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【市街地3倍膨張・人口1/3⇒インフラ維持は可能か?】


北総研研究発表会から「人口減少時代の地域づくり」テーマです。
人口拡大局面は都市での「住宅地」拡大局面でもあり、全国どこでも
「市街地の拡大」ということが普遍的に進行してきた。
農地などだった土地に人間が住むことで、そのためのインフラが整備された。
道路が整備され上下水道が開削され電気・通信などがネットワークされた。
経済的には活性化するし人間が住むことで住民税、固定資産税などの税収が上がり、
長期間かけて敷設コストと維持コストは見合うとされ「合理的」と判断された。
日本全国、ほぼ均一にその考え方で「都市が膨張」した。住宅の新築ラッシュ。

図表は北海道内の自治体事例として現在の「むかわ町鵡川」街区の俯瞰図。
1960年代から現在まで市街地面積はなんと3倍超になっている。
1961年に50万㎡だった市街地が2007年段階で167万㎡。
青の枠内から、赤の枠内まで市域が拡大したのだという。
世帯数は38%増加も人口はおおむね2/3に。世帯人員は半減。
そういった状況で、当然税収は総体的に減るけれど、
拡大した市街地に対して道路維持、上下水道維持などのインフラコストは増大する。
人口減少局面でもそこに人が住んでいればこれらは維持される必要がある。
人口予測では2045年にはさらに現在からも半減という推計。
半分になる人口が負担しなければならないコストは、当然2倍になる。
自治体経営と考えれば、誰が考えても同じ問題にぶち当たる。
むかわの事例は別に特異なケースではなく、それこそ北海道・全国一様。
まったく同じ問題がひとしく地方自治体を襲っていくことになる。


さらにこのように拡大した市街地は、災害リスクも高めている。
上の図は太平洋に面したむかわ市街地域での「津波災害予測」。
人口居住地・市街地のほぼ全域が危険と青く色づけされている。
街が開かれた初期には災害危険度も勘案されて土地開発されただろうけれど、
人口膨張プロセスで徐々に「危険地域」にも人間居住域が広がった。
こうした地域の「防災」コストは当然嵩んでいくことは明らか。
被害想定の拡大はもちろん、そこからの復旧を考えてもコストは巨大化する。
これもまた想定災害に違いはあっても全国の自治体に普遍的な現実。

高度経済成長期、日本列島改造というようなイケイケドンドンが
社会の趨勢であって、人口減少の危機などは論じられなかった。
大きいことはいいことだ、みたいな一種の集団的思考停止が蔓延していた。
スマートシュリンク(賢い縮小)という提言が近年されてきているけれど、
しかし経済社会構造と既得権益システムはスケールメリット思考が前提で
社会常識の基礎深く人々の意識に根付いている。
「いまさら止められない」みたいな論理が幅をきかせているといえるでしょう。
しかし、どう考えてもこのコストは誰にも負担できない。
確実に訪れるカタストロフをどう回避できるのか、
今われわれの世代が解決の糸口をつけておかなければ、
若い世代はそのツケを大きく支払わされることになる。
非常ベルは深刻なレベルで鳴り続けていると言わざるを得ない。

【人口減と人類の未来「出生」幸福度視点】


人口減少の予測は大枠としては「変えられない未来」と言われる。
しかし、地域シンクタンクの北総研発表を仔細に見ていると、
北海道の自治体毎でこの「予測値」は変動していることに気づかされる。
上の図は、2013年の道内自治体毎の人口推定と、5年後2018年に再度推計した
2035年度の人口推計の「増減」を視覚化させたもの。
赤い色の濃淡がより推計値が下ぶれした自治体で、
一方青い色合いは、推計値が上ぶれした自治体のカラーマッピング。
この図表が表しているのは予測から、進行する現実は変化するということ。
人口減少がより激しく進行する地域もあれば、
むしろ反対に増加したり、趨勢スピードが鈍化する地域もある、
未来はまだら模様で推移していくのだということ。
大きな傾向としては、札幌および周辺地域、帯広、旭川、函館という
主要都市圏では総じて「青色」の傾向を示しているといえる。
変化は2極分化して襲ってくるということなのでしょう。
ただし、主要都市圏以外でも青色を示している地域が存在することは
その要因チェックに留意する必要があるだろう。
また同時に「赤色」を示している地域は総じて郡部と見なせるけれど、
これも一様にそうとは言えず、より細やかな分析が必要だと思われる。
青色傾向の地域としては、とくに新千歳空港周辺地域が注目。
これは産業として考えれば「運輸」という分野が人口動態に
大きな影響をもたらすということを明示しているのかも知れない。
札幌と新千歳空港というような「道央地域」がその利便性で成長性を持ち
その周辺地域はこの「中心」に対しなんらかの役割を提供する発展がありえる。


