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【縄文「火炎土器」は優しいおばあちゃんの造形?】

先日書いた米大統領選の微妙な推移ですが、
米国内状況とは別に世界の超大国なので、友好国・同盟国の対応が難しい。
有力米国メディア2社以上が「当確」を打ったら、という情勢判断根拠から
EU諸国と日本は歩調を合わせてバイデンに「祝意」を送ったとされている。
EUの場合はメルケルさんとトランプの「確執」もあって、
どちらかといえば民主党政権寄りの姿勢が伝統的スタイルなので、
言外に常識的スタンスへの復帰「歓迎」的なニュアンスが感じられた。
それに対して日本は慎重に情勢判断してこのタイミングで意思表示した。
まぁ常識範囲での対応といえる。しかし、EUと日本のスタンスには違いがある。
今後、民主党左派の影響力が増大しそうなバイデン政権には、
相当デリケートな対米外交の構築が迫られるでしょうね。
移行期、前政権との良い関係を持っていた国として、距離感が難しい。・・・

一転して本日は火炎土器テーマ。写真は全国の縄文時代展示のなかでも特異だった
新潟県立歴史博物館で見学したモデル展示の様子であります。
ほぼ実寸大と思われる人物マネキンがさまざまな「縄文の世相」を
わかりやすく伝えてくれている展示です。
だいたい全国のほかの施設では画像とか、テキストでの説明が一般的。
ところが、新潟では研究員のみなさんの「思い入れ」が強く反映されている。

縄文土器でも、火炎土器というデザインはその着想の奇抜さに驚く。
ふつう生活必需品であれば、日常の手入れなども考えて
扱いやすく、洗浄などに便利なようにスラッとしたデザイン志向が優勢なはず。
ところが、弥生時代になるとそのように自然な傾向になっていくのに、
はるかな長期間、1万年も続いた縄文土器時代には、
この「火炎土器」のような生命力そのものを感じるデザイン。
造形的にも複雑で、まるで岡本太郎さんが生活雑器を作ったみたいなカタチ。
岡本太郎は作風からも、また著書でも火炎土器の生命力への心酔を語っていた。
先日のブログで書いたように縄文時代には、海の幸や山の幸をこの土器鍋で
「鍋料理」として食していたとされている。
この土器を石のつっかえ棒などで立てて底や側面側から直火で炙って加熱した。
デザイン表現の意図としては、その直火のさまを同調表現したものでしょうか?
自然の産物を火で調理して、食べやすく美味しく変容させることに
ある種の「呪術性」をそこに投影させたのか?
火への信仰にまで高められた人類の祖形を感じさせる造形ぶり。
いずれにしても意思的な、強い「表現性」が感じられる。
そういうことなので、男性・女性という概念からすれば男性的と思っていた。
ところが、この表現を見ると女性で、しかも高齢な方。
この優しげなおばあちゃんの手から、このような火炎土器が生み出された?
この点について「考証」がどのようであったのか、知りたい。
公共的な博物館の学芸員さんの「監修」であれば一定の根拠があったに違いない。
そう考え、了解するのが普通だと思います。
土器の制作自体、縄文の世では女性が担っていたという根拠事実があるのか、
そして高齢の女性の方がこうした作業に与っていたのか。
う〜む、岡本太郎さんにその血を伝えた偉大なおばあちゃんだったのかなぁ?

追記:こういう先史時代において、
日常の容器・土器は世界的に女性の手によって作られたのが人類普遍的とのこと。
細い口をもった煮沸容器などでも底に手で平滑化させた状況など、
女性らしい作り方が見られるとされているそうです。
やっぱり火炎土器は女性が作っていた可能性が高いのでしょう。う〜む。

