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失われた20年を超えて

きのうは甥の結婚祝賀会に出席。
わが家では、坊主も出たいということで、3人で出席。
久しぶりに会う兄弟や、親族のものたちで、
楽しく打ち解けた時間を過ごすことが出来ました。

日本は経済運営がきわめて厳しくなってきて、
わたしの親たちの世代が過ごしてきた時代とはいまは
一変したような厳しい状況が続いています。
結局、東西冷戦やバブルの崩壊以降、
日本社会は、一度も長期的な国内論戦を起こせないまま、
対症療法的な「経済対策」を繰り返してきて
出口の見えない状況の中を彷徨い続けてきている。
そういうなかで、地方は人口減少が加速し、
夢を持ちにくい状況が進行し続けている、というのが実態。
やはり、戦後復興期から続いた成功体験が
その後の足かせになっているということなのでしょうか。
いまは、冷静に見て、
インドやブラジルといった赤道付近の最多人口集中地帯と
「資本主義社会」がフラットになっていっている過程。
モノの値段は、限りなくそういう巨大人口サイズで通用するレベルに
向かっているし、そういうところに
経済の基本構造をフィットさせていかなければ生き残れない。
単純に言えば、モノの値段は下がり、
製造して得られる利益も世界標準レベルでしか挙げられない。
しかし、情報などの格差は一方で拡大していく。
どうもそういう世界になったのに、
日本人はまだ、過去の幻想の中から抜け出せないでいる。
そういうことなのだと、感じることが多くなってきています。

でもそういうなかでも、
わたしたちの子どもたちの世代はアジャストして
生き延びていかなければならない。
どうも国レベルでの成長というような、
淡い幻想は早く捨てて、
もっと小さいサイズでの、自分たちの生活は自分たちで守る
そういう視点こそが、一番大切なのだと思えます。
過去の高度成長が、どうも「みんなでいっしょに幸せになる」
っていうような「国家共同体幻想」を生み出してしまって、
それがうまくいかなくなってきて、
それは、政治の責任だとか、官僚が悪いとか、
なにが悪いとかと、他者責任のように押しつけようと考える
風潮を生んでいるのではないか。
でも、そういうことをたき付け続ければ続けるほど、
日本の出口なしもまた、大きくなるように思う。

そんな時代にもかかわらず、
自分の生まれ育った土地や地域にこだわりを持ち
そこに根付いて生きていきたいと考える若者も多い。
その難しさのなかにずっといて、
こういう時代の真ん中で生きてきたわたしたち年代にしてみると、
まことにみごとな覚悟を持っているんだなぁと思います。
こういう若い年代の人たちと
力を合わせて、少しでも良くなるように頑張っていきたいと思いました。

北のくらしデザインセンター
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