

今週後半は北東北におります。
で、きのうは八戸周辺をあちこちと巡っておりました。
そうなると、お昼時にはどうしても「八食センター」に足が向いてしまいます(笑)。
八戸は本州有数の水産関係の集積漁港。
北海道とそう大差の無い魚介類が満艦飾で威勢良く展示販売されている。
その様子を見ているだけでほぼ満腹感が襲ってくる(笑)。
サイコーであります。
つぎつぎと目を襲ってくる新鮮魚介類は、妄想の世界で
豊穣な味の饗宴をこれでもかという圧倒的迫力で迫ってきます。
とくにわたしは最近「社長食堂」企画で毎週手作り料理、
それもここんところは、握り寿司の世界に没頭していますので
「おお、この魚はどうさばいたらいいのかなぁ」
「こいつは、こう切って握ったらいけそうだなぁ」
などと、すっかり「手作り・手握り」の感触世界に気分が完全に浸りきる。
こういう「没入感」っていうのは、まさに「三昧」感にも似ていて
自分で食べたい、という欲求がベースにはあるのでしょうが、
また全然違う感覚世界だということが知れます。
手握りって、そうなんです。いちばん感覚的な「触感」が刺激される営為なので
ドーパミン的な世界観が一気に脳みそを完全占領してしまうのです。
「あ、おれ、こんなとこにいつまでもいてもいいんだったっけ?」
と、ふといまの自分のミッションを再確認しないと、こころは遠くへ行ってしまう(笑)。
まぁそれにしても、秋深く、海の世界でも成熟した魚たちが
豊穣な季節感をさわやかな風のように運んできてくれている。
縄文でこの列島での定住生活がはじまって以来、
1万数千年以上、こういった四季感覚、食感世界にわたしたちこの列島人は
完全にノックアウトされ続けてきているのでしょうね。
そう考えると、基層としての新鮮魚介とコメが織りなす、
手握り寿司の世界って、縄文世界と弥生世界がハーモニーを奏でる世界。
ようやく興奮の世界から離脱して、
ふと見掛けたのが、「せんべい汁専用せんべい」の山積み。
「あのさ、せんべい汁って、せんべいならなんでもいいっしょや〜」
「あはは、それは浅はかな感覚。全然違います(キッパリ)」と売り子女性。
「ええ〜ホントかい? どこがそんなに違うのさ?」
「ふやける具合、ある固さが残ったまま、柔らかさがある、これさ!」
というたぶんコトバ表現をはるかに超えたコミュニケーションであります。
なんにせよ、よくわからないけど説得力だけはフルモードで、ある。
今週つくった社長食堂では見まねの「せんべい汁」が一部で大好評だったので、
今度は、こちらでも味の研究を深めたいと、1袋購入しました。
住と並んで、食の感覚世界の探究も徹底して没頭したいと思います。
ふむふむふむ・・・。
Posted on 10月 27th, 2018 by 三木 奎吾
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表題のように単刀直入に東大生の若い方から質問された。
きのう、ReplanWEBマガジンに掲載された「いごこちの科学WEB特別編:
リプラン編集長、東大の授業に招かれる!」記事のシメの部分。
このコトバ、実は北海道を代表する建築研究者にも伝えました。
わたしの反応と同じく、やや憮然としてホンネが出るなと思えた(笑)。
学生さんというのは、とくに東大生であればなおさら、
就職先も住む土地も基本的には「これから人生選択」できるのが前提条件。
そういった意識の違いというのがまずあった上で、
工学部生として、気候環境条件的に本州地域とは相当の違いがある地域、
年平均気温で16度対8度くらいの違いがある地域に
なぜ住み続けるのか、素朴に疑問を感じることもわからなくはない。
対して北海道に住み暮らす人間としてプライドが働く部分は当然ある。
しかしそれは置いて、この問いを自分自身、反芻して考えている。
事実としては北海道島を日本国家が本格的領土経営をはじめたのは
高々150年であり、それ以前のあいまいな領有といえる江戸期を含めても
最大限、400年くらいにしか過ぎないと思われます。こんな風に書けば、
ロシアや中国は国家を持たなかった部族社会アイヌとの交易記録でも
振りかざし、かれらなりの「領有実績」を主張するかも知れないけれど、
しかし冷静に考えればそういうことが事実でしょう。
150年以前から本格的に人口増を図り、領土経営をやり始めた。
余談だけれど、北海道神宮に祀られている神さまには