で、大きくは都市圏と郡部というように仕分けが当然できるけれど、
この表は、それぞれでのメリット・デメリットを集計したもの。
都市圏が優越しているポイントは、1 生活環境 2 健康維持 3 教育環境
郡部が優越しているポイントは、
1 労働環境 2 高齢者適応 3 人的交流 4 女性活躍 5 子育て
というように分けられている。
非常に興味深いのは、子育てしやすさ比較で「8:14」と郡部優勢なこと。
このことは別の指標でも現れていて、以下の指標が顕著。

これは「合計特殊出生率の全道地域マッピングデータ。
大きな傾向として、北海道内の郡部地域が基本的に青色であり、
札幌周辺などが低くなっている傾向が読み取れること。

「人間疎外」というコトバがかなり以前、高度成長期などに使われたけれど、
どうもこの指標からは、都市化・資本主義的「合理性」発展が
必ずしも人間の幸福度とパラレルではないことを示してはいないだろうか。
このデータを見させられて、いろいろな発想が湧いてきている。
人口減少へ社会の知恵を集める必要があることが自明だけれど、
そのもっとも核心的な指標こそは「出生率」ではないか。
いま、女性がこどもを産むことに積極的である地域傾向とはなにか?
ということ以上に重要な指標はないと思われるのです。う〜む。

【2045年人口25%減 どうする?試される北海道】



一昨日夕刻に北総研からWEBセミナーでの発表資料が開示されました。
記録も取れない(録画権限も制限)、スクリーンショット不可ということでは、
記事を書くにも、記憶とメモだけということになって、
非常に大きな制約になるとお伝えしたところ、開示いただいた次第。
一部は知的所有権への配慮が必要なので非開示ですが、対応に深く感謝。

先日のブログでも書きましたが、人口減少問題は
この国の未来にとってその生存を左右する大問題だと思います。
伝統的に移民に寛容な社会であるアメリカを除いて、
いわゆる近代の工業化社会を先導してきた「先進国」で
おしなべて人口減少が大きな社会問題として突き付けられている。
世界最大の人口を擁する中国も一人っ子政策もあって逃れられない。
第2次世界大戦での戦死者が多い結果として人口構造で
この問題の最先端地域国家として日本は急進的先導的な位置にある。
世界の中で日本は「課題の最先進地域」というように捉えられる。
そもそもどうして社会が豊かになると人口減少に拍車が掛かるのか、
そのメカニズムの解明も社会経済学的探究のメスが必要だけれど、
この研究領域で画期的な発表は寡聞にしてまだ聞かれない。
人口減少問題が進行する中で、誰でも考えられる処方箋は「移民政策」。
伝統的なアメリカ社会のやり方ということになるけれど、
そのアメリカでもその中核と言えるWASP層では人口減少に歯止めが掛からない。
<WASP〔White Anglo-Saxon Protestant〕>
移民政策は、この人口減少に対症療法的「対処」ではあるでしょう。
しかしそれでは伝統的民族社会の希薄化と民族的反発も当然発生する。
イギリスでのEUからの離脱・ブレグジット、アメリカでのトランプ政権の誕生も
伝統的なその国家社会の本音・根幹部からの「異議申し立て」だと思う。
日本社会は伝統的に移民には慎重な社会であり、
皇室という独特の「民族統合の象徴」を持っていることなど
英米社会の動向に親和性が高いと見なせるでしょう。同じ海洋国家でもある。

