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【上り坂・くだり坂、そして「まさか」】


人生を表現してか、あるいは企業経営を指してか、
よく言われるコトバ。まことに昨今は深く噛みしめさせられる。
戦前期を生きた人びとにとって、戦争・敗戦は「まさか」だったのだろうか。
国際紛争、戦争も含め個人の人生に「他動的な力」は不可抗。
考えてみれば戦争という民にとっての不可抗力は、日本史でも
江戸以前までは日常的だったことでしょうね。江戸期が奇跡だった。
わたしのように昭和中期に生まれてから今日まで生きてきて、
ありがたくもほぼ一貫して平穏な時代を生きてきたけれど、
核兵器という「抑止力」が働いて、核保有国同士の破滅的戦争は
可能性が非常に低くなって推移してきたその結果だけなのでしょう。
たまたま日本はアメリカとの間で同盟関係が続いて
強い抑止力として機能したのでその選択はおおむね良かったのでしょう。
しかし人類が全死する手段・兵器を持ってしまった以上、平和は均衡としての
それにしか過ぎず、理想論幻想は民の平和リテラシーを迷妄させる。
そうした均衡バランスは確保されていたけれど、しかしオイルショックもあり
その直後に就職して社会人になってからも、バブルの崩壊があり
リーマンショック、IT化の急進展がありと「他動的」要因はあり続けた。
そして「まさか」の東日本大震災が勃発した。
わたし人生的にはこの東日本大震災が最大のターニングポイントだった。

「あ、揺れている」と遠雷のような地揺れに身を委ねていた。
事務所の自分のデスクに座りながら、それ以上の行動を取れることなく
やがて揺れが収まって、情報を集め始めたら、
東北の状況が徐々に把握できるようになっていた。
ちょうど東北からの団体のお客様も数日前に接遇したところであり
わたし自身も、2日後に仙台に出張フライトを予定していた。
2日後、岩手県で仕事の予定があったのだ。それに合わせて
いろいろな企業先にアポも入れていた。
やがてテレビで仙台空港への津波の様子が映し出されるようになった。
2日違っていれば、あそこに自分がいたのかもとは、そのとき実感しなかった。
むしろ2日後までには水も引いているかなぁ、くらいに考えていた。
・・・そこから、「まさか」というコトバに実感が伴っていった。
その後、復興支援活動など無我夢中で東北に関わっていったけれど、
やがて落ち着きを取り戻すようになって、人生にはどうしようもない
他動的不可抗力というものがあると、深く胸に沈殿していく思いがあった。
これでこういう体験は終わりだとも思った。

しかしことしの、一向に沈静化の兆しの見えない状況も再びの「まさか」。
東日本大震災からの動きも時間経過とともに日常化して
それもまた与条件と客観化できるようになっていったけれど、
またふたたび、日常性を大きく毀損させる事態が、収束しない。
移動の自由が大きく毀損してそこからのビジネスの突破口は不可欠。
昨日もあるWEBセミナー、というか結局は売り込みセミナーを聞いたけれど、
手法として手詰まり感は否めなかった。確かにWEB利用プレゼンだが
自社だけにメリットがある内容を押しつけられるのは、受け手としてはツライ。
コミュニケーションの基本として、win-winの関係構築が
こういったWEB利用では非常に難しいのではないかと思われる。
対面でのコミュニケーションであれば、情報交換が相互的でwin-winで
進行させられる部分が強く、その上で「信頼」を得ることも可能。
WEBコミュニケーションは貴重だけれど、人間同士の信頼関係構築では
非常に難しいと思わざるを得ない。
・・・不可抗な他動的「非常」体験が、こういった部分でまで発生するとは
本当に「まさか」という思いが強くなってくる。ある意味核に匹敵の威力・・・。
しかも新型コロナ禍、ここに来て一段と猛威をふるってきている。
なんとか沈静化をと、祈る思いが募っています。

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