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【高断熱高気密技術をどう継承するか?】

昨日は北海道建設部の住宅施策諮問会議参加。
座長を鈴木大隆さんが務める北海道住宅の方向性検討会議です。
わたしはメディアを発行してユーザーの「取材」を業としている立場で
そういった意見を述べさせていただく次第。
いろいろな立場のみなさんからのご意見を拝聴できる貴重な機会でもあります。

昨日もある現場実務者の方から、
設計者の集まりなどで、断熱技術の地域認証資格である
BIS資格について、若い年代の人たちの認識がやや希薄という
問題提起がされていました。
北海道では、主にエネルギー削減を狙った国の「省エネ」施策としての
住宅断熱推進とはややスタンスの異なる、
より生活実感に即した住宅性能技術向上の地域的努力が
それこそ明治初年以来、継続的に取り組まれてきています。
それは「あたたかい家」という共同テーマが無条件の前提にあったことで
「なんとか、具体的に改善しなければ」という実践意欲が
参加プレーヤー全員に共有されていた、ということです。
しかしそういった克服技術レベルがある程度浸透してきて、
そういう住宅建築の仕事上の「環境」への依存心が強くなり
自らの問題意識として、認識がやや弱くなってくるのかも知れません。
ということは、技術の「伝承」に関わる問題かと。

そういう問題意識に立って、少しでも地域の資産が継承されるために
各人がどういった努力が出来るのか、というテーマ。
制度設計の現場的には、そういう部分への対応を考えることになるでしょうが、
わたし自身としては、いろいろ気付かされる提起だったと思います。

【電子書籍 縦書きか、横書きか?】


出版の世界は大きな激動期・変革期。
わたしどもは「雑誌」から電子メディア系がメインの領域ですが、
一方で「書籍」という領域も業界構造としては大きい。
というか、雑誌的コンテンツから容易に書籍化という流れがある。
よく言われるように、マンガ雑誌で「連載」して好評だった作品は
即座に「単行本化」されて、そちらの売上げ規模が大きくなる
という意味で相互補完的な関係で成り立ってきたと言えるでしょう。

下のグラフは、書籍の紙と電子形態の販売割合。
昨年2018年度では、電子書籍は書籍全般のなかで16%に上ってきた。
徐々に趨勢が伸張してきているのがわかる。
わたし自身も、書籍については紙の本よりも
電子書籍の方が非常に便利だと思っています。
雑誌については、写真表現とその「切り取り方」レイアウトが
かなり決定的な印象領域を占めるので、紙の方がとも思うのですが、
どちらかというと、テキスト主体の書籍では
文字の読みやすさをメインに考えると、電子形態に魅力がある。
で、長い論争が展開し続けている「縦書き・横書き」であります(笑)。
建築関係でも、新住協・鎌田紀彦先生は「横書きでいいじゃん」という
ご意見で、何度かそのようなレイアウト原稿を試したこともあります。
一般的なビジネス文書では、ほぼ横書きレイアウトが主流だと思います。
このブログにしても、パソコンやWEBでの表示では横書きですね。
しかし、いざ電子書籍という領域全般に考えると、
このあたりは、なかなか悩みどころであります。
というのも、電子書籍で販売されているものをみると、
圧倒的に「縦書き」で、右から左に行を移動していくスタイルが主流。
一般社会ではほぼ「横書き」主流であることと、違いがある。
わたし自身はやはり縦書きのほうが、慣れているということもあって、
「読書する」という感覚のアナログーデジタルでの移行も
まったくスムーズに行えると思っております。
ただ、わたしはもう歳も歳なので、若い世代のみなさんはどうか、と
いろいろに意見を聞かせていただくようにしております。
みなさんいかがでしょうかね?