領土の守り神と領土経営の守り神がワンセットで入っている。
内陸部での農業振興・開拓開墾での「土地定住」の促進。
やはり熱帯原産のコメをこの風土でも栽培できるように品種改良できたことが
巨大な民族的生存維持策の成果だった。まずは「農業革命」。
それ以前は海岸線の点的な領有で、人口定住的な領土運営とはいえない。
この島を明治政府が血まなこになって、のちに総理大臣になる
薩摩閥の中核、黒田清隆が中心になって領土として開拓を始めたのは、
明確に対ロシア南下膨張政策への対抗という国家意志だと思います。
民族存亡に関わる国防問題が最大の契機だったのでしょう。
そういう「民族国家意志」は北海道の歴史を通してよく噴出する。
旭川は「軍都」と擬され、天皇の移住・行幸も考えられた事実が存在している。
ロシアに対して、日本民族国家としての明確な「領有主張」が底意にあった。
第2次大戦終末期、北海道のロシアによる占領は現実に起こり得た。
こういった歴史経緯が、とくに現代史を教育しないことで若い世代に共有されない。
そういうことがこの質問からは伺うことができる。
しかしいま考えている答は、「日本にとって北海道がある意味」です。
この島を日本国家は明確に国家意志として領土化したことで、
アメリカや中国とも並ぶような「多様な気候風土をもつ」「大国」になった。
専有的海洋面積を含めると日本の領域は世界第6位の大国とされる。
そして亜寒帯から亜熱帯まで多様な気候風土を抱え込んでいる。
結果、住宅政策としても多様な価値観を共有する国家社会が現出した。
本体的民族生活技術習慣からいえば、暖房エネルギー的にはローエネだが
素寒貧な住宅文化・技術を持っているに過ぎなかった。
それなのに幸か不幸か、北海道という亜寒帯地域を領土化したことで、
壁の概念の希薄な軸組構造の住宅技術しか無かったのに、
そこで「安定的に生存確保」するために、多くの先人は必死でそれを改良し
高断熱高気密な住宅に改変させる「住宅革命」を起こしてしまった。
この中核である「断熱気密」住宅技術は世界共通の現代必須要素技術であり
独自な軸組構造でそれが実現していることは世界的に珍しいかもしれない。
もとよりこうした技術革命は北海道の住宅関係者たちが主導的だった。
こうして開発された工法技術は、省エネ技術としていま広く共有されてきている。
ガラパゴス化することなく世界標準住宅思想を、われわれは共有できている。
その上でその設備的な部分では世界企業すらも生み出してきている。
・・・というような逆転的な発想も可能なのではないか。
いま、この東大生からの疑問に対して、このように考えられると思っています。
みなさん、どうお考えでしょうか?
Posted on 10月 26th, 2018 by 三木 奎吾
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しばらくの間、あちこちの出張が増えることになり、
札幌オフィスにはたぶん、週のうちの半分くらいの在社になりそうな雲行き。
ということで、半分の日程で倍の案件処理をしなければならない。
なんですが、健康チェックもしてお医者さんからはお墨付きももらった。
で、北海道全域ブラックアウトに伴っての世論喚起作戦。
東大の学生さんたちとの授業交流や、クルマバッテリからの家電起動など、
いろいろな活動についての一端で、きのうは地元テレビ・HBCさんが来社された。
写真の通り、夕方15:44から19:00までの放送時間帯の「今日ドキッ」に
「いざ地震・停電のとき、どうすればいいか」というテーマで話題提供です。
最近は自分自身では「ながら視聴」的にはあまりテレビを見なくなっている。
インターネット時代になって、目的的な情報摂取型に人間行動が変化してきて
テレビなどの情報づくりがどう変化しているか、
こういった断片的な関わりですが、積み重ねてみることで
今後の参考にしていきたいとも考えた次第です。
きのうのインタビュアーの佐々木祐花さん(写真右)から聞かれるカタチで
最近のトイレがすべて電気制御になっていて停電時「水の流し方」が
プロでも実はわからなかった、というお話をして、
普段からの「すまいのトリセツ」チェックの大切さをお話ししました。
だいたい、新築やリフォーム時には建築会社さんから分厚い設備製品の
マニュアル、トリセツがバインディングされて渡される。
少なくとも、その収納位置を確認しておく、できれば一度でも家族とそれを
