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【韓国慶州・仏国寺 取材写真再チェック】



さて、きのうは法隆寺建築工事のことを書いたので
隣国・韓国の同年代、751年創建という世界遺産・仏国寺のこと、
以前2016年3月13日にもアップしましたが、
写真をチェックしてもう一度、ふり返って見たいと思います。

このお寺、創建時は法隆寺のような「国家建築」ではなかったようで、
〜新羅景徳王の時代の751年(景徳王10年)宰相・金大城(キムデソン)により
建立がはじまる。『三国遺事』には金大城が現世での父母のために建立した。
李氏朝鮮の太宗1407年(太宗7年)の儒教国教化での仏教弾圧の際、
存続を許された88寺院の中に名前がなく、既に荒廃し廃寺になったようである。
その後1424年の弾圧時に存続を許された36寺院の中にも名前がなく、
引き続き廃寺のままだったようだ〜とWikipediaには記述されている。
日本では仏教が一時的な危機はあったにせよ、おおむね存続したけれど、
韓国の場合には大陸の専制国家からの暴圧が強烈に吹き荒れて
仏教が弾圧されこの仏国寺の歴史に影を投げてきているようです。
今日、仏国寺の案内板などには秀吉の出兵で消失したと記されている。
で、いまある仏国寺は
〜日本統治時代の1924年4月から1925年8月迄の朝鮮総督府の再建工事によって
石壇・石廊を含む主要構造が修復された。〜(同Wikipedia)
その後、1965年の日韓国交回復を経て1968年からさらに修復復元されたとのこと。
日本が負担した5億ドルのお金が回り回って復元に至ったのか?
ただ、かの国では「木造建築」の技術がほとんど廃れているので
このお寺の再建に当たって、どのような職人さんがあたったのか不明。
宮大工・金剛組の開祖は1400年以上前にかの国から来たのですが・・・。
この金剛組の来歴を見ていると、四天王寺の創建(593年)時に来日したとあり、
同時にほかに2名の大工の記述がみられる。金剛組は完成後も日本に残り、
ほかの2名は帰国したらしいので、この仏国寺創建(751年)のころには、
そういった技術をもった集団の末裔などが存続していた可能性は高い。
韓国ではいま、古来からの木造住宅を建てようとすると苦労するとのこと。
ほとんどRCの高層マンション居住が一般的という住宅事情。
このような流れなので木造建築的には創建時の様子はうかがいようがない。
儒教を国教としたことで仏教が排斥されて廃寺状態だったのが、
いくたびかの修復を経て現在に至っている、ということのようです。
ただ、1枚目の写真のような「軸組」が目に付いた。
大雄殿か、無説殿のどちらかで、仏像に向かって左側を見渡した写真ですが、
こちらの柱と横架材の様子には、やや痕跡が感じられた。

どうも「儒教」というのは、悩ましい思想。
いろいろに歴史をゆがめ続けてきているように思えてならないですね。

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