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【Macノート再生でブルースクリーン遭遇】


全国の事業所、多数を占めるだろう中小企業では
パソコンの管理や社内システムの管理更新といった業務は難しい領域。
DTPというパソコンによる工程管理がいちはやく導入された出版関係。
わが社でもパソコンは必須の作業環境になるので、
その管理についてはいろいろ悩み続けるところであります。
機械なので経営資源ということであり、
それらをしっかりとメンテナンスして、ながく使い続けて
適材適所を考えていくのは、現代の仕事環境では不可欠の基本部分。
今回は現役バリバリの機種で内蔵HDが認識されなくなったヤツと
もう1台は、ほぼ似たような経緯で使わなくなって1年放置していたヤツを
仕事の合間時間を見て同時にメンテナンスに取り組んだ次第。

ノートPC(Macですが)の内蔵HD、SSDって、
その記録装置自体の寿命などが原因で取り替える場合が多かったのですが、
そうではなく、ロジックボードと記録装置をつなぐケーブルが
故障してしまうというケースも多いようです。
1台の方でそうした推定が確定したのでAmazonで1,500円程度の
代替部品を購入したのですが、そのついでに
以前から動かなくなってしまっていたヤツにもやってみようとなったのです。
こっちの方のケーブルは2,800円ほどでした。
きっかけになった方のヤツは若干面倒な手順でしたが推定通りで
交換したらあっという間にフル元気に復活してくれた。
一方でさすがに1年近く放置していたヤツは、カンタンにはいかなかった。
最近は応答速度を速めるのにSSDタイプ、あるいはフュージョンタイプの
記憶媒体が増えてきていて、最初うっかりそういうのを入れてしまっていた。
ケーブル交換でたしかに記憶媒体は認識されるようになったのですが、
最初は認識できなかった。思い直して、古いタイプのHDDに換装させたら、
こちらでは問題なかった。こういう推定は経験知ですね。
しかし、その記憶媒体にシステムをインストールするのに手間取った(泣)。
こういう場合Macでは「移行アシスタント」というソフトが一般的ですが
どうもうまくいかないのです。
そこでWEB経由での「復元」を試みたところ、波瀾万丈の連続(笑)。
こういう作業は通常業務を終えた時間帯に、それも時間が掛かるので
ふつうは寝ている間に、機械が勝手にやってくれる。
ところが今回はさすがにブランク長い機種だったので、
途中でなんども生死の境を彷徨っていた。こっちも寝ぼけ気味だったけど(笑)。
上の写真右上のようにはじめてMacのブルースクリーンまで見てしまった。
Appleの電話でのヘルプも頼んだのですが、その後、
再度試みていたら、なんとか無事に自力で復元完了してくれた。
OSとしては、5年前くらいの段階のものまでは復元させられたのですが、
この機種の最新である2年前くらいまで行くのは、また生死の境目のようです(笑)。
とりあえず、そこそこの仕事はこなせる環境だろうということで、
どうせ予備バックアップ用なので、これでいまはヨシとしました。

PCが一般化してから30年以上。経験知という
老兵は老兵なりの活躍の仕方があり始める、と思わされますね。

【建具造作がもたらす空間の味わい】



つくばの「里山住宅博」を見学して来たもので、
ここのところ、そのことをブログ記事で書いていると本州地域のみなさんから
いろいろな書き込み。ツッコミをいただいて楽しく書かせていただいています。
一昨日も玄関窓に嵌め込まれた「格子建具」を題材にしたところ、
新潟のオーガニックスタジオ・相模さんからツッコミ。
「北海道は、ほぼ左官職人と建具職人が絶滅したとお聞きしてます。
なければないでいろいろ考えるのが北海道の家づくりかなと思いました。」
ないことはなく、左官職人さんで建築工事まで手掛ける方もいるし、
わが家では玉砂利洗い出しの仕事をお願いしたこともある。
建具工事でもいろいろ面倒なお仕事をお願いもしてきている。
ただ、全般的には北海道では、絶滅危惧であることは事実。
そういうなかで「里山住宅博」で見学した建築家住宅2例では
それこそ建具工事が主役かと思われるほどにキモになっていた。