【狩猟・貯蔵・住宅etc 「穴を掘る」人類知】



人間は農耕を始めたり、縄文で「定住」をはじめるより前に
移動採集という長い暮らしがあった。
現生人類では8万年と言われる出アフリカの過程で定住をはじめたのは
高々、1万数千年前からであり、それ以前の古ライフスタイルは移動採集だった。
主要な食糧調達手段は木の実などの採集とともに狩猟。
人間が食料として獲得したかった他の動物、大型動物は長距離走行は難しかった。
それは体毛が発汗を阻害するためだった。そういった必然性から
人間は狩猟するとき長距離を走れるように、体毛を脱ぎ去ったと言われる。
その狩猟では、さまざまな「技術・工夫」が開発されただろうけれど、
なかでも最大のものとして「落とし穴」製造技術があったことが知られる。
大型の動物を人間狩猟集団が「追い込んでいく」ことはできるけれど
「確実に殺す」ためには、さらに決定打が必要になる。
マンモスのような大型獣の場合など、大型の穴が必要とされたに違いない。
そして掘った穴に「目隠し」の被覆をする必要がある。
そこで伐採した木材や下草などの類で「煙幕」を張り巡らしておいただろう。
集団で四方八方から追い込んで全身ではなくてもカラダの自由を奪ってしまえば
槍や弓矢などで確実に仕留めることができただろう。
この推定で気付く点が多いけれど、穴を掘ったり、木を利用するという営為は
竪穴住居づくりにおいて決定的な要素技術だと思う。

移動採集生活での住居は「洞穴」が最適な場所だったに違いない。
風雨をしのげると同時に、温熱環境でも最適環境であると
かれらの肌感覚で知っていたに違いない。
人間の温熱感覚もそうだけれど、獲得した食料の「保存」にも
非常に有益であることがかれらの常識になっていったことも間違いない。
地中の穴倉に食料を長期保存するのは普遍的なくらしの知恵。
大型獣や木の実など採集食物もある地域で採りつくしてしまうと枯渇する。
そういう理由で洞穴生活には時限性がつきまとっていたけれど
しかし人間の居住環境として、洞穴の温熱環境の快適性はDNAに刷り込まれた。
日本列島では定住=縄文ということになる。その生業とは漁撈と採集。
海や大河川流域が食糧確保の最適環境というのが普遍的選択。
残っている竪穴住居痕跡は、おおむねこのような地域に存在する。
ウォーターフロント型の環境の中で、長く居住することになる。
最初期定住では移動採集時代の延長的な意識が強かったかも知れない。
定住を始めるとき、前時代の要素技術の中で確実に、
「穴を掘る」という技術が最重要技術として次代に受け継がれていった。
たぶん最適環境としての洞穴環境がアナロジーされていた。
結果出現したのが「竪穴住居」という人間定住を長く支えた住環境。
食を満たす火の場を中心に、温熱的に有利な竪穴をある深さで掘り床面とした。
そして落とし穴作りのときの木や葦の利用技術で、屋根が架構された。
その地域の気温に合わせて葦類の屋根の厚みで調整していった。

こういった推論を上のいくつかの博物館展示画像などから
思い描いている次第であります。人類と居住のひとつの解ではと考えています。

【シカ・モモ肉サイコロステーキ ジビエ料理 in北海道 】

初雪も降って、いよいよ白い季節へまっしぐらの北の国から。
野生動物の猟が解禁されて、スタッフの旦那さんがまたことしも
シカをハンティングしてきてそのお肉をお裾分けしていただきました。
ことしはテレワークでスタッフは半々の出勤という体制なので、
ふるまいは、きのう出社のスタッフのみ。総勢10人。
3密を避けて、サイコロステーキを焼いて大皿に盛って
各自が紙皿に取って、オリジナルソースも各自お好みでという食べ方。
オリジナルソースはわたしのテキトー特製でして、
シカ肉を焼いたフライパンに秘密の特製スープをベースに
赤ワイン、各調味ソース、ショウガすりおろしなどをブレンド焼成して作った。
シカ肉自体は粗め塩こしょうをふっただけで、写真のようにカットして
2時間ほど冷蔵庫で寝かせて一気に火を通した。
しかしシカ肉って、みた目、まったくの赤身。
マグロかと目まごうばかりでありますが、野生の俊敏さのまま、
ムダのない精肉感がジワジワと迫って参ります。
ステーキとして焼くと、結構な脂肪分が肉汁として出てくる。
この肉汁がベースになるので、オリジナルソースの味わいが深くなる。