「読んでみる」ことで、全部理解はしなくても「ここにこれがある」という
「経験知」になるので、いざというとき「思い出す」確率が飛躍的に高まる。
こういったトリセツの類は一時期の不評サクサクの理解不能系から
だいぶ進化向上をみせていて、わかりやすく編集されている。
わが家でも、最新式電気利用トイレを手動制御するときに大変わかりやすかった。
こういう部分、トイレから太陽光発電の緊急時手動制御などまで、
イマドキの暮らしには、設備を緊急時、どう働かせるかが、
ライフラインとしてかなり重要だとアナウンスしたかった次第。
その先には当然、寒冷地住宅の必需設備、暖房の
ユーザー側緊急コントロール意識の広報という方向性も見えてきます。
この模様は来週水曜日、31日に放送される予定とのこと。
北海道居住のみなさん、ぜひご覧ください。
ということで本日はテレビ局の回し者に変身してのブログ投稿であります(笑)。
Posted on 10月 24th, 2018 by 三木 奎吾
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わたしは住宅のメディアをやっているわけですが、
現代の住宅は過去の技術資産の上に成り立っているとはいえ、
工法やディテールも大きく変わっているので、ときどき不連続な常用コトバに出くわす。
とくに屋根の葺き方については、わかりやすいディテールなので、
一般的にもよく使われるコトバとして頻用されます。
そのようなコトバの代表格がこの「こけら葺き」というヤツ。
現代では特殊な建築を除いて、一般住宅では見られない。
ふつうは鉄板や温暖地では瓦などが用いられて木材そのまま仕上げというのは
現代住宅では常識的にはありえないでしょうね。
それは現代の工業化の進展、素材の開発があってのことなので、
工業化社会以前の段階では、職人の木加工の精度、手間ヒマのグラデーションで
それが建築単価にはね返り、建築の「格」の表現にもなっていたのでしょう。
たまたま先日、仙台の大崎八幡宮に参拝したら、
清水建設さんの施工による修復工事が終わっていて、そこに
柿〜こけら〜葺きの見本と丁寧な「説明書き」が添えられていたのです。
写真の通りなのですが、この葺き方は大工職人の手間がハンパない事はわかる。
屋根をこの工法で葺くとすると、
幅10cm長さ30cmh程の板をずらしながら下から平行に重ねて並べ竹釘で止める。
板の間に隙間が生じ、軒裏の通気を促して木材の耐久性を向上させるとされる。
なるほど、現代建築と共通する合理主義が見て取れますね。
一種の「通気層」意図と言えるのでしょう。いや現代がこうした技術資産から学んで
現代的な合理的工法に進化させてきたということでしょう。ただ、
「杮葺きは通常40年程度の耐久性があるといわれている。
機械製板では木の繊維がせん断されるため、機械製板の板材を用いる場合には、
手作業の板材の場合よりも耐用年数が劣る。
そのため、下地の防水処理や、材木自体の防腐処理を施している。」ということ。
こういった建築技術が生み出した美観・デザイン性は
茅葺きの「民家」建築とはあきらかに違うという「威信」表現にもなったのでしょう。
用の建築技術としてみたときには、それまでの茅葺きと比べて、
圧倒的に「防水性」が高まっただろうことは疑いない。
屋根傾斜の下側から張り付けていって、上部まで仕上げる過程で、
その重ね密度を高めれば高めるほど、完璧な防水性に至ったことでしょうね。
たぶん、大工職人技術のひとつのメルクマールになっただろうことも推量できる。
さて、柿と同じような字で「こけら」という字がある。
すいません、Macの辞書にはこの字の登録がないようで出てきません(泣)。
詳しくは写真の「書き順」付きの違いでご覧ください。
こんなの違いがあると言われても、合理的差異を見出すことはほぼ不可能。
現代辞書では同じ字としているものも少なくないようですね。
大崎八幡宮の修復施工時に書かれた添え書きなのか、
日頃放擲していた疑問にわかりやすい説明書きでした。ありがとうございます。
Posted on 10月 23rd, 2018 by 三木 奎吾
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本日は、住宅ネタは小休止で、歴史ネタです、あしからず。
でも写真は先日見学した竹中大工道具館で見た法隆寺棟梁、
