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東大寺・金剛力士立像

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木造金剛力士立像(国宝)-高さ8.4メートルの巨大な木像。
門の向かって右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像)、左に阿形(あぎょう、口を開いた像)を安置する。
これは一般的な仁王像の安置方法とは左右逆である。
1988年から1993年にかけて造像以来初めての解体修理が実施され、
像内からは多数の納入品や墨書が発見された。
それによると阿形像は大仏師運慶および快慶が小仏師13人を率いて造り、
吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人とともに造ったものである。
これは、「阿形像は快慶、吽形像は運慶が中心になって造った」とする
従来の通説とは若干異なっているが、いずれにしても、
運慶が制作現場全体の総指揮に当たっていたとみて大過ないであろう。
<以上、Wikipediaより>
大仏のすごさは、実際に行ってみればわかりやすいけれど、
同時に南大門で出迎えてくれる金剛力士像にも圧倒される。
奈良の時代って、なぜ、こういう「巨大さ」にこだわっていたのだろうか?
「阿吽」の形相で、8mを超す巨大さでひとを圧倒するリアリズム木像は
時代精神を表現していたのだろう。
ローマ時代の彫刻のように真に迫った姿はひとを圧倒する。
全国に配置された「国分寺」の総元締めとして、
宗教権威によって国を統一していこうという、日本国家権力の意志を
明確に表しているものでもありますね。
こうした時期の仏教は、今日の葬式仏教とは全然違う、
絶対の法典として、国家を律する戒律という側面が非常に強い。
それだけ、要するに権力というものを民衆に理解させる必要があったとも言える。
なぜ、国家のいうことを聞かねばならないか、
強制力の源泉をわかりやすく民衆に見せるという、必要があったということなのでしょうね。
同時代に中国に成立した随や、唐といった
スーパーパワー「中華」国家に対して、「小華」としての日本国家を
この国の支配層は、強迫観念のように願ったのだと思う。
もし、こういうように「国家」を成立させなければ、
「中華」世界に飲み込まれる恐怖感も、相当に強かったのではないか。
古代世界の政治的・軍事的パワーの緊張感を、感じる由縁です。
そういう意味で、げに恐ろしき、という印象を抱かせられる
リアリズムそのものの力強さを感じる2体の像だと思います。

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