このように世界情勢の基本因子にもなってきた人口減少問題。
タイトルに書いたように日本社会でもっとも「新開地」である北海道でも
2045年には最多人口時点から25%減少する予測が立てられて、
現在に至るもその趨勢は進みこそすれ、衰える傾向にはない。
ただ、その進行具合はまだらな傾向を示して、一部地域では増加もある。
上の地図グラフは人口の増減状況をマッピングしたもの。
当面人口減に劇的な「改善施策」が出てこない以上、
個別企業にしてみれば、あきらかな「市場収縮」にどう対応するかが問われる。
右肩上がり社会での経済常識では絶対に乗り越えられない。
25%の市場収縮が目の前に迫ってきている危機状況なのだ。
しかし北総研研究発表では下のグラフのような「可能性」も出ていた。
人口減少は同時に「高齢化社会」の進行でもある。
そしてちょっと前まで65才定年というカタチで労働市場から疎外されてきた
65〜74才の「前期高齢者」層での「要介護・介護認定者率」は
10%未満、9.1%に過ぎないというデータ開示。
これまで国レベルでも労働人口減少に対して「女性参加」が謳われ実行され
アベノミクスなどで人口減が始まってからも500⇒540兆とGDP増加が達成。
人口増加社会で想定していた寿命常識からの60才定年制だけれど、
このグラフからは明確に人間社会に構造的変化が起こっていると見なせる。

地道に人口増政策を考え実行すると同時に、当面は状況対応的に
労働人口の拡大をはかるのがひとつの作戦ではないか。
施策によって「未来は変えられる」という提言も同発表会ではあったけれど、
「課題の先端地域」は同時に知恵が湧き出す地域でもありたい。

【古代赤米から作る清酒「伊根満開」いいね!】

先日書いた「京都・伊根」の舟屋の記事へのコメントで重要情報。
どうやら伊根に格別の思い入れのある方からのようで
添付写真にはお酒を持ってニコニコされている様子がうかがえる。
どうも「伊根の地酒」についての情報提供のようなのです。
きっとときどき検索で「伊根」と入力して最新情報をゲットされているのか?
わたしも伊根の舟屋を取材していたときに「あ、酒蔵あるんだ」とは思っていた。
でも、それほどの酒好きでもないので、スルーしていたのです。
しかしその酒蔵・向井酒造さんでは非常にオモシロい清酒を製造しているという。
なんと、清酒なのに赤いじゃありませんか(笑)。おお。なんでも
【丹後の赤米に古代ロマンの思いをのせた女性杜氏が仕上げた日本酒】
という一品だそうで、ビジュアル系のわたしとしてはひと目でゾッコン。
<あ、深い意味はなく、第一印象で美系に弱いという意味です。>
これは贈答用に数本仕入れようかどうしようかと、思案中。
でもまぁ、一見の取材先地域であり縁はそう深くはない。
いかにも軽薄かなぁというブレーキも掛かって思案投げ首中。
でもあの伊根の景観は深くこころに刻まれて「住宅と環境の聖地」感も持つ。
また年とともに、会食時などのお酒は赤ワインが定番化してきつつあり、
還暦を過ぎたこととは別に関係ありませんが、赤い色にはどうも反応する(笑)。
<京丹後 伊根町の地酒
鮮やかなロゼワインのような赤い色で
果実のような甘酸っぱさと米の風味を感じる赤米酒です。
常温、ぬる燗、オンザロックで>
という宣伝文句をこの休日土日の間、HPで見続けることでしょう。