しかしこれまで本という形式は紙をベースにして
千年間くらいは進んできたけれど、紙出力という形式が徐々に衰退し、
電子形態中心に変化していくのかどうか。
こんな巨大な変化の時代に遭遇すること自体、オドロキですね。

【古代のナゾ 写実的な埴輪と「秦氏」の関係】

写真はちょっと前から気になっている埴輪であります。
埴輪といえば、最近は「元祖ゆるキャラ」と言われるように
ある種、キッチュな日本の文化伝統の創始にかかわっている部分がある。
たぶん、古墳の周囲に立て並べて祀るという目的から
下部が安定感のある作りになっていて、表現としてのリアリズムよりも
直立安定性重視であることが、その形象から見て取れる。
それがゆるキャラのイメージとの近似感につながっているのかも。
この写真の埴輪からはしかし、
古代史のキーワードとしての「秦氏」という存在が気になってくる。
平安京の建設の中心的勢力・古代史の有力勢力としてよく名前が出てくる。
この埴輪は、その秦氏が入植したとされる千葉県芝山で発見されたもの。
埴輪というのは死者の古墳に随伴させて死後も仕える
というような意味合いなんだろうと言われていますが、
この埴輪は非常に「写実的」な作られようで異彩感。
ある学者さんなどは、これは典型的なユダヤ人の人物描写だ、
というように説を唱えられているようです。
髪型と帽子のセットアップがかの民族性を端的にあらわしていると。
そういった説に接して気になっているのですが、さて。

どうもCatch a Coldであります。
一昨日、草木を扱って若干、土埃にまみれたのですが、
直後からどうも喉に来て、セキ・クシャミ・軽い痰。
ひょっとして花粉症かも?ときのうお医者さんに聞いたのですが、
喉をみていただいたら、あきらかに「赤変」がみられ、
花粉症状の「白っぽい」病変ではないので、夏風邪との見立て。
ちょうど1カ月前ころにも同様の症状が出ていて長引いたので、
早めに処方してもらったところですが、やや体力低下かも。
あしたは外部での会議出席もあるし、来週も岐阜での会議などの予定もあり、
あまり悪くならない前に、早めに復活させたいところであります。

【15年間 5000本以上のブログ記事(笑)】

自分はどんなことをしてきたのかなと、ふと考える。
いずれにしても人間として大したことは出来ていないのは確かですが、
そういう才能のない人間は、努力するしかない。
継続は力、と信じて日記的にブログを書いてきています。
ずいぶん長く書いてきてはいる。
そろそろそういう活動をきちんと整理整頓しておかなければならない。
ということで、見返し始めております。

始めた動機は、たしかスタッフから自社HPのコンテンツとして
書いてください、というようなことでした。
2005年8月9日から開始しております。
ちょうど開催されていた「愛・地球博」に、学校が夏休みになった
息子と同道して見学して来た見学体験から書き始めております。
それ以来、いまは15年目に入ってきています。
この間で数日はズル休み(笑)しているけれど、
たぶん10日未満のハズですので、総数は確実に5000突破している。
こんなにあると、自分自身でも「初めて見る」ような記事もある(笑)。
過去の自分と対話するような不思議な体験もできる。
対話がはじまると、自分自身なのでそのバックグランドもわかる。
で、毎日書いて記録しているので興味分野別カテゴリー分けできている。
最初からWordPress利用ではなかったハズですが、
環境をきちんと乗り換えてきたので、整理整頓の方法が明確。
自分自身で記事を体系的に「編集」することが容易にできるのですね。
そういうなかで、いちばんわかりやすそうな
「歴史系」についていま整理作業に着手してきております。
このテーマカテゴリーでも491件のブログがありました。
写真は、それをさらにいくつかの「年代」で仕分けた記事検索画面。
全体で5100くらいの総数のウチ、491件ですので、
だいたい10回に1回くらいは歴史ネタを書いてきているのですね。

WEBという人類がはじめて「経験」している環境での
ひとつの特異的な人間記録と言えないこともないかも知れません。
わたしのような「常人」がこれだけたくさんの発信記録を
残せていく段階にまで立ち至っていることは興味深いことだと。
そうした無数に拡散し蓄積される人間活動情報の整理整頓、
その総体としての「歴史」概念は、今後どのように変わっていくのか?
まことに未知のゾーンに突入してきているのでしょうね。
さて、こういう「まとめ」を行っておりますので、
その結果・成果を後ほどご報告したいと思っております。
読者のみなさま、よろしくお願い申し上げます。

