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【里山住宅博TUKUBA「板倉工法の家」】



さてふたたび、里山住宅博TUKUBA住宅見学編です。
バンガード(先進的・先導的)ハウスとしての堀部安嗣さんと伊礼智さんの
住宅2例をじっくり見学して、ほかはあまりしっかりは見学できなかった。
まぁ短時間、3〜4時間では全部で20棟以上ある住宅を
全部確認するのはムリがありますね。
つくばということで、小玉裕一郎さんの住宅には注目していたのですが、
まだ設計図面段階ということで残念でした。

で、もうひとり、つくばということで注目していたのは
安藤邦博さんの「板倉工法」関係の動きであります。
安藤さんはいわきに建てられた木造応急仮設住宅の板倉工法住宅を
当社が発行した東北の住宅復興ボランティア雑誌で取材して
取り上げさせていただいた経緯があります。
安藤先生は筑波大学で建築を教えられていた存在であり、
東大の内田祥哉先生の教え子でもあって、
室蘭工大名誉教授の鎌田紀彦先生ともつながりがある存在。
取材していて、そういった背景も聞いていて、この板倉工法に
強い興味を持っていた次第です。
今回の里山住宅博では、けんちく工房邑さんが板倉工法の家を展示。
写真は下の2枚ですが、なんと住宅博会場に隣接して、
安藤さんが関与する里山建築研究所が設計した板倉工法の賃貸住宅が
目を引くように建てられていました。(上の写真)
見ようによっては、この建物もコンセプト的には展示のひとつとも感じた。
板倉工法は、正倉院の「校倉」の原型といえる建て方で、
正倉院は三角の断面の端をさらにカットした6角形ログ材を
組み上げて造作している建築ですが、板倉は柱に欠き込みを3cmほど作り
そこに同じ厚みの木の板を「落とし込み」壁とする工法。
けんちく工房邑さんは、この板倉工法のエバンジョリストとして
里山住宅博に出展されているとのことでした。
計画中に施主さんが付くことになり、広大な土間床の玄関など、
オモシロい住宅として展示されていました。
板倉は,構造がそのまま仕上げに納められる工法でまことに直感的。
非常に伝統的で非大量生産的な志向を感じる工法ですが、
この写真のように賃貸住宅の工法として採用され、
しかもいまは全戸入居済みという人気ぶりなんだとか。
写真のように板倉素地の壁は内壁側で露出していますが、
まことに正直な工法で、インテリアとして質感がすばらしい。
なつかしいとともに、地域の中でのあらたな発展のカタチを見た思いです。

【イテテ!・・・前期高齢者転倒事故現場(笑)】

写真は最近の散歩コースでの最大の「難所」であります。
場所は札幌市西区の「発寒川公園」の川縁。
通常の歩道ではなく、川の流れに沿った川原の方が楽しいと、
階段を降りて川原に沿った道なき道を歩きたくなるのです。
そうすると、そういうタイプの人間がそれなりにいるもので、
「けもの道」のようなルートがあるワケ。しかし、
それも途絶えるような箇所がどうしても発生する。
この場所は、高低差が1mくらいあって、
よいしょっと、上るのはなんとかできても、
降りるときには、なかなか難しいという箇所なのであります。
よく観察してみると、段差を解消するように
石が積まれている様子が見えてくる。
その石の「足場」には棒も積まれていて「けもの道」として
一段のステップがそれなりに「整備」も試みられている。
なんですがはじめて「降りる」方向からここを通った2週間ほど前には、
そのような些細な観察はできていなかった。
というか、降りる方向からはそのようなステップが見えなかったのです。

