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【明治資本主義の受益層・大地主の茶道趣味】



さて江戸期を通じた富山の豪農・内山家の時間超越取材シリーズ。
あんまりお金持ちの家には感情移入しにくい部分があり(笑)
それほどツッコミすることはないのですが、
長く続く家系記録も参照できたので人間ドラマも見えてくるオモシロさがある。
きのうは1700年代を生きた当代の「旅行趣味」にスポットを当てた。
本日はいまに残っている豪農住宅の建築年代、1868年という幕末明治。
きのう見た1700年代では一時1000石⇒300石まで衰微したものを
600石まで盛り返し、還暦後さかんに旅行を楽しんでいた様子を記載。
で、幕末明治にいたって、この当時は1000石に版図が復元している。
明治期は大地主層が隆盛を極めた時期と言われる。
地方地主層が財力で新興階級としてのし上がっていった。
太宰治など文化芸術分野でも、社会の最有力層として足跡を残し始める。
たぶん太宰の根底にある「不安感」は、急上昇階層の心象特徴なのかも。
たしかにこの階層がどういう「努力」をしたのか定かではない・・・。
個人としての努力をはるかに超えて社会の趨勢があった。
日本は資本主義が勃興するとき、その「担保価値」として土地が最上として
それを根拠とした進歩発展があった。必然的に土地持ちに権益が集中した。
金融資本自体勃興期であり、カネを貸す担保は土地がわかりやすかった。
結局、人の世というのはその時々で支配層は「循環」するのだと思う。
まぁ現代で言えば、さしずめマスメディアなどは
社会的地位としての既得権受益層というように言えるかも。
戦後体制構築の占領時、米民主党左派がメディアに第4権力構造を与えた。
・・・おっと、横道。で、この内山家も、家運の最盛期を迎えたようなのです。
この松世さんはその家の財力で資本家として活動を活発化させ、
政治家としても国会議員にまでなっている。地方有力者という存在ですね。

いまに残るこの豪農邸宅で特徴的なのが写真のような茶道趣味。
いかにもワビサビを感じさせる石材選びと、その構成ぶりに
「数寄」こころを強く感じさせられます。
1868年にこの住宅を新築したのは、第11代当主の年彦さんなのですが、
その養子・12代の松世さんは京都に遊学して茶道の師匠についている。
藪内さんという「宗匠」という。Wikipediaで調べてみると以下のよう。
〜藪内流(やぶのうちりゅう)は茶道流派の一つ。
古儀茶道藪内流とも。浮薄を戒め利休時代の茶風を留めているとされるが、
これは紹鴎・利休の侘び茶に織部の武家茶の影響をいれたものである。
庵号は燕庵といい、織部の考案による相伴席付三畳台目の茶室を指す。〜
松世さんは男子の継嗣がなかった先代・年彦の弟の子・甥にあたり、
年彦の娘さんと結婚して家を継いでいる。
父親は内山家から出て別姓を名乗っていて、こういう経緯で本家に迎えられた。
本家の財力が大きく縁者もまた京都遊学の機会を得るほどであったのでしょう。
遊学先は内山家は京都が出自という縁もあったのではと推測できる。
こういった石材へのこだわり、という文化は知ることが少なかったので、
「へえ〜〜」と、オモシロい世界を知った気分であります。
この写真の石材の選別配置・結構についても藪内宗家を招いて吟味させている。
また、藪内家出入りの大工棟梁たちがこの建築を手掛けたとの記録。
北陸富山の「地域性・気候風土」への対応という環境性よりも
京都風の文化権威拝跪型の志向がきわめて強い住環境、住文化。
石材の説明などは写真をじっくりご覧ください。ふ〜む、であります。
人間の最後の興味分野は石だと、昔に聞いていたような気がする。
しかしまだまだ修行が足りず、そういう境地にはほど遠いわたしであります。
あ、石器時代にはたいへん興味が強くなってきている。ひょっとして・・・。

【江戸1700年代のGoTo旅・富山豪農の人生】



江戸時代というのは、けっこうな「旅行ブーム」の時代。
庶民の物見遊山の旅行というのは、届け出段階で禁制されていたけれど、
それが神社仏閣詣でなどの宗教がらみになれば緩やかに許可されていた。
「旅行用心集」というようなベストセラー「旅行ガイド」も江戸版元から出版され、
「お陰詣り」に庶民は繰りだしていたとされる。
現代にいたる神社仏閣への参詣心というのは、こうした旅行実利と一体となって
日本人の生活習慣、心理に深く浸透していったものと思えます。
本音とタテマエという2重基準の使い分け要領が良かったと思える(笑)。
で、きのう触れた「富山の千石地主」内山家の1701年から1780年を生きた当主、
逸峰さんの旅行記録があった。その様子に注目し暮らしと趣味生活の取材です。

