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首都圏の都市計画デザイン

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2日間にわたった関東地域の取材を終えて
きのうはようやく体を休めることに専念いたしました。
計算すると、3日間の総移動距離は2300kmほどになります。
こういうのはやはり移動距離の長さに疲れは比例する。
とくに移動の多くはクルマだったので、
自分の運転でなくても、やはり疲れるものですね。
とくに関東地区での自動車運転は、注意が倍加する感じなので
疲れも蓄積するものでしょうね。
ということですが、今週も木曜日以降、3日間の出張予定。
体調を管理して、頑張らねばというところです。
当たり前のようなことですが、
関東地区で取材すると、涼房ということが大きなテーマとして
浮かび上がってきます。
その涼房についても、建物単独だけではなく、
いわば伝統的な地域の工夫、街並み形成上の知恵というような部分も目に付きます。
戦後以降の、いわば無計画な街区形成、
都市周辺農家の土地切り売りに準拠しただけの「街割り」という現代の状況では
こういった「知恵」の痕跡を認めることはできない。
まぁ、社会的に見ればある意味では無理はないのだけれど、
それにしても、地域の行政単位の無策ぶりは際だっていると感じます。
国の側では、農村人口を長期的に都市勤労者として
移住政策を長期的に展開してきていた。
そのために、住宅建築の主体を非安定的な「地域工務店」から
工業化住宅、を標榜する大手ハウスメーカーの成長にゆだねた部分がある。
そうであるのに、肝心の街区形成、住宅地の街割り計画では
ほぼまったく無計画に進展してきたのが実態。
たとえば、京都などの美しい街割りは、独特の町家建築を生み出すまでの
「住宅文化」の熟成をもたらしたけれど、
そういった歴史にまったく学ぶことなく、戦後社会は、
ただひたすら、日本の住宅文化を破綻させてきたのではないかと思います。
京都の都市デザイン、地域計画は、その時代の都市計画家が考えたのに相違ない。
通りと私的空間のバランスは合理的で、美しい。
それに対して、皇居周辺を除いた首都圏地域の都市計画の破綻ぶりはすごい。
遙かに後年、わたしたちの現在形成されている街区を
研究する人たちにとって、これはなんであるのか、
戦前までの日本の都市計画と、戦後の日本の都市計画の間に
巨大な隔絶を感じるに違いないだろうと思います。
たまたま、わたしがアメリカの都市計画家たちが作成したと思われる
札幌の街に住み、育ってきた経験があるから、
余計にそう感じるのかも知れませんが、
なんとも、すさまじい状況だと思わざるを得ませんね。
こういうなかで、個別の住宅計画を進めなければならないのは、苦しい。
そんな印象に強く包まれています。
<写真は、涼房デザインが良かった埼玉のおそば屋さん>
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