で、前期高齢者でありながら自覚に乏しい普通の運動神経の持ち主は
ここを、「なんとか大丈夫だべ」と飛び降りてしまった。
写真でいえば左上の壇上から右下手前側の草原に着地できると思った。
で、深く考えず飛んでから、着地面にはたくさんの木の切り株があって、
足を踏む降ろす着地点がほとんどないことに刹那に気付いた。
ほんのつま先くらいしか、目当ての箇所には着地点がない。
しっかりとベタッと着地できずに不安定な状況で、バタ足的に数歩、
落下する自分自身の体重負荷を分散させねばならなかった。
しかし、咄嗟の瞬間でのそういうカラダの対応、
自分自身の身体への指令が、「あ、これムリ」という状況になってしまった。
「イテテ・・・」ということで、前のめりに地面に叩き付けられた。
左手薬指に咄嗟に体重70数キロの重量が掛かったようで、
骨折までは行かなかったけれど、衝撃痛を感じ、
さらに顔面と上半身前面側で地面に受け身を取るように「着陸」した。
少年期から今日まで、比較的にやんちゃな性格だったのですが、
この間、自分のカラダをコントロールするのに、そう難儀を感じたことはない。
「もう若くない」ということを痛烈な痛みとともに感じさせられた。
そういう悔悟の念、ふがいなさに打ちのめされながら立ち上がった。
カラダの各所から打撲的衝撃の残滓が感じられたけれど、
どこかで致命的な損傷感はなかったのが不幸中の幸い。
こういう場所なので、付近に人の気配はなかったので、
もし深刻なケガであれば、助けを求めることも難しかったかも知れない。

その後、この場所を毎日の散歩路に使っている(笑)。
突き指した薬指も大きく腫れ上がることもなく、
いまではすっかり回復しております。
痛い思いをして、多くのひとが作ってくれていた「ステップ」を発見し、
そういう先人の知恵に助けられながら安全に通れております。
久しぶりの転倒でいろいろ学習させていただけたことに感謝であります。

【知と美は細部に宿る。「はやぶさ2」が呼ぶ感動】


最近の超ウレシイことは「りゅうぐう」に行ったはやぶさ2の活躍。
先日、2度目のりゅうぐう着陸に成功したことで沸き返った。
前回の着陸時に変成している表面を弾丸状の発射装置で破砕させ
その奥の、宇宙誕生時点により近しい物質をさらけ出させて、
それを再度採取するために2度目の着陸を行い、
「100点満点の1,000点」というピンポイント着陸に成功したとのこと。
日本という国家社会が人類に少しでも貢献できる、
そういう意味合いから、まことに快挙に拍手したくなった。
そしてそういう快挙でありながら、ネーミングすべてにおいて、
「りゅうぐう」という名付けといい、はやぶさといい、
時間を遙かに超越する人類、ニッポンの夢を感じさせて楽しい。
はやぶさ2は、精密そのものの機械ではあるけれど、
コンパクトな知的生命体そのものだと思える。
この知的生命体にはニッポンの知能の最先端が結集しているのでしょう。
巨大プロジェクトで総額300億円弱の「公共事業」とのことだけれど、
こういった快挙を達成するための技術開発の進化を考えれば、
今後の産業への貢献要素は計り知れないのだろうと思う。
ニッポンはこれからも、このような技術立国を目指して行くべきでしょう。
このプロジェクトの様子はぜひ、映画とかドキュメントとして
一般にもその知的営為をわかりやすく伝えて欲しいと思います。

そんな興奮冷めやらぬ中、
わたしはわたしで、微細な世界の美に感動し続けています(笑)。
ふだんは漫然と散歩しているのですが、
きのうは休日と言うこともあって、路傍の小さな花々に魅了されていた。
全く時間を忘れるほどに、こうした小さな世界の美には圧倒される。
花の名前を知らないことがまことに恥ずかしいのですが、
いつも訪れている「西野緑道」周辺でたくさんの写真撮影をしていました。
きょうはそのなかからほんの2枚だけ。
2枚目の写真はタンポポのタネのクローズアップですが、
1枚目の方は名前がわからない。
わたしとしては地球環境のいのちの美しさを感じさせられた。すごい。
現生人類というのは「好奇心」という大きな「動機」から
今日に至るまでの進化を獲得したとされているそうですが、
そのまた起点ではやはり「美への感動」が動機を支えていたのではないか。
自然に存在する美に深く感動して、新たな知的探究を継続してきたのでは、
そんな思いが日々、強くなってきております。
住宅というモノゴトも、やはり直感的な美しさ、いごこちの良さの探究が、
これからも発展の大きな動機を構成するのでしょうね。