一方、今週はアース21の例会に参加したので、帰りに
スタッフと久しぶりの外食ということに。
で、札幌市内でクルマで行動してそこそこ駐車に問題がない店、
なお帰り道すがらの2店の馴染みのラーメン店を訪ね歩いたら、
なんと、どちらも閉店休業してしまっているではありませんか(泣)。
新型コロナ禍、恐るべき影響力と再認識させられました。
っていうことでランチジプシー寸前になって「あそこなら・・・」と
立ち寄った札幌中央市場近辺の馴染みのお寿司屋さん。
こちらも数ヶ月ぶりと言うことに気づかされた・・・。
でも店主も元気に握り続けてくれていて、ようやく安心できた次第。
写真は若いスタッフだったので「大盛り」1人前、全12カン。
お寿司は最近はずっと自分で握り続けているので
伺うときには必ず店主の握り行動をこまかくチェックさせていただきます。
「おお、そうか、なるほど・・・」
さすがの職人技で、見ていてそのあざやかさにいつも見とれてしまう。
こういう職人技を見せられるので謹んで指でつまんで食させていただく。
う〜む、つまみごこちのほどよさに深く感動。
ネタにわずかに醬油をつけて、全16回その行動を反復する。
まことにリズミカルでかつ、美感とおいしさのハーモニーが素晴らしい。
やはりたまには、こういう職人技を勉強させていただくのは新鮮感動。

伊根満開で寿司をつまむ、う〜む、いいかも(笑)。

【人口減少へ処方箋提言も/北総研・研究報告会】


一昨日の地域工務店グループ・アース21のリアル例会と打って変わり
昨日はWEBセミナー形式の北総研・研究成果報告会。
北総研というのは略称で正しくは「北海道立総合研究機構 建築研究本部」。
ただ住宅建築の世界では長く「北総研」の名前で知られてきた。
地方独立行政法人としてつくばの「国総研」とほぼ同じ領域の研究を行ってきた。
国総研が主に温暖地から準寒冷地までの住宅研究をするのに対し
いかにも「開拓使」以来のDNAが残る北海道として寒冷地の住宅・建築について
国の研究機関とはまた別に独自研究開発を続けてきたシンクタンク。
一地方が住宅・建築について独自研究機関を持っているのは北海道のみ。
独特の寒冷地域性から、いかに住宅研究が死活的かをあらわしています。
年に一度、研究成果報告会を公開しているけれど、
ことしは旭川市の本部建物会場のほか、新型コロナ対応でWEBでも同時発信。
わたしは他用もあったので、基本的にWEBで内容を聞かせていただきました。
内容についてはスクリーンショットも「遠慮ください」ということだったので、
写真は、同時に情報発信されているyoutube動画の表紙カットです。

きのうの発表で強く興味を持ったテーマは、
むしろ住宅建築からはやや拡張的な「人口減少時代の地域づくり」領域。
建築の学問研究には「まちづくり」という計画系の領域も大きく存在するので
それについて「トークセッション」が企画されていたのです。
先日のブログ記事でも触れたのですが、これは今の日本最大のテーマ。
人口減少が加速してきているいまの局面で、本来は国を挙げて
このテーマから逃げずに日夜論議が戦わされるべきだと強く思います。
人口増基調だった時代が終わり、社会構造も思考法も変わらざるを得ない。
人類全体としても先進国はみなこの共通問題に直面している。
資本主義とは市場の拡大を予測前提とした経済システムだと思う。
人口増は市場拡大を提供するけれど人口減は市場収縮につながる。
資本主義社会を支える企業にとってこの環境の中で生き残るために
どうしたらいいのか、日々苦悩が深まっているというのが現実。
であれば社会としてどう対応するか、それこそ「身を切る」改革が避けられない。
当面は規制改革や既得権益の打破などが必須の課題になることは自明。
国民から負託を受けてこのテーマを真剣論議しない政治は危機意識が薄い。
さらには既得権益構造に見える日本学術会議って・・・とも思う。
今の歴史局面でこれ以上の提言必須テーマがあるとは思えない。
・・・っていうテーマに対し、日本国土の北の果ての地方独立行政法人が
地域の最大課題として取り組み、さまざまな具体的提言も行っていた。