この人の生きた当時の内山家の経済状況はけっこうな浮沈ぶり。
家の基本版図「1000石」の収入があったところ、おじいさんの代に
近隣の河川氾濫があって新田開発の必要が生じ、積極的に経営拡大し、
一時期1700石まで版図を広げていたとされる。多少のムリもあっただろう。
そしてそのおかげでか、藩主はこの内山家に頻繁に出入りして、ついには
父親の代に藩から金づる利用されたのか、資金的に借金が嵩んだようで
1729年頃には一転して300石程度まで版図が縮小する。
借金返済苦境のために農地を切り売りしていったのだ。
そのような家の経済状況の中、36才のときに逸峰さんは当主を世襲した。
そこから地道な復興努力を傾け1745年・43才当時に600石まで回復させた。
ちなみに1石というのは人1人の1年間食べるお米の量に相当する価値。
全国の石高は幕末で3000万石と言われ事実人口も3000万人だった。
当時の内山家の奉公人は44人で馬を15頭飼育していたとのこと。
このころの家屋敷の面積状況が書き付けられている。
●母屋 3.5間×9間=31.5坪●作事場 5間×15間=75坪●馬屋 4間×6間=24坪。
●中屋 2.5間×9間=22.5坪●物置勝手  3.5間×9間=31.5坪。
工場一体型家屋と考えると、総面積184.5坪建築物の所有「企業」。
現代の日本人の1人あたりGDPはざっくり500万円とされるので、
44人雇用+扶養家族もカウントすれば、およそ100人分のGDP相当と推計。
そうすると5億円程度の「総GDP」規模の企業ということになる。
製造業平均で仕入費用が50%と勘定すると、総売上10億円企業程度かなぁ。
<GDPは付加価値の総量なので、仕入を除外した金額と考える。>
っていうことは売上げ5億くらいまで落ちていた業績を倍増させたのと同義か。
ちょっと荒唐無稽かも知れない積算ですが、大ぐくりの把握数字として。

で、本題のかれの人生の「旅行遍歴」であります。
●若い20才で「伊勢参り」に行っている。若いボンボン「旅をさせろ」か。
それから家業に精励して家勢を衰退期から倍増と復元させたところで
還暦になってから余生と考えたか、頻繁に旅行に出かけ始める。
●60才 京都 ●63才 京都・大阪・明石・伊勢
●同年 弥彦・新発田・米沢・山寺・松島・鹿島(神宮)・日光・江戸・善光寺
〜〜●74才 大津
と、写真2枚目詳細のようにほぼ毎年10回の旅行に出掛けているのです。
家系伝承では京都の出自とされているので、まずは遍歴はそこから開始したか。
当時の旅行はひたすら徒歩旅行でしょうから、なかなかの健康ぶりであり、
また、その費用負担も可能なほどの財政状況だったようですね(笑)。

ちょっと懐勘定も交えた歴史的推理での「取材」ですが、
この人の人生の状況が総合的に垣間見えて、人間的親近感を抱きます。
江戸期がずいぶんと身近に感じられてオモシロい。

【江戸時代富山のトランプ邸?/日本人のいい家⑨】




タイトルが刺激的かなぁ(笑)。ひょっとするとFacebookからBANされる?
わたしは特段トランプさんに好悪の感情は持っていませんが、
アメリカメディアのやや冷静さを失ったようなトランプ叩きには
他国の冷静な一国民としてちょっと疑問を感じております。
冷静な現状としては、まだ選挙結果は「確定」していない。
これは以前のゴアとブッシュの選挙でも同様にもめていたのと
そう大差のないゴタゴタが続いているのだと思います。待つしかない。
日本にとって最優先にすべき唯一の同盟国であるので、
大いに関心は持たざるをえないけれど、冷静な判断がしかるべきだと考えます。
ただ、外交は待ったなしでいろいろな動きをしなければならない。
現状で「優勢」とされる候補側と連絡を取るのは必要でもあると思います。
本来であれば静観もあり得たけれど、EUが動くというタイミングで
バイデンさん側と話し合って「尖閣防衛義務」言質を取れたことは大きい。
いま日本ができるのは、現状維持なのだと思うのです。
中国側から「激しい反発」というのは、かなり効果的というサイン。
自由世界側の台湾防衛と一体と見なせる尖閣の防衛は明確な発信。
中国は台湾と尖閣を一体と見なして対外攻勢を行ってきている。
日本の国益としても世界の平和を守る意味でも、尖閣の現状維持は
非常に重要なポイントになって来ている。この世界情勢感覚は不可欠。
・・・話を戻すと、アメリカメディアのトランプ叩きはやや度が過ぎる。
アメリカ人ではないので、肌感覚はわからないけれど、
どうもいわゆる「不動産屋のオヤジ」的レッテル貼り、人格ヘイト攻撃が
目に余る。仮にも7,000万人以上のアメリカ人が信頼して投票した人物。
日本メディアがその尻馬にただただ乗っているのは見苦しく嘆かわしい。

