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【縁側・囲炉裏は「幸福感」装置/日本人のいい家③】


写真は播州・福崎の古民家写真から縁側空間。
北海道の家からは「縁側」は150年前・最初期からほぼ消え去っている。
明治天皇の「休息所」として建てられた「清華亭」〜明治14年でも
縁側外周にはガラス建具が嵌め込まれ、いわば「大型窓」化している。
いわんや一般住宅に於いては冬は雪の壁を眺めることになるし、
夏場といえども、吹き渡る「涼風」を楽しめる期間は1ヶ月程度。
であればと北海道人は自然とのふれあいについては、
より直接的なジンギスカンなどで純粋な野外パーティ志向になり、
家はハコとしての密封性を高める方向に舵を切っていった。
いわば暮らし方の方で「メリハリ」をつけていったと言えるでしょう。
日本伝統住宅と北海道の家が枝分かれした最初期のパーツでしょう。
その後、北海道住宅は家の中の「環境性能」志向を高めた。
そこで検討されたのがいわば「いごこちの科学」。
温度や湿度コントロールが主に寒冷期を対象に探究され、いごこちが論議された。
で、そういういごこち研究の成果を通過してきて、今度は日本人として
もう一度、この縁側空間というもののオモシロさに帰り着く部分がある。
北海道での体験を経た上での伝統住空間のいごこちや体感的心地よさ再発見。

本州以南のニッポンでは、冬場でも雪はあんまり降らないので、
積雪を心配することはない。大体は縁側は南面して開放・造作される。
庭園主体の建築で被写体への採光鑑賞目的から一部に北面するものもある。
太陽光を受けた庭の輝きを視覚的に愉しむ意味ですね。
しかし圧倒的多数は南面する縁側空間というものに日本人は慣れてきた。
軒が張り出しているケースが多いので、日射制御コントロールが
さまざまに「デザイン」されるけれど、縁側本体では
「ひなたぼっこ」という楽しみが演出装置されることになる。
たぶん秋から冬、そして春にかけて、8ヶ月以上はこの体験装置空間になる。
この縁側でまどろむ、という民族的体感が現代住宅から消えつつある。
これってよく考えてみると、住宅の「温熱快楽体験」として
家庭風呂にも匹敵する建築装置ということができるのではないか。
もちろんその季節毎で太陽輻射熱によって得られる温熱体感は違うけれど、
縁側の自然素材の板の間から薫ってくるニオイまで含めて、
独特の民族的癒やしの空間であり「温熱装置」の側面が強い。
炎などはないけれど、一種の「暖房的建築装置」という理解もあり得る。
天気の良い日に縁側で過ごすというシアワセ・贅沢ぶりは、
現代的な住宅ではいまや見果てぬ夢。その喪失への残念感が募る。


さらに、直火輻射の囲炉裏のある空間は、古民家での最大の見せ場。
写真は川崎・日本民家園のなかの古民家で囲炉裏に火を入れたところに
見学で訪れていた小学生軍団が押し寄せている図(笑)。
手前にはかまどとせいろ蒸しも置かれていて、
なんとも賑やかで、そして煙い囲炉裏火だけれど、
子どもたちの明るい笑顔が底抜けで、釣り込まれるような「あたたかさ」。
温熱としては炎からの直接的な輻射熱だけれど、
心理に染みわたってくるような独特の幸福感で満たされる。
たしかに温熱で言えば、全体に一様なものではなく局所そのものだけれど、
北海道人感覚からするとかえって、これはこれ、という気分が感じられる。

縁側での太陽熱による輻射体感と、囲炉裏の直火による輻射体感。
かなり魅力的で自然な温熱体験とあこがれを持って見てしまう。
こういった古民家の「温熱装置」、単なるノスタルジー以上に
なにか訴えかけてくるものがあるように感じられます。

