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【460年前頃・越前一乗谷武家屋敷/日本人のいい家⑦】




さて久しぶりに「日本人のいい家」シリーズに復帰です。
このシリーズは、歴史的な過去建築・遺跡から日本人の住空間を考えるもの。
自分自身、こういう探索がいちばん本然ではないかと思っています。
もうこの世にはいないけれど、同じ日本人としてDNA的な取材対話が成立する。
・・・と思える瞬間を経験できると無上の歓びが湧いてくる(笑)。

で、ことしのNHK大河ドラマ「麒麟がくる」。新型コロナで放送予定の
大幅中断があって、オモシロいと同時に同じ苦難を共有するドラマとして
まことに国民的な感情移入が深いように思えております。
で、物語はまだ中盤程度ですが、ドラマで越前朝倉家の「一乗谷」都市が
明智光秀家族が一時期身を寄せていた場所としてクローズアップ。
重要な背景風景になっている。今週以降、信長の越前攻めなども予測される。
わたしは2014年にこの一乗谷都市遺跡を訪問していた。
その一部を写真にも収めていたので感情移入がハンパない(笑)。
一乗谷は戦国大名の中世都市として奇跡的に遺跡保全されている。
まぁもちろん建築などは消失しているけれど、建築土木痕跡などは残存し、
また、後世の土木的改変が少ない「都市痕跡」だということ。
その写真類から「復元武家屋敷」を紹介。本日は敷地内での「配置」から。
朝倉氏家臣団の上級武家のための住宅地割り土木痕跡に基づく復元。
屋敷の敷地は約30m四方というもので、約273坪ほどの広さ。
おおむね300坪という敷地で、150年前の原札幌の街割りも住宅地は同様規格。
友人の札幌市中央区内の原札幌の地割りのままの敷地も同じ広さ。
これくらいの敷地であれば、野菜などの菜園を敷地内で確保できるので、
人間居住のための土地割としては人類普遍合理的だと聞いた記憶がある。
その敷地内に主のための「主殿」6間×4間・24坪の広さの平屋建物がある。
上の写真は主殿を門の方向から右方向に見た外観写真。
主殿は敷地の南西側端に配置。隠居老人用と思われる「離れ」も隣接。
門を入って右側には仕切土壁があって、その内側には庭空間がある。
写真右手の土壁の中が庭。で、画面左手には便所が建てられている。
敷地のほぼ中心に厠が建てられているのはどういった理由か?
通常は使用人が敷地内で作業していて、かれらの利用が考えられていたか。
あるいは肥をそのまま敷地内の「菜園」に施肥しやすいと考えたものか。
敷地の北半分には井戸、使用人の居住する「納屋」や「蔵」が配置されている。

主殿入口は東入りで北側に台所土間が配置され、南側が畳敷きの座敷。
座敷は南側に開いていて、広い「縁側」が南面している。
家具などはすべて納戸収納として室内設計仕様で復元されている。
このあたり中世的な暮らしようが推定されて興味深い。
入口の表門は西に向いており四周を囲む土壁の塀に開口している。
武家として防御性の高い土塀が必需的建築装置。社会ニーズが高かった。
入口に対して主殿の配置は奥に位置することになるのは、
やはり武家として、万が一外敵が門を破って襲ってきたとしても
一定の防御態勢が可能なように工夫されたものかと想像できる。
敷地のサイズが現代まで連綿と続く300坪程度で、中世都市と現代都市の
共通建築言語が確認できて、武家屋敷とはいえ人間同質性を感じさせられる。
「麒麟がくる」を見る楽しみの補助線情報としてお役に立てれば幸い(笑)。
あ、光秀はこういう「武家屋敷」には住んでいなかったハズ。かれは
朝倉家では「仕官」が叶わなかったとされているので、あす以降で
紹介の一乗谷「町家」区画で生活していたのではと思われます。
あしたはこの主殿の内部空間と間取りほかを紹介します。

