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【尾形光琳「風神雷神図」に耽溺する時間】

東京への出張は今回は2日間だけでしたが、
都内で動き回るだけでも、あちこち「句読点」は打てる。
東京国立博物館では、表題の重要文化財が展示されておりました。

で、この手の展示としては稀有なことに遭遇。
なんと、この「風神雷神図屏風」については、写真撮影OKということ。
まぁダメ元で係の方に確認したのですが、
思いがけず、OKのお答えをいただいたのです。
ただしフラッシュなどはもちろん展示の妨げにもなるので禁止ですが、
最近のiPhoneはカメラ機能も向上している。
その上、写真への修正ソフトも持っているので、
たのしく撮影させていただき、その後空いた時間でMacに向かって
この愛着のある画像素材を扱いながら、わたしだけの「重要文化財」を
あれこれと、まるで画家と対話するように、
拡大して細部ディテールまで、その筆遣いの様子まで楽しんでいます。
最適の明度であるとか、画像修正することで、
いろいろな「分析的見方」が可能なような気がします。
絵画の鑑賞もまた、大いに「進化」してきているといえるのではないか。
デジタル技術、ツールが進化することで、
絵画鑑賞の「耽溺」領域もまた、大きく拡大してくる。
世界的にはこうした人類的美術資産展示にあたって、
撮影許諾が基本だと思いますが、日本では管理者側の規制がきびしい。
デジタル技術の時代には、その鑑賞の仕方も機能進化・拡張している。
どのような社会ルールがふさわしいものであるか、
一度、論議を起こすべきではないかとも思われますね。

そもそも、この尾形光琳「風神雷神図」は、その先達・俵屋宗達作品への
リスペクトに基づいた「完全コピー」でもある。
現代的な知的所有権思想から考えれば、これ自体が「問題作」。
俵屋宗達さんにしてみれば、顔も知らない第3者である尾形光琳が完全摸作し、
歴史の一時期に於いては、それの方がはるかに名声を獲得していた。
知的所有権侵害で、俵屋さんは訴えてもいいことでもあるのですね。
わたしたち後世の人間は、しかしこの絵に込められた
日本人的なある精神性をそこから感受させられる。
デジタル画像処理作業そのものが、一種の鑑賞行為の変形的発現でもあり、
同時にそれがあらたな気付き、創造意欲の再発見でもある。
そんな思いを感じながら、ゆたかな一時を過ごしております。

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