【「仏壇」ミッシングリンク論〜日本人のいい家②】


写真は北海道開拓期の「森林伐採」風景。
とにかく鬱蒼たる森林を伐採して農地を開いて行くことが開拓の実質。
森林から変貌の農地は、自然落葉で天然施肥が永年なされていたので、
驚くほどに地味が豊かでもあったという伝聞を聞く。
しかし森林伐採は気の遠くなるような作業であり、
空知地方のように、囚人労働の集中投下で筋道がつけられ
本州で農家技術蓄積のある美濃などの先進農業地域出身者に
優先的に農地が割り当てられた、というような情報もある。
北海道が食糧基地として日本をリードしていることの根源と言われる。
で、北海道に入植応募した人々は故郷では農地を獲得できない
農家の次男三男層が中心だったとされる。
「北海道には仏壇背負って来た人は少ない」という何気ないひと言を
ある住宅研究者から聞いたとき、大きな気付きがありました。
血統的「家意識」からは「仏壇を背負っていない」人々が北海道の多数派。
北海道に移民として応募する最大の目的は、自作農になれる、
自分が土地所有者になれる、というそれまでの日本社会が提供できなかった、
大きな人生飛躍の可能性への希求があったのだといわれている。

わたしの家系は明治末、大正初年に北海道に移民したけれど、
実は広島県から「仏壇背負って」来た一家です。
小樽の港に着岸上陸し空知地方に入植していた地縁者を頼って来た。
ただ北海道で生計が立つかどうか見極めてからということで
「本家」としての伝承の品々は広島県地方の縁戚に「預けて」いたという。
明治期までの日本社会では、家意識、本家意識は強烈な倫理規範であり
メドが立つまで「本家」としての伝来のものは遺しておいたのだと。
(このときの混乱で、いくつもの品々が散逸してしまったとも聞く。)
この「本家意識」というものは、日本人の「いい家意識」に深く関係している。
極言すればそれまでの社会では「家」はハコではなく血統だった・・・。
先祖代々の連綿とした「継続性」が、家の「格式」を表現するという価値感。
わたしはそのような家系の伝承を聞いていたので、ほかの北海道移民も
同様なのではないかという無意識の認識を持っていた。
で、北海道でたくさんの友人・知人たちとの間でこういう話題は
ほとんどしたことがないことに、改めて気付かされる。
「あなたの家はどこから?」という問いに答が返ってこないことが多い。
言いたくない、関心がないを含め、いわゆる伝統的「家意識」の喪失。
それは、北海道移民がほとんど「仏壇背負って来ていない」ことに由来するのだ。

このことが、北海道の住宅の進化にとってかなり大きなファクターだった可能性。
本州出身地の「本家」とははるかに離れて
この地で「フロンティア」として初代を始め(ざるをえなかっ)た意識が濃厚。
たしかに北海道には「代々この地に暮らしている」人間はごく少数。
「代々続く」家のありようから自由であり、多くが新規スタートだった。
日常生活に於いても伝統的ライフスタイルへの執着があまり存在せず、
地域の気候に対しての「環境適合」ファクター価値感がはるかに優先した。
寒いんだからとにかくあたたかい家を、という希求が最優先。
様式的・格式的価値感よりも、生活リアリズム・合理主義がはるかに優先した。
高断熱高気密という日本住宅の「革命」も渇望的に求められた由縁。
この日本伝統住宅と北海道住宅の進化の間の「ミッシングリンク」が、実は
「仏壇背負ってこなかった」ことに大いに関係があるのではないかと思われる。
北海道の住文化解析としては仮説的ですが、
深く納得できる部分があるのではないかと思い続けています。

【宮城水害被災地から2年ぶり「新米」到着】

昨日日中に宅配便到着。
「お」と思っていたら、案の上「新米です」という配達のお兄さんの元気な声。
1回に30kgを頼んでいるので、「重たいですから・・・、どこに運びます?」
という親切な申し出もあったのでストックヤードにお願い。
5k入りで6袋の「宮城県産」の「ひとめぼれ」令和2年度新米であります。