西岡常一さんの手書きの建築図面スケッチであります。
日本の建築技術が大きく進化することになったのは、
こういう飛鳥時代の国際交流がその基盤にあったのでしょう。
白村江の敗戦という古代の国際戦争とその国内政治への反映たる
壬申の乱、という時代のことがオモシロくて仕方なくなっています(笑)。
どうも巨視的に見ると、織田信長から秀吉政権、さらに徳川幕府成立といった
国内と外交との沸騰点と、この壬申の乱周辺の歴史経緯は共通点があると思う。
白村江の敗戦は663年のこと。
で、壬申の乱は672年のことなので、この期間は10年ほどの事態。
結果として、壬申の乱で権力を奪取した天武は「日本」を国号とさだめ、
東アジア世界のなかで道教思想から援用した「天皇」という帝位を名乗った。
このことは、日本という地域権力が東アジアのなかで
自主独立路線を創始するという方向、そして平和共存路線に舵を切った
という歴史的結節点だったのだと思われます。
これ以前の大王権力の時代には、列島社会と朝鮮半島社会とは、
きわめて「ひとつながり」の政治情勢共有感が強い。
たびたび朝鮮半島の政治動乱に関与したり、
あるいは倭国国内でも北九州の地域豪族による反乱なども頻発していた。
この時代には倭国では独自に「鉄」を生産することが出来ず、
もっぱら朝鮮半島からの移入に頼っていたとされています。
縄文的ライフスタイルが基層を形成していた列島社会に
コメ生産を基礎としたライフスタイルが導入されていくのは、
同時に支配ー被支配という階級構造を持った半島地域からのフロンティア集団、
はじめから「クニ」構造を持った社会集団が流入してきたのだと思われます。
そういった権力集団は、朝鮮半島地域からスピンアウトした集団だったけれど、
たぶん短期間のウチに半島の母集団以上の経済力を持った。
ただ、コメ農業にとって死活的な「鉄製農具」の補給は半島に頼っていた。
半島社会では複数の国家がつねに併存するような状況であり
相互に敵視し合っているので、こういう倭国の存在を「利用」していたことは疑いない。
天智「天皇」といまは呼ばれている、たぶん「大王」権力の最後の主は
中大兄皇子であり、若いときには蘇我氏を暗殺手段で滅ぼした
非常に「好戦的」人物だったと思われる。
かれは朝鮮半島での支配権をたとえば新羅や高句麗と争うという権力メンタルを
基本的には持っていたのだろうと推測できる。
唐という世界国家が大陸に成立したけれど、この時代、
前政権である隋の度々の侵略にもかかわらず、高句麗は戦争には勝利していた。
主観的意識として、中大兄皇子はそういった冒険的妄想を抱いていたのではないか。
しかし日中朝3カ国が関与した「世界大戦」であった白村江で
地方豪族に動員を掛けて出兵させた倭国軍は潰滅させられてしまう。
このあたり第2次世界大戦で言えば、ミッドウェーでの敗戦ともオーバーラップする。
まさに後の蒙古襲来のような国家的緊張が世を覆い、
同時に地方豪族たちにしてみれば、政権転覆を夢見たことも自明でしょうね。
直接天皇家に関わることなので、歴史的にあんまり語られないけれど、
この時期の歴史理解は、その後の推移にとっても重大だと思っています。
Posted on 10月 22nd, 2018 by 三木 奎吾
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視覚化しにくい環境要件のなかでも温湿度というのは、
皮膚感覚として人間の判断力、感受性がもっとも発揮される領域。
洞窟住居の太古から人類の基本欲求として、根源的に存在するテーマ。
そういうことがらに住宅建築が実践的な回答を出せる段階になってきている。
先週から東北と北海道・札幌を往復する日々に突入ですが、
いま、札幌にいると朝晩の外気温は10度を下回って一ケタ台にもなることがある。
そろそろ暖房必需期のはじまりであります。
築28年になるブロック建築のあんまり日射条件の良くない部位。
今の時期だと、日中になって日が昇ってくる前には20度前後になる。
で、夫婦とも60を超えたアラウンド「前期高齢者」居住。
そこでわたしとしては、そろそろ冬場のメイン暖房の「試運転」をしたくなって、
本日朝、この温度計で21度ほどだったので、スイッチを入れてみた。
毎年のことではありますが、しばらく機械を使わずにいると
大丈夫かな、とふと気になる瞬間があります。
しかし、まったく問題なく着火していました。