北海道は「課題の最先端地域」と自嘲気味に自己規定している。
地方にとって人口減少は危機そのもの。それへの戦い方はまさに死活問題。
人口予測ではかなりのスピードで減少が予測される。国土交通省からは
「2015年に約538万人であった北海道の人口は、2045年には
約400万人になる(25.7%減)。日本の総人口に占める北海道の人口割合は、
2015年の4.2%から2045年は3.8%に低下する。」というアナウンス。
この25年先には市場規模3/4の現実がやってくるし、その先もさらに厳しい。
そもそも経済規模でも社会の「厚み」でも脆弱な基盤しかない北海道が、
人口400万人で、どうやったら活力を維持し続けられるのか、
まさに地域社会にとって喫緊の大テーマだといえるでしょう。

レジュメとかの配布もなく、スクショの撮影・引用発表も不可だったことで、
この内容を確認しつつ文章でまとめるのは時間が掛かると思われます。
本日は取り急ぎ、昨日のテーマについてのお知らせ報道と言うことで、
今後、いくつかのテーマに分節してこの内容を考えたいと思います。

【コロナ「自閉」打破のリアル情報交換/アース21例会】


北海道では全国を先導するカタチで住宅性能の研究と実践が
歴史的に活発に展開してきましたが、その特徴は「官学民」の交流連携。
まずはあたたかい家を希求するユーザー密着の地域工務店活動があり、
開拓使由来の殖民推進DNAを感じる行政側の施策があり、
それらと連動するカタチで研究者の開発努力が積み重なっている。
こうした、いわば地域総体の「コンセンサス」が基礎にあって、
住宅の性能向上は道内各層を串刺しする意思として共通言語化されていた。
それには活発な「情報交流」活動が強い推進力だった。
今回の新型コロナ禍は、こういった北海道地域の交流活動にも影を落とし、
年6回ほど開催と活発だった地域工務店グループアース21の例会も
ほぼ8カ月間休止せざるを得ず、情報交換機会が毀損させられていた。

その危機に当たって、WEBを活用した情報交換も模索されてきたが、
やはり情報機器・手段活用の面では、個人差がありすぎて、
ツッコんだ意見交換が進みにくい、というのが正直なところ。
それはそうだろう、リアル意見交換なら日本語コミュニケーションさえできれば
自然に自分の意見を発信できるし、他者のホンネも聴ける。
それに対してWEB利用では、まずPC、スマホの使い方から始まって
Zoomの使い方、画面共有の技術差などなど、それぞれクリアは容易とはいえ、
どうしてもスキルに個人格差があって、論議する中身に集中しにくい。
そしてそのスキルは必ずしも各人の情報把握力とは相関もしていない。
また、発表者以外の参加者の「反応」なども大きな情報ファクターだけれど、
WEB環境だけではまったくわからないし、伝わりにくい。
どうしてもリアルとWEBにはコミュニケーションレベルに「ズレ」があることが否めない。
このあたりには「恥の文化」の日本人の悪い面が表出してしまう。
自分の意見発出に当たっても、どうしても制約的になってしまうのが日本人。
1対1ならば、人間的信頼関係があればホンネが言えるけれど、
多数相手にWEBを通してホンネで対話するのは日本人メンタルに似合わない。
WEBセミナーに至っては、ただただ発表者の一方的発表を聴くだけで
参加者の主体的関与が保証されない。ただ聞くだけの時間は耐えられない。
そのうちに予約時間すら忘れるようになって、ほとんど意義を失う可能性がある。

で、今回久しぶりにリアルでの会合機会が実行された。
たしかに通常の例会と比べて出席率は約7割と落ち込んでいたけれど、
やはり人間の表情と声音、そして公式的対話と「ここだけ」会話とが
融通無碍にシンクロするコミュニケーションはまことにストレスがない。
・・・わたし自身もそうだけれど、最近のWEB会話環境では
「表現意欲・パフォーマンス能力」が減衰していることに覚醒させられた。
今回とっさに発言を促されたとき、ふだんなら可能な応答レベルに達しなかった。
知らず知らずものすごく抑制的・自閉的になっていることに驚ろく。
要するに、ひとに自己表現で考えを伝える行為から遠ざかっていたことに気づいた。
無意識のうちに自分のなかで制御が作動していてそこから復元するのに
ある心理の「乗り越え」が必要になっていたと思われるのです。
自分でも「あれ、なんか脳ミソ働きが鈍っているのでは・・・」というもどかしさ。
リアル会話では相手の受け取り方がストレートに「見える」のに、
WEB会話では「ヘンな顔はできないしなぁ」という自制心が強く働いて
その無表情対応が、思考・表現力に悪影響を与えるのではないかと自己分析。