おっと、タイトル付けから横道に逸れまくり(笑)。
富山の「豪農館」という住宅建築であります。
内山家というお宅ですが、明治になって家系は東京に移転されて
この建物は富山県に寄贈されて、その後一般公開されるようになっている。
WEBページの概要を見ると要旨は以下のようです。
〜富山県民会館分館内山邸は、越中の豪農・内山家の邸宅・庭園等を、
昭和52年8月13代当主内山季友氏から富山県へ譲渡されたもの。
内山家は1521〜1531年頃、富山市内地域で新田開発してから
450年続いた家柄で、資料で確認できる累代では季友氏が13代目。
歴代当主は富山市内神通川の氾濫原野の開発新田に基礎をおく自営大百姓。
富山藩時代には十村(とむら)役として地域の勧農・治水にあたり、
たびたび富山藩主の来訪も受けた。明治以降地主制度のもとで最大繁栄期。
この建物の大部分は11代内山年彦によって幕末1868年に建てられたもので、
江戸時代の典型的豪農屋敷の構えと生活様式をとどめている。築150年。
座敷、広間等の構成は伝統を受け継ぎ、いろり部屋、にわ(作業小屋)等は、
農家としての特色を残す。また明治期12代内山外川氏によって改装された
表座敷や書院の一郭は選びぬかれた材料でつくられ当時の「千石地主」の
繁栄ぶりが偲ばれ広大な庭園とともに深遠な趣きをただよわせる。〜


・・・という邸宅。「日本人のいい家」という範疇として考えたとき、
庶民性からはかけ離れているかなぁと思いましたが、「千石地主」という
不動産王の「御殿趣味」、住宅へのこだわりのありかを探ってみた。
広大な家屋敷で江戸期までの日本人成功者の心情があらわれている。
「結構」な空間として特徴的な庭の景観を楽しむ「月見台」。
そして茶を愉しむ空間では、独特の窓造作などが見られた。
こういった趣味傾向にお金をかけるというのが江戸期までの金持ち心理。
カネで成功した人間として、自分は文化人としても優れているのだと
そのような自己顕示メンタルの方向に向いて行くのかと推察されました。
文化的な中央権威への無条件の翼賛が感じられ、
生業感、生きる必死さのような部分ではややうつろを思わせられる・・・。
結局自分は住宅を通して住む人の個性・生き方を知りたいのだと気付く。

【石器時代以来の普遍技術〜船大工】




住宅の領域でながく雑誌とか情報に関わってきたけれど、
その基礎になる大工技術は、発展の最初期に船大工と家大工に
大きく分化したのだとその歴史的経緯を教えられることがある。
家大工より先行して船大工の歴史がありそこから家大工は分かれたと。
木造住宅というのは、せいぜい数百年程度しか存続し得ないけれど、
世界最古の丸木舟は、オランダで発見されたもので
炭素年代測定法により、紀元前8040年~紀元前7510年ころのものと推定。
(同国のA28自動車道を建設中の1955年に発見された。)
ということは、約1万年以上前のものということになる。
日本の歴史で言えば縄文時代真っ最中ということになる。
しかし人類がグレートジャーニーで世界の全大陸に進出したことを思えば、
はるかに先行する時代から船大工技術が存在していたのは明白。
現生人類8万年の出アフリカ歴史と随伴して船大工技術はあったのだろう。
人間の移動手段として水上利用はきわめて原初的。
現生人類はアフリカを出発してから、いくつかのルートに分かれて
アジアに到達したけれど、海沿いに東進した人々は海を右手に見ながら
この列島にやってきたに違いない。この旅の記憶が人類には深く刻まれている。
ユーラシア大陸最東端から船で沖縄諸島・日本列島に人類が到達したとき
(おおむね3万年前くらい)そのときには船でやってきたことは確実。
海を渡るという冒険心はすごい飛躍だと思うけれど、そのためには当然、
木を伐採して船を作る、という技術が前提になっていなければならない。
それも大海に挑戦するには造船技術の何段階もの技術進化も欠かせない。
当時広大な陸地だったと推定されている「スンダランド」と名付けられた
現在のインドネシアとかインドシナ・フィリピンエリア、台湾地域は
まるで人類の揺りかごのような地域だったと想像されるけれど、
そこから冒険者たちはあらたに太平洋を渡ろうと考えて沖縄諸島に来た。
これは以前放送されたNHKの人類の旅番組でのストーリー。
おおむね事実と推定しうる根拠があると思っています。

