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靖国で感じたこと

きょうはちょっと政治的なテーマです。悪しからず。

ここんところの日本のシステムの停滞を見るに付け、
どうも日本って、独立国家とは言いにくいのではないかと思えてなりません。
アメリカによる占領という戦後史の基底的な出発があって、
外交的独自性のある動きは大きく制約を受けているのが実態。
対中国交樹立に動いたニクソンショックを受けて
田中角栄が、独自ルートで中国との国交回復を実現して
その直後に大々的に金権批判が起こり、ロッキード事件で失脚させられた。
あのとき、あの異常な「金権批判報道」とは一体何だったのか、
あれ以来、対米追従を再度徹底することが基本的な日本権力のスタンスになった。
鳩山さんはたいへんマスコミの評判が悪いけれど、それなりの抵抗は示したと思うけれど・・・。
日米関係が日本外交の基軸だ、という言い方は
要するにアメリカの言うことには、少なくとも国際関係ではなんでも従うということ。
こういった国のありようでは、非常にゆがんだ政治システムにならざるを得ない。
日本のシステムでの「官僚優位」って、
こうした権力構造にその淵源があると思われます。
政治システムは一見、民主主義的に運営されているように見えて
その遙か上位に、アメリカの世界戦略があって、
それに従属することが大前提になっている。
であれば、官僚システムを政治がコントロールするなどというのは、
政府支出の出先についての口利きくらいしかありえないだろう。
アメリカの支配体制の衛星的国家群では繰り返し「腐敗」が問題とされてきたけれど、
日本の政治権力というのは、戦後、おおむねこのように運営されてきた。
独立的権力行使や、国家関係の中できわめて「国家戦略的に」判断するということが
あらかじめ失われている権力は、必然的に腐敗くらいしかすることがない。

そんなことを漠然と思い始めていて、
そのように見切ってしまえば、これは出口なしとしか思えなくなる。
欧米国家間の独立的な外交関係を国際関係のひとつの理想と考える思考があるけれど、
そしてそれを対岸の理想として、わが国を卑下するマスコミ論調というのがあったけれど、
なにをかいわんや、だと思う。
そういう独立的な国家戦略など、アメリカは日本に対して認めていない。
そして日本のマスコミは、むしろこうしたアメリカ権力迎合一辺倒で来たのではないか。
こうした閉塞感から、日本独自な権力の志向を考えてみたくなって
靖国神社に初めて行ってみた次第。
どんな論理構築をしているのかと、確認してみたくなったのです。
国家のために殉じた命を奉っていくこと自体は、当たり前のことだと思う。
しかし、展示を見終わって残った感想は、短絡的な国粋主義としか感じられなかった。
案外中国からの観光客が多かったのが印象的というくらいでしょうか。
やはり圧倒的なアメリカの影響力の中で、
もっと冷静な日本の国際戦略を考えてみるべきではないのか。
ただエネルギー政策でも、日本は独自に動くことを禁じられていると思う。
原発がなかなか動かなくなって以来、
日本のエネルギーは完全にアメリカの戦略に制圧されているという声がある。
ある大学教授によれば、国際相場から見て大変高いコストを支払わされているという説。
・・・なんとも暗澹たる気分になってしまう。
しかし現代の国家安全保障とは、間違いなくエネルギー戦略そのものであることは
きわめて明白ですよね。
結局、靖国が戦争終結から思考が止まり続けているように、
戦後の日本政治システムは、一歩も独自には歩んでいないのではないでしょうか。

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