この農家は以前断熱材メーカー勤務の方で仕事関係での深い知り合い。
実家が米作農家で、定年退職後はこちらの農家を営んでいる。
そんなことからわが家の「契約農家」として継続的にお送りいただいていた。
ところが、昨年秋、宮城県で発生の水害で新米出荷直前のお米が被災。
やむなくわが家は1年間、ジプシー食生活を送っておりました(泣)。
やはり知人が作ってくれているという安心感は大きく、
また、味も滋味にあふれていてすっかりカラダに馴染んでいた。
昨年の被災直後には元気づけたいと、仕事で出張の合間に被災地を訪問し、
その被害の状況も見させていただきました。
土手の高い河川流域に面していて、土手の決壊という水害の様子を
まざまざと目のあたりにさせていただいた。
床下に流入した土砂流入の痕跡と、それを乾燥させるプロセスも見学。
コメは作るのに1年間かかる。
首を長くして待っていたところ、先々週にLINEでの「新米刈り取り」の知らせ。
「おはよう御座いますー
雨上がりましたら稲刈りですー
来月から新米ですー宜しくお願いしますー」といううれしい知らせです。
さっそく、「おお、ついに、ですね。雌伏の年月ご苦労様でした。
また30kgづつお送りください。楽しみに待っています。」と返信。

ということで新米の到着であります。
この1年の農家としての苦労などを思いながら、
まずはご苦労に感謝して神棚に上げさせていただいた上で、
ありがたく食させていただこうと、お腹を鳴らしております(笑)。

【日本人の「いい家」意識①/血統拝跪と環境調和】


昨日、ある住宅研究者からヒアリングを受けました。
わたしどもは住宅雑誌を32年以上発行しているのでその経験からお答え。
で、いくつかのポイントが浮かんできましたが、
追ってその研究の進展で当社の誌面にも反映されることが考えられます。
そのヒアリングを受けて逆にいろいろと再発見的な気付きもあった。
そのなかで大きかったのが、日本人にとっての「いい家」規範の変化ぶり。
このテーマでちょっと考えをまとめておきたい、その第1回。

考えてみれば日本人が「注文住宅」ということを経験し始めたのは、
たぶん、戦後の「住宅金融公庫」システム成立以降のように思う。
それ以前の住宅、古民家・歴史的建築物を見学取材する機会が多いけれど、
おしなべて「格式的・様式的」であって、人間表現個性表現的な部分は
その様式の「扱い方・利用の仕方」の範囲ではないかと思う。
このことがよくわかるのが、沖縄の中城に残る「中村家住宅」。
この家は沖縄での戦国武将・護佐丸配下の建築・築城家である中村氏が
中城城を築いた当時、その邸宅として建築されたものと伝承されている。
わたしの大好きな500年近い由緒のある古建築住宅。以下中村家住宅HPより。

〜今から約500年前中村家の先祖賀氏(がうじ)は、琉球きっての築城家として
名を成した護佐丸(中城城主)が読谷から居城を中城に移した時、
共にこの地にその「師匠」として移ってきたと伝えられています。
現存建物は18世紀中頃に建築という伝承。
建築構造は、鎌倉・室町時代の日本建築の流れを伝えていますが、
各部に特殊な手法が加えられて独特な住居建築。この遺構は、
士族屋敷の形式に農民の形式である高倉、納屋、畜舎等が付随して
沖縄の住居建築の特色をすべて備える。屋敷は、南向きの緩い傾斜地を
切りひらいて建てられて、東、南、西を琉球石灰岩の石垣で囲い、
その内側に防風の役目を果たす福木を植え台風に備えています。〜
という建物。その主たる建築計画の骨格は中村賀氏の設計と思われる。
沖縄での「愛着ぶり」を見ると住空間の一種の規範だったように思うが、
建築家としての「個性表現」の部分は少なく、環境調和性が際だつ。
環境調和で合理的な建築を作るのがホンモノの専門者という先人の教えかと。

で、戦前までの日本人の住意識では様式・格式へのリスペクトの方が強い。
明治期以降の高級住宅でも、和と洋の違いこそあれ、
どちらも様式への自然な帰依が根強く感じられる。
「いい家」とは、「格式の高い家」「立派な門構え、床の間、庭」という価値感。
たしかに縁側から流れてくる薫風を愛でるとか、
囲炉裏での団欒や、そのぬくもりなどの「居住性」も当然重視されたけれど、
それもまた伝統的スタイルへの無条件の拝跪の念があったと思う。
ただ、茶室という空間には茶人たちの芸術的嗜好性表現はあった。
しかしそれはあくまでも「あそび」の空間であり、
生活空間としては、やはり伝統的規範こそがデザインコードだった。
それは長い日本人の生活史を背景とした「一所懸命」としての「家」意識。
私有的な土地に執着し、家意識のマユに個人が包摂されていた。
タテの血脈伝承装置・血統証明的な「家」意識が最優先されていたのだ。
そういう「マユ」に包まれて生きる価値感が日本人には優勢だった。
しかし、先述のように囲炉裏の切り方・配置の仕方などで、
独特の「感受性表現」はあったし、ハレの間である
床の間付きの和室でもいろいろなその家らしさ表現はあった。
デザインコードに従いながらバリエーションを愉しんでいたのだと思う。
(明日以降も、このテーマ続けます。)

