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ニッポンの家づくり、家族づくり

1884

知人から「入籍しました」という知らせがきた。
無性にうれしい。
両性が合意し、結婚することから始まるものがある。
というか、こうした報告には、あたらしく何かをはじめようという
静かだけれど確固とした意志を感じて、うれしい。

最近、歴史書を読んでいて
欧米的な現代的価値観の基本には、「個人主義」があって、
日本人は、伝統的な法人としての「家」意識から
脱亜入欧精神とともに、この個人主義を受け入れるなかで、
さまざまな変化を受容してきたことに
いまさらのように目を開かせられる思いをしておりました。
それまでの日本社会は、家を基本にして、その上位に「ムラ」社会があり、
その上部構造として「公儀」という秩序があったといわれる。
ひとびとは、個人としての生き方を生きたのではなく
なによりも、法人としての家の利害に必死に生きていたのだと思う。
家の存続のために、死を持ってすら「奉公」する生き方を生きていた。
そういうときに無条件の前提になっていた「家」は、
古代社会から引きずってきている氏姓制度のようなものだった。
ある血縁集団として、生き延びていこうとする意志のような。
そのためにひと一個の人生が存在した。
わたしたち年代以上の人間には、
こういった意識の残滓のようなモノがまだ生きていると感じる。
でもだんだんと、法人的な家感覚は消えていくことは間違いない。
そういうなか、個人主義が基本になってきても
やはり「家族」という基本単位の強さ、確かさというものもある。
それを紡ぎ出していこうという自然な人間心理も存在する。

ある仲間内で、独身であることを
みんなからうらやましがられ、あるいは心配され、
好青年として印象されてきたひとの結婚であります。
高断熱高気密住宅・工務店経営のかれの「換気」に掛けたあいさつのコトバ。
「まだ同居はしてませんが、
彼女が1日いるだけでも家の中の空気が違うことに驚いています。
1種とか3種とかそういう問題ではありません。」
なかなかの表現力に感心しております(笑)。

ニッポンはまだまだ、発展していくような気がしてきました。

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