で、仕事の絡みがあってごはんを炊き込むのが
やや時間遅れてしまって、いちばん後から「おにぎり」にした。
こちらも6合ほど炊いて、全16個、大急ぎで握って
なんとか食事時間に間に合わせた。
シカ肉は昨年にも同様にお裾分けいただいたけれど、
まことに自然な風合いで、臭みもほとんどなく牛肉以上の洗練された味わい。
まぁ味わいとしては牛肉に似たうま味が感じられますね。より淡泊。
付け合わせにレタス+キャベツ+ピーマンなどで生野菜もセット。
お好みでニンニクもすり下ろしておいたのですが、
まぁ仕事中だと言うことで、そんなには消費されなかった(笑)。
ショウガ入りのオリジナルソースは盛んにスタッフから製法を聞かれたけれど、
テキトーなので、ほぼ再現性はゼロ(笑)。一期一会であります。


で、ちょうどタイミング良く次兄が自宅庭でことし収穫された
青葡萄を持参してくれて、たのしいデザートまで提供することができた。
人間は他のイキモノのいのちをいただく罪深い存在です。
南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、・・・・。しかし、
北海道でしか食べられない自然な味覚、堪能させていただいた秋の1日でした。

【アメリカ混迷 安保の動揺は日本に自立を迫る?】

アメリカ大統領選挙。時々刻々と情勢が流動していて最後まで混迷すると
事前のアナウンスが喧しかったけれど、どうもそのシナリオが現実化してきた。
テキサスやフロリダという激戦が伝えられていた州ではトランプ勝利。
カリフォルニアやNYという人口密集地域では最初から民主党優勢だったけれど、
本当の勝敗の分岐点は、スウィングステートの帰趨だといわれ、
事実その通りの展開になってきている。開票も進んでいない様子。
まだ各州での「不正」までが云々されている段階で、推移は微妙な情勢。
万が一、不正の事実が証明されたら民意がどう動くかわからない。
ただいずれにせよ、事前にアメリカのマスメディアが伝えていたような
バイデンの圧倒的優勢という報道ぶりの不見識は露わになった。
あきらかな「情報操作」だったことがあぶり出されてきている。
まぁアメリカメディアはハッキリと党派性を謳っているので正直ともいえる。
一方でアメリカメディア以上のバイアスが顕著な日本のマスメディアは
その「報道」姿勢においてあまりにも問題が多いと思わざるを得ない。
トランプの「善戦」ぶりからは、英米社会のエスタブリッシュ・エリート批判が
今後とも大きなうねりなのだと示されているだろう。

さて、世界のたったひとつだけの「同盟国」である以上、
アメリカの動向は日本にとって安全保障・存立の根幹に関わる大事だと思う。
政権の帰趨があきらかになるまでは対米で行動を起こすことは難しい。
現状ではバイデン民主党の手中に権力が収まる可能性も高い。
トランプ政権が継続すれば戦略はそのままで日米関係は推移するだろうけれど
バイデンが対手となれば、日本の基本戦略も練り直しを迫られる。
そもそも日本の憲法など占領政策は米民主党左派の「置き土産」色が強い。
高齢・認知症疑惑でその失言ぶりが知られるバイデン大統領となれば、
民主党の「集団指導体制」的な権力になる可能性が高い。
共産主義者といわれるサンダースまでが「何々長官になる」と
テレビで発言しているとされるので、バイデン自身の権力意志というより
個別の「長官」による分割統治に近い権力体制になるのではないか。
そうだとすれば、対応はそれこそ複眼的なやり方になっていくだろう。
また、明確な指導理念とか指導力というものは見えにくいかも知れない。
なにより「反トランプ」政権という性格が一番の特徴であって、
個別政策では世界への強いリーダーシップは当面望めないように思う。
それを見越して中国がどう対応してくるかが最大の危機要因。
どう考えてもアメリカの国際パワーの相対的低下は免れない。
たぶん日本はトランプ政権時よりも中国から攻撃が強められる可能性がある。
場合によっては台湾侵攻とワンセットで尖閣強襲があり得るのではないか。
ANTIFAやBLMを容認する姿勢のバイデン政権で対中国政策がどうなるか、
親中派のスーザン・ライスが国務長官候補という一部報道も見られた。
日米豪印の準同盟関係構想や、ファイブアイズへの日本参加なども
どう展開していくのか、見通しは立ちにくい。
しかしアメリカが混乱するほど、日本の「自立」も現実テーマにならざるを得ない。
もしアメリカの影響力が今後大きく低下し日米安保が動揺する場合、
国際関係で日本はどう位置取りすべきか迫られることになるのは自明。
ごく一時期を除いて、歴史的に見て対中迎合姿勢は日本には馴染まない。
そこから導かれる流れとして戦略的「自立」やむなしとなったとき
いまの自縛・自虐的憲法体制でそれは可能か、冷静な選択が迫られるのでは?