【新型コロナ禍からの復元:情報・経済「地域格差」】


ことしの2月末くらいから、新型コロナという「社会不安」が世を覆い、
世界の中でそれほど重篤事態ではなかった日本でも、危機を煽るメディアなどの
情報扇動に押されるように、万が一に備えての政権の法整備・非常事態宣言が
思わぬほど早めに発動され、いわば自粛型社会封鎖が機能してきた。
情報弱者向けとしか思えないテレビのワイドショー番組など
ひたすら危機を喚き散らしたメディアに引きずられた側面は強いと思う。
どうも賢明な民主主義に衆愚ヒステリーが勝っていたとも思える。
江戸期に根付いた「五人組」的な相互監視的社会システムがフル稼働した。
公園で遊んでいることを批判するなど行きすぎも目立ったのではないか。
ちょっとでも活動的な動きをすれば、監視社会的な圧力が掛かる息苦しさ。
そのような事態から数えても、8ヶ月が経過してきている。
まさかここまでの萎縮・社会収縮が継続するとは、というのが実感。
当初は、まぁ2−3ヶ月程度で少なくとも秋口には本格的な経済再開と
予測していたけれど、いまは完全にその不明を噛みしめるのみですね。
そういうなかでようやくいろいろなビジネス活動が波及してきている。
東京の情報企業から新規案件が働きかけられてきた。
新規案件・営業訪問代わりのZoomでの情報交換機会が提案されてきた。
逆にこちらからの「業界」的な情報収集も兼ねて、打合せ時間を持った。

このような自粛社会的環境になると、東京というビジネス中心地のメリット、
きわめて競争優位性が高いと思わざるを得ない。
ビジネスで考えると、このような事態の元で東京の政府機構との距離が
大きな「格差」を明確に生んでしまっていると思う。
とくに人の移動制限は東京と地方の「格差」を拡大するバイアス。
わたしたち地方企業にとって情報発掘のための出張すら監視告発される環境。
一方で東京都内では当然、移動が制限されることは少ない。
経済封鎖に近い環境の中では、政府支出が飛び抜けて主役になる。
経済とは「カネ」の流れに沿って展開していくのは必然。
これは新型コロナ禍対応で新規100兆円近い規模になっていると思うけれど、
当然、それらの水道の「蛇口」に近い企業が競争優位にならざるを得ない。
そうでなくとも東京の企業集中はハンパない規模であり、
それら同士でのやり取りだけでも、市場規模は絶対的優位性を持っている。
一方で地方は、各地で孤立的に中央省庁の動向に振り回されつつ、
横の情報流通もできず、東京からの一方通行の情報に従わされるしかない。
わかりにくい官僚機構言語がまんま電子化された文書への対応力だけ見ても
たぶん日常的に政府機構と情報交換できれば数秒で解決できることが
数十日、それだけで浪費されざるを得ない徒労感。
そういう地域経済人の口惜しさは毎日肌で感じられます。
わたしたちのようなビジネス領域ではきわめて縁遠かった政府支出について
否応なくそれとの対応に追われざるを得ないけれど、
その相手先自体が、政府支出窓口外部発注で東京本社大手企業だったりする。
中央省庁の財政出動による各種事業の民間への「受け皿」も東京本社大企業が
集約的に「受注」しているのが実態なのでしょう。
「そうか、こういう作戦もあるのか・・・」と地方企業としてため息も出る。

ようやくGoToキャンペーンなどの活況で、経済の動きが出てきているけれど
たぶん東京・中央が活況になるまで、地方は息を潜めざるを得ない。
まぁこういうことは自明のことであり、地方中小零細企業としては
なんとか自力更生で突破口を切り開いていかなければならないのでしょうね。
<写真は東京・明治神宮「神楽殿」>

【冷や麦から新そば経由、わが家乾麺主役交代】


ことしの夏の間、わが家ではなぜか「冷や麦」が麺類のレギュラー独占。
わたしの家系はどうやら播州の麺文化と関わりが深いようで、
のど越しの爽快感がDNAにいたく染みわたるように思っております。
縁のある地域では「もちむぎ麺」というのが名物とのことで、
たぶんそういった好みを受け継いできているのか、のど食感の嗜好性がヤバい。
で、ことしはふと購入した冷や麦乾麺がぴったりと好みにアジャストして
最初は疑心暗鬼のようだったカミさんもすっかりゾッコンに。
好みとなると、大量買い込みしてしまって、夏の間中食べまくっていた。
ホントは過ぎたるは及ばざるがごとし、とは思うのですが
好みというのには盲目性とか習慣性が関わっているのでしょうね。
また夫婦とも完全一致というのは、家庭円満の元でもあるので(笑)。