【事務運営費が過半支出:日本学術会議の会計】


時事ネタ、一昨日の日本学術会議テーマの続報であります。
昨日の官房長官発表で日本学術会議の過年度申告会計内容が明らかになった。
以下、産経WEBよりおおまかな各項目毎の経費分類。総額は10億5千万とのこと。
▽人件費などを含む政府・社会などに対する提言=2億5000万円
▽各国アカデミーとの国際的な活動=2億円
▽科学の役割についての普及・啓発=1000万円
▽科学者間のネットワーク構築=1000万円
▽事務局人件費・事務費など=5億5000万円

最後の使途には目を覆いたくなってしまった・・・。
ご存知「日本学術会議」問題。世論としてはほぼ決着がついてしまった感じがする。
この学術会議の予算使途の発表で、ほぼトドメだろう。
国家予算を注ぎ込む組織にしてその活動の本来目的業務よりも
「事務局人件費・事務費」というヤツが主体を占めているというのは完全にアウト。
いかにも国家予算に対する「既得権益」組織そのものであることは明白。
どう弁明しても、本来目的と無縁の自己組織運営費が過半を占めるなど
常識的にありえない。たとえはあまりよくなくてまことに恐縮だけれど
タコが自分の足を食べているという典型的症状。公費のムダの典型そのもの。
もし、「いやそうではない」と言うのなら公的な反論メッセージが発出されるべき。
しかしことが明らかになってから当事者組織からの意見発出はいまだ、ない。
ここは自らに誇りを持っているならば、政府支出の枠外に出て独立の法人に改組し
経済的に政府組織から自立した組織になるべきではないのだろうか。
海外の同様組織はみな「独立性の担保」として政府支出は受けていないとの情報。
ただ普通の組織であれば、自己運営費が過半を占めるというのでは
会計監査以前の「モラルハザード」として、当然出資者・資金提供先から
指弾を受けるのは当然だろうと思われる。
この問題で、朝日新聞などは相変わらず「学問の自由を守れ」的な主張を叫んでいる。
追随するメディアと一部野党がこれからも声を上げていくのだろうけれど、
どうも「またこういうヤツか」という既視感が浮かび上がってくる。
大多数の国民世論とマスメディアの「乖離」の構図。
朝日新聞世論調査での「前内閣実績評価・71%」が記憶に新しい。
薄汚れた「既得権益」に斜め上から目線的な免罪符を与えようとする大手マスコミ。

いつまでこういう建設的でないことがらで国会とか政治が壟断され続けるのか。
いま日本の最大問題は、少子高齢化社会での経済縮小、社会構造転換。
これに社会として備えねばならず、どうすべきかは
国家百年の緊急的事態だと思う。こういうムダに時間を費やしてはいられない。

〜写真は日本史最大の「既得権益」放棄、「国譲り」神話の出雲大社神楽殿〜

【政府組織からの「アンケート」の難行苦行】

昨日デスク上に帝国データバンクからの「アンケート」を発見。
どうやら金曜日に到着していた封書が、チェック後わたし宛に回されてきたもの。
休日ですが、そこは中小零細企業、総務担当カミさんからの送付案件。
中身は、帝国データバンクが「中小企業庁」からの依頼を受けて送られてきたもの。
わたしは、こういうのには普通に納税者国民義務として従順になるタイプ。
国が調査したいと思っていることには協力したいと思っています。
しかしその場合、特に「謝礼」「特典」などはなく民間人に質問をし、
回答を依頼するのですから、こちらへの配慮はしかるべきだろうと思います。
で、通常であればこの手の「アンケート依頼」は内容を絞り込んで
質問項目はA4換算で数ページ程度、たぶん8ページ程度が限界だと思う。
きっとその程度だろう、というこれまでのこの手のものへの常識理解があって
そのうえ日曜日だったこともあって、始めてみた。