世界は固唾を飲んで、アメリカ大統領選挙の対応作戦会議に
いま没頭させられていることだけは間違いがない。・・・

【2020年度インフルエンザワクチン接種】

例年、かかりつけのお医者さんでシーズン前にはインフルワクチンを接種。
昨年まではとくになんの感慨もなく淡々と受けていた。
お医者さんが言うことには基本的に従順な平均的日本人。
なんですが、ことしは「おお」という感じでありました・・・。
おかげさまで今のところ、健康状態は維持し続けているので、
新型コロナ禍もあって、う〜む、といった心境になった次第。
ま、そうはいっても接種しない選択肢もありえないので、謹んで受けました。
接種は月曜日2日でしたのできょうで丸3日目というところで、
特段健康状態は変わりなく推移しているので無事通過儀礼は終えられたかと。

昨日は早朝散歩でことしの「初雪」を体感。
北海道人には初雪というのは、ある種の感慨があるもので、
はじめには、すべての終了を深く思い知らされるものであり、
その気分、まことにメランコリックな諦念をもたらせるのですが、
しかし一方で「浄化」というような気分も底深くジワジワと広がってきて
やがて、あの静謐な日常がふたたびやってくるワクワク感にもつながる。
その両方の感覚が相前後して心理に訪れてくる回生感。
例年であれば、そこまでの「活動期」の一服感が支配的なのですが、
その部分でことしはかなり違いがあるように思われます。
というのは、新型コロナ禍で自分で予定していた行動目標が
ほぼ9割方フリーズされてしまいその未達感が自分で受け入れられないまま、
この年の「活動期」が終わってしまうという感覚。
この「大きな未達感」が、消化不良のままに残置された。
しかし、その喪失感ばかりかと言えばそうでもなくて、
これまで気付かなかったいろいろな「新しいこと」も生起している。
やがて人類は新型コロナ禍を克服していくでしょうし、
多くの日常を取り戻していくでしょうが、
奥深いところでチェンジしたものもあるのだろうと思うのです。
そんな心理状態の中でインフルワクチンを接種して、季節の節目も迎えた。
前に向かって開けている感覚はあるけれど、まだ慣れていない、
そんな気分でことしの初雪が巡ってきたと思えるのであります。

なんとか基本的な健康は維持されているようで
体調には変化もなく、ことしのインフルにも対処用意はできた。
さらに新型コロナへの警戒は維持しつつ、この一変した社会環境に柔軟に対応し
ジワジワとやってくる白い季節にもしなやかに臨んでいきたいと思います。
あ、医者からは同時に要ダイエット警告もあった・・・、う〜む、ジワジワ頑張ろう。

【縄文の団欒6000年前 in北陸富山/日本人のいい家⑧】




縄文期の生活痕跡は全国で多数見られるけれど、
新幹線土木工事が行われた北陸地方では、近年大規模に発掘されている。
いまは日本海海岸線から4km内陸にある「小竹貝塚」の探訪記録。
以下、富山県埋蔵文化センターHPの紹介記事要旨抜粋。
〜小竹貝塚は、富山県のほぼ中央に位置する呉羽(くれは)丘陵と、
その北に広がる射水(いみず)平野との接点に位置しています。
貝塚は縄文時代前期後葉(約6,000年前)を中心とする500年間営まれました。
現在、貝塚は海岸線から約4㎞離れた、標高約3mの内陸部に位置しています。
しかし、貝塚の時期は縄文海進の影響で貝塚のすぐそばまで
海水と淡水が入り混じった汽水域の潟湖が広がっていました。
平成21・22年度の北陸新幹線建設工事に先立つ発掘調査で、貝塚は
現地表下約2mに広がり貝殻の廃棄域以外にも墓・住居・生産加工域などをもつ
通年定住型の集落であることが分かりました。大半を汽水産のヤマトシジミで
占められた貝層の厚さは2mを超え、日本海側最大級といわれます。〜以上。