あ、わが家のメイン暖房は灯油の温水ボイラーで建物中に温水パイプが敷設されて
床暖房で加温させる方式であります。
東大・前真之准教授から揶揄されつづけていた「電気蓄熱暖房器」は
この灯油温水ボイラーの代わりにその役割を一部担っていましたが、
ことしの冬からはこちらを現役復帰させることにしているのです。
そういう「試運転」ということで、機器点検の意味合いも強い。
ただ、加齢に伴って体内発熱量が低下してきていることもあって、
冷気に対してややカラダはセンシティブになって来たと思われます。
下の写真はわたしのデスク上に置いてある温湿度計。
暖房試運転後、約1時間ほどが経過していますし、
日中になって日も差してきているので、24度近くまでなってきている。
大体わたし的にはこれくらいがこの時期の温湿度環境としては快適域。
あ、「快適」というコトバは不適切でしょうね、
気がついたら温度について「なにも感じなくなっている温湿度レベル」
というような言い方の方がリアリティがある。
これまでも、北方圏での住宅の環境要件として
繰り返し、このような指標による共通会話があったのですが、
暖房の場合には、そういった数値論議を超えて
生活者が「温度コントローラー」を手に持っているので、
そういった微妙なコントロール、各人別の「なにも感じなくなっている温湿度レベル」
を、自由に選択して感性的に暮らしてきたのだと思います。
ことし、温暖地・大阪で新住協総会が開かれ、
そこで蒸暑の真夏での室温湿度環境についての論議が交わされたのですが、
おおむね2台のエアコンを使って、どういう環境を薦めたらいいのか、
一つの考え方として床下設置の主に冬場の「暖房用」と考えているエアコンに
全館的な除湿目的で夏場でも「暖房運転」させた方が効率的、
というような意見まで出されていた。
「なにも感じなくなっている温湿度レベル」ということについて
あらためて問題提起がされて、北海道としてはやや鳩が豆鉄砲を食らった(笑)。
酷暑の夏場には温湿度は「29度50%」というような具体的数字もあらわされていた。
そんな経緯から、この冬場の温湿度環境について
北海道居住の立場からももう一度考え直してみたいなと思った次第。
実感的検証、ことしもあらためて取り組んでいきたいと思います。
Posted on 10月 21st, 2018 by 三木 奎吾
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わたしは小学生のころ10才上の兄の運転するクルマに同乗して以来、
クルマとの付き合いは約60年近くになる。
18才の運転免許取得可能年齢になったら即取得しました。
で、学生時代には運転手のアルバイトをずっと続けていた。
大学卒業後勤めることになった会社では、入社試験代わりに出張に同行して
社長の運転手を務めていたりもした。
慣れていたので、「安全運転で行きますので、よろしくお願いします!」と
物怖じもせず社長にきっぱり宣言してからハンドルを握った。
まぁなんとなく自己主張せずにハンドルを握ったりして
助手席にいる上司に気を遣ったりすることがあるとキケンだと思ったワケですが、
運転すると言うことは「命を預かる」ことでもあるので、
それくらいの自己宣言することは安全上の必要があると思いました。
そんな若いときからの運転歴ですが、
たぶん戦後の社会で多くの人が同じような経験をしてきたことでしょう。
そんなクルマ運転への空気のようなフツー感覚があって、
仕事でも移動することが前提になる仕事の作り方に
まったく抵抗がないというか、ごく自然にそのような選択をしてきている。
たいへん広域な北海道とか、東北全域といった事業サイズでメディアを構想し
相当大きな移動スパンを前提にして事業を考えてきた。
という次第で、クルマの運転に対して強い疲労感は持たなかった。
ある時期までは1日移動距離500-600kmというのは苦にしていなかった。
ところが、50代はじめのあるとき、
東北道・長者原PA手前でアタマがふらふらしてきた。
どうやら貧血っぽい症状があらわれて、高速運転ができなくなった。
20-30km程度の運転がやっとで、ようやくたどりついた長者原PAで仮眠した後、
すぐ近くの東横インにチェックインして倒れ込むように休んだ。
それ以来、1日走行距離の限界を400km程度と算定して、
それ以上の長距離・長時間運転は避けるようにしています。