石器時代というのは、移動採集生活の時代。
そういうライフスタイルにあって船を使うというのは、
移動手段として最先端技術であったに違いない。
というか、木が水に浮かぶ公理を技術に利用した人類知はすごい。
狙った獲物への接近手段で水上移動は有用性が高かったのは想像に難くない。
陸上と水上の2面作戦は狩猟にたいへん有効だったと思える。
一番上の写真はエジプトの船大工の様子を描いたレリーフ。
2番目の写真は縄文時代の時代相の博物館展示。(富山と新潟)
そして3番目は現代の中東に残された船大工技術の実演風景。
上の2枚の画像からは、石斧が重要なツールとして表現されている。
現代は石斧から鉄製の斧に置き換わっているけれど、機能は同然。
木を切るとともに、丸木をくり抜いていく作業は人類普遍の知恵だとわかる。
この石斧は縄文に先行する石器時代からの「伝統技術」であることが明らか。
石斧は現世人類ごく初期から有用性のきわめて高い道具だった。
木を加工するときにこれを使って切ったり、掘り込んだりしたのでしょう。
この石斧の進化史をたどっていけばミッシングリンクが見えてくる予感。
船大工技術はこう考えると、相当古層で人類進化の大きな要因だと思う。
木造と人類進化の歩み、いよいよ面白みを実感させられる。

【アイヌチセはなぜ「平地住宅」になったのか?】

アメリカ大統領選の帰趨はどうも明確にはならない膠着状態。
激戦各州で再集計作業が始められてメディア各社のバイデン勝利報道についても
「確定票」としては過半数270に届いていない、というアナウンスになってきた。
いま現在バイデン259対トランプ214ということでストップしている状況。
当面、このような混乱はどうも収まりそうもないようです。
そういうなかで新型コロナの広がりは予断を許さない。・・・
不確定要素の多い2020年11月。で、札幌は一気に冬景色。
このまま根雪になるとは思えませんが、朝の散歩は雪景色に突入であります。

ということで本日は伝統住宅探訪であります。
北海道で古民家とは縄文期以来痕跡が存在する。
有名なのはアイヌアイヌチセなんですが、北海道内での住居の系譜では
それ以前の時期とは、大きな「断層」が存在する。
最近よく取り上げている「竪穴住居」ではなく、
日本史の鎌倉幕府に相当する時期ころから、
それまでの竪穴に代わって「平地住宅」のアイヌチセが出現するのです。
図はアイヌチセの建築プロセスですが、見てわかるように
床面が平地のまま、基礎を掘り込んだりしないのです。
現代では竪穴伝統の継承とも言える「凍結深度」以下まで地面を掘り下げて
冬期の土壌冷却での「凍結」に気候対応するのが寒冷地住宅の基本。
むしろそれ以前は竪穴として気候対応していたのに、なのです。
なぜ、竪穴から平地住宅に代わったのか、という大きな疑問。

まぁ本州社会、ヤマト社会でも竪穴から徐々に平地住居に代わるので
よく似た事情がそこに投影されているのではないかと思っている。
そういった変化には「ミッシングリンク」がなにかしらあるのではと
想像できるのだけれど、なかなかそういう痕跡が明らかではない。
先日、移動採集社会から定住の住宅に移行した時期のミッシングリンクとして
「穴を掘る技術」ということに着目したのですが、
竪穴から平地住宅という場合には、どうもこういうのが見えないのですね。
動機についての想像では、竪穴の最大の弱点が春先になると床の土面が
湿潤になって乾燥状態になりにくく、いごこちが悪くなるという説がある。
江戸時代に北方探検した日本人が北東アジアの人々の竪穴を訪問して
そのような記述を残している。北海道と同様の寒冷地で、
竪穴は「冬の家」としてあり、併置的に「夏の家」として
高床式の通風重視の家も持っているという記述があります。
理解出来る合理的居住環境選択だと思われるのですが、こちらの
アイヌチセの場合は、竪穴から一気に移行している(と思われる)。
まぁ考えられるとすれば、気候の温暖化ということがありえる。
寒季の気温が平地住宅でも越冬可能なほどに上昇していた可能性。
さらにこの時期、竪穴のかまど+囲炉裏という「土器」ベースのキッチン環境から
広範に「鉄鍋+自在鉤」という囲炉裏だけで用が足りる「食卓革命」が
アイヌの人々の住環境を大きく変えたのではないかという説もある。
・・・いまのところは、想像の域は出ていないのですが、
このあたりの研究は不勉強で、説得力のある説明に出会っていません。
北海道の住宅革命というと、明治以降・戦後の高断熱高気密化が
もっとも大きな変化だと思いますが、それに遙かに先行してやや逆行的な
この平地住宅革命も現実に起こっていたのは事実なのです。さて真相は?