で、こちらでは縄文期の竪穴住居での家族団欒・食事風景が展示されていた。
4人家族という想定で汽水域からのヤマトシジミとおぼしき鍋食。
まだ若いお母さんが立て膝で鍋を調理していて、
対面してお父さんはあぐら座りで、一心不乱に石斧づくりをしている。
囲炉裏火の回りには各種食材が容器に盛られている。
手前のお姉ちゃんはお母さんの手伝いで魚肉すり身、つみれ団子を丸めている。
そのほか、木の実類で団子をこしらえることも多いとされる。
縄文の人々は狩猟採集で動物や魚介類、木の実・根菜類を食べていた。
シカやイノシシ、ウサギを狩猟する矢の先端の石鏃が多数発見されている。
魚介類は網漁で「軽石」を浮きとして利用し錘として石や土器製品が使われた。
竪穴住居からは鯛・ニシン・アオザメなどの骨が出土確認されている。
採集としてはクルミ・クリ・トチ・ドングリなどが食用利用されていた。
調理方法としては、縄文土器は鍋として利用されていた。
<日本人の食の基本、DNAはやはり鍋食だと思う。>
石匙(さじ)は動物や魚の皮を剥ぐのに使った「ナイフ」。
石皿と磨り石は、木の実をすりつぶすのに使った。
山の幸、海の幸を縄文土器に入れて火にかけて煮込み、
魚肉をすってまるめ「つみれ」として鍋に入れてスープといっしょに食べた。
木の実などは、谷の湧水池でアクを抜いてすりつぶして粉にして
団子に丸め鍋に入れたりクッキーのように焼いていたと推定されている。
う〜む、炭水化物少なめな健康食・・・。

なんとも豊かな食生活が想像されてくる。
それと、女性の「立て膝」習慣がマネキンで復元されているが、
いまの大河ドラマ「麒麟がくる」でも、女性登場人物は多くが立て膝姿勢。
日本女性の基本的な姿勢習慣として、根強く存続していたとされる。
この縄文時代でも同様だという復元考証。これもまた興味深い。
いやむしろ、正座という中国からもたらされた宗教的な座習慣が
本家の中国では廃れ、日本で継続していることの方が面白いのかも。

【激太りノートMacバッテリー交換 ルンルン】


天高く馬肥ゆる秋・・・は、結構ですがノートPCでは絶対ダメ。
先日、ウンともスンとも言わなくなったMacbookPro2009年タイプ。
見てみると、背面側というか下側というか、が異常に激太りしている(笑)。
なんと、太りすぎて筐体からはみ出しているではありませんか。
笑い事ではない、かなり重症の激太り。さぞや体調も悪かったに違いない。
最近、お医者さんからチェック信号を送られているので同病相憐れむ(笑)・・・
いえいえ、わたしはこんなにひどくなってはいません(キッパリ)。
あきらかにバッテリーがご臨終されていることが見て取れる状況。
背面カバーを外しバッテリー取り出し後、電源起動させ本体の健在確認後、
くだんのバッテリーの交換品をWEBで探してサードパーティのヤツを購入。
届いたそれを「激太りバッテリー」と並べて写真に収めたところ。
下側には机面に置いた「横顔」を撮影しましたが、
見るも愉しい激太りぶり(笑)。机面でおなかを揺すってくれている。