今回、仙台から一番遠くではむつまで走ったのですが、
この距離が大体400km程度になる。ギリギリとは思ったのですが、
やはり前述のような経験があるので、時間が遅くなってきたこともあって
300kmを超えるようになってからは、PAで周辺ホテルを探したりしていました。
こういう体験はトラウマのように自分を追い詰めてきますね。
まぁなかなかホテルが見つからず、なんとか、仙台まで到着もして
問題はなかったのですが、やはり年なので、ゆとりのあるスケジューリングをと
反省しております。ちょっと長すぎ・・・。
でも久しぶりの長距離運転しているウチに、
ようやく「疲れない走り方」を思い出してきていた。
それは、トラックとペースを合わせて後続していく、というもの。
大体長距離運転がフツーのかれらは、スピード選択も間違いが無いし、
きちんと休憩もしっかり取っていますね。
おかげさまで、帰りの仙台までは比較的ラクに運転しておりました。
Posted on 10月 20th, 2018 by 三木 奎吾
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わたしは北海道が生み出した「高断熱高気密」という日本の「住宅革新」の
その最前線での胎動をウォッチして、ユーザー視点として
この動向がすばらしいと確信し啓蒙的な内容も心がけて住宅情報を発信しています。
こうした北海道での住宅革新の動きはさまざまなカタチでいま、
全国の家づくりをも大きく変革してきていると思います。
これまで「温暖地」ではこうした高断熱高気密技術に対して否定的な態度で接する
一定の傾向が存在してきました。
基本的には「気密なんて息苦しい」「自然素材の方がユーザーニーズが高い」
みたいな意味不明な流れが確実に存在していた。
こういった高断熱高気密技術への無理解・誤解を対置するという傾向は
しかし、いま大きく音を立てて崩壊しつつあると思います。
ユーザーは確実に高断熱高気密技術が生み出す「いごこち」品質を正確に感得し、
その圧倒的メリットを、はじめは徐々にやがて奔流のようになって求めてきている。
そういった大きな革新の流れのなかで、
日本各地で地域工務店の「地域一番店」型のニューウェーブが現れ始めている。
この技術革新がはじまり、大きく市場環境が変わった北海道では
地域工務店が高級住宅でも大手ハウスメーカーとまったく互角以上の勢いで
市場を席巻し、市場の7割を占める状況になっているけれど、
日本各地でも、こうした動向がかいま見えるようになって来た。
写真は、青森県・むつ市で注目を集めている菊池組さんの最新住宅事例。
伝統的社寺建築にルーツを持つ地域の老舗企業だけれど、
こうした高断熱高気密の技術革新の流れに積極的に身を投じて
さらに全国の家づくりの企業群と技術・デザイン交流を積極的に図って
まさに「地域一番店」という位置に評価されるような存在になってきている。
こちらの住宅では、基本的に高断熱高気密技術が背骨を支えながら、
しかし、ユーザーの「高品位」空間志向に対して
さまざまな手法、素材探究、デザイン提案で
逸品生産的な注文住宅らしい丹念な住宅の仕上がりになっている。
基本性能、ディテールの選択、仕上げ表現の奥深さなど、
イマドキの感度の高い住宅ユーザーの志向に応える家づくりをしている。
しかも、圧倒的に「若い」(笑)。
わたしどもReplanは、北海道から始まって全国各地で雑誌+WEBを通した
「地域住宅発信」をしていますが、こうしたニューウェーブが確実に芽吹いている。
「いごこち品質」をコントロールできる技術を持ち、なお、
ユーザーの暮らしの高品位化欲求に応えられる地域の優良な作り手を
大いに情報発信で掘り起こし、地域に深く伝えていきたいと考えています。
なお、この住宅の詳細についてはReplan青森、12月発売号でご紹介する予定です。
ぜひ、雑誌+WEBでご覧ください。
Posted on 10月 19th, 2018 by 三木 奎吾
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きのうは朝、青森県三沢市を出発して一路、最北端のむつ市へ。
面談案件が2件あったのですが、
しかしむつ市はもっとも「近隣」といえる都市・三沢からでも
ゆうに2時間ほどはクルマを走らせる必要がある。
なかなか青森県内でも独特の地域特性で
そこそこに関係づけられるのは県庁所在地・青森市くらいで、