で、このようなアンケートでは普通、書き込む手間も考えて、
WEBで回答する方がはるかに面倒くさくない。
ということで、その説明書きが写真の右側画面のペーパー。
「インターネットによるご回答」という説明書きですが、いきなり
OSがパソコンではWindowsオンリーで、ブラウザも指定されている。
こういったアンケート依頼では依頼先の利便性、答えやすさ優先で配慮がある、
というわたしの常識的予測はまず木っ端みじんに粉砕された。
わたしはMacなのですが一応、当該ページにログインしてみようとチャレンジ。
そうしたら、指定されたユーザーネーム、パスワード入力欄で
「この情報は他者に抜き取られる怖れがあります」という内容のアラート表示。
「マジか、ホントにWinでなければ答えられないのか」
と絶望させられた。この段階で諦めるという選択もあり得たけれど、
他の0S環境として「iOS」表示があったので、
iPhoneでのアクセスを試みた。こちらは暗号化対策がされているようで、
ログインが正常にできた。
ただし、みなさんも同様だと思いますがスマホでは「書き込み」が面倒。
単純なイエス・ノーだけの選択ボタン形式のみが望ましい。
ところが、こちらのアンケートでは最初から「会社名・住所」「部署」「役職」など、
いきなり多数の「ワープロ入力」を迫ってくる。
選択ボタン形式でもなく、直接入力しなければならなかった。ふ〜。
なんとかその段階は面倒ながらも入力してクリアしたが、
そこから、A4−24ページ全94項目の「質問」が羅列されていた!(あとで計算)。
しかもその質問内容ひとつひとつが、詳細な「説明書き」を読まねば回答しにくい。
それでも10問程度までは「まぁまぁ」と自分をなだめつつ取り組んでみたが、
そのうち、質問内容自体に強い疑問がある項目などに立ち至ってしまった。
さまざまな解釈ができる設問項目。
「これ、いろいろに受け取れる質問だなぁ・・・」と危惧しつつ答えたら、
案の上次の設問では、その「いろいろに受け取れる」ウチのごく特定のことに
基づいて延々と以下設問が設定されていた・・・。
どうも日本語修辞的にも「練られていない」設問設定。
で、この質問10/94に費やされた時間は軽く1時間は超過していた。
それを「いろいろ考えながら、スマホ画面へのタッチ操作」で答える苦行。
1時間以上経過後、さすがに忍耐力は限界を突破して作業を中止。
まったく質問構成その他で、回答者への配慮がほぼ無視されている。
きょうは本来ストレスを癒す日曜日なのだ(笑)。
で、前述のように「紙の質問書」を確認して、質問総数を確認した次第。
途中いくつも、考えて自由筆記させる設問までも挿入されていることに驚愕。
これはどう考えても、1日以上仕事であることが判明した。・・・
であるのに、これに答えての「対価」メリットは回答者には何もない。奉仕。
ただただ、中小企業庁と帝国データバンクにメリットがあるに過ぎない。

最近、国の事業でこのような「大手企業」への事業丸ごと発注が増えている。
GoToキャンペーンではリクルート社の旅行サービスなどが受注している。
たしかに新型コロナ禍で国のスタッフの作業量もハンパない事も理解出来る。
しかしこの政府機構の「IT」対応の非常識ぶりにはため息。
デジタル対応、中央省庁は根本的に考え直すべきだと痛感させられる。
ひょっとしてこのアンケートは官僚機構による菅政権への一種の抵抗なのかも・・・。
善良に国のことを考え、協力したい国民をむしろ反感を持つ方向に追いやっている。
政府機構は民のことをよく考えていただきたい。