会社内にはパソコンがトータルで50-60台程度はある。
その日常メンテナンスについては、各人に簡単な「教育」をして任せる主義。
しかし、どうしても動かなくなるとわたしにレスキュー依頼が来る。
ある程度経験を積めばだれでもできるけれど、わたしは経験年数長いので。
20年ほど前までは、Macといえばとにかく不安定で「システムエラー」表示の
アイコンに「爆弾マーク」を出現させていた(笑)。
いまでこそ笑い話だけれど、はじめて爆弾マークと遭遇したときは
それこそ「爆発しないように」と神経がフリーズしていた(笑)。
OSにUNIX系の安定したシステムOS-Xを採用してから俄然安定はしたけれど
そうはいっても、日頃のメンテナンスは欠かせない。
この激太りノートMacもほぼ最古参のロートル機種で、常時立ち上げておいて
いわば「仲立ち連絡役」みたいな仕事をさせていた。さすがに
常時起きているというのは、過酷だったのかも知れないなぁと、
ついやさしくなってしまいがち。わたしは太り気味の方には前記のように
親近感を持つタイプなので、あんまり冷たくできない。
なので、現役からはややリタイヤだけれど、これからもうひと仕事
活躍の場を作ってあげたいという思いがある。
コスパ最優先の小技でメンテナンスしてあげて、現役復帰させたいなぁと。

時間を見つけては、筐体を開けてあれこれと手術の予定を立てる。
これはこれで、パソコンというわたしの仕事人生での大きな存在との
年を経てきた「愉しみ」でもあるように思います。
そのうち人類には、パソコン供養みたいな文化が起こるような気もする・・・。

【ブレグジット以来の報道と民意の乖離 米大統領選】


レッド・ミラージュというコトバがアメリカで語られているとのこと。
米大統領選での結果についてで、投開票日段階では
全米地図が赤(共和党)に染まるが、やがて蜃気楼(ミラージュ)のように消えて
青色(民主党)にクッキリと色づいていく、という寓意。
上の写真はそんな寓意を札幌のいまの風景写真に重ねてみた(笑)。
ことしの大統領選挙は新型コロナ禍の最中であり密集による感染リスクを避けて
「郵便投票」が広範に奨められ事実として進んでいる。
その結果、不正投票リスクを避けるため本人確認作業が膨大になり、
しかも郵便制度事情が、管理の行き届いた日本の常識とは隔絶した
アメリカの社会事情の中では、不正行為、操作が可能とされている。
そして全米の州ごとの「選挙人」を選ぶという建て付けの選挙ということで、
たとえ1人の投票差でもその州の全数を1人の候補が総取りすると言う制度。
前回大統領選でも、投票総数はヒラリー・クリントンが上回ったけれど、
投票人の多数をトランプが獲得して当選した。
前回は事前の「世論調査」ではヒラリー優勢と伝えられていたけれど、
それら世論調査はまったくの「完敗」を喫したと言える。
言うまでもなくそれらの主体はアメリカの「報道の主流派勢力」に当たる。
あの当時、直前にイギリスでの「ブレグジット」EUからの離脱国民投票で
事前には「残留派」が圧倒的多数と報じられていたのに、蓋を開けたら
離脱派が多数を占めていた、というよく似た事象が発生していた。
トランプの勝利はこの脈絡でよく論評されていた。
いわくエスタブリッシュ、インテリの米英「指導的報道権力」への大衆民意の反乱。
米英の社会は同質性が高く、民意の底流の世界的同質性が議された。
このような「報道と民意の乖離・相反」は日本でも同様にある傾向。
国政選挙で6回も圧倒的票差で信任され続けた政権への執拗な報道機関の
怨嗟にも似た攻撃姿勢は、サイレントマジョリティから選挙で反証され続けた。
既成報道権力から比較的に自由なWEB、SNSの発達が構造変化を促した。

