今回の広島出張での休日の楽しみ、きのうも書きましたが
やはり血の中で瀬戸内海的な世界にDNA的に反応する部分があります(笑)。
なかでも数年前にはじめて神楽に触れてから
その魅力に圧倒的に逆らえないモノを感じております。
囃子の笛太鼓が醸し出す独特のリズムが、日本人としての心性を揺らしてくれる。
素面と仮面の劇中人物が、劇的に交わりつつ、
そのリズム感の中で舞い踊る。
きらびやかで鮮烈な衣装や、オロチなどの大道具のおどろおどろしさ。
劇としては、非常に単純化されていて、
プロレスのようにわかりやすい勧善懲悪的価値観のここちよさがある。
そうなんです、まるでプロレスだと思うのです。
オロチにしろ、鬼夜叉にしろ、わかりやすい悪役が
正義の味方と、この世ならぬめずらしき劇的世界を生きる。
たまらない民族性、民俗性が立ち上ってきて、抗いがたい。
いま、広島を中心にした中国地方では
この神楽が深くブームとして継続しているのですが、
なかなか全国的な広がりになっていかない。
たぶんテレビでやっても、このおもしろさが伝わりにくいということなのでしょう。
やはり劇場のような空間共有装置が、その空気感が不可欠なんでしょう。
わたしもDVDとか、買ってきたけれど、
これはまったく食指が動かない。
やはり、自分の身の回りの空気も劇を盛り上げているのであって、
この「臨場感」が、日本人的な「祭り」の世界を思い起こさせてくれる。
祭りは、政でもあった長い時間がそこにあって、
いま、神楽が題材としているモノも、
あるいは浄瑠璃とか、能とか、歌舞伎でもそうだけれど、
ある時代においての「劇的事実」として、政治的な現象を題材としたものが多い。
多くの人が知っている、あるいは知りたいと思っているゴシップの世界に
こうした政治現象が題材として適していたのでしょう。
能や浄瑠璃以降には、その政治現象の中での
「義理と人情」の葛藤をメインテーマとする、より「劇的」なモノが多いけれど、
神楽においては、もっと初源的なのだと思います。
面白きこと、珍しきこと、あたらしきこと、が
よりわかりやすく展開されているように感じられます。
こうした地域的な文化として息づいている神楽、
年に数回は東京では公演されているようですが、
北海道では、想像も付かない。
弘前の津軽三味線と並んで、日本の「地域文化」の華なのではないかと
憧憬の思いで、劇的世界に酔いしれております。
Posted on 11月 21st, 2013 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究
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