【バイデン4年前発言「日本国憲法は我々が作り押しつけた」】


アメリカの大統領選挙の混乱を横目で睨みつつ、
とはいえ国際関係は停止しているわけに行かない。
先日書いたようにバイデンへの「祝意」を日本・EUが表明した。
菅さんの場合、Twitterでの書き込みという「祝電」とは違うカタチ。
EU首脳も同様の「フランク」な表明とされる。注意深く媒介を選んでいる・・・。
4年前の選挙のときには、就任プロセス前のトランプさんに対して
たまたま訪米日程が組まれていた安倍首相は急転その自宅を訪問した。
正式な外務省ルートは機能せず、政治家・安倍晋三のネットワークから
仲介者を探し出して。正式外交ではないので逆にツッコんだ話し合いができた。
政治家同士の本音の部分を確かめられたことで、その後の日米関係が
特異に接近し、いわばこの4年の世界の枢軸的なものになっていった。
今回のバイデンについては前・オバマ政権の副大統領であり、
すでにさまざまな人物把握、性格特定ができているだろうから、
トランプのような未知数部分は少なく、外交常識的範囲になる可能性が高い。
菅首相も2月訪米を視野に入れているとされている。

今後、バイデン政権についての本格的な分析検討が始まっていくと思う。
メディアなどがどういうポイントに比重をかけてくるかはいま不明だけれど、
わたし的にはより親中的なスタンスを取る可能性が高いと感じる。
先日も書いたが、スーザン・ライスという女性が国務長官候補に擬せられている。
米民主党スジからのリーク情報と思えるが常識的な信憑性があるのだろう。
たぶんこういった情報の流れが正解になっていく政権と予測できる。
彼女は黒人女性でかねてオバマ政権で国務次官補を経験している。
その事跡からかなりの「親中派」と目されているワケ。そうであれば、
トランプ政権の表面的な現状追認から、中国重視に復帰する可能性が高い。
それは日本にとって対中「抑止力」の減衰を招来させる。
台湾にとってこの「変動」は死活的であり同時に尖閣も危機レベルが上昇する。
アメリカの抑止力が減衰すれば東アジアのパワーバランスは崩れる。
オバマ政権時点への世界史時間の巻き戻り。中国の侵略に無反応なアメリカ。
そのとき日本はどう対応すべきか、日本自身に問われてくる。
必然的とされるのが日本の自主防衛力・抑止力の向上。
そのときにポイントになりそうなのが、4年前副大統領当時のバイデン発言。
「日本国憲法はわれわれが作って押しつけた」というもの。
まぁ大統領選挙の渦中での副大統領発言ではあったけれど、言外には
(日本を無力化させるために)という意味合いが込められていた。
国の根幹に関わる事項での発言であり、独立国家に対して侮蔑的態度。
ふつう副大統領・常識的政治家なら、日本の国体への「配慮」はあるべきだろう。
たとえそれが世界常識的真実であっても、だ。
占領した側がこうも正直に自白しているのに、しかし当の日本国内では
現に周辺隣国から脅威を仕掛けられているのに「他国の善意を信頼して」
無防備とする憲法9条を金科玉条とする勢力が根強く存在する。
日本の国防研究を妨害し続ける学術会議もこうした日本無力化のひとつの仕掛け。
バイデンはまさに正直に、戦後一貫した米民主党左派の対日無力化戦略を語った。

この発言について、日本社会は発言の真意を確認する必要があると思う。
言ってみれば占領国による国際法違反の暴挙が自白されたのだ。
(占領国が相手国に憲法を押しつけるのは普遍法「民族自決」への国際法違反。)
そしてアメリカ自身のパワーが衰退していく一方で、このドクトリン通りに
自縛的憲法を日本はいまだに克服できていない。
この自縛的憲法によって中国・北朝鮮・韓国のわが国への侮蔑外交がある。
「なにをやっても反撃してこない。米軍にさえ配慮すればいい」・・・
米民主党政権・軍による占領からいまに引き続く米軍駐留の現実があり、
日本社会の裏の統治コントロールシステムが陰に陽に社会に張り巡らされている。
日本学術会議のありようを通じて、米民主党左派が作った占領システムが
実質的に日本社会を占領し続けていることが客観的事実として暴露された。
いまに至る日本メディアの基本的ありようもこのシステムの一翼とされる。
・・・日本の構造、戦後世界の構造がさまざまに暴露されつつある。

もちろんこういう社会構造システムのなかでもわれわれは日本の「平和」を確保し
自立を探ることを冷静に追究しなければならない。しかし
占領・米民主党左派の日本永久支配を自白したバイデンは前言をどうするのか。
「いやあれは・・・」と、外交上なかったことにし続けるだろうか?