写真は堀部安嗣さんの住宅例からですが、
家の真ん中の吹き抜け空間に、きわめて印象的な室内窓があった。
白い塗り壁のなかにどうやら引き違いの窓がある。
こういう引き違いの窓って、
北海道では一般住宅ではほとんど見られなくなってきている。
<読者の西山裕幸さんから「無双窓」とお知らせがありました。感謝。>
室内窓では観音開きの建具をたまに見る程度。
引き違いのこういう手の込んだヤツはまず見掛けなくなった。
本州地域の住宅取材ではときどき見掛けることはあるけれど、
北海道ではそれこそ歴史的建造物、わが家周辺では
150年前ほどの開拓時期に建てられた「屯田兵屋」で、
こうした木製開口建具が造作されている様子を見る程度。
そういう建具が150年も経っているのに、
いまでも現役で元気に引き違いの役割、機能を果たしている様子を実感すると
このようにイマドキの窓が耐久性を持って存続するのだろうかと
ふと不安になったりもすることがある。
それは異種素材、木材と金属が複合して機能を果たしているものが、
ほんとうに長期間にわたって、持続可能なのかどうか、
イマイチ、信じられないという心理が働いてくるのですね。
木製建具の場合には、職人仕事として一工程で済んでいるけれど、
これらの現代装置類は、複数の工程になっているので、
メンテナンスが難しいのではないかという不安がよぎってしまう。
この引き違いの建具を実際に動かしてみたけれど、
過不足なくスムーズに稼動して、あとは木の機能劣化だけが「按分」される、
そういうわかりやすさが伝わってくる。
北海道のようにこうした建具仕事が絶滅危惧に瀕してくると、
こういった建築表現のありがたさ、すばらしさに目を見張る思いがする。
なにより職人さんの手仕事感が住み手にジカに感じられる部分。

さて、相模さんが言うとおり
「なければないでいろいろ考える」ことが本当に地域としてできるのか、
まさに「試される大地」(ちょっと前の北海道の地域キャッチフレーズ)かなぁと、
本州地域からの叱咤に聞こえた次第です。

【新築後28年で初めて外部汚水管位置を確認(恥)】

2日前にわが社オフィス部分2階のトイレの詰まりが発生。
これは昨年のリフォーム前からこの位置にあるヤツで、
便器はそのときに最新型のモノに交換しておりました。
隣接して新しく作ったトイレの方は別に詰まったりはしていない。
ということなので、メーカーさんのメンテに連絡して
一昨日、見てもらっておりましたが、
どうも要領を得ないで、「外部の汚水管で詰まっているのでは?」という見立てを
報告していただいていた。
そういうことなので、昨年のリフォームも頼んだ懇意にしている工務店にヘルプを。
で、昨日午後、配管詰まりのプロに来ていただけました。

一昨日にはメンテのチャックをわたしはしていなかったのですが、
そういう経緯なので、付き添ってチェックさせていただいていた。
で、いくつかの外部のマンホールを開けていった。
わが家の前面側には都合5箇所のマンホールがあることは確認していた。
それらをチェックして異常は特段見られない。
そこでわが家建物外周に沿って、バール状の器具を使って「犬走り」を突っつきはじめた。
さすが、なにをするのか、プロの仕事は予測が付きにくい(笑)。
でも、そうやっているウチに2箇所の「隠れていた」マンホールを
みごとに探り当ててくれた。まことにココほれワンワン状態。
写真の箇所は最後に探り当てたもっとも件のトイレに近い場所。
そこでも特段の詰まりは発見できない。
で、実際にトイレから排水させて、各トイレの配管経路特定にとりかかる。
そういう結果問題発生している経路があぶり出された。
どうも、問題発生の経路区間はそう長くはなく、トイレ周辺であることがわかった。
で、再度、問題のトイレに戻って、プロの方が専用器具を使って
トイレ直近の配管部分を清掃してみて、特段の詰まり箇所は発見できない。
「であれば、」ということで、問題のトイレで排水させてみたところ、
みごとにトンネルが開通してくれた!
その後、確認のためにトイレットペーパーを数回、各所から流して
いずれも正常に動作されていることを確認させていただいた。
最近のトイレの方が「節水」機能の強化ということから
一部経路にボトルネックが生じやすくなっていて
そこに「大量の」ペーパーを使ったりすると、詰まり発生確率が高まるとの説明。
いやはや、いろいろ勉強させられます。
2回2日間にわたってのメンテでしたが、トイレ配管だけに「奥が深い」。

そういうことでメデタシということでしたが、
こういう機会があってはじめて外部汚水配管経路が特定されて、
今後のメンテナンスにたいへん大きな知識を得られました。
プロの方からは「冬場になると大変なんですよ」という声を聞いた。
外部マンホール位置については、住まい手も知識を持つべきですね。ふ〜〜。

