本文へジャンプ

タテ割り社会とマスメディア

縦割り、っていうと、日本の行政の非効率の代名詞として
よく耳にすることが多い言葉です。
しかし、現実的にはどんなに言われようが、
頑強にこのスタイルは根を張っており、
ひとり官僚機構だけの問題ではありませんね。

建築に関連する日本の工学部構成も
構造から、環境、歴史、デザインなど
幅広くなっていて、それぞれが独自的になっている。
研究についても、それぞれが独立的に問題を追及するような
そういった構造になっているようです。
そういうなかでは必然的に、進歩や開発がずっと進展する領域もあり
また逆に、なかなか進まないような領域も存在する。
それらが、しかし、並列的にその存在感をアピールする。
そういうことは、まぁいいと思うけれど、
困るのは、それらに優先順位を付けて
整理して、限られた予算なりを「仕分けする」システムの不備。
近代の社会システムが進めば進むほど、
こういうことへのニーズが高まっていく。
まぁ、学問の領域でも、
お互いの専門領域への配慮が働いて、
ほぼ均一な優先配分が実態的には行われてくるものなのでしょう。

中央省庁での政治的優先順位も
ほぼ同様に行われてきているので、
やはり、そういった機能を果たすのは政治の役割となる。
国家の基本的な方向性を決めるのは
やはり政治の決断にゆだねられる部分が大きい。
その「国家意志」において、日本は
アメリカのように4年間とか、
中国では事実上、8年間とかというように
権力の固定的な期間設定があり、
そのなかで「強い権力」が機能するようになっている。
久しぶりに日本の科学技術の優位性を示してくれた
小惑星探査機「はやぶさ」だって、7年間という時間のなかで
ようやくにして、大きな成果を得ることが出来たのです。
権力争奪ゲームが、どうもどんどん枝葉末節の部分になっていくことは
その「監視役」であるマスコミが、
大きな方向性というモノを考えられず、
ひたすら目先的なお金の問題で政治の足を引っ張ろうとしすぎなのではないか。
どうも、その存在意義が一番問われているのは
マスコミであるように思います。
狭い論議の中で、集中豪雨的に特定のことがらに
拘泥する日本のマスコミの習性では
骨太な国家戦略や、意思形成は計れないと思う。
いま、日本でなにが一番重要で、集中的に考えなければならないこと
そういうことに、もう少しマスコミも責任を負うべきだ。
今回の国会では、地方テレビ局の衰退への処方箋的な法案があり、
結局は廃案になりそうなんだけれど、
マスコミといっても、そういう存在なんですね。
もっと、マスコミの役割について
開かれた論調や、その役割をチェックするようなものが
現れてくるべきだと思う。
社会の中で、優先順を付けて論議するという
いわば、「社会の編集」的な役割をこそ、
マスコミはアピールすべきではないか。
大きな発行部数と、読者数を誇るだけではなく、
そういう読者に冷静に、情報を再構築させるような試行を
大いにやっていくべきではないのか、と思います。
新聞は、広告の減少が経営を直撃している現状ですが、
そういう意味では、生まれ変わるような改革のチャンスでもあると思う。
タテ割りにがんじがらめになっている社会の現状を
読者や一般の世論というなかから改革していく、という視点を
ぜひ持って欲しいものだと思う次第です。
<写真は口蹄疫問題に揺れる宮崎の空港>

北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.