そんな先日ふと友人宅の近所で「新そば」の看板を発見。
店構えも「そば」店としての訴求力に満ちあふれていた。
日本人とそば食には長い民族・民俗史がそこにあるので、
「建築デザイン」として考えて相当の深みとバラエティがあると思っています。
そういった民俗的「好み」に敏感な店主であれば味も期待できる、
という「コミュニケーション」がそば店の外観にはあると思います(笑)。
う〜む「そば店・建築デザイン論」企画いいかも・・・。
で、夫婦でワクワクしながら食べさせていただいて、久しぶりの食味を堪能。
そばの玄妙な爽やかさにしばし、ふたりながら食感に陶然としていた。
しばらく食べていなかったことで、感覚が新鮮に「よみがえる」ものなのか、
その「蘇生」感がなんとも言えず全身を駆け巡るように感じました。
まぁ自分でそばを打つ友人たちほどにはのめり込まないようにしているので、
わたしは日常的には手軽な乾麺志向。
ということで、さっそく先週日曜日に品揃えで話題の大型スーパーで
各種そば乾麺を多種類購入。「おお、こんなにある・・・」
ここ数日、それらを食べ比べる愉しみに浸っております。
多いときには1日2食が乾麺そば食という状態(笑)。
そういえば、一時期ハマっていた新潟出身のカメラマンさん推奨の
「妻有そば」通販利用再開もあるなぁと、この楽しみに再度心躍らせております。
しかし乾麺そばは、味わいが非常にバラエティに富んでいる。
っていうか、美味:「それほど」のバラツキが大きすぎる。
価格と味にはあんまり相関性がないというのも新たな発見でした。
4種類ほど買って来たけれど、一番美味しかったのは安い方から2番目のヤツで
なんと一番高かったのがいちばん美味しくなかった(!)。
ちなみに一番安かったヤツも2番目に美味しかった(笑)。ほぼ反比例。
まぁ味のことだから好みもあるのでしょうが、この「最高級値段逸品」、
茹でると、てきめんに太くなって案の上食べたらそばの味が薄い、薄い。
これはうどんか、みたいな情けなさ(笑)。

この「品評」は夫婦ともまったく同意見だったことで、
狭いながらもわが家の「世論」は一気に決着してしまいました。
さらなる夫婦円満も呼び込んでくれた乾麺そばに感謝であります(笑)。

【戦争と人口増はウラ表 平和な社会は人口平衡】

しばらく北総研の研究発表での地域問題、人口減少社会テーマを考えました。
2045年で北海道地域人口が25%減少する未来予測に対して
地域自治体はどう対応するか、そして社会はどうすべきかは
真剣に取り組まなければならない。人口増は非常に難しい。
そもそも現代世界で人口問題が大きく扱われるのはそれが「市場の規模」を
決定し、それによって経済が大きな影響を受けることが大きい。
とくに住宅建築にとってはこの趨勢がいちばん重要なポイントだというのは
誰が考えても当然でしょう。
ただ、住宅着工数は近年は変化が「なだらか」な推移を見せる傾向。
マクロの人口動態より、むしろ景気対策とかによって影響を受けることが多い。
また、住宅は新築需要だけが存在するものではない。
基本的に人口問題との関係は冷静な視点で見る必要があると思える。

マクロ視点では上智大学経済学部教授・鬼頭宏氏の歴史人口学の研究では
江戸時代は戦国終結での開始期1600年ころに約1,400万人から
120年後に3,100万人口に到達して、幕末まで平衡状態で推移した。
では幕府は人口政策を持っていたのかというと、
そういった自覚的な政策はなかったのだろうと思う。
安定社会存続という志向から人口増加よりも平衡型の方向性が選択されていた。
それに対して、明治期以降は国民国家としての帝国主義国際情勢に対応して
殖産興業と、相次いだ戦争から基本的に人口増加が志向された。
で、第2次世界大戦での日本の戦死者数が310万人と巨大だったことで
戦後、一気にベビーブームが社会を覆った。
そこから1億2,000万人まで人口増加が続きそしていま人口減に直面する。
人口動態の推移では上のようなグラフが常識的に参照されます。
いわゆる「合計特殊出生率」を先進国で国際比較した資料。
現代は先進国では人口は平衡的状態にある趨勢。
わたしの両親は戦争中に結婚して、合計6人のこどもを産んだ。
それに対して子ども世代であるわたしの兄弟はおおむね2〜3人だった。
合計特殊出生率は低下しているけれど、図を見れば
多くの先進国ではいずれ、このような推移をするものなのでしょう。
こういった人口平衡というのは平和時の人類傾向のように思う。
逆に言えばビッグバン的な「人口増加」の方が特異なケース。
悲しいかな、戦争という事態が人口増減の決定的な誘因なのではないか。
戦争による出生増の特殊要因と国民健康向上での高齢化の相互作用で
明治以降と戦後の特殊な「人口増」があったというのが実態に近いのではないか。
国際外交の活発化や「国際世論」による緊張緩和バイアスの向上で
先進国間での大きな戦争が今後考えにくいとすれば
人口問題というものは自然にバランスしていく可能性も高いとも思える。