【「学術会議」既得権益擁護は正義なのか?】


日曜休日に付き時事ネタです。
行政機構の総理官邸が日本学術会議の提出した新会員「任命」名簿の
一部を是認しなかったことを、共産党の赤旗が10月1日に取り上げ、
翌2日以降、朝日新聞や追随するメディアが「後追い」報道している。
いわく「学問の自由への侵害だ」という。
法に書かれている任命権を行使したことで、なぜそういう論理になるのか不明。
基本的な研究費用助成中止ではなく、既得権益権追加付与の中止に過ぎない。
逆に既成メディアはこれまで各種「任命責任」について常に声高だった。
そもそも日本学術会議活動では「軍事研究をしない」主張が目に付いたが、
一方で独裁国家中国の学術団体とは「協力協定」を結んでいるとの情報もある。
日本学術会議が具体的にどういう存在であるかは今後の調査報道に待ちたい。
しかし日本は「国民主権」であり民主主義にアンタッチャブルな存在は許されない。
天皇制度すらも国民の総意に基づくのがこの国の民主主義。
民主的手続きを経た行政の「任命権」行使が「許されない」とする論拠を示すべきだ。
許されなければ国民はその正統な権利・国民主権を行使しようがない。
正常に選挙された民意の発露たる政治権力は民主主義的な
いわば「シビリアンコントロール」の最高の発露であって、
それを妨げるのは民意への抵抗・反逆のススメだといわれても仕方ない。

最近の政治論議の中でいつも感じるのだけれど、
大手マスコミは「既得権益擁護」のホンネをさらけ出しているのではないか。
目に余ったのが文科省次官で天下りの司令塔として糾弾された人物の
教育行政での既得権益擁護の姿。それに対しマスコミは天下りの件は忘れ
ひたすら政権への批判のための批判で「正義の味方」にまで仕立てていた。
既成マスコミはテレビ放送電波使用での巨大な「既得権益」で守られている。
それが中央省庁官僚機構などによってながく保守されてきた。
国民資産の電波が不当な安値で継続使用されているのは既得権益そのもの。
新聞社の全国一等地社屋ビルと税の優遇処置なども目に余る既得権益。

わたしの青年期・昭和中期には権力への異議申し立ては、
世を覆う「既得権益」の重層構造に若い年代が風穴を開けると同義だった。
国民は国政選挙を通して政権を成立させるのであり、
それで主権を行使するという「建て付け」なのがニッポン民主主義。
しかしいま、政治権力へのクレーマー化したマスコミと一部野党勢力は
魑魅魍魎たる「既得権益」側のあからさまな擁護に走ってしまっている。
現代では政治はまったく保革逆転し主に「経済活性化」最善策として、
保守側が「既得権益の打破、競争の自由政策」に着手しているのに対し
残念なクレーマーは反対のための反対で既得権益擁護に回っている。
今回事態は、現政権の反「既得権益」政策の発露・攻勢とも判断できる。
そのターゲットとして日本学術会議が俎上に上げられたのかも知れない。
こういう政治社会逆転が常態化して以降、若年層の反マスコミ・反野党化が進んでいる。
いまや若者層の政党支持は自民党1択であり、立憲民主支持率は3%だという。
これは別に「若者の保守化」ではなく
むしろクレーマー派の「既得権益擁護・保守化」なのではないか。
若者はその直感力で正しく本質を受け止めているのではと思われてならない。

