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「道」の国・ニッポン

1981

日本人と道、ということについてわたしは
なぜか、ずっと考え続けているように思うのですが、
先日、中国の方が書かれている文章にめぐり会った。
”中国の「道」と日本の「技」”と題された文章で、
中国社会科学院 李兆忠という人の書かれた文章です。
http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/fangtan/200108.htm/
つい面白くなったので、長いけれど要旨を以下に載せます。

中日両国の文化を比較すると、非常に興味深いことに気づく。
中国の文化が日本に伝わると、厳格な儀式を受けて、
実にかしこまった雰囲気になるということだ。
中国の書法が日本では「書道」に、
中国の茶芸が日本では「茶道」に移り変わった。
日本には数えきれないほどの「道」があり、
日本が「道」の国だということがわかる。(中略)
古来より、中国の優れた文人や画家たちは、
技巧を取るに足りないものだと見なし、
それを誇示することを否定した。
また職人を軽蔑し、才能やセンスに欠けた作品を
「職人臭」があるとしてけなした。(中略)
日本人は優れた技能を持つ「職人」として名高く、
その職人気質の意識は、深く人々の心や血液の中にしみ込んでいる。
職人の最大の特徴は「優れた技能を会得するため絶えず努力し、
名誉を命のように大切にする。(中略)
さらに注目すべきなのは、仕事に全身全霊を傾ける中で、
自我を超越することだ。(中略)
目標に向かい、全力で追求する精神があるからこそ、
日本人は他の民族に真似できないことを実現した。
日本が欧米に「追いつき、追い越せ」とばかりに自国の製品を
世界各地に輸出し、「技術立国」となったのも、
この職人気質と深い関係がある。(要旨抜粋ここまで)

似たような見方は、わたしがこのことを考える契機になった
司馬遼太郎さんの書かれた文章にもあります。
どうやら、日本人にとっての道、という概念は
世界的に見て、やはり特異な心理構造と言えるのかも知れない。
そして今後、グローバル化がもっと進展していくとき、
日本人は、こういう違いをよく認識していた方が良いかもしれないと
そのように思うようになって来ました。
わたしたち日本人が、まるで血肉のように考えていることは
全然グローバルではないのだと言うことを。

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