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【日本GDPは年間30兆円減予測 焦点の経済動向】



先週書き忘れていたけれど、日本の7-9月期のGDP速報が出た。
上の2番目の表は日経の記事からのもの。
事前には18%程度とアナウンスされていたが、21.4%と発表された。
アメリカやEUは4-6月期の「谷」が深かったので、リバウンド幅も大きかった。
日本はそこまでの巨大さではなかったのでそれなり。
で、一番上のグラフは数量物理学者・高橋洋一氏の
安倍前総理が座長を務める直近25日の自民党内経済財政研究会での
「ポストコロナの経済政策を考える」講演資料より。
安倍前総理は病気回復後、経済政策に依然強い関心を持っているようだ。
高橋洋一氏はいまの菅政権でも参与就任の近代経済学系の財務省OB。
長く安倍政権での経済政策にも関わってきた人物。
経済学領域では昔から日本の学会主流は「マルクス経済学」と言われる。
マルクス経済学では現実の経済運営をどうすべきかの判断力がないとされる。
それに対して世界標