平和な時代には、おおむね2人の親から2人程度の子どもが生まれるのが平常。
経済と人口問題は関係はあるけれど、相対的には独立的な事象。
現代では経済政策、その運営が一番のキモ。
そこを安定させることが、人口動態変化に対応する最良の道なのでしょう。

【秋から冬へ愉しいイエゴト(家事) in北海道】


錦秋の盛りが札幌市内・山の方では過ぎてきて、
これからは市内の「里」でも本格的に落葉という風情になって来ています、札幌。
なんとも格別の歳月が感じられる本年ですが、カレンダーも残りわずか。
ことしは本当に「内省的」な年を過ごしていると思います。
接触コミュニケーションが限定される中で、否応なく身の回りのことに
多くの人が真正面から向き合っているというのが実際でしょう。
わたしもこれまで年間で50-60日は出張に出ていた平均的日常から
3月以降はほとんど限定的なスポット移動に留まり、
たぶん2−3ヶ月程度と思っていた社会停滞がここまで続くことになろうとは。・・・
逆に身近なあれこれにこれまで放り投げていた仕事が山のようにあることに
気付かされ、そのことに驚かされるような日々を過ごしております。
仕事人生の終盤近くで一気に気付きが襲ってきて
地道にそれらに取り組む機会を得たことには逆に感謝しております。

そんななかですが、住む札幌の四季感も深く感じられる。
こうした環境の中で多くの人が「家ですごす価値感」に目覚めてきている。
否応なく「緊急事態宣言」とか、ステイホームとかテレワークとか、
生きる拠点としての家での時間が大きな意味を持ち、考え直す機会になった。
家事、ということばは「かじ」と呼ぶのが一般的ですが、
そういうコトバにはちょっと現代生活との違和感を持ち続けてきていて、
ある企業と情報交流している中で、「イエゴト」という言い方と出会った。
「おうち時間」という言い方が、一般的にもReplanテーマ的にも、
表現の仕方としてはだいぶポピュラーになってきたと思いますが、さらに
家のことにあれこれと手をかける行為、その時間を充実させる行為に
この「イエゴト」という表現はなかなかいいかもと思っております。
写真のような札幌の街中、わが家周辺の様子ですが、
多くの落葉がわが家周辺でも押し寄せてきているし、
また時間経過とともに家周辺のメンテナンスは必要になってくる。
家での時間が増えてくるとそういったことへの気付き更新作業チャンスも増える。
昨日は落葉の処理と、壊れていたエアコン室外機の木製カバーを更新。
ついでに物置の整理整頓と、DIY的な家メンテを愉しんでいました。
よく欧米人に比較して日本人はこういった行為へのめんどくささ感が
社会的に大きいと言われるのですが、こうした「おうち時間」「イエゴト」って
今回の不幸な新型コロナ禍から社会が前に進んでいくなかで
数少ないメリット、前向きな面なのではないかと思っております。
結構愉しい、興味深いというように変化する可能性がある。

人間が手を加えていないと建築はすぐに機能劣化する。
空き家問題などはその社会的顕在化ということでしょう。
わたしはこれまでもこうしたことは比較的に好きな方だったのですが、
そういうことに、さらに愉しみ、再発見が増えてきております。