PS 1枚目の写真は、Greensnapというお花画像サイトで
教えていただいて、「アスチルベ」のようだと教えていただきました(笑)。
ウレシイです!

【オオウバユリ開花ドキュメント inさっぽろ】


毎朝、最近のさっぽろの気温はおおむね15度前後。
やや涼やかではあるけれど、動き始めると発汗と気温の相性がいい。
神宮参拝の習慣を済ませれば、自然との交歓。
多くの人が小動物、リスたちとのコミュニケーションを楽しんでいる。
わたしの場合は水辺のオシドリやカモの子育ての様子を見ますが、
メインは円山自然林の山裾に展開しているオオウバユリたちの劇的変化ぶり。
このブログでは住宅以外のテーマでお馴染み(笑)。
個体によって、前後1週間くらいのバラツキがあります。

もうすでに開花しているヤツもあるし、
ぼってりと花芽が膨らんでいるっていうのもある。
それぞれが個別的で、見ていてあきが来ないというか新鮮に感じられる。
こういった花々が適度に群生していたり、
単独で咲き誇っていたりするので、
そういった「手の入っていない」様子も変化に富んでいて面白い。
前回も書きましたが、こういう様相を見せてくれる森が
実は「原始のさっぽろの森」がほぼ保全されているものだという
そういうことの貴重さにも深く癒される思い。
わたしがいま楽しんでいるこの風景は、開拓される以前も
こうした光景が太古から連綿と自然ないのちのハーモニーとして
ずっと当たり前にあり続けたものだと思われるのです。
もちろんアイヌの人たちは、このオオウバユリの根を掘り出して
それから貴重なデンプン質を採取したのですが、
しかしそれは「栽培」という行為ではなく、
あくまでも自然との共生という生き方の一環として
それを利用「させていただいていた」行為のようなのです。
栽培と採集の違いには、やはり相手への強い思い・リスペクトがある。
オオウバユリの自然環境での生き方への尊重があって、
その上で利用させてもらうという関係性。
そういう営為だったからこそ、このように「つながった時間」を
いま現在でも、このように体感できるということでしょう。
まだまだ、かれらのいのちの美は続いていく。
ことしという時間をたっぷりと楽しませてもらいたいと思います。

【ITで環境破壊された産業領域〜音楽ビジネス】

高校の同期生にジャズギターリストがいます。
笹島明夫クンと言って、その業界では名も売れている。
ながくアメリカが本拠で活動してきたけれど、
いまは独り身になったこともあって、札幌に拠点を移してきている。
先日久しぶりにわが社を訪ねてくれて、旧交を温めた。
わたしたち年代が生きてきた時代は、世界を覆う戦争はなかったけれど、
それとは全く別の大変動として、アナログからデジタルへの革命があった。
そのもっとも過酷な影響が及んだひとつは音楽業界だったように思う。