【断熱先進地北海道から火災に強い木造外壁・続報】



既報で「防火の木外壁」仕様が北総研研究で大臣認定とお知らせしました。
その「仕様」はPF(フェノールフォーム)断熱材仕様だったのですが
今回、それに加えて押出発泡ポリスチレン(PS断熱材)仕様タイプも認定取得。
北総研は研究開発主体であり、実際の認定取得は各断熱材業界団体などが
それぞれ主体となって申請するものとなっています。
板状断熱材の2大勢力がこれで揃ったカタチになりました。
以下、北総研の10/2発表資料より要旨抜粋。
〜地方独立行政法人北海道立総合研究機構(道総研)建築研究本部
北総研では、外装材に木材を用いた「北総研防火木外壁」の第2弾として、
付加断熱材にポリスチレンフォーム断熱材(PS)を用いた「PS仕様」を開発し、
この技術を用いて押出発泡ポリスチレン工業会、発泡スチロール協会
(申請者:デュポン・スタイロ株式会社, 株式会社カネカ、株式会社JSP、
日本フォームスチレン工業組合)は、建築基準法に定められる「防火構造」の
国土交通大臣の認定を取得しました。
この「北総研防火木外壁(PS 仕様)」は、北方建築総合研究所が
林産試験場と共同で取り組んだ道総研重点研究「道産資材を用いた
木造高断熱外壁の防耐火構造の開発」の研究成果の一部を、
押出発泡ポリスチレン工業会、 発泡スチロール協会に技術移転したものです。
「北総研防火木外壁(PS仕様)」は、建築事業者に自由にお使いいただけます。
1 大臣認定を取得した外壁名
「北総研防火木外壁(PS仕様)」
2 大臣認定を取得した外壁の認定番号と構造名
PC030BE-3884(1),(2)~ 3887(1),(2)
・グラスウール(ロックウール)断熱材充てん/
木材・ポリスチレンフォーム断熱材・構造用面材表張/
せっこうボード裏張/木製軸組造外壁
3 「北総研防火木外壁(PS仕様)」の社会的意義
木材仕上げには、高い人気があり、道民のニーズに対応できます。
法令の防火規制に適合しつつ、木材を外装材に使用できます。
北海道で広く普及している高断熱仕様の外壁であり、特殊な施工を要しません。
道産木材の利用を促進し、道内産業の振興森林資源の有効活用に貢献します。
4 「北総研防火木外壁(PS仕様)」の普及方法
・押出発泡ポリスチレン工業会、発泡スチロール協会会員各社を通じ
建築事業者へ普及します。〜

さらに今後、「北総研防火木外壁」は第3弾として、硝子繊維協会と
ロックウール工業会共同でグラスウール・ロックウール仕様の大臣認定手続きを
進めており、認定を取得次第、お知らせする予定とされています。
高断熱高気密がまさに基本的な住宅革新技術であり、
建築デザインに対してそれを制約するものではなく、むしろ自由度を
どんどん拡大させるものである面が認識されてきていると思います。

【開拓判官島義勇:明治元年銭函-札幌21.5km往復】


「道」シリーズであります。
新型コロナ禍で仕事の仕方が大きく変わって、わたし自身は内勤的な業務に。
これまでなんとなく「後回し」的だった仕事内容に根を詰めるようになって
このブログでも過去に大量に「取材」ストックしたデータを整頓する志向に。
なんといっても北海道での住宅始原期データが山ほどある。
「そのうちライフワークかなぁ・・・」と思っていた写真データ類に
没入しながら、開拓始原の空気感を再生することになっています。
なんといっても北海道は「高断熱高気密」の揺りかごになった地域であり、
多くの先人のみなさんの研究労作などにも導かれながら、
「もっとあたたかい家を」という北海道人の希求の根源を掘り起こしたいのです。
ただ、当然この地での人間営為総体に関わってくる情報なので、
さまざまな人間模様、ドキュメントが時系列的に整理もされてくる。
いわば、基本探究領域からの「スピンアウト」も多くなってくる次第。
そのスピンアウトでも最近、ハマってしまったのが「道」であります。

日本の朝廷国家体制が出来上がって以降から明治終わりくらいまで
基本的な「人間移動」は歩行にほぼ依存していた、
明治初年の北海道での「道路開削」ぶりは写真記録も残っているけれど、
基本的には飛鳥・奈良時代くらいからこっち、道はそんなに
大きな機能変動、形態変化はなかったということに気づかされる。
一気に日本史を縦断して理解する「手掛かり」になるという気付きですね。
この移動交通手段は、飛鳥奈良から大きく変化していない。
歴史事実を解く「モノサシ」に使える。モノクロ写真がカラーになる(笑)。
で、きょうは明治元年10-11月に函館から陸路小樽経由「銭函」までやってきた
開拓判官・島義勇さんの具体的行動事跡の解明であります。
天皇勅願である「開拓三神」を開拓の首府札幌に鎮座させる大命を帯びたかれが、
ほぼ2ヶ月札幌の開拓進捗を睨みながら、銭函—札幌間を往復していた件。
現在のこの間の距離は、銭函駅—札幌駅間でクルマ移動で21.5km。
MapFanのデータでは5km以上は「歩行」データが出ない(泣)。
なんですが、距離は歩行でもクルマでもそう大きくは違いがないと思う。
当然ですが銭函札幌間の道路は当時すでに作られていたようです。
写真は先日紹介した天皇行幸のために開削した小樽—銭函間の
鉄路が敷かれることになる海岸線道路の明治12年頃の様子。
左右幅はなかなかの広さが確保されている。
たぶんほぼ同様の道を、島義勇さんは毎日のように札幌に向かった。
下の図は右に銭函、左に札幌の当時の「地形図」。
真ん中あたりは低湿地が広がっていて、運河水路などもあった。
札幌首府の工事進捗を督励しながら、札幌入りの期日を探っていた。
銭函の民家を借り上げて開拓使「仮庁舎」として使い、吏員も使役していた。
かれの背中には明治帝勅願の「開拓三神」がくくりつけられていたので、
心理としては、国家千年の大命の重大性に慄くようだった。
とにかくこの「開拓三神」安置の座所確保する使命感が強かったでしょう。
武人としてこういう民族的宗教ファンタジーって、やはり重大な部分だと思う。
日本人の倫理観にとってその存在は巨大で明治国家の成立に深く刻まれている。

