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ニッポン的な開発分譲地

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出張して歩くときには、
いろいろな情報に常に敏感になっている自分がいる。
ふと気付く、ということが大きな啓示になったりもする。
大体、人に会うということ自体、そういった契機として最大なのかも知れない。
北海道から、人口密集地域に来ると
見落としてしまうようなことだけれど、不思議を感じる光景に出くわす。
今回は仙台からの移動で、
関西空港で下りて陸路を広島まで移動する間、
どうも振り返ると写真のような光景によく出会っていると気付いた。
一見、ありえないような面白い風景だと感じる。
豊かな山の森のみどりの中に空中都市のように
ぽっかりと浮かんでいる、おとぎ話のような街が広がっている。
そんな光景の中でも格段にうつくしい背景の中に
楽しげな光景として目に飛び込んできて、思わずカメラに納めた次第。
山が美しく、川の水も美しい日本の景観のなかにあって
「ニッポンの都市的な美」というように羨望の気持ちも湧いてくる。
けれど次の瞬間に、大きく気付かされる。
「おい、こんなに土地がないのかよ・・・」

広島の事業者の知人から、ときどき「広島は土地が狭い」ということを
嘆くコトバを聞くことがあったことを想起させられる。
この山のなかの土地はたぶん、住宅地としての社会的な条件、
都市中心部・人口密集地域からの距離感、時間的利便性は
十分に満たされているのだろうと思います。
しかしそれにしても、ここまでの「開発行為」には、
相当の資金が投入されたに違いない。
それがペイする限界点あたりで価格設定されて宅地分譲されたのでしょう。
この開発行為からは、ひたすら「平坦にする」という強い意志を感じる。
もともとの地形として、このように開発することがしやすかったのかも知れない。
まぁ、そのような妄想に駆られていましたが、
しかし一方で、こういう光景、単純に面白い。
借景という美的な文化が日本にはあるけれど、
それとはまた対極として、仁徳天皇陵造成以来、
強い意志を感じるような国土改造・土木技術の積み重ねもある。
この写真を撮影していて、そんなふたつのことが想起されてきた次第です。
司馬遼太郎さんの講演記録を聞くことがあるのですが、
そのなかで、鎌倉以前から日本では、
基本的な農地開墾として田んぼが新規造成されてきたけれど、
最初は、とにかく水利の得やすい、川の流域地域を田んぼ化してきた。
が、ある時期から農業水利自体のコントロール技術が飛躍的に高まって
それまで農地化しにくかった土地もどんどん新規開発されたということを聞いた。
これって、世界的にも稀有な社会発展のかたちだそうです。
それが関東地域でいちばん活発に新規開発されて
新興農場主たちが続出したけれど、
その時代には土地の私有が認められず、やむなく「寄進地荘園」という
折衷的な制度が出来上がっていた。全国の土地の何割かが
たとえば藤原氏とか平氏のものだなどということになっていた。けれど、
やがて、そういったバカげた名目上の所有者に代わって、
実質的な開墾主たちが、権力自体も手に入れたのが鎌倉幕府だ、という。
そのようにニッポンでは、土木技術は発展していたのですから
今日、こういった光景が現出するのも、発展の自然的必然性なのかも知れない。
そのように考えると、借景という美的観念とは別に
面白きこと、というようにこうした光景を捉えるべきなのかも知れません。
でも、山崩れなどの自然災害、考えられない集中豪雨などを思うと
ふと、本当に大丈夫なのかなぁと、
不安な気分もよぎって参ります。う〜〜〜む。

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