本文へジャンプ

【朝倉家家臣の武家屋敷/日本人のいい家⑦-2】



昨日の続篇です。一乗谷朝倉家本拠・中世城下町の家臣の武家屋敷。
きのうは300坪弱の敷地内での機能配置について触れました。
本日は建物としてのメイン、屋敷の主人の復元住宅・平屋24坪について。
図面では右上に「離れ座敷」の記載がありますが、写真不明。

上の写真は土間入口側からの室内全景。
あくまでも「復元」なので歴史考証がどこまで追究されたかは不明ですが、
礎石や土木痕跡などからの考証でしょうから復元建築に準拠取材。
後の世の武家屋敷のように意匠を凝らした「玄関・式台」は見られなかった。
またいわゆる床の間や神聖空間的な座敷も見られない。
間取りも6間×4間という長方形間取りであり、建築合理性、実利優先的作り。
玄関などは「張り出し」とか、基礎形状に変形が見られるのが普通なので、
正長方形の基礎土木からシンプルな建築が想定されたのでしょう。
農家住宅とも似通った実用的な作られようだと思います。
土間側と畳敷き側とで各2間スパンで正確に分割されている。
このあたりの「間取り」については前述のような判断に基づいているのでしょう。
全体として左右均等になって、ハレとケという暮らしの2分法が
建築として明確で、現代住宅と似通った作られよう。
写真右側のケの空間には台所・土間、さらに奥には「納戸」が配置されてる。
この納戸は台所の奥に出入り口も見えることから、食器などの収納をはじめ、
寝具などあらゆる生活用具が集中収納されている。
納戸は木製引き戸での出入りなので、室内各室へのアクセスはかなり便利そう。
分散収納よりも集中収納がこの時代では志向されていたという考証ぶり。
左側のハレの空間は座敷が3間取られている。
現代の合理性とも通用する間取り・木材利用のムダのない様式。
なぜかまな板の上に載せて調理人が魚を捌こうとしているマネキンと
女性が配膳に立ち働いている様も演出されていた(笑)。
土間と連続する囲炉裏配置であり、いかにも暮らしの実用が伝わってくる。
台所の開口部が上下2箇所あって、換気に配慮の様子が見える。
復元ながら建築史的にこのような事例が一般的だったのか、要研究。
台所周辺では煙り出しなどの建築的工夫は古民家でも普遍的。
煙り出しと壁面上下2箇所換気窓、機能性建築装置として面白い。
一乗谷地域に復元された町家との違いは敷地面積の300坪という自立循環性。
広い敷地で自家消費の野菜類を確保できた。
町家は敷地も狭いので、この時代の格差とはそういう機能性だったのか?


しかし総じて非常に実用的で「階級意識」的な部分は感じられない。
戦国期には武家という存在は確立した「身分制」的存在ではないように思える。
このような印象を復元建築からは受けたけれど、考証プロセスも知りたくなった。
そういうなかで唯一の空間的「ゆとり」は南面する縁側。
写真では太陽光反射がキツいけれど、四季を通じての太陽光&熱感受装置。
庶民的・民族的な日光温浴習慣の普遍性を感じます。

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.