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アイヌの外洋船

記録文字を持たない文化のひとびとの営みは
なかなかそれを跡づけるのが難しい。
北海道に生まれ育ったわたしにとって、この島に住んでいたひとびとが
どのようにこの時代まで生き延びてきたのかは
おのずと強い興味を持たざるを得ない。
他の日本の地域の人であれば、そういう興味はそのまま歴史記録に
表現されていて追体験は容易になっている。
しかし、北海道島ではつい160年前くらいからしか、
わたしたちの直接の民族は時間を持っていないので、
アイヌ、もしくはそれ以前のひとびとに対しては
想像力で向かっていくしか、方法がない。
とくにわたしのような学問的門外漢、素人の歴史好きには
妄想を巡らすくらいしかできない。
そういう疑問の中で大きかったのが、短い距離とは言え、
ほぼ陸地が見えなくなるような地点もある「外洋」、津軽海峡を
アイヌ側、北海道島側のひとびとはどう渡ったのか、
ということへの具体的な船の実相を感受できなかったことがあります。
ところがきのう、靑森市内の「船の博物館」という施設の存在を知り
見学して来て、目からウロコが落ちるように氷塊いたしました。

やはり大型の帆船を操っていたのですね。
それも「ガマ」〜北半球の温暖な地域やオーストラリアと日本の北海道から九州の広範囲に分布する。池や沼などの水辺に生える。〜
の繊維を編み上げた帆掛船だということであります。
船体は基底を構成する部分に竜骨を直交させて、
船べりにも木材を張り付けていって構成していた。
マストに対して帆を掛けて、それをくるくると回転させて
風を利用して海を渡っていたようなのですね。

以前、アイヌの聖地・二風谷では丸木舟しか見られなかったのが、
北海道ではなく、青森県で発見できたというのも
なにか、面白みを感じさせてくれる。
こういう具体的なもので見せられると一発で
枯渇していた想像力にたっぷりの水分が補給されて
知的乾燥感が癒されていくのを感じています。

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