やはりリアルとバーチャルは両輪があってお互いが生きてくる。
コロナ局面ではリアルの情報感度が鈍磨しないよう意識して維持する必要がある。
そういった気付きを得られた、久しぶりのリアル情報交換でした。

【会津45万石「行政庁舎」家老屋敷/日本人のいい家⑥】



「いい家」シリーズで日本人の住空間を考えてきています。
一応テーマは、環境適合とくらしのありよう、みたいなことであります。
環境適合とは地球各地の自然条件のなかで人間が家によって生き延びてきた
そういう側面から住環境を考える視点。
とくに寒冷地北海道を開拓し、殖民を進めたことで日本は
ちょうど西洋文明の全的摂取に国を挙げて取り組んでいた時代と同期して
北海道はまさに「実験的」大地として、住宅も進化させた。
そういう環境適合の視点から、現代住宅の方向性を考えていくもの。
で、もう一方は、人間の生き方とか暮らし方を掘り起こしていく視点。
いわゆる伝統的な文化、様式や格式といった社会性とか、
個人主義が根付いてきて以降の「個性表現」、ライフスタイル表現などが
住宅にどのような足跡を刻印するのかを探るというもの。
とくに新型コロナ禍以降、生き方的な視点に強い関心が出てきていると思います。
その両方の視点を行きつ戻りつ、浮き彫りしてみたいということです。


この写真の建物は住宅、というよりも社宅とか、政庁と分類すべきかも知れない。
会津藩家老屋敷。オモテの石高23万石、実質45万石の藩の
政務一切を取り仕切る家老の政庁であり、居宅でもあった。
ちなみに江戸時代が終わった段階で全国の石高は3,000万石。
日本全体のGDPの1.5%相当の政治経済を運営する政庁。
いまの日本のGDPは540兆円。この時代は商業への税支配は強いとも言えないが
現代に換算すると単純には8兆円、たぶん4−5兆円くらいの財政規模で発生する
いろいろな「公務」がこの役宅で予算組みから決済、管理されていた。
って考えると、この建築の存在理由は自ずと知れる。
家老の個人生活領域も一定の確保はされているけれど、
さりとてそれは「殿様」のようなそれではなく、あくまでも「高級社宅」。
間取りを見ると、事務所的な個室群が多数展開して、
たぶん増築に次ぐ増築で床面積が拡大していったのではないかと想像できる。
このくらいの財政規模で各種の「公共事業」について
起案し、公儀決済のための書類作成し、運用していく作業は
事務所も必要であり各種陳情受付、打合せ対応のための応接も不可欠。
江戸時代のそういうやり取りは、密室での「◎◎屋、おぬしもワルよのう、ぬふふ」
ばかりではなかっただろうことは明らか(笑)。
基本的には江戸時代の「行政庁舎建築」というのが実質なのでしょう。
いまの時代で言えば、各地方での中核的行政庁舎、県庁・都庁などか。
武士という階級がどんなふうにこの時代を運営していたか、
その痕跡を残してくれている建築と考えると面白みが深まってくる。