【3200年前・縄文期墓制「キウス周堤墓」で合掌】


北海道には多くの「遺跡」が点在しています。
国土開拓がいちばん最後になったことで、歴史的な痕跡が残ったのでしょう。
多くの「民族」がこの地に住み暮らしていた痕跡が見られる。
いまの新千歳空港にほど近い地域に遺されている
「キウス周堤墓群」はそのなかでも異彩を放つ遺跡痕跡だと思います。
北海道千歳市の北東、標高15~20mの緩斜面上。
地面に円形に竪穴を掘り、掘り上げた土を周囲に環状に積み上げることで
大規模なドーナツ状の周堤が造られる。その区画中に墓をつくる形式が周堤墓。
ときどき周辺を移動するときには、空気に触れるようにしております。
なんといっても「縄文後期」という歴史の古さにリスペクト。
訪れても格別の建築痕跡的なものがあるわけではない。
よく訪問する「三内丸山遺跡」は今から約5900年前~4200年前の縄文集落跡。
あちらでは木を使った「柱穴」など建築痕跡が多数復元されている。
いわば縄文の人々の「生存痕跡遺跡」。こちらは「死者の痕跡」。
それらをふたつながら体験同期する、いわば空間の経験値を高めることで、
なるべく豊かに縄文の人々の息づかいを追体験したいのです。


周堤を含む直径は18~75m、周堤上面から竪穴底面までは1~5.4m、
つくる時に積み上げられた土の量は最大3,400立方メートルにも達する。
竪穴内部には複数の墓穴があり、立石が伴うものも。竪穴構造の埋葬施設は、
世界の先史文化の中でも稀であり縄文文化固有の墓制を示す。
周堤墓は葬送や祖先祭祀に関する社会組織を示すものとしてきわめて重要であり、
他に例のない規模で群集し墓制を代表する存在。〜HPより引用抜粋。
縄文期というのは「狩猟採集」生活だけれど定住していた時代。
定住と「墓制」というのはワンセットのように思います。
人類時間的にはもっとも優勢な狩猟採集という食料「生産」段階の社会では
人間が生き延びるためには直接的なパワーとは人間力であり、
そして同時にDNAの存続として定住であれば、血の系統というのも明確。
いま生きている人間にはその両親があって連綿と死が重なっていく。
石器時代でもそういう死の尊厳はあったに違いないけれど、
明確に痕跡が残り始めるのは、縄文以降なのだろうと思います。
日本では縄文の住居は「竪穴」形式が一般的な作られよう。
竪穴住居は好適地を選択して、その場所の土を掘り、周囲にその土を盛り上げて
「低い地面」の生活ゾーンを作るという家の形式。
とくに寒冷気候対応ではこの地面掘り下げがより深くなっていった。
「凍結深度」という概念が人類知としてあったことは疑いがない。
この周堤墓でも、このような「建築様式」が採用されその低地内部に
各人の「眠る場所」が掘られて、埋葬されている。
いわば「死者の集団のための家」というようにみなせる。

これだけ大規模な「土木工事」の、その器具は木製スコップが想定される。
炭化して形状が残らないその器具を使ってどれほどの労力が費やされたか、
それだけの集団労力を維持する社会の存在が明確であり、
その「集団意思」というものがはるかに感受できるように思える。・・・
カミさんはクルマの中でぬくぬく、寂寥と豊かさの入り混じった野外空間を
わたしひとり彷徨う楽しい時間であります(笑)。

【ありゃりゃ「LANで印刷接続不良」犯人探索】


昨日、ここ数日取り組んでいる国家機関への申請書類の作成業務。
まぁとにかくたくさんのデータを作成させられる。
重箱の隅を突くどころか、ひっくり返してハンマーで叩き割ってから
「こわれるから、このデータではダメですね(笑)」みたいな憎々しげな
様子が言葉の随所の隅に感じられる対応に耐え忍びつつ、
極力冷静を心がけながら、淡々と自分の事務能力限界と向き合う時間です。
ところが、そういう作業テンパり真っ最中のなかで、
わたしの背中の位置に配置しているプリンターが応答しない。
印刷した紙に手書きで書き込んでから、それをスキャンしてデータ化する、
そういう気の遠くなるたくさんの作業の途中経過段階で
まだまだ山場ともいえない段階なのに、印刷書類が上がってこない。
かれこれ8回印刷指令をパソコンから送っているけれど、
サッパリ作業開始音が聞こえてこない。
メッチャ忙しいので、とりあえず放置してほかのできる作業を進めるけれど、
ついに出力がなければ一歩も作業が進まない段階になって
やおら、プリンターの機械に立ち向かうことになった。
とりあえずスイッチの入り切り、再起動で様子を見るが、改善が見られない。
ほかのパソコン、となりの部屋のカミさんからのデータ出力もままならない。
そこで他の階のプリンターに出力指令を出してみたが、これもつながらない。
ネットワーク系トラブルは間違いないがパソコン(Macbook)はWEB接続できている。