音楽という人類の普遍的な興味領域は、
近代になって「レコード」という技術が基盤を提供して
その媒体を「販売する」という形式でビジネス化が進んだ。
ラジオとかテレビとかのメディアでも重要な「販売促進」ができて
「流行」などの動機付けも社会的にシステム化が進行して
隆盛していったのだと思う。
レコード技術、音楽の「モノ」化・商品化は初期の回転盤形式から
CDなどへと変化して行ったけれど、
いずれにせよ、そういった「商品化」されたモノが成立することで、
生産から最終販売に至るまでの「エコシステム」が形成された。
しかしインターネットの出現でこれらのメディア化ビジネスが頓挫し、
やがて消滅していった。先日、わたしたち年代の郷愁ともいえる
札幌市中心部の老舗のレコードショップの破綻がニュースになっていた・・・。
途中ではAppleのダウンロード型ビジネスなども提起されたけれど、
結局はいったんデジタル化されてしまえば、
事実上ダウンロードでの課金も難しくなった。
YouTubeなどの出現はそもそもの前提を崩壊させてきたといえる。
こういった激変する環境の中で、かれは音楽で生きてきた。
考えてみると、わたしたち年代が生きてきた環境は、
そのちょっと前ピークの「商品化」による無限な市場拡大幻想が強く働いた社会で
その社会常識に支配されていたのだと思う。
それまでの社会に存在したさまざまな価値感が当然のように「商品化」され
ビジネスとして存在し得ていた。
久しぶりに会ったので最近作をCDとしてお土産に受け取ったけれど、
最近のMacやPCではメディア再生トレーも消失している。
ようやく古い再生トレーを引っ張り出してきてなんとかデジタルデータ保存した。
いま、音楽で起こっている変化は
ライブという形式での「課金」方式と、SNSなどでの拡散になってきている。
ビジネスモデル、事業環境がまったく想像を超えて変化した。
こうした大変化は「電波独占・市場保護」されたテレビ業界を除いて
さまざまな業界にも大津波としてやってきている。
大津波後、違う環境の中でどう生きるか?ということ。
そういうなかでは、住宅という領域は全く違いがあるのでしょう。
空間というモノは、デジタル化はきっと最後まで不可能でしょうね。

【伊礼智・つくばの家 造園は萩野寿也氏】

さて連載みたいに続いている「里山住宅博tukuba」。
伊礼智さんの住宅ですが、前情報はまったくなく、
さらに大混雑で住宅の説明も聞くことが出来なかったので、
あと聞きでいろいろ情報が入って参ります。
「里山」ということで周辺環境は緑豊かな環境と想像していまして、
そういう「豊かな自然環境を生かす」のだろうと想像していた。
この伊礼さんのバンガードハウスの庭を見ていて、
「ずいぶん似合った植栽だなぁ」とは思っていましたが、
あとで造園は萩野寿也氏設計という情報を得た。
氏の仕事はつい最近、山形のウンノハウス本社の大規模な造園を取材。
ランドスケープの基本構想から1本1本の樹種選定、
建築との調和、そして建築の設計思想との連携といった部分を
直接お話しを聞いていましたので、驚かされた。
また、この「里山住宅博tukuba」は展示後、販売されると聞いていたので
総体費用のことも考えれば、
まさかそういう造園家も協働されるとはまったく想定外。

たしかに住宅の内部と外の関係性には
緊密なデザイン意図が貫徹されている様子は十分にわかる。
というか、単なる造園というよりもこの住宅の意図と外部の植栽計画は
絶妙に設計的な連携を感じることができます。
建物の北側には里山の自然な景観が展開しているのに対して
南側道路側は大きくセットバックされていて、
芝生や飛び石、アプローチ木道もごく自然に感じるけれど、
それ自体としても建築的に計算されている。
木道の直線的な構成をやわらげるかのような地面のうねり表現など対比的。
特徴的なのは建物との視線の境界に列を成して高木を植栽していること。
あきらかに道路側外部からの視線遮蔽ですが、
その結果、ウチ的なソト空間が作り出されている。
先日のブログ記事でも書いたのですが、いくつもの生活空間レイヤーの
その大きな構成要素を、この造園計画が担っている。
道路から室内に至るまで、いくつもの生活空間レイヤーがある。
そういう意味ではまことに「建築的」な意図があると感じるけれど、
配置された木々植栽たちは、周辺の自然との調和を最優先しているに違いない。
あ、この部分は推定です(笑)。
萩野さんの山形での仕事の取材時に、樹種選定とその構成配置についての
詳細な考え方を伺って、その仕事ぶりから判断した次第。
遮蔽の高木の配置位置についても相当に意図が込められていると想像します。
ウチ的なソト空間のいごこちのよさや詳しい樹種や計画など、
今度機会を見て、再訪して確認できたらいいなと思いました。