【木製建具がもたらす暮らしの陰影】

家って、結局は外界とは違う環境を作り出す営為。
人間生活には絶対に明るさが必要なので、
それを外部から取り入れたり、照明計画を考えたりする。
外部から光を取り入れるには、窓を必要な箇所に開けることになる。
窓を開口させれば、その先にどんな景色が広がっているかが
ポイントになるでしょう。
その家の立地環境でのいちばんいい眺めを居間には取り込みたい。
人生でいちばん永く過ごす視線環境を自分で選択できるのは醍醐味。
それ以外の場所では、ケースバイケースで
見たくない箇所では明かりだけを取り込んで曇りガラスを入れたりもする。
とくに都会のなかでの周辺環境では制約も大きくて
高い位置に横長の窓を取ったりして、外部視線との了解点を探す。
そういうやり繰りが通用しなくなってくると、
半分視線を遮り半分は採光するような、木製建具を考えたりもすることになる。
写真はつくばの家の伊礼智さんの住宅事例。
ここは「里山の家」なので、たぶん関東の一般的な住宅与条件よりも
視界環境はかなり恵まれているでしょうが、
玄関を入ってすぐ右手の採光窓にこのような建具が付けられていた。
木製建具が入っていて、まさにウチとソトの境界を仕切っている。
玄関に入ってすぐということは、心理的にはそういう境界を意識する。
いわゆる「結界」という心理の区切りに位置しているのですね。
そこでこうした陰影という採光装置で「迎えられる」ワケ。
わたしはこの家には2回出入りしたのですが、
その両方で、「あぁ、ここに格子建具がある」と気付いていた。
こういう格子の建具というのは日本人にはなにか、ネイティブな感覚を呼ぶ。
京都町家の格子の連続による街並み景観にも似た
そういった感覚の部分が揺さぶられるのかも知れない。

こういった建具を使った空間デザインというものが、
本州地域ではかなり根強くあり続けていると思う。
北海道では、こういった建具仕事はなるべくキャンセルさせたい右代表でしょう。
というか、建具屋さんという職業領域自体が存続を危惧される。
しかしニッポン的マインドには、こういう建具による「中間領域」、
かなり重要な存在感を占めているのではないだろうか?

【破風の厚みに見る地域特有のデザイン感覚】


写真は北海道の伝説的な住宅設計者の倉本龍彦さん(上)と
今回見学して来た里山住宅博つくばの堀部安嗣さん(下)の破風外観。
わたしは当然、北海道の住宅取材の経験が長いのですが、
本州地域の設計者には、この破風を
なるべく軽快にみせたい、薄く仕上げたいというケースが多いと感じます。
北海道の設計者では、そういうこだわりよりも
住宅の安全性重視でより「重厚な」破風をデザインするケースが多い。
北海道の設計者、なかでも倉本龍彦さんは「和風」を意識した作風でありながら、
この写真のように、やや重い雰囲気を作っているケースが圧倒的。
印象としては、ゴチック文字と明朝文字のようなデザイン表現の違いを感じる。
北海道はシャープさというようには容易には志向しないけど、
本州地域では、できればそうしたいみたいな部分を感じる。

北海道の設計者でも、和風という伝統デザインを重視したいひとは多いだろう。
しかしそういう人たちの実作では、あまり破風の厚みを気にせず、
重厚で性能防御的な仕上げに対してこだわりを持っていないのは、
やはりそれだけ、いろいろな気候条件に対しての配慮なのでしょう。
単純に積雪荷重への配慮、断熱厚みの確保からの必然性など、
いくつもの「要因」がそこにはあり、本州ではキャンセルもできるということかと。
しかしこのことは、表面的なデザイン感覚を競うような場合には
マイナス的に働くことは否めないのだろうと思う。
軽快感対彫りの深さ感という違いを同じモノサシで比べているみたいな。
なによりそうしたデザインコンテストの選者自体が、
本州以南的な常識感覚を持っている場合が多いので、
より市場性の広い感覚を中心に選んでしまうケースが多いのだろうと。
で、北海道独自の高断熱高気密、きびしい気候条件対応のなかでの
住宅デザインは、もうちょっと違った価値観であるべきだと感じて
わたしは、北海道スタイル的な住宅デザインの市場的進化を
表現するような動きを積極的に取り上げてきたように思います。
デザインもまた、より大きな地域性を表すのではないかと。

ということでわたし的には、この破風の厚みというのには
それほどデザイン性を強く感じない環境で仕事してきたのですが、
さてこのように比較して、みなさんはどのように思われるのか、
かねがね、知りたいなと思ってきたところです。
いかがでしょうか?