で、他の階のパソコンのネットワーク接続も確認してみるけれど
そちらは特段のトラブルはなく正常通信している。
ここで気付いたのが、社内LANにはEthernetでのケーブル接続と
Wifiでの無線接続の両方がONになっていることに気が回った。
ほかの階のMacでこの両環境での接続確認を行って見た。
どちらの環境でも、問題なく接続できている。
最近VPN接続環境をあらたに導入したけれど、それも問題なく動作している。
・・・ということはわたしの近くの環境、LAN接続の「縁辺系」のみがあやしい。
わたしのデスク近く、隣の部屋には共働きのカミさんの環境がある。
彼女の接続ハブと、わたしの接続ハブは違っている。
ためしにカミさんの接続環境を精査するも、これも問題ない。
ということで、あやしいのはわたしのMac周辺のハブから以降。
こちらにわたしのMacとプリンターとはひとつのハブを共有している。
カミさんのパソコンからこちらのプリンター出力もできないので、
いよいよ問題は局限できるようになってきた。
で、わたしのMacの接続環境を確認しEthernetとWifiでの無線接続をテスト。
そうするとWifiでの無線接続はできたけれど、Ethernetが不通。
WEB接続もできなくなっている。
念のためハブの電源のONOFFもやってみて、ハブの無事も確認。


ためしに別のLANケーブルをMacに差すと、無事WEB接続も開始された。
ついに写真のLANケーブルの犯人特定に至った次第。
おいおいのLANケーブルの問題からの物理トラブルという結論であります。

ということで真犯人のLANケーブルは神妙にお縄を頂戴して
ゴミ箱に収容されることになりました。
でもまぁ3年以上も頑張ってくれたヤツなので責める気にはならない。
しばらくはわが家のどっかに隔離して忘れた頃に廃棄処分してあげたい。
そこから、遅れた時間を回復しようとしたのですが、やや疲労感のため、
スタッフにカレーライスを作ってあげることに(笑)。
疲れたときには料理がいちばんの疲労回復の「気晴らし」。
自分も食べて気分転換できたことで、そのあとの作業は快調に進んだ次第。
ふ〜〜やれやれでありました。みなさん良い週末を。

【人口減少自治体に「まちまかない」会社・民間活力】


さて、特集的に論評風取材記事として北総研のWEBセミナー内容紹介最終回。
さまざまな「課題の先進地」ぶりが摘出されたのですが、
2045年で400万人人口というのは確率性の高い北海道の近未来。
親の代から事業を営んでいて北海道内の各地で展開している友人は
どのように生き延びていくか、目の黒いうちに筋道を立てたいと頑張っている。
放っておけば、単純な「市場縮小」があらゆる業界を襲って
既存のほぼすべての「地域企業」には厳しい道が待ち構えていることは疑いない。
ペシミスティックな社会趨勢こそは確率の高い未来予測でしょう。
そういう近未来に対して、ちょっと前までは旺盛なインバウンド需要が
人口減少の痛みをやわらげるカンフルのように働いていたけれど、
そこに新型コロナの大津波が押し寄せて、まだ終息の気配も薄い。
ガソリンスタンド業界などではEV化、ハイブリッド化の波で業界そのものも
姿を消すような流れも強まってきている。
変化の速度はなだらかとは言っても、やはり右肩下がりの事業環境は
とくに地方中小企業には過酷な事業環境として姿を露わにすることは確実。