【小屋裏茶室で瞑想する空調(笑)〜伊礼智「つくばの家」】


きのうの続篇です。が、やや箸休めのジョークテーマ(笑)。
里山住宅博つくばのバンガードハウスですが、伊礼さんへの聞き取り、
説明など、ごった返しの中で「取材」できなかったので
やむなく「感じたこと」を中心に書いています。

で、人混みを離れて隠れ家的に避難できる場所として
この平屋の小屋裏空間が見学可能になっていた。
で、階段を上がりきったら写真上のような空間がしつらえられていた。
床の間風の見立てで、違い棚風のこしらえもあるので、
天井高の低さもあわせて、まことに「茶室」風であります(笑)。
床の間にしては上から採光も得られているので、
自然の「掛け軸」が光束として降りているともいえる。
まことに一服感を味わいたくなるような隠れ家茶室。
で、そのヨコには引き戸で仕切られた写真下のような空調機械装置室。
不粋そのものの空調機械ではありますが形状に独特のキャラクター感がある。
四方にダクトが伸びていることでそういう印象を持つ。
ちょうどイキモノの「四つ足」のようにみえなくもない。
まぁ脚の数は少ないが、タコというようにキャラ化も可能か。
で、機能としていつも表に出ることもなく、目立たぬように働かされている。
その機械キャラが働き方改革で瞑想を志した、みたいな(笑)。
考えてみれば、空調というのは「静謐」性が求められる。
運転音がうるさく感じられるようでは困る。ひょっとして
設計者の内心の意図として「オマエは静かに働けよ」というものがあり、
そういう無意識の意図がこういう床の間デザインを対置させたのかも。
まぁ、これは聞き取りしていない気軽さでの妄想ではありますが(笑)、
どうもこのふたつの併置にはそういう狙いも感じられます。
機能性と精神性の両方が狭い空間で対話している様は、オモシロい。

【伊礼智 建具レイヤー活用・里山ニッポンの家】


さて伊礼智さんの里山住宅博inつくばバンガードハウスであります。
伊礼さんはいま、全国で引っ張りだこの住宅設計者で、
聞くところでは北海道でもそういう「住宅学校」計画があるとのこと。
わたしは伊礼さんの住宅実作を体験するのは初めてでした。
見学時はそれこそ大混雑で人間がいない方向を探すのに苦労する状況。
ということで、見学が集中していた3時前にいったん訪問した後、
「そろそろいいかなぁ」と4時前に再訪したけれど、
それでも多数の方がいたので、思うようなカットが撮れなかった(泣)。
入ってすぐに直感したのは、
「あ、吉田五十八さんの成城・猪俣邸の空気感」という感覚です。
なぜそう感じたかはよくわかりませんでしたが、
猪俣邸は大好きで、東京で時間があるときにはなんどか、
訪問してその雰囲気に浸っていることがある。
そういう空間意識が呼び覚まされるのかも知れません。
吉田五十八建築は画家としても好きな山口蓬春美術館も何回か行っている。
で、かれは東京美術学校出身の建築家で、その後の東京芸術大学の
建築の系譜の起点のような位置付けになるのでしょう。
考えてみれば伊礼さんは、この系譜に連なる建築家なので、
こういった感覚には「やっぱりそういうことかなぁ」という思いがあった。
北海道ではなぜか、こういう系譜の設計者は存在を聞かない。
猪俣邸ではとくに居間と庭との関係が基本。
東京成城の家だけれど、コケをわざわざ京都から移植してきたという
ニッポン的庭園趣味生活の底深さに驚かされたりもした。
なので、いちばん上の写真のようなアングルを狙っていたけれど、
このカットも、ギリギリ人物が入ってこない瞬間の産物(笑)。
ホントはもっと開口部以外の室内の壁面・天井とのバランスを
しっかり抑えたかったのですが、人混みでとてもムリでした。
というのは、猪俣邸ではこの室内と庭との相関関係が主要テーマだったので、
直感的にそういう視覚でみたいという欲求を持ったのです。
まぁもちろん、成城の高級住宅街でも屈指の庭園の猪俣邸と、
この新興里山住宅地では背景条件が違いすぎるけれど、
きっとDNA的な相似関係があるのではと思ったのですね。
おお、無駄話が長い(笑)。