【トウモロコシはやっぱ、北海道だべさ!】


わたしは年寄りなので、あさは早起き。
週末になると、朝早くに市場に行って1週間分の食材購入が楽しみ。
ふだんはカミさんと楽しんでいるのですが、
きのうはわたしひとりに役目が振り分けられて行っていました。

で、場内アナウンスで「ことし初入荷の北海道産とうきび」の声。
あ、看板に偽りありですね、標準語としてトウモロコシとも言うのですが、
やはり北海道ではトウキビの方がポピュラーな気がします。
「2Lサイズで1本、99円!」というこれでどうだ、の価格設定。
おお、と反応しまして、人混みを掻き分けて売り場に行って見たら、
もうすでに段ボールの残骸だけになっていた(泣)。
どうも、あっという間に完売した様子。
「う〜〜む」と残念がっていたら、店の方がすぐに補充してくれた。
ということで2本ゲット。
ホントは「朝もぎ」というアナウンスが旬の季節には声がかかるのですが、
どうもまだ遠方から来ているのか、そうは言っていなかった。
この市場では旬の季節になると、農家と契約していて
近郊から、朝、直接入荷ということだそうで、
たしかに朝もぎの味わいはこれまたまったくの別物。
どうも、その契約農家からのヤツはまだのようでした。
でも、やっぱり貴重な地元産トウキビ。
カミさんはあんまり食べないのでわたしひとりで2本であります。
家に戻って、さっそく皮を剥いて蒸して、旬の走りを・・・。

文章ではムリであります(笑)。
さわやかな後味のあまさの爽快感が、やはり地元産はまったく違う。
ときに地元産以外を食べてみて、残念感を味わい、
やっぱり、これはどうしても地元志向になってしまいます。
これから、どんどんと北海道の夏の季節まんまのような
味わいが楽しめると期待しております。
下の写真は散歩路に植えてある梅の木の様子。
なにやら、奥さんたちがキャーキャー言って実を取っていた。
「あの写真、撮ってもいいですか?」と声を掛けたら、
「いやぁ、わたしでもいいの?」
という、その手で来たか(笑)。丁重に話をずらして、梅のショットを。
たわわな梅の実がなっていて、
ご近所の奥さんたちが、いろいろに手料理するようでした。
なんとも爽やかな、天国にいちばん近い北海道の夏であります。

【いごこちのいい居場所】


北海道が、いちばん天国に近い季節がやってきています。
気温はときどき30度を超えるようなときがある。
朝晩には十分にクールダウンしてくれて、15-18度くらい。
湿度は大体70%くらいだけれど、ときどき80%を超えたりもする。
半袖でも1日過ごしていられる。
夜は十分に寝心地のいい環境にくるまれる。
最近十数年は、けっこう「エゾ梅雨」が感じられたけれど、
ことしはそういうこともなく、晴天率も高いように感じます。
そんな季節が巡ってきている。

最近の戸外での散歩、歩行数はだいたい1万歩を超えている。
早朝、6時くらいから7時半くらいまでの散歩であります。
その途中に通っていく西野緑道にごらんのような公園ベンチが並んでいる。
みなさん、どっちがより「いごこちがいい」でしょうか?
こう問いかければ、たぶん間違いなく多くの人が上の植栽に囲まれた方を選ぶ。
あ、西野緑道というのは札幌の「都市景観賞」を受けた散歩路。
円山公園周辺のような「自然保護地区」ではなく、
人間が手を加えてできた人工的野外空間であります。
なので、こうしたベンチでも、背景としてはレンガが敷き込まれたり、
たいへんよく考えられたランドスケープになっています。
しかし、ここでは一方には植栽で背景が縁取られたヤツと、
そういう背景がなく置かれているベンチとが並列しているのです。
ランドスケープ構想者からの謎かけなのかなぁと、
いつも通りかかる度に、微笑ましくも感じる。
まぁやはり上の方の植栽がガードするような方に軍配が上がる。
アフリカでの大地溝帯の形成でサルからヒトへの
進化が開始したという説があります。
それまでの熱帯雨林環境が、地球の裂け目がそこを直撃して
広大な乾燥地帯が出現したことによって
人類の祖先は「森を追われた」結果、やむなく進化を開始したのだという説。
そういう原初の喪失感が人類の記憶基板に刷り込まれていて、
その復元欲求というのが強いのではないかと
そんな妄想を抱かせられるけれど、
DNA的な疎外感からの癒やしを無意識に希求しているように感じる。