八戸といった県南地域とは、まったく隔絶感がある。
むしろ、このむつからクルマを1時間走らせれば津軽海峡に出て大間に至る。
そこからはフェリーが函館までの航路が1時間ほどであるので、
青森に行くのも函館に行くのもそれほどの違いが無い。
そちらの方に地域的近隣感があるようにも感じられます。
わたしも来たのは今回で4回目くらいになるでしょうか。
で、仕事のことはそれとして(笑)
訪問させていただいた菊池組・菊池さんにご案内いただいた食事であります。
「アグレアーブル」さんというお店。洋風料理店ですね。
前菜でもこいつがナマっぽく出てきていたのですが、
メインのスパゲティでも真ん中にドーンと「横断」して出てきた(笑)。
まさに両岸、北海道と青森県を仕分ける津軽海峡のサーモンであります。
サケの食文化は津軽海峡を挟んでのこの両岸地域で盛んだけれど、
そこはやはり圧倒的に情報量で北海道が本場感がある。
そういう世評に対して「ちょっと待った」という「横断」ぶり(笑)。
大間のサケも忘れられたら困るぜ、という主張が
このイタリアン料理には精一杯表現されているかのようです。
で、サケという名前を使わずに「海峡サーモン」という
まったく独自のネーミングで勝負してきた。おお、であります。
こういう「勝負感」は応えられませんね、全力で舌で味わわせていただきました。
ナマっぽい方もしっとりとした食感であって、しかも
さわやかな風合いが口の中いっぱいに広がってくる。
一方、こちらのスパゲティの上のヤツはナマっぽい色合いなのに
中はしっかりと火が通っていて、サケの肉身がほどよくほぐれてくる。
日本人がサケを大好きなのは、たぶん北への憧れがまずあって、
そしてこのきれいさっぱりと肉身が小気味よくほぐれるのが心象にここちよいのでは。
写真で見るとサーモンの上の方から来た人間ですが、
どうも完全に1本取られた美味でありました。
きっぱり、津軽海峡サーモンの本場の称号は下北半島に譲りたいと思います。
おいしかったです、菊池さん、ごちそうさまでした。
Posted on 10月 18th, 2018 by 三木 奎吾
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先日も触れたのですが、
竹中大工道具館でずっと見ていたいと思わされるのは、写真のような
「中世職人仕事図」のような絵画ルポルタージュものです。
日本には大和絵の伝統としてなのか、
カリカチュア的な表現領域がずっとあると思います。
たぶん鳥獣戯画を嚆矢とする表現領域なのだと思います。
日本が世界に誇る「マンガ」文化は、こういった表現領域が
その優れた直感的表現力で世界性を帯び始めているあらわれでしょう。
わたし的には、こういった表現と出会うと、ずっと対話していたくなる。
そこに描かれた職人さんたちの思いとかも、
単純な線画表現だからこそ逆に、ありありとしたリアリズムでつたわってくる。
木造建築工事の微細な部分もしっかりと観察して
また、それに立ち向かう人間の力感もすばらしく表現されている。
大体が、表現視点は日本の伝統でやや上空的な場所から、
ひょっっとしたら、全体を観察するのに近くに立っていた樹木上に上って
そこから仔細に表現者は観察し続けていたのかも知れません。
こういうやや斜め上空から、全体をパノラマ的に表現するというのは、
日本の絵画表現で非常に多用されていると思います。
日本絵画の極限的表現である「金屏風絵」の大きなテーマである
洛中洛外図においても、たぶん、東寺の塔から見晴らした視点が
大きく見て取れると言われていますね。
たぶんそういった「古典」が手本として継承されてきて
表現の多数派を占めてきたのだろうと推測します。
今日、わたしどもは写真表現というカタチで雑誌やWEBで
ほぼ毎日のように住宅建築とその暮らしようを「表現」し続けている。
そのような同じ目的的視線をこういった表現から教えられる。
無上に楽しくもあり、また、きわめて職業的興味も共有しているという
そういった親近感がハンパなく感じられるという次第なのです。
表現された人々、描いた人々、双方への想像力のふくらみが
ハンパなく拡張し続けております(笑)。
Posted on 10月 17th, 2018 by 三木 奎吾
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