【縄文「火炎土器」は優しいおばあちゃんの造形?】

先日書いた米大統領選の微妙な推移ですが、
米国内状況とは別に世界の超大国なので、友好国・同盟国の対応が難しい。
有力米国メディア2社以上が「当確」を打ったら、という情勢判断根拠から
EU諸国と日本は歩調を合わせてバイデンに「祝意」を送ったとされている。
EUの場合はメルケルさんとトランプの「確執」もあって、
どちらかといえば民主党政権寄りの姿勢が伝統的スタイルなので、
言外に常識的スタンスへの復帰「歓迎」的なニュアンスが感じられた。
それに対して日本は慎重に情勢判断してこのタイミングで意思表示した。
まぁ常識範囲での対応といえる。しかし、EUと日本のスタンスには違いがある。
今後、民主党左派の影響力が増大しそうなバイデン政権には、
相当デリケートな対米外交の構築が迫られるでしょうね。
移行期、前政権との良い関係を持っていた国として、距離感が難しい。・・・

一転して本日は火炎土器テーマ。写真は全国の縄文時代展示のなかでも特異だった
新潟県立歴史博物館で見学したモデル展示の様子であります。
ほぼ実寸大と思われる人物マネキンがさまざまな「縄文の世相」を
わかりやすく伝えてくれている展示です。
だいたい全国のほかの施設では画像とか、テキストでの説明が一般的。
ところが、新潟では研究員のみなさんの「思い入れ」が強く反映されている。

縄文土器でも、火炎土器というデザインはその着想の奇抜さに驚く。
ふつう生活必需品であれば、日常の手入れなども考えて
扱いやすく、洗浄などに便利なようにスラッとしたデザイン志向が優勢なはず。
ところが、弥生時代になるとそのように自然な傾向になっていくのに、
はるかな長期間、1万年も続いた縄文土器時代には、
この「火炎土器」のような生命力そのものを感じるデザイン。
造形的にも複雑で、まるで岡本太郎さんが生活雑器を作ったみたいなカタチ。
岡本太郎は作風からも、また著書でも火炎土器の生命力への心酔を語っていた。
先日のブログで書いたように縄文時代には、海の幸や山の幸をこの土器鍋で
「鍋料理」として食していたとされている。
この土器を石のつっかえ棒などで立てて底や側面側から直火で炙って加熱した。
デザイン表現の意図としては、その直火のさまを同調表現したものでしょうか?
自然の産物を火で調理して、食べやすく美味しく変容させることに
ある種の「呪術性」をそこに投影させたのか?
火への信仰にまで高められた人類の祖形を感じさせる造形ぶり。
いずれにしても意思的な、強い「表現性」が感じられる。
そういうことなので、男性・女性という概念からすれば男性的と思っていた。
ところが、この表現を見ると女性で、しかも高齢な方。
この優しげなおばあちゃんの手から、このような火炎土器が生み出された?
この点について「考証」がどのようであったのか、知りたい。
公共的な博物館の学芸員さんの「監修」であれば一定の根拠があったに違いない。
そう考え、了解するのが普通だと思います。
土器の制作自体、縄文の世では女性が担っていたという根拠事実があるのか、
そして高齢の女性の方がこうした作業に与っていたのか。
う〜む、岡本太郎さんにその血を伝えた偉大なおばあちゃんだったのかなぁ?