でもどうなんだろうか?
下の緑のガードがない方のベンチも、地面のレンガなど、
いかにも自然素材的なここちよさも感じられる。
それに虫がイヤだっていう心理もありますよね(笑)。
家づくり、注文住宅って、こういう「いごこち」のよさを探究することが
いちばん根っこにある営為なのでしょうね。

【人口減少とIT進化での社会構造変化】


友人と会話していて、2040年という未来展望の話題になった。
われわれの北海道では、確実な未来として人口減少の進展がある。
現在530万人程度の人口が、419万人と予測されている。
100万人以上が消失していくことが、確実に予見されている。
右肩上がりが「常識」であった時代を生きてきた思考法では
このクラッシュに対して、耐えられないのではないかという予測。
一方で、ITの進化・一般化によっての変化も同時並行で進展していく。
写真上は、現実写真から加工する「まるで」イラストだけれど、
いま、人類は過去の人類とは比較にならないくらい大量の「写真」を撮り続けている。
スマホという行動密着型IT端末が普遍化したことで、
「秒進分歩」という速度で、映像というモノが進化しはじめている。
先日も、友人のジャズメンが遭遇してきた音楽業界の「構造変化」の大波を
話題にしたけれど、映像とか表現とかの領域も、
この写真の超一般化の結果、どのように構造が壊されていくのか、
予測も付きにくいと思わざるを得ない。
たぶん、プロとアマチュアの間での境界があいまい化する可能性が高い。

明治の文明開化のときには、日本語それ自体を開発したといわれる。
たくさんの「文豪」といわれる存在を中心にして、表現としての日本語の
「共通言語」を創造していったのだとされている。
西洋文明を、アジア的な言語を使いながら、咀嚼していったのだと。
いま、東アジア圏で使われている漢字文化の多くで
日本がこの時期に達成した西洋的概念の表現が共通語化している。
いま、お隣の国では「大統領」が日本文化を精算するとしているけれど、
この「大統領」というコトバ自体、この時期のメイドインジャパンの造語なのだという。
ものすごい社会構造変化になんとか耐えてそこから新たな進化を
達成した先人たちがいたということですね。
いま、この人口減少とIT進化という文明的変化に対して、
どのような構想力を持つべきなのか、
なかなか確実性の高いものはないけれど、
そのなかでもより確実なことを見出して、そこから見通すしかない。
すごい変化の時代であることだけは間違いがない。
ひょっとすると明治以上の構造変化の時代となるのかも知れない。
さて住宅はどう変化するのか、そして情報産業総体は?

【居室要件を満たさない、屋根裏空間の数寄】


上の2枚の写真で、あなたはどっちに「いごこちのよさ」を感じますか?
写真は伊礼智さん設計のつくばのバンガードハウス。
下はリビングダイニングの動線的な空間。
人間は生きていくために食べたり飲んだり,話したりという
家族とのコミュニケーション的活動を主に家で過ごしている。
しかし一方では、自分のふだんの緊張をほぐすような
内省的な過ごし方で、自分を癒すということもしたい。
動線的な空間というのは、おおむね定型化可能な
共通項が多く、そのデザインは自ずと決まってくる部分も多いでしょう。
家族数が決まってくれば、食卓の想定はほぼ決まり、
食事を作る機能空間も、おおむね基本というものに沿ってプランする。
だいたいが普遍的機能要因であり、
人間の空間感覚としてはいわば共通語の世界なのだと思います。

しかしわたしのようなへそ曲がり系の人間というのは、
そうではない個性的な空間、なにこれという上の写真のような
不思議な空間装置の方に惹かれてしまう。
この写真では、たぶんふだん「使う」という機能性では
やや難しさのある屋根裏空間に面白みを感じる。
この写真を見ると、正面奥の明かり取りの窓に向かって求心的に
壁と天井が引き絞られていて居間吹き抜けには天窓もあるし、
床はカーペット敷きになっている。
天井高さはたいへん変化に富んでいるので、かがんで動くしかない。
しかし床の色はいかにも「座れや」みたいな誘いをしてくれていると感じる。
気をつけてみると、この右手の壁は座った背もたれ的な
そういった高さを感じさせられるので、そこに姿勢を固定すると、
案外、天窓とか吹き抜けとかの空間装置から、
「広がり」感覚を感受できるのではないかと思わされる。
こういった空間を利用するとするとどう使うか?
当然、静止的な「沈思黙考」的な、瞑想空間というのが想起できる。
本を読んだり、情報を摂取するというような空間性としては
機能性を十分に満たしていると感じる。