で、切り取って見たテーマは温暖地的な「自然との対話くらし」の
接点としての、庭〜外部建具〜内部建具の積層感ということ。
堀部さんの住宅でもこの点は感じさせられたのです。
堀部さんはコスパを相当に研究されている様が伝わってきましたが
こちらの伊礼さんの住宅の居間開口部では、
相当に複層的で重厚だ、とまでは感じられました。
しかしいかにも訪問客が多すぎて、説明を聞く機会も得られなかった。
ということなのであくまで「感じ得た範囲内」であります。
開口部フレームのタテ横バランスは、見たとおりです。
堀部さんの住宅では「下屋」という自由度の高い建築手法選択だったので、
長大な「ヨコ」方向の広がりがあったけれど、
こちらではけっこう「縦長」感覚だなぁと思わせられた。
猪俣邸では全く気密性という概念はなく、融通無碍に外部に開放され
フレーム感でもたいへん横長な感覚だった。
こちらではタテ長気味に風景を切り取っている。
この開口部では、窓枠部位の幅広さが特徴的だと思いました。
障子と窓面との間がけっこう大きく取られている。
暖房の温風吹き出し口は、この障子の手前側でした。
重厚な取っ手の付いた木製引き戸との距離が長くなっているのですね。
そして庭に出ると外部道路に対して遮蔽的な植木が植えられている。
庭でもこのような「レイヤー」意識が貫徹されている。
何重にも装置された「ウチとソト」感覚というものが強く感じられた。
壁で仕切るのではなく、外ーウチ的な外ー複層的な結界部分ー内という構成。
建具や植栽というものが、幾層もの中間領域を意識させる装置になっている。
このあたりの内外の関わり方の感受性がニッポン的ということなのか。
では北海道ではこのコンセプトはどう表現できるか、
この部分で北海道の住宅はずっと「特殊に」格闘してきている(笑)。

【7月7日「オオウバユリ」花弁分枝 inさっぽろ】


ここのところ「里山住宅博inつくば」での住宅取材記事を連発。
やっぱり住宅をウォッチして感じたことを書くのが楽しい。
またあした以降、つくばでのいろいろな住宅取材記を書きます。
本日は、別の自然観察テーマ。

札幌で生きていて、この地の自然の呼吸感、空気感を愛している。
個人のそういう体験のなかでも1、2を争うような「イベント」が
北海道神宮周辺、円山自然林のなかのオオウバユリの開花であります。
別にこのオオウバユリたちはわたしが「丹精」込めて
育成しているものではない。
けれど、それをはるかに超えて実感としての
「共生感」をわたしに与えてくれる存在だと思っています。
オオウバユリはアイヌの人たちのいのちを支えてきた
貴重なデンプン質をその根で涵養している存在。
いわばアイヌ民族のソウルフードでありますが、
湿気のある森の中で群生しているたたずまいは、
まるでこの地域の自然のなかの「森の妖精」とでもいえる印象。
花芽がにょっきりと顔を出し、それが大きく膨らんでいき、
ちょうどこの時期に花芽が大きく重たげに分枝する。
その様子は、まるで小さな妖精たちがその愛らしさで
ひとびとを誘い込むかのようなのです。
この時期、ちょうど夏の空気感がこの地を覆う。
北海道は比較的に大陸的な乾燥感が感じられるのですが、
そういうなかで湿潤な空気感をたたえているのが、
このオオウバユリの存在だと思っています。
この円山の自然林は、明治の開拓初期に「開拓技官」として
北米マサチューセッツなどから来訪してくれたアメリカ人たちが
その貴重な「原始の森」を自然公園として保存してくれたことに始まる。
それがそのまま、北海道総鎮護の森としての北海道神宮と連なって
いまでは190万人都市さっぽろの「静謐な秩序観」の中心に位置する。
東京で言えば「皇居の森」に相当するような存在。
たぶん、日本人の心性のなかにこの「静謐な秩序観」への帰依がある。
こういう存在を意図し、存続させてくれたエトランゼたちの
深い思いに感謝したいといつも思っています。