追記:こういう先史時代において、
日常の容器・土器は世界的に女性の手によって作られたのが人類普遍的とのこと。
細い口をもった煮沸容器などでも底に手で平滑化させた状況など、
女性らしい作り方が見られるとされているそうです。
やっぱり火炎土器は女性が作っていた可能性が高いのでしょう。う〜む。

【狩猟・貯蔵・住宅etc 「穴を掘る」人類知】



人間は農耕を始めたり、縄文で「定住」をはじめるより前に
移動採集という長い暮らしがあった。
現生人類では8万年と言われる出アフリカの過程で定住をはじめたのは
高々、1万数千年前からであり、それ以前の古ライフスタイルは移動採集だった。
主要な食糧調達手段は木の実などの採集とともに狩猟。
人間が食料として獲得したかった他の動物、大型動物は長距離走行は難しかった。
それは体毛が発汗を阻害するためだった。そういった必然性から
人間は狩猟するとき長距離を走れるように、体毛を脱ぎ去ったと言われる。
その狩猟では、さまざまな「技術・工夫」が開発されただろうけれど、
なかでも最大のものとして「落とし穴」製造技術があったことが知られる。
大型の動物を人間狩猟集団が「追い込んでいく」ことはできるけれど
「確実に殺す」ためには、さらに決定打が必要になる。
マンモスのような大型獣の場合など、大型の穴が必要とされたに違いない。
そして掘った穴に「目隠し」の被覆をする必要がある。
そこで伐採した木材や下草などの類で「煙幕」を張り巡らしておいただろう。
集団で四方八方から追い込んで全身ではなくてもカラダの自由を奪ってしまえば
槍や弓矢などで確実に仕留めることができただろう。
この推定で気付く点が多いけれど、穴を掘ったり、木を利用するという営為は
竪穴住居づくりにおいて決定的な要素技術だと思う。

移動採集生活での住居は「洞穴」が最適な場所だったに違いない。
風雨をしのげると同時に、温熱環境でも最適環境であると
かれらの肌感覚で知っていたに違いない。
人間の温熱感覚もそうだけれど、獲得した食料の「保存」にも
非常に有益であることがかれらの常識になっていったことも間違いない。
地中の穴倉に食料を長期保存するのは普遍的なくらしの知恵。
大型獣や木の実など採集食物もある地域で採りつくしてしまうと枯渇する。
そういう理由で洞穴生活には時限性がつきまとっていたけれど
しかし人間の居住環境として、洞穴の温熱環境の快適性はDNAに刷り込まれた。
日本列島では定住=縄文ということになる。その生業とは漁撈と採集。
海や大河川流域が食糧確保の最適環境というのが普遍的選択。
残っている竪穴住居痕跡は、おおむねこのような地域に存在する。
ウォーターフロント型の環境の中で、長く居住することになる。
最初期定住では移動採集時代の延長的な意識が強かったかも知れない。
定住を始めるとき、前時代の要素技術の中で確実に、
「穴を掘る」という技術が最重要技術として次代に受け継がれていった。
たぶん最適環境としての洞穴環境がアナロジーされていた。
結果出現したのが「竪穴住居」という人間定住を長く支えた住環境。
食を満たす火の場を中心に、温熱的に有利な竪穴をある深さで掘り床面とした。
そして落とし穴作りのときの木や葦の利用技術で、屋根が架構された。
その地域の気温に合わせて葦類の屋根の厚みで調整していった。

こういった推論を上のいくつかの博物館展示画像などから
思い描いている次第であります。人類と居住のひとつの解ではと考えています。

【シカ・モモ肉サイコロステーキ ジビエ料理 in北海道 】

初雪も降って、いよいよ白い季節へまっしぐらの北の国から。
野生動物の猟が解禁されて、スタッフの旦那さんがまたことしも
シカをハンティングしてきてそのお肉をお裾分けしていただきました。
ことしはテレワークでスタッフは半々の出勤という体制なので、
ふるまいは、きのう出社のスタッフのみ。総勢10人。
3密を避けて、サイコロステーキを焼いて大皿に盛って
各自が紙皿に取って、オリジナルソースも各自お好みでという食べ方。
オリジナルソースはわたしのテキトー特製でして、
シカ肉を焼いたフライパンに秘密の特製スープをベースに
赤ワイン、各調味ソース、ショウガすりおろしなどをブレンド焼成して作った。
シカ肉自体は粗め塩こしょうをふっただけで、写真のようにカットして
2時間ほど冷蔵庫で寝かせて一気に火を通した。
しかしシカ肉って、みた目、まったくの赤身。
マグロかと目まごうばかりでありますが、野生の俊敏さのまま、
ムダのない精肉感がジワジワと迫って参ります。
ステーキとして焼くと、結構な脂肪分が肉汁として出てくる。
この肉汁がベースになるので、オリジナルソースの味わいが深くなる。

