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囲炉裏端

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ふたたび、きのうからの続編です。
小樽市にあった、ニシン番屋・旧青山漁家内部の様子。
ここは板敷きの広間で、囲炉裏がいくつか区切られています。
上辺には「わらじ」が乾燥させるためにくくりつけられています。
手前側の壁面にはヤン衆の名簿のような木札が架けられています。
共同生活の場であり、故郷との便りのやりとりなど、
表札のようでもあったのだろうと推測できます。
この板敷き空間は相当な広さで、50坪くらいはある感じ。
これだけの大空間を支えるように、見上げると、豪快で大きな木組みが表れています。
最盛期には、1階だけではヤン衆の寝床が足りなくなって、
2階にも窓周りに寝床が造作されています。
江戸期から明治にかけて、大きな産業であった
ニシン漁の盛んな様子が視覚的にも理解される光景。
ざっと見て、100人くらいの大人数がここで寝泊まりしていたのでしょう。
これだけの大人数が集合したとしても、
天井高が10m超はありそうで、たぶん、集まったヤン衆のだれも見たことがないような
大きな構造を持った建築です。
この大空間はゆったりとしたおおらかさで包み込んでいた感じがいたします。
テレビなどの娯楽のない時代、こういう囲炉裏端で
どんなふうに食事と休息の時間を過ごしたのでしょうね。
バチバチとはぜるような囲炉裏火を囲んで、それぞれの故郷のこと、
親兄弟のことを肴に酒を酌み交わしたのでしょうか。
現代でも、釧路が発祥といわれる
「炉端焼き屋」という飲食店のスタイルがありますが、
ちょうどこんな雰囲気、共通していると思います。
日本人が生み出してきた憩いの文化性のなかに
こういうベーシックな原風景がDNA的に刷り込まれていると思います。
北海道の冬場には、青物野菜が足りなくなって
こういうコメを大量に食べる暮らしでは
「脚気」が頻発する懸念があります。
江戸期に北海道警護の任務に就いた東北諸藩の武士は
大半がこの脚気で死んだと言われています。
ニシン漁の最盛期は3ヶ月ほどだったということなので
そういう健康面でも問題は発生しなかったのでしょうか。
暮らしのさまざまなことがらが
立ち上ってくるように想起される光景だと思いますね。
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