このことは地域企業だけに留まらず、地域自治体にとっても条件は同じ。
先日触れた、人口増大期に野放図に拡大した市街地域のインフラ維持危機から
公共サービスの維持リソースを極限的に縮小せざるを得ない。
地域の税収は人口減少から当然のように厳しくなっていって、
道路維持、水道維持、学校保育園など教育や福祉の維持も困難になる。
そういうなかで、こういった分野に民間活力が求められるのではないかという
「処方箋」提案がされていた。上の図はそういう民間活力として
「まちまかない」という事業エリア概念で公共サービスの外注先としての
コンパクトビジネスの可能性探究提案がなされていた次第。
で、わたし的には前期高齢者層の活躍機会創出もあり得ると考えています。
前に触れたように75才までの前期高齢者層の健康度は高い。
要介護率はおおむね10%程度と低いレベルに留まっている。
そういった年代層は社会キャリアも豊富に持っていて、有用な戦力といえる。
人口構成比でもかなりウェートが高くなり健康度も高い。
そういった子育て経験も当然もった人たちに「子育て・保育」という
社会的サービス業の受け皿を想定するのは、おかしいだろうか?
前期高齢者男女からの愛情は、子どもたちにも素晴らしい環境の可能性。

また、ある断熱材メーカーのOBは、親の田畑を受け継いで
食料生産に取り組んでいるけれど、野外作業で足腰も鍛錬することで
健康寿命はより前向きな進展があり得ると思える。
後期高齢者年代になっても健康維持し続けられるので「生涯現役」層は
増えていく可能性がある。またそういう年代者の「終の住み処」として
「日本の魅力」要素がきわめて高い地方は活力を維持し発展パワーを持てる。
昨年度まで年間で1,000万人近くが訪日していた中国の人たちには
日本の田舎への強いシンパシーが育っているとされている。
人口減少は同時に日本人の知恵と工夫が試される局面ではないだろうか?

【朝の気温5度 いよいよ「雪」の話題まで】


きょうは閑話休題。
ここのところ、北総研のWEBセミナーでの「人口減少社会」テーマ探究記事、
そして「日本人のいい家」シリーズと2本の「連載」進行中(笑)。
毎日書くブログのなかでこういうテーマ特集をやっていると
反応もいただいて次から次へと企画内容が芋づる式なのでありますが、
あくまでも「人口減少社会」は基本は取材記事タイプ。
なので、先読みのための今現在の状況の整理整頓的把握が趣旨です。
テーマひとつひとつは既出ですが俯瞰的に状況を把握すると未来が見えてくる。
地方自治体シンクタンクとしては地域の延命に関わってくる重大テーマ。
またわたし自身も、加齢と共に次世代への思いも強くなってくる。

さて、そうこうしているうちに季節の進行は急激になってきている。
昨日は朝、散歩に出掛けるために家を出た瞬間、ジャンパー着替えUターン。
晴れ上がって気持ちの良い秋晴れ天気ですが、
午前6時前のクルマの外気温度計では5度を示しているではありませんか。
あ、わたしは家からクルマで北海道神宮駐車場まで行って
そこから参拝〜周辺地域散歩へというのが定番コースなのです。
ジャンパーの下には長袖トレーナーを着込み、ズボンは保温タイプ。
いまのところはキャップ帽ですが、そろそろ毛糸の帽子も欲しくなる。
神宮境内で行き交う人の言の葉には「そろそろ雪・・・」とも。
首にはタオルを仕込みますが、夏場には汗拭きだったものがすっかり襟巻きに。
またしばらく前からは手袋も欠かさず装着。
神さまの前で手袋を脱ぐにも一瞬のためらいがある。
まさに「つるべ落ち」のような季節の進みぶりに自然の摂理を体感する。
で、写真のような色づく山並みが毎日のごちそうの景色を提供してくれます。
この時期の朝日はまことにまばゆい「照明装置」で
山並みの色合い、コントラストがいっそう際だってくる。
わたし的にはちょっと寒いけれど、北海道は「天国に一番近い」島に思える。
子どもの頃に秋の遠足、写生の機会があって紅葉への感動のまま
この写真のような満艦飾の山の色模様をひたすら描いた。
美術が本職の担任の先生がいたく感動してくれたことを思い起こす。
どうも秋の山の景観が無上にシアワセ感をもって迫ってくるタイプなのです。
思い起こすと、遠足で藻岩山から尾根伝いに縦走して、
そこから見た景色だった記憶があり、山としては円山か三角山か。
イメージ的にはどうも三角山の景観だったように思えている。
この担任先生のコース決めだったか、特別な視野世界だった記憶が強い。
この写真はその記憶の中の視野角度にどうも近しく感じられて
いつも散歩途中このスポットで、朝日直射の彩りにゾッコン。