で、仕事の絡みがあってごはんを炊き込むのが
やや時間遅れてしまって、いちばん後から「おにぎり」にした。
こちらも6合ほど炊いて、全16個、大急ぎで握って
なんとか食事時間に間に合わせた。
シカ肉は昨年にも同様にお裾分けいただいたけれど、
まことに自然な風合いで、臭みもほとんどなく牛肉以上の洗練された味わい。
まぁ味わいとしては牛肉に似たうま味が感じられますね。より淡泊。
付け合わせにレタス+キャベツ+ピーマンなどで生野菜もセット。
お好みでニンニクもすり下ろしておいたのですが、
まぁ仕事中だと言うことで、そんなには消費されなかった(笑)。
ショウガ入りのオリジナルソースは盛んにスタッフから製法を聞かれたけれど、
テキトーなので、ほぼ再現性はゼロ(笑)。一期一会であります。


で、ちょうどタイミング良く次兄が自宅庭でことし収穫された
青葡萄を持参してくれて、たのしいデザートまで提供することができた。
人間は他のイキモノのいのちをいただく罪深い存在です。
南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、・・・・。しかし、
北海道でしか食べられない自然な味覚、堪能させていただいた秋の1日でした。

【アメリカ混迷 安保の動揺は日本に自立を迫る?】

アメリカ大統領選挙。時々刻々と情勢が流動していて最後まで混迷すると
事前のアナウンスが喧しかったけれど、どうもそのシナリオが現実化してきた。
テキサスやフロリダという激戦が伝えられていた州ではトランプ勝利。
カリフォルニアやNYという人口密集地域では最初から民主党優勢だったけれど、
本当の勝敗の分岐点は、スウィングステートの帰趨だといわれ、
事実その通りの展開になってきている。開票も進んでいない様子。
まだ各州での「不正」までが云々されている段階で、推移は微妙な情勢。
万が一、不正の事実が証明されたら民意がどう動くかわからない。
ただいずれにせよ、事前にアメリカのマスメディアが伝えていたような
バイデンの圧倒的優勢という報道ぶりの不見識は露わになった。
あきらかな「情報操作」だったことがあぶり出されてきている。
まぁアメリカメディアはハッキリと党派性を謳っているので正直ともいえる。
一方でアメリカメディア以上のバイアスが顕著な日本のマスメディアは
その「報道」姿勢においてあまりにも問題が多いと思わざるを得ない。
トランプの「善戦」ぶりからは、英米社会のエスタブリッシュ・エリート批判が
今後とも大きなうねりなのだと示されているだろう。

さて、世界のたったひとつだけの「同盟国」である以上、
アメリカの動向は日本にとって安全保障・存立の根幹に関わる大事だと思う。
政権の帰趨があきらかになるまでは対米で行動を起こすことは難しい。
現状ではバイデン民主党の手中に権力が収まる可能性も高い。
トランプ政権が継続すれば戦略はそのままで日米関係は推移するだろうけれど
バイデンが対手となれば、日本の基本戦略も練り直しを迫られる。
そもそも日本の憲法など占領政策は米民主党左派の「置き土産」色が強い。
高齢・認知症疑惑でその失言ぶりが知られるバイデン大統領となれば、
民主党の「集団指導体制」的な権力になる可能性が高い。
共産主義者といわれるサンダースまでが「何々長官になる」と
テレビで発言しているとされるので、バイデン自身の権力意志というより
個別の「長官」による分割統治に近い権力体制になるのではないか。
そうだとすれば、対応はそれこそ複眼的なやり方になっていくだろう。
また、明確な指導理念とか指導力というものは見えにくいかも知れない。
なにより「反トランプ」政権という性格が一番の特徴であって、
個別政策では世界への強いリーダーシップは当面望めないように思う。
それを見越して中国がどう対応してくるかが最大の危機要因。
どう考えてもアメリカの国際パワーの相対的低下は免れない。
たぶん日本はトランプ政権時よりも中国から攻撃が強められる可能性がある。
場合によっては台湾侵攻とワンセットで尖閣強襲があり得るのではないか。
ANTIFAやBLMを容認する姿勢のバイデン政権で対中国政策がどうなるか、
親中派のスーザン・ライスが国務長官候補という一部報道も見られた。
日米豪印の準同盟関係構想や、ファイブアイズへの日本参加なども
どう展開していくのか、見通しは立ちにくい。
しかしアメリカが混乱するほど、日本の「自立」も現実テーマにならざるを得ない。
もしアメリカの影響力が今後大きく低下し日米安保が動揺する場合、
国際関係で日本はどう位置取りすべきか迫られることになるのは自明。
ごく一時期を除いて、歴史的に見て対中迎合姿勢は日本には馴染まない。
そこから導かれる流れとして戦略的「自立」やむなしとなったとき
いまの自縛・自虐的憲法体制でそれは可能か、冷静な選択が迫られるのでは?

世界は固唾を飲んで、アメリカ大統領選挙の対応作戦会議に
いま没頭させられていることだけは間違いがない。・・・