さてこの21.5kmをどのように往復していたか。
函館からの移動でもウマの用意は十分にあったと思われる。写真も残っている。
札幌への建築資材などの搬入には、開削運河である「創成川」が使われ
大量の木材ストックぶりも写真に残っているので物流ルートは活発化していた。
間違いなくこの21.5kmは乗馬で往復。並足でウマは時速6kmといわれるが、
毎日往復することを考えると時速7-8kmくらいに速歩していた可能性。
たぶん片道3時間程度、往復6時間。かれの日常に具体的実感が出てくる。
日中稼動10時間と考えれば札幌滞在は4時間程度という日常生活。
もうちょっと働くかも知れないなぁ。ただ、この往復時期は11-12月なので、
日が短い・・・。さてどうだったのか、島さん、教えて欲しい(笑)。

【コロナ禍以降の体調管理にも疲れ・・・】


一昨日はすこし頭痛を感じ、手先指先の熱感もあったことから、
早くから就寝し、昨日も午前中いっぱいは念のため静養しておりました。
自己診断としては、鼻の下部分がひげそり負けして皮膚が荒れていた。
それを自然治癒させるべく白血球の体調維持機能がスイッチオンし、
皮膚表面の傷修復レスキュー体制で毒と戦った結果の微熱上昇と想像。
新型コロナ禍最中なので微熱にも用心が肝要。慎重な体調管理が不可欠。
15-6時間の安静の結果、おかげさまで頭痛はなくなり、
トイレでの「排出」は大小とも順調に機能。
センサーとしての循環器系統が活性化してくれば自然に健康復元する。
手先の熱感だけで体温自体は平熱で軽微な体調不良で済んだ。
昨日午後からは通常勤務に復帰しておりました。
体調不良があれば、即座に休みを取って欲しいとスタッフにも言っておりますが、
久しぶりに自分自身にも警告発出だった次第です。

わたしはこれまで定期的に風邪を引いておりました。
概ね年に1−2度はかかりつけの医院で風邪の初期段階で処方してもらい、
かかっても1−2日で具合の悪さは治まるという慣習でした。
まぁ早めに対処して、重症化しないようにするという体調管理スタイル。
インフルワクチンも定期的に摂取するようにしてきています。
それが、ことしは新型コロナの勃発以来、執拗な手洗い・うがいの励行、
外出時にはとにかくマスクをする、生活上で3密を避ける行動管理を行って、
ほぼ1年以上にわたって、風邪を引いておりません。
まぁ、社会全般での注意喚起、予防への意識付けが行き渡っているせいでしょう。
たぶんそういう人が多いのではないかと思います。
日本社会が比較的耐性を維持しているのには、この国民意識が大きいのでしょう。
かかりつけのお医者さんでは、患者数の減少傾向と聞きます。
ことしの冬のインフルシーズンには極端に患者数が激減していたという。
ということですがしかし、油断は禁物ですね。
わたしもそうですが、やはり緊張状態というのは持続は難しい。
社会全体でもう半年以上、こういう緊張状態を続けてきてどうしても緩む。
そういう注意信号なのかも知れないと思いました。

仕事の仕方でもテレワークは今後とも相当長期間の継続を覚悟する必要。
一昨日はそのための設備投資を行うように決定したところ。
気を抜かずに、ウィルスに負けない社会を築いていかなければなりませんね。