まさに爛ける秋、という語感が去来する。
たける、というように読んでいた気がするのですが、爛熟というような
単語の意味合いに似たあざやかな彩り感を表現するコトバ。
こういう風景を見ていると胸に去来してくる。
年齢的心象風景ともシンクロして、耽美な気分に毎朝浸っております。

【ポスト効率主義社会で持続可能な日本の魅力は?】



「課題最先端」北海道のシンクタンク北総研の人口減少社会WEBセミナーより。
きのうまでシリーズで「課題の最先端」ぶりをお伝えしてきました。
もちろんこの他にもたくさんの難題が山積ですが、
ようするに人口増加という社会条件と輸出主導型の産業構造という
戦後長く続いてきた「日本の経済社会環境」が人口減で激変時期を迎える。
長く続いてきたことで、それが当たり前のように思ってきたことが
そうではなくなってきて、それに代わる「持続可能性」が否応なく迫られる。
資本主義社会であることは不変。当然最小資本で最大経済効率を求める。
そして企業は当然のように右肩上がりの「成長」を求める。
このこと自体は変わりのない公理。世界の市場に打って出る企業以外の
「内需型」ビジネス企業にとっては、これは大きな転換期。
考えようによっては新型コロナ禍はそれをさらに後押しする要素かも知れない。
この効率主義の思考法が社会を支配し公益的部分・地方自治体運営も
「効率化」思考がこれまでは優勢に選択されてきた。
しかし地域企業にとって市場は縮小し、激烈な競争が避けられない。
アトキンソンさんという方が菅政権の参与として加わったことで
政権がある一定の方向性を志向していることも推定される。
人口規模は予測可能な2045年でピークから25%減がほぼ決定している。
人口減少が避けられない未来であるとすれば、
その条件下でどのような考え方で「生き延びていくべきか」。

いわば課題への「処方箋」もまたシンクタンクらしく素材を提供している。
上の図は日米での「幸福度」実感調査だそうで、
アメリカ社会では高齢者の「シアワセ」度が加齢と共に上昇している一方、
日本は加齢するごとに幸福感は減衰し、不幸が加速すると未来を想像する。
よく言われるように悲観主義じゃないとマジメではないと考えるのが日本人。
日本人は「根拠が明確でない楽観主義」のアメリカ人とは違って
「根拠がなければ悲観的に見る」メンタルだと知れる。しかし、
人口減少社会での大きな成員層の高齢者が本来前向きになる必要がある。
しかしこうした悲観的メンタルが支配的になった後、
そこから一気に局面転換する急激な変化が起こるのが日本史のパターン。
黒船のような「外圧」が日本社会を覚醒させメンタルの転換を図る気がする。
日本民族は危機が進行すると、無意識のうちに急転換を求めてきた。
明治維新のような時代変革、閉塞感打破の動きが湧き上がる可能性。
明治の時は近代化・工業社会化が求められたのだけれど、
日本民族の米作をはじめとする技術基盤が最大の発展資産として働いて
世界の最先端にあっという間に駆け上がった。
工業化社会に応用可能な技術資産に気づいた結果だった。
だから資源小国でありながら工業化に成功できたのだと思う。
今回の人口減少は過去の変革期と違って全人類的に遭遇しつつあるテーマ。
変革のありようは大きく違ってくるのだろうと思う。

一方下図はその「突破口」を匂わせるデータのように思われる。
悲観的な傾向にある日本人にとって、足下にあるシアワセ。
さらにここで挙げられたポイントは、効率主義とはあまり縁がない。
そしてどちらかといえば、都市部よりも郡部の方がメリットを感じやすい。
もちろん、さまざまな突破口があり得るそのひとつの可能性。
時代を乗り越えるタネは必ず自分たちの中にその可能性があるのだと思う。
工業化への成功的対応の原動力が気づかなかった民族技術資産だったように。
しかしコロナ禍までの海外からの観光需要の旺盛さは先行指標なのかも。
こういう「資産」をさらにどう役立たせるか、知恵と工夫が求められている。
振り返れば明治維新から終戦まで77年、終戦からはことしで75年。
世界と日本の大きな「節目」が訪れているともいえるのでしょう。
こう考えれば日本の魅力の根源・地方の生き残りは絶対に不可欠。
最後にWEBセミナーではひとつの方向性も打ち出していた。以下、あしたへ。