さて今回、相変わらずトランプという人物性への批判があり、
とくにアメリカ社会のエスタブリッシュたちには反トランプ「感情」が強い。
インテリや情報権力を掌握している層、主流メディアには顕著だといえる。
いまやアンティファやBLMなど「暴力勢力」までその流れで黙認されつつある。
今回NYのタブロイド紙が民主党のバイデン側のスキャンダルを報道したが、
それにTwitterやFacebookが拡散に検閲規制をかける事態が発覚したことで、
逆に大きな批判のうねりが生じているとされている。
バイデン陣営からはこの疑惑に対し、正面から証拠を示しての
あるべき反論、反証がなく「ロシアが関与している」などと
根拠の薄い論点ずらしに終始している。先の最後の候補者同士の討論会でも
トランプの指摘に対してバイデンはそういう対応を取っていた。
アメリカでも主流メディアは総じて心情的にエスタブリッシュ側に立っていて
バイデン支持というよりも「反トランプ」という旗幟を鮮明にしている。
これでもかとバイデン優勢と世論調査結果を声高にアナウンスしてきた。
しかし投開票日直前で、トランプ巻き返しという調査結果もいよいよ出てきた。
民意の帰趨は、かれらにしてもまったく予断は許されないのだろう。
そしてこのブログを下書きした後、今朝早く反トランプメディアの急先鋒・CNNが
「ドナルド・トランプ大統領は2期目を迎えるに値する」という
思わず目を疑うような、これまでの報道姿勢を180度変えた記事を発表した。
全国大手メディアとしてはじめて本格的にバイデンのスキャンダルを報じた
FOXの番組視聴率が通常の倍近い視聴率で国民に見られたという報道も出た。
「世論調査」で誘導的なCNNにし、真実の民意の底流変化を認めたものか、
あるいは、どっちに転んでもいいよう選挙後のメディアとしての安全を担保か。
「ミラージュ」はレッドではなく、ブルーだったのかも知れない。
あまりの報道姿勢急変・急ハンドルに、大きな疑問が湧いてくる。

アメリカの帰趨は世界情勢に非常に大きな要素。
とくに米中冷戦の真ん中に位置する日本の地政学的位置から考えると決定的。
米英「ファイブアイズ」日本参加が展望される国際環境構造変化プロセスでもある。
他国民としてだけれど固唾を飲んで注目せざるを得ない。

【戦国期城下町「一乗谷」の都市計画】


2日間にわたって「史跡・一乗谷」を取材構成してみました。
中世戦国期には実質的地域支配争奪が活発に繰り広げられた。
復元武家屋敷の「考証」には興味を持たされるのですが、
現物として再生された住宅は、実用的なシンプルさの建物。
戦乱の時代でもあり、朝倉氏の居館などの政治目的をもった施設以外は
仮設的な意匠性で、権威とか階級誇示のような側面は少なかった可能性は高い。

で、上の「街割り図」は、戦国期の地域支配権力の「小都市」として
建築的に興味深い史跡発掘結果だと思います。
最盛時の人口は10,000人と言われている。
比較としては、1550年頃の全国都市の推計人口がある。
ターシャス・チャンドラーによる16世紀までの主要都市の推定人口
そこでは京都 10万 博多 1,7万 山口 6万 堺 6万 大阪本願寺 3万~6万
というような都市人口の状況が推定されている。
上智大学経済学部教授・鬼頭宏さん資料1600年の全国人口推定は
1389万人とされ、北陸地域全体で86万人、畿内周辺で140万人。
北陸とは、越前・越中・能登・越後など琵琶湖以北日本海側全域。
そう考えると、後背経済圏越前だけで1万人規模はかなりの「都市」。
戦国期を通じて、京都で戦乱が起こると権力周辺層は
中国地域の覇者・大内氏支配地域・山口などに逃れたとされるけれど、
いちばん京都に近い比較的「秩序安定地域」として一乗谷は認識されていた。
都市というのは、この時代博多や堺などの商業都市以外では
地域の安定権力・戦国大名「城下町」が相当していたと考えられる。
まぁイマドキで言えば、企業城下町という概念に近いかも知れない。
地域の戦国大名はその地域の経済を掌握し、軍事統帥権も掌握していた。
都市としての性格としては「城下町」ということになるのだろう。
一乗谷の性格についてWikipediaでは以下の記述(要旨)。
〜現在の福井市街の東南方向約10キロメートル離れた九頭竜川支流
足羽川のさらに支流・一乗谷川沿いの谷あい。東西約500メートル、
南北約3キロと狭小だが、福井平野の端から山地に入ってすぐの場所に位置し、
数キロ先の目前に北陸道や美濃街道、鹿俣峠を抜け越前府中へ続く街道、
北陸道と連絡した朝倉街道などが通る、交通の要衝をすぐ押さえられる位置。
東、西、南を山に囲まれた要害で、南北に城戸を設け、その間の長さ約1.7キロの
「城戸ノ内」に、朝倉館(武家屋敷)をはじめ、侍屋敷、寺院、職人や商人の町屋が
計画的に整備された道路の両面に立ち並び、日本有数の城下町を形成していた。
周辺の山峰には城砦や見張台が築かれ、地域全体が広大な要塞群。 〜