さて、オオウバユリたちのいのちの躍動は
まだまだこれからの「開花」というクライマックスにつづく。
心躍る日々であります。

【堀部安嗣「つくばの家」下屋開口部が刺激的】


さて、きのうまで連続で書いている
里山住宅博 inつくばでの堀部安嗣さんのバンガードハウス。
設計のポイントは3間半×3間半グリッドに「差し込む」ように加えた下屋。
わたしどもは北海道がネイティブなので、
そもそもが「下屋」という建築概念とは距離感がある。
しかしニッポン人ネイティブとしては、建築的DNA感がある。

下屋は、中核的構造に対してより人間的な「いごこち」を想起させる。
伝統的な京都の社寺建築などでも庭との対応として、
「縁側」的に、より中間領域的に融通無碍に作られるように思います。
たぶん日本的な自然環境との応答に主眼がある。
このあたりは、北海道としてはどうしてもバリアがある。
そのことに同意はできるけれど、同じように北海道でできるかと言えば、
悲しいけれどできにくいというのが現実。
この下屋から差し掛かっている屋根は軒先も非常に華奢にできている。
「なるべく薄く」というディテール感でしょうが、
積雪荷重を考えれば、非常にあやういと感じさせられる。
しかしそういう違いは、だからこそここは「つくば」なのだという
「地域性」の豊かな表現でもあると同意できるのですね。
やはりつくばでの「最適解」があるのだと、むしろリスペクトを持つ。
そして、その設計趣旨がより明確に表れるのが
戸袋以外はほぼ全面が「開口部」というその建築表現。
3間半グリッドの総2階が防御的な断熱気密空間仕様なので、
よりこの「違い」が明瞭に伝わってくるのですね。
室内デザイン的にもこの開口部が、キモになっている。


で、この開口部の「仕掛け」のオモシロさに引き込まれていた(笑)。
3連窓がワンセットで、真ん中が簡易な金具でスライド開閉できる。
その外部に網戸とガラス窓の2連の可動窓が備えられている。
木製の建具仕事で、このあたりの職人仕事文化も
本州地域の作り手の底深さを感じさせられる。
もちろん雨仕舞としては長大な「庇」が守っている。
この地での気候条件からは、機能性維持が十分可能だろうと推定できる。
金具は北海道や北欧標準の気密に配慮した重厚なタイプではない。
その分、非常に直感的に操作しやすく庭・外部との境界感が希薄。
こういう3連窓が長手方向で3つ連続されている。
この開口部仕様に対して、戸袋からは「障子」風の内側遮蔽装置が
さらに滑り出てくるのですね(笑)。
日本建築はこういう「建具」による文化である側面が強い。
このあたりも、北海道が進んできた志向性との違いを感じる。
北海道では丹念な職人仕事というものに依存しにくい業界構造。
こういった窓辺の複層的な感受性装置の積層が
なかなかに「たまらない」醍醐味として感じさせられました。

こういう融通無碍な「下屋7.5坪」を含めてなお、
Q値計算では次世代基準北海道と同等の1.6レベルと書かれていた。
そのバランス感覚にも納得できた次第です。