考えてみると、住まいの中には、
こういったONとOFFというような空間が必要なのでしょう。
で、どちらかというと、こういった静止的空間の方に
その家の「個性」、住まい手の趣味生活ぶりは明瞭に出てくると思う。
わたし的には、少年期からこういう空間でマンガや本を読んで、
その仮想現実的な想像力の世界を楽しんでいた記憶が強くある。
非常に人間くさい空間性を感じ取ってしまう。
最近、家族数の減少に伴って、平屋の志向が高まっているけれど、
大体、こういう屋根裏的な空間の仕掛けがあるケースが多い。
家の中で、声はつながっているけれど、姿は明瞭ではない、あいまいな空間。
こういう「居室」要件を満たしていない空間の魅力が
どうも拡散してきているように感じています。

【世界的にも「断熱コスパ」がいい北海道】

きのうは北海道が推進する住宅施策「北方型住宅」についての諮問会議。
歴史的に北海道では「より暖かい家」を希求する活動を継続してきた。
開拓の初期から、主に官の側の切実な要請〜対ロシアの南下政策に対しての
国土防衛意識というものから、なんとか日本人の移民を増やしたい、
そういった国家意志に強く押され、住宅施策がキモになってきた。
全国の地域自治体で独自の「住宅施策」を持っているのは
北海道しか存在しないけれど、その根っこにはこういう国家意志伝統がある。
そういうことから、北海道では産官学挙げて住宅の性能要件について
共通の技術・情報交流プラットホームが存在し続けている。
当然、北海道の住宅の特質というものを考える機会が多い。
で、最近強く感じているのが、断熱のコストが素材から技能レベルまで
一貫した「ライン」として北海道は廉価に収まっていること。

これは本州地域のみなさんとの情報交流でよく言われる。
よく樹脂サッシとアルミサッシのことが話題になっていた。
北海道では事実上、戸建て住宅では100%に近く樹脂サッシや木製サッシが
市場流通の主役なので、アルミサッシの出る幕がない。
そういう市場環境の結果、アルミよりも高額である樹脂サッシの
コストダウンがどんどんと進んで、アルミサッシよりも価格がこなれていく。
流通量の結果として、アルミ並みの価格で流通するようになる。
一方、本州地域では流通量に圧倒的な差があるので、
樹脂サッシの価格がなかなか下がらないというようにいわれる。
断熱材についてもほぼ同様の状況が市場環境になっている。
さらに、断熱についての「工程管理」の部分も当然進化して行くので
「作業」の質と時間コスパがどんどんと加速していく。
したがって「高断熱」ということのコスト的なバリアが低下して
そのコストに対してのメリットが大きく上回ってきて、
北海道の住宅ユーザーは、たいへんコスパのいい市場環境を享受できている。
住宅の「いごこち」品質では冬期の性能向上が顕著で
暖房コスト自体の負担はあるけれども、受益から考えると
驚くほどの「安さ」で暮らしの自由度が高まっている。
寒さからフリーな環境が実現できていることで、
「耐え忍ぶ」という寒冷へのニッポン的意識からもっともかけ離れた
そういう生活意識を獲得できているのだと思います。
寒冷期の生活自由度はむしろ全国一であるかもしれない。
物理的には積雪という克服しなければならないバリアは存在するけれど、
寒さからは、自由でコスパのいい環境が実現できている。
そういう意味ではユーザーとしては寒冷や積雪という環境を
むしろ前向きに楽しむ、そういうことが可能になっているのかも知れない。
こういうことは、新たな「移住」を促進させていくきっかけを
環境整備して行くことにつながる。
ニセコ地域が世界有数のスキーリゾート化してきているのは、
こういう住環境要因がまったく世界標準レベルで整備されていることも
大きな要因であるようにも思われる。
本州地域の宿泊施設や施設環境が低断熱低気密であるのに対して
冬期の北海道ではそういうバリアの存在がより小さく感じられる。
冬に訪れても、熱的なオンとオフの環境がむしろ快適なのかと。
観光のリピーターたちが多い現実を見れば、
寒冷期の北海道の住環境のいごこちの良さは証明されていると言える。

むしろ、こういったメリットを獲得してきた百数十年の
新たな「歴史的伝統」にもっと気付きを持ち、
そのことを戦略的に活用していくことを考えていくべきなのかも知れない。