【囲炉裏の配置/日本人のいい家⑤】


囲炉裏は日本人がながくDNAに刷り込んできた暖房装置。
日本ではこの囲炉裏端が「食遊空間」でもあり続けた。
「家族」という繋がりは人類が進化プロセスのごく初期に選択した
種の維持文化とされるけれど、囲炉裏はそこに根がらみしている。
たぶん夜になって暖を取らなければ休息を取れない熱環境で、
人間の生命が永らえてきた炎への記憶が住空間に存続したのが囲炉裏。
同時にそれは、生命維持のための食にも深く関係してきた。
座卓文化の日本では卓を共有しての食事よりも膳に各人の食器に
食材を盛り付けて食事するという風習が一般的だった。
この囲炉裏を囲んで、各人の膳に盛られた食事を食べるスタイル。
あるいは、囲炉裏の周囲の仕切り木材が膳の代わりにもなっていた。

写真は会津若松の城下「家老屋敷」の台所土間と
板の間の中間に切られた囲炉裏。
囲炉裏はそれぞれの住宅・建物でその配置が工夫されているけれど、
このように土間から連続して、板の間との段差を活かした配置もよく見られる。
ちょうど縁側が簡易な「応接」として家人側が板の間に座り、
客側が土間などから腰だけを板の間にかけて対話する場面とも近似する。
家人側は気遣いして「上がれ」というけれど、
客人側は遠慮しつつ「いえ、こちらで結構です」と謙譲しながら対話する、
というような日本人的な相互信頼的繊細さの感じられるコミュニケーション。
台所土間でも、これよりもさらに気さくなコミュニケーション装置として
このカタチの囲炉裏は人間交友の空間を成立させていたと思われる。
縁側が主人との対話機会とすれば、こちらは奥さんとの対話っぽい。
まことに生命維持により近い生活そのもの空気感がただよう。
夏期以外ではたぶん火が入れられていて、
客人には暖を応接道具として提供し、簡単な白湯、麦焦がしなどがふるまわれ、
興が乗ってくると、あるいは自家製漬物などが提供されたのではないか。
いかにも気兼ねのない人間関係の象徴のように使われる空間。
現代住宅では、こういう人間関係建築装置というのは見いだせない。
なるほど暖房装置は進化し、食卓空間も機能的になったけれど、
しかし対人関係コミュニケーション装置としては、とても敵わない。
玄関というのはいかにも正式な対面であり、それほどでもない日常的な
交友関係、情報伝達関係ではこのような空間が使われた。
コミュニケーションにいくつもの「レイヤー」が存在して
無意識のうちにそれら機能使い分けが社会「礼儀作法」として存在していた。
非常に繊細な「精神文化的」な暮らしようではないだろうか。
想像をたくましくすると、家人も普段はこの板の間の別の囲炉裏などで、
日常の食事は済まされていた。
なので、この土間囲炉裏と板の間の間はこれもシームレスに連続していた。
いわゆる「オモテ」とは違うやさしいコミュニケーションの確かな存在感。

江戸期までは身分制社会であり武家は格式重視の家づくりだったが、
このような「台所空間」では、堅苦しい身分制が
ある程度緩和されたものに変化していたと思える。
日本的「融通無碍」という雰囲気を感じさせてくれる囲炉裏の形態ではないか。

【京都・伊根と北海道「環境」の巨大隔絶/日本人のいい家④】



北海道をベースにして住宅を考えると、自然環境というのは、
冬期の積雪寒冷が最大のテーマであり「暴虐な自然から身を守る」ことが
亜寒帯地域居住での無条件的な希求ということになる。一方で
伝統的ニッポンでは亜熱帯から温帯での自然環境への「最適化」が追究されてきた。

