ。
重要なのは人口密集地の都市部でもこういうコンロナマ炊きなどに対して
北海道的暮らし文化として、おおらかさがあることだと。
札幌の北海道神宮境内の自然公園「円山公園」では、
お花見の季節、野外コンロ利用での「ジンギスカン」が盛大に許容されている。
東京の都市住宅街で炭や薪でナマ炊き調理を野外で行うとなったら、
それこそ「苦情」「タレコミ」で大炎上することでしょう。
第一、薪ストーブなど、その発生する煙が「近隣への迷惑」と行政にタレコミされ
事実上、都市部では設置を回避せざるを得ない現実がある。
それに対して北海道では薪ストーブの匂いに開拓期の郷愁を感じる部分もあるのか、
都市部住宅でも「ウッドデッキ」などが比較的多く装備され
普段からアウトドア自然派的なこういった文化への相互理解が濃厚に存在する。
他人の通りすがりの目線もむしろ好意的だったりする(笑)。
今回はちょうど季節もまだ温暖な時期だったので、
写真のような「臨時キャンプ生活」というようなライフスタイルが
深刻な困難をいなしている、というように感じられます。
サバイバルの基本は、こういうシンプルな対応力ではないでしょうか。

【Replan北海道122号 「平屋の間取り」 9.28発売】

平屋って計画すると、間取りということが究極的にテーマになる。
2階建て以上だと、プランは「複式」で考えるので
煮詰まる割合が薄まっていくのに対して、「単式」なので、
その分、逃げ場がなく間取り計画が決定的な要素になっていく。
よくマンションの販売計画でのプランニングの重要性を聞きますが、
戸建て住宅でも平屋では、同じようなプロセスがあると思います。
マンションの場合は万人共通の利便性、いわば最大公約数ですが、
戸建ての場合には、より個性的な「解」が追究されていく。
戸建て住宅の最大のポイント、間取り特集、ぜひご参考に。
写真は、札幌市内の取材事例のドローン撮影です。
本州地域のみなさんには屋根の「シート防水」も珍しいかも。

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●リプランのオフィスリノベーション&DIY
Report
●建築家と地域工務店で創る家

●リノベーションで暮らし、広がる。

●連載 Q1.0住宅デザイン論 〈新住協 代表理事・鎌田 紀彦〉

●連載 いごこちの科学 NEXTハウス15 〈東京大学准教授・前 真之〉

●新築ルポー住まいのカタチー

●北の建築家
 「Moiwashita Hut」 粟野 琢
 「path」 水谷 哲大


9月14日~20日までにご購入された方は28日までに配送致します。
事前予約販売のお申し込みはこちらまで。

Replan北海道版122号の書店発売は、9月28日です。