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竪穴住居の間取り図

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写真は日本の側で言うと奈良期から平安期の
北海道北東部に300年間以上程度勢力を誇っていた
「オホーツク文化人」たちの復元住宅の「間取り図」。
かれらは、日本国家との間で外交関係も築いているのですね。
使節が畿内地域まで来ていたという。
当時の通常の住宅はたぶん、
ヤマト政権側一般庶民も竪穴住居だったろうと思います。
それに対して、
国家施設などは「立派な」大型木造建築で、
「瓦」葺きという異形なまでの立派さが、
権力装置として、大きな意味合いがあったのだろうと推定できます。
ただし、建築的にはまだ、柱をそのまま礎石の上に建てる形式だっただろうと思います。
土台という概念は導入されていなかった。
しかし、まつろわぬ民にしてみれば、
大いにその文化的先進性に驚かさせられる存在だったことと思います。
しかし、それは文化の違いが生み出したものであって、
狩猟採集を基本としたオホーツク文化側からすると、
弥生的農耕社会の生み出した「変わった建築形式」としか
認識しなかった可能性が大きい。
外交交流で、畿内地域を訪れたオホーツク文化人たちが
どんな思いを持っていたか、想像力が刺激されるところですね(笑)。
一方で、かれらは「祭壇」とされる家の中の神聖空間に
熊の頭骨を供えるという文化を持っていた。
この文化はその後、アイヌにも継承されていくもの。
復元されているオホーツク文化人の竪穴住居は大きい建物で、
家の中に機能的に仕分けされる空間的分化が見られるのですね。
わたしのこのような古民家、復元住居への関心が
まわりのみなさんに認知されはじめているようで(笑)
きのうは、取引先の印刷会社の方から
北海道の古建築写真集を貸していただけるという申し出をいただきました。
昭和50年代制作の立派な装丁の本なのですが
どの写真も興味深く、たいへん面白い資料だと思っています。
研究材料としては資料的な価値も高いので
ありがたく利用させていただくつもりです。
でもまぁ、ブログ書き続けているとこんなこともあるんですね(笑)。
北のくらしデザインセンター
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