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【安藤広重「東海道五十三次」傑作、特異な気象2題】


会合の合間時間を利用しての美術鑑賞。
江戸東京博物館で、安藤広重・東海道五十三次展示があったので参観。
展示されていたのは18枚の刷り原画でした。
江戸期の、やや赤みがかった紙に職人仕事で刷り上げられている。
本体画面はだいたいA4くらいの大きさのようでした。
スタート「日本橋」から、最後の「京師」に向かって展示されていた。
わたしは、この安藤広重・東海道五十三次は子どもの頃に好きだった
永谷園のお茶漬け付録で惑溺していた(笑)。
あの永谷園のお茶漬け付録広告企画が出版広告人の人生選択に繋がったのか。
そんなふうにも思える広告シリーズでした(笑)。
たしかに今でも永谷園のお茶漬けはふつうに買い求めるけれど、
子どもの時には、付録と本体、どっちにより魅力を感じていたかは
自分でもよく分からないくらいでした。

で、その五十三次の絵柄の中でも、
この「庄野」と「蒲原」の2枚が入っていると、無上にうれしかった(笑)。
安藤広重・東海道五十三次でもベストセラーだったとされていて、
日本人の美術鑑賞のポイントが明瞭にみえるのかと、興味深い。
ほかの五十三次絵画と、この2枚があきらかに違うのは、
その絵画対象として、気象条件を折り込んでいること。
それも、温暖地「蒲原」〜現在の静岡県静岡市清水区で、15番目の宿場。
ここで大雪が降るという情景を描いている。
一説ではこの絵を描いた当時、江戸で夏に雪が降った記録があるとされる。
そういう背景があってのことではあるでしょうが、
たぶん浮世絵画家として、「あの蒲原で」という鑑賞側が抱くだろう意外感や、
世相を捉えてのキャッチを意図していたに違いない。
そうした画家としてのセンスが、「庄野」ではさらにダイナミックに展開し、
まるで黒澤明「七人の侍」での雨中の激闘場面さながらの
劇場的な場面構成として、横殴りの大雨を主役に抜擢している。
とくに右下の坂道を転げていくかのような人の下半身は真骨頂。

なぜ、こうした画面テーマについて日本人は大きく反応するのか。
世界でも稀なほどの明瞭な四季変化をもつ、
この東アジア弧状列島において、人間は季節変化についてその感受性を
長い時間を掛けて、その部分を発展させてきたのではないか。
花鳥風月とかの独特の感受性表現は、
こういったことを根拠にしているのではというように思える。
大雨にあってダイナミックな走り方で坂道を走って行く臨場感は、
まさにさもありなんという、肉体的な感情移入を見る者に起こさせる。
その感情移入があることで、あらためて画面が際だってくる。
日本人としてこういう気象条件への独特の感受性が
大きなコミュニケーション要素なのではと思わされるのです。
現代でも災害は頻発し、台風シーズンには各種メディアが
競い合うように情報と、被害の情報を伝え合うし、
そのことが列島社会での情報アイデンティティになってもいる。
自分もそうした「一般的日本人」的な感受性を共有していることが、うれしい。

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