日本人は歴史年代を通して、当然ながら食料生産活動を最重要経済活動として
コメ生産を基本にして生存してきた。その最適地、あるいは多少条件がよくなくても
克服して適地に「変えて行く」発展を全体として追い求めてきたのが日本史の基本。
そのコメ生産が水利の利便性をもとめて河川流域の開発に傾注していって
当然のように周辺平地の拡大へと進化発展し、やがてその集散中心地として
都市が形成されて商業が生まれ、人口集中構造が出来上がっていった。
その人口集積が「労働力」に変容して工業発展も促進されていった。
しかし、この列島は四周を豊かな海で囲まれていて、
縄文的ライフスタイルとしての「漁業採集」型という原初的生活様式も存続した。
日本社会の主流はコメ生産型だったのでこっちの方は、
いわば原初期型「散村」的漁村として列島各地に分散的に形成された。
やがて漁業も大型化して、遠洋などの出漁も進むと集住が大型化して
いろいろな機能を果たす「業業基地」的な都市も形成された。
そのように日本人の「住」を考えてきていたけれど、
写真の「海の京町家」伊根の様子を見て、強く衝撃を受けた。
海との共生ということがタイムカプセル的に存続し、お伽噺のように成立している様子。
温暖地的「環境との調和」というありようをまざまざと目にさせられた。
日本海が大きく湾入りして穏やかな様相を見せている京都府北部に位置。
日本海の「外洋」の風波からはその湾入りが保護してくれている。
歴史年代を通して、大都市・京都と適度な距離(125km)があって遠からず近からず。
経済的交流と独自地域性が両立し得たものなのだろうか。
まるで縄文の世がそのまま一定の都市化も果たしながら
奇跡的に現代まで生き延びてきたようなありようを見せてくれている。

伊根の「町家」群は海に向かって各戸が船の「駐車場」を持って軒を接している。
開口はおおむね海に向かって開かれていて、自家用船ですぐに海のくらしができる。
海生動植物採集という生存条件に忠実に、それが小都市にまで発展進化している。
「いい家」という概念が、非常に直接的に表現されていると。
海という環境に対して、自然に適応して暮らしがあり得た奇跡。
たぶん、北海道的な自然とはまるで違う「環境」意識があるのだろうなと思えた。
太古から続く「自立循環」型のライフスタイルとも言えるのだろうか。
天橋立から車で30分だけれど、歴史年代を通じて一番近い人口集積地・舞鶴などへ
船での交通で行き来してきたに違いない。孤立集落的な感覚はなかっただろう。
こんな奇跡的におだやかな「環境」というものがあり得ることが
北海道人には打ちのめされるほどの衝撃だった。

【朝の気温は8度 彩りが深まっていく北の秋】


写真は朝の散歩路、札幌南西部の山岳地帯から流れ出る小川。
円山のふもとを縁取るように流れ下っている。
左側は円山の自然保護林で、右側は北海道神宮後背の杉林。
札幌の「扇状地形」はこのようないくつもの河川が複合して形成されている。
札幌の南・西側はこのような山岳地帯で、北に向かって扇状地形が広がっている。
で、北の方に流れている石狩川河口に向かって低湿地が広がっていた。
北海道でも最大の平野部が形成されているので、
この地を北海道の首府としたのは先人の知恵としてごく自然だったのでしょう。
南西部側の地盤は、山岳の岩盤の上にあり、
低湿地側に対しては標高も確保されているという立地条件。

朝方の気温がどんどん下がって来ていて、
いかにも「つるべ落ち」的な感じがしております。
散歩時の服装がどんどん重武装化してきている。
いまどきはダウンの内側の薄手の羽毛入り下地をまとってちょうど良い感じ。
本格的ダウンジャケットの手前くらいがピッタリの季節感。
なんですが、ランニングしている人はいまだに短パン仕様という人も見かける。
当方はズボン下にはやや厚手の下着も着込んでいるので、
こういう短パンを見かけると震え上がっております(笑)。

散歩道にはリスたちのうごめきが多数目撃される。
先日書いたように、落果がたくさん落ちているので、
それを越冬用食料として保存確保する作業にかれらは余念がない。
でもかれらは保存した土中の場所を全ては憶えていないので、
結果としては、植生の種延命継続に大いに役立っているのでしょうか。
あまりにも数多くうごめいていて、さらにかれらに餌やりする人もいるので
ほとんど人間を怖れることがなくその距離が非常に近い。
ヘタをすれば気づかずに蹴飛ばしてしまいそうなのであります(笑)。
徐々に落葉も始まっていて、山の色づきも目立ってきている。
ことしは中国韓国の観光客が激減しているでしょうから、
北の秋も本来の静かさで深まってきていると思います。