ちょうど細長い街区の出入り口を関所で閉じてしまえば、
防衛的都市封鎖がカンタンに可能になるし、城砦も山地に築かれている。
布袋を上下で紐で閉じるような面白い都市構造。よく考えた(笑)。
基本的な中枢施設は「朝倉氏居館」で、政庁機能を保っていただろう。
その「家臣団」居住地域としての「武家屋敷群」があり、
そこから生み出される各種需要に対応した「寺院と町家群」地域に分かれる。
河川流通も利用可能で、平時の物流集散機能を考え合わせると
この時代の人口集積条件的にはかなりの好条件を持っていたと考えられる。
もうちょっと時代が経つと信長秀吉的な商業都市機能中心に移行して、
大阪大都市建築がはじまる。その直前期の都市計画の典型か。
中心施設とその需要に対応する都市の原型を、しげしげ見入っています。

【朝倉家家臣の武家屋敷/日本人のいい家⑦-2】



昨日の続篇です。一乗谷朝倉家本拠・中世城下町の家臣の武家屋敷。
きのうは300坪弱の敷地内での機能配置について触れました。
本日は建物としてのメイン、屋敷の主人の復元住宅・平屋24坪について。
図面では右上に「離れ座敷」の記載がありますが、写真不明。

上の写真は土間入口側からの室内全景。
あくまでも「復元」なので歴史考証がどこまで追究されたかは不明ですが、
礎石や土木痕跡などからの考証でしょうから復元建築に準拠取材。
後の世の武家屋敷のように意匠を凝らした「玄関・式台」は見られなかった。
またいわゆる床の間や神聖空間的な座敷も見られない。
間取りも6間×4間という長方形間取りであり、建築合理性、実利優先的作り。
玄関などは「張り出し」とか、基礎形状に変形が見られるのが普通なので、
正長方形の基礎土木からシンプルな建築が想定されたのでしょう。
農家住宅とも似通った実用的な作られようだと思います。
土間側と畳敷き側とで各2間スパンで正確に分割されている。
このあたりの「間取り」については前述のような判断に基づいているのでしょう。
全体として左右均等になって、ハレとケという暮らしの2分法が
建築として明確で、現代住宅と似通った作られよう。
写真右側のケの空間には台所・土間、さらに奥には「納戸」が配置されてる。
この納戸は台所の奥に出入り口も見えることから、食器などの収納をはじめ、
寝具などあらゆる生活用具が集中収納されている。
納戸は木製引き戸での出入りなので、室内各室へのアクセスはかなり便利そう。
分散収納よりも集中収納がこの時代では志向されていたという考証ぶり。
左側のハレの空間は座敷が3間取られている。
現代の合理性とも通用する間取り・木材利用のムダのない様式。
なぜかまな板の上に載せて調理人が魚を捌こうとしているマネキンと
女性が配膳に立ち働いている様も演出されていた(笑)。
土間と連続する囲炉裏配置であり、いかにも暮らしの実用が伝わってくる。
台所の開口部が上下2箇所あって、換気に配慮の様子が見える。
復元ながら建築史的にこのような事例が一般的だったのか、要研究。
台所周辺では煙り出しなどの建築的工夫は古民家でも普遍的。
煙り出しと壁面上下2箇所換気窓、機能性建築装置として面白い。
一乗谷地域に復元された町家との違いは敷地面積の300坪という自立循環性。
広い敷地で自家消費の野菜類を確保できた。
町家は敷地も狭いので、この時代の格差とはそういう機能性だったのか?


しかし総じて非常に実用的で「階級意識」的な部分は感じられない。
戦国期には武家という存在は確立した「身分制」的存在ではないように思える。
このような印象を復元建築からは受けたけれど、考証プロセスも知りたくなった。
そういうなかで唯一の空間的「ゆとり」は南面する縁側。
写真では太陽光反射がキツいけれど、四季を通じての太陽光&熱感受装置。
庶民的・民族的な日光温浴習慣の普遍性を感じます。