【歴史人口増加と建築の進化発展】


歴史的なことを考えるときには、当時の人口を考えながら
なるべくリアリティを持って社会の様子を想像するようにしています。
ライフワークの建築テーマでも、その考えを踏まえて想像している。
建築の技術発展と建築需要把握についての決定的な「補助線」。

そういうことでいつも参考にさせていただいているのが
上智大学の鬼頭宏先生の研究「日本列島の地域別人口歴史」です。
平安末期1150年段階の総人口が724万人に対して
425年前の奈良時代725年には451万人なので、この間は1.6倍という人口増加。
武士の支配する時代の開始を経た1600年の関ヶ原の頃が1389万人。
450年間に人口は1.9倍とほぼ倍増している。
さらに、1600年から246年後の幕末1846年には約3300万人。
2.37倍と人口は急増しているのです。
歴史とともに人口増加趨勢が盛り上がっていったことがみえる。
国家としての基本骨格を天皇制と貴族政治・律令体制としていた時代から
地方の生産力の拡大を分権的に進めたのが鎌倉からの武家政権であり、
それによって経済規模が拡大してきたということがわかる。
とくに江戸期の人口増加は、日本全国の三百諸侯の分権での生産力拡大が
目覚ましい効果を持っていた、ということが明確にわかる。
国内戦争で富を奪い合うよりも、平和を達成する方が生産を上げる。
政治が正義かどうかはどうでもよくて、結局は経済発展こそが最大テーマだと。
巨視的には、そういうことが自然な理解なのでしょう。

図は鎌倉期の九州での建築工事の絵図ですが、
寺院建築の現場に運び込まれた木材と、現場での加工の様子。
歴史段階で言えばそれまでの京都に政治権力が集中した体制から
関東という急成長地域の独立的発展が鎌倉幕府創設で追認された。
寺社というのは、古代から中世にかけては巨大な利権構造であり、
経済主体として機能していた現実がある。
建築はそういった宗教権力が生み出す需要に即して発展したのでしょう。
平家の奈良の焼き討ちからの復興が頼朝の資金援助もあって
大きく進展した希代の建築プロデューサー・重源さんの活躍は
現代でいえば建設大臣と独占ゼネコンの両方を体現したように思うのですが、
その契機に、運慶などのリアリズム木像も多作された。
ああいったリアリズムが可能になり生み出された「木工技術」発展は
同時に建築技術に援用され、相互に影響し合いながら進化した。
戦争からの復興が、全国で活発化したことで、
建築も大きく発展した歴史エポックでもあったように思われます。

【北海道は地形の「カタチ」が美しい?】

って、北海道外の方から言われました。う〜む・・・。
そうなんだろうか、言われるまでまったく考えたこともなかった(笑)。
郷土愛的には褒めていただいてすごくうれしいけれど、
ホント、考えたことがなかったので面食らう。
で、そんなことがホントに一般的に言われているのか、知りたいと
WEBでググってみたら、
北海道の形が美しいから日本が美しい!その形のバランスの良さが際立つ!
というページがトップで表示されました。
「その形のバランスの良さが際立つ!見た瞬間その良さが分かります。
それが北海道の形にある!」
「北海道の地図を見れば見るほど、魅力に満ちた素晴らしい形をしています。
形のバランスの良さが—–抜群に美しい」
と感嘆してくれております。
著者は1981年に日本の建築家名鑑/新建築社から日本の建築家500人に選ばれた
堀江武之さんという方です。横浜で設計事務所をされているようです。
「最も形が好きな都道府県ランキング」というのがあるそうで、
第1位 北海道 138人(40.3%)
第2位 千葉県  22人(6.4%)
第3位 東京都  21人(6.1%)
第4位 愛知県  16人(4.7%)
第5位 新潟県  12人(3.5%)
っていうように話題を展開されていました。
建築の設計を業としている方であれば、
いわゆる「カタチ」についていろいろな思惟を巡らす仕事でしょう。
理解はできますがさて、この論拠になっていたランキングですが、
北海道と他県を「比較する」のはどうなんでしょうか?
北海道はひとつの島がそのまま県境になっているので、
いわば神さまの作りたもうた造形であるのに対して、
各都府県は人為的な区分がカタチになっているので、
いわば神さま対行政区分(笑)というようなハンディキャップがある。

たぶんこの神さまの業が、カタチに決定的な影響があるのだろうと思う。
地球上での空間位置にあらゆる自然条件要素が全部入った上で
もっとも合理的に地形のカタチは決まっていくものでしょう。
木は必ず太陽に向かって伸びていき、枝葉はもっとも太陽光を受けるように
合目的的な形態になっていくように、
地形というものも、その条件下でもっとも自然な造形をつくる。
全地球でももっとも活発な西部太平洋での火山活動の結果、
アジア大陸に沿って弧状列島が形成された。
それらが多雨の気候や海流の影響などが積み重なって
長い年月を掛けて現状のカタチに至ったのでしょう。
ほかの四国・九州島と本州島との間の瀬戸内海とはかなり趣の違う
津軽海峡による本州島との微妙な、つかず離れずの位置関係。
さらにはこの北海道が日本国の地形のワンピースとして加わったことで
「右を向いた龍」といわれるような弧状列島のカタチが完成した。
こういう与条件としての美感に感謝しながら、
人為でそれをさらに磨いていくことが人間の役割なのでしょうね。

そんなことを漠然と考えていたら、
なんと古い友人から中学校時代の「地図」を貸してもらえた(笑)。
物持ちのよさに驚くけれど、1965年段階の地理的知見が集約されていて、
さすがに目が点になるくらい驚く記述もある。
勉強をいかにやっていなかったか、もう手遅れですが(笑)、
変わることのない日本列島・北海道の地形に魅入らされております。

【木彫仏の隆盛と木造建築技術進化の相関】


さて今週は比較的に取材ネタが多かったのですが、
このブログでテーマにして行きたい木造建築技術の原初期を探る探究。
きょうは、木造技術の周辺領域についてです。

日本は東アジア世界の文化圏に長く位置してきて
この歴史経緯のなかで揺籃された模範的な「仏教国」ですが、
他国ではその信仰対象としての仏像は石造や金属製、粘土加工などが
主流であるのに対して、圧倒的に「木像」が多いのが特徴とされる。
写真は木でつくる仏像制作のプロセスの様子と、
この仏像制作の技術者たちの「道具」が下の写真なのですが、
まず一見して、そのまま建築技術に転用可能なものばかり。
たぶん「造作大工」の道具だと言われても疑問は湧かない。
あきらかに相互に緊密に影響し合っていただろうと思えます。
日本史では聖徳太子の「四天王寺」建設を嚆矢として、
当時の世界宗教の本格的導入が始められ、仏教寺院建設が隆盛した。
それは同時に本格的に「木組み」の加工造作技術発展を意味した。
やがて「一木彫り」というような発展もするのですが、
基本的にはいくつかのパーツが接合されて木像は作られた。
先般来ブログ記事で探究してみた、木造構造の架構部での
木組み、仕口技術の起源ですが、
このような仏像制作の精緻な加工技術をみれば、そこで
いわゆる建築の木組み技術が、活用されただろうことは自明。
三内丸山から吉野ヶ里と縄文中期から弥生時代当時の技術発展状況も見える。
日本で仏像制作が盛んになった時期には、木造架構の建築の側でも、
もちろん精巧な接合部技術が存在し進化していただろうことは明白。
ほかのアジア圏では多用されなかった仏像の木造化ですが、
日本で異常に盛り上がったのは、仏教を受容する社会の側で
相当広範な「技術基盤」が存在していたことも容易に想像できる。
三内丸山の縄文期から出雲大社の「高層建築」まで、
その軌跡は簡単にたどることができると思います。

どうもこのあたりの木造技術発展のミッシンクリンクは、
仏像制作技術史の探究が、きわめて近縁的ではないかと思われますね。

【家を操作するスマホ?「自立的」タッチパネル】

こちらの写真も、地域工務店グループ・アース21の見学会から。
住宅にはどんどんと便利な設備が導入されてくる。
玄関先に来る訪問者との応答対話、各種設備機器の調整コントロール。
太陽光発電での発電状況把握、いちばん身近な照明スイッチなど、
電気設備の制御パネルというものは増えていく一方。
で、こういう設備は配線の関係などもあるので、
一般的には「壁付け」という方法が多いだろうと思います。
無意識的に「面倒なものだから、隠しておこう」みたいな心理かと。

ところがこちらのモデル住宅では、
あえて、家での暮らしやデザイン性の中心の階段・吹き抜けに面して
コントロールボックスがニョッキリと自立しているではありませんか。
ふつうであれば、視界の抜けが優先されて
こういう場所に設置させるという発想は出てこないでしょう。
この設置場所は2階階段を上がったすぐの位置であり、
プラン的には2階リビングダイニングということで、
ちょうど写真撮影手前側がダイニングコーナー。
ふだんの「家族団欒」の定位置に当たっています。
そういう意味では、家族が在宅している時間で、
家中でももっとも誰かがいる確率の高い場所に相当している。
吹き抜けに面してもいるので、頼む場合の声の通りもいい。
「あ、ちょっとお客さんだから、話して〜」みたいなコミュニケーション。
そういう「利便性」ということで考えれば位置的には理解出来る。
でもここまであからさまな配置というのも刺激的。
また、このような位置に置くとしての「デザイン性」も気になるもの。
わたし的にはパッと見た目、
吹き抜けの景観がスマホの表示画面のようで、
それに対してタッチパネルのように「操作する」という感覚を持った。
というか、常設してある「家全体のスマホタッチパネル」。
そう思うと、逆に背景の吹き抜けの風景ともそう違和感はないかも。
考えてみれば、現代人の情報との接点はスマホがもっとも普遍的。
そういう「ふつう」がデザイン的に昇華してくるという
そんな「進化」というものもあり得るかも知れない。
スマホとのコミュニケーションが一般化して
住宅のデザインでも、それがイマジネーションの起点になってくる、
そんなイメージを持った次第です。さて、どうなっていくのか?

【北海道R住宅利用 古家「昭和」風改装】



もう5−6年経っているのですが、国が「長期優良住宅」事業を行って
その「補助金制度」を利用しての北海道での受け皿的な
制度設計として「北海道R住宅」というリフォームシステムを作りました。
内容については、WEBで検索していただければ、
道庁のHPや、当社ReplanのHPなどの詳細説明ページも
上位で閲覧可能になっていますので、ご確認ください。

一昨日、北海道の地域工務店ネットワーク・アース21例会で
この制度を利用して札幌市内の古い家を改造した店舗を見学しました。
札幌市西部の手稲山系からのなだらかな丘陵傾斜地の住宅街に
幹線道路に面することもなく、手作りケーキとカフェを提供している。
どうやら「わざわざ店」的な口コミだけで頑張っているようでした。
敷地は旗竿的ですが駐車場も含めるとけっこうな大きさのようです。
駐車場はたぶん全部で10台分くらいはありそう。
外観をみればわかるように、敷地は左右で1m以上の傾斜がある。
その傾斜に沿ってパラペットが3つに分かれていて、
それもデザインに取り込んでいてかわいらしくて、悪くない。
経緯を聞いたら、たまたま親御さんの遺した住宅を相続し、
そのときにたまたまこの「北海道R住宅」の制度が合致して、
獲得できた補助金が大きな支えになって、この店舗併用住宅が
計画起動したのだということでした。
もし、そういう制度利用ができなければ実現しなかったプロジェクト。
建物の奥側を中心に親御さんが遺した庭があって、
その庭木に対して大きく開口させて、落ち着きのある「離れ」的な
都市の中の「一服できる」空間が出現した。
コンセプトとしては「昭和的なノスタルジー」を狙ったとされていた。
きのうも触れましたが、北海道ではいわゆる「古民家」的な存在として
もちろん江戸期にまでさかのぼるものはなく、
明治や大正期建築も、いわゆる擬洋風建築的なものが多くて
いわゆる「民家」的なたたずまいを求めるとしたら、
昭和の、ちょうどわたしのような50-70代の年代が生まれ育ったような、
そういう住宅が回帰可能なデザインイメージなのだろうと思います。
既存の昭和期の木造住宅に対して、構造をしっかり補強し、
現代の基礎的な断熱性能で改修して、シンボリックな開口部には
木製3重ガラス入りサッシを使い庭との応答、性能デザインを可能にした。
長く使い続けていく「愛着」に対し力強い存続価値を付加した工事。

制度設計にかかわっていた者として、
こんな風な建物の存続・再活用の役に立ってくれたことがうれしい。
店舗なので北海道R住宅制度のランドマークに育って欲しいと思います。
喜茶ゆうご 札幌市西区宮の沢3条4丁目6−8 011-555-5870
<設計施工/ヨシケン一級建築士事務所 011-641-4906>

【開拓の歴史「石山軟石」を現代住宅で生かす】


北海道では「開拓期」移民・移住が、本土社会で行き詰まった
生活上の困窮からの止むにやまれぬ苦渋の決断だったことで、
その必然的な貧しさゆえ住居がより始原のカタチに戻らざるを得なかった。
わたしたちのほんの2−3世代前の先人のスタートはそこからだった。
しかしこの地が積雪寒冷という極限地域だったことで、
そこから母体の「ニッポン住宅」とはまったく別の発展
〜高断熱高気密が始まったという事実がある。
開拓から150年近い年月が経過し「経験したこと」をふり返って見て、
さらに一歩進めて日本社会に還元していくことというのも、
心がけて行かなければならないのだろうと思います。
基本的には、開拓から日が浅いので地味が他地域以上に豊かで
より自然に近しく、日本全体の食料生産拠点として地の利がある。
IT化が進行する現代世界ではバーチャル化発展が進むけれど、
食料というリアルの世界で、アメリカ的農薬管理大型農業ではない、
知恵と工夫と、この地の利を生かした日本農業の先端性が
大きな発展可能性を持っているだろうと思います。
さらに次いでの領域は「あたたかく住みごこちの良い家」
という住宅建築についての技術開発だろうことは明確でしょう。

3−4代とはいえ、積んできた歴史蓄積に対して
建築ランドマーク的に意識的でなければならない。
そんな明示的な「素材」というものはあるのだろうか、
そんな意識に気付きを与えてくれたのが、きのう見学した家。
北海道開拓時期「木骨石造」という建築が多く建てられ続けていた。
札幌市の南部の「石山」地域から、支笏湖カルデラ噴火での
噴煙堆積物としてやわらかくて加工しやすい「石材」が豊富に産出された。
これに最初に目をつけたのはアメリカからこの地の開拓に
助っ人として来てくれていた「建築技官」たちだったと言われる。
石で建築を作るという文化はそれほど根付いていなかったニッポンで
構造骨格は木造で作って、壁を石山軟石で作るという建築が多く作られた。
初期の開拓民にとってそれらの建築は、ほとんど始原的住居に暮らす日常から
坂の上の雲のように見ていた憧れだったのかも知れない。
ある時期までの札幌の景観のエキゾティシズムの一部分を彩っていた。
この家ではその石山軟石を薄くスライスした素材を
外壁材としてあらわしていた。
重厚な色合いのレンガと対比させていて永続性を感じる。
この素材はその後の「ブロック住宅」とも組成が近しく、
やはり短いとはいえ、北海道150年の歴史の証人ともいえる。
こういう素材を意図的に使っていく住宅には、
いかにも「この地に建つ」というアイデンティティが感じられる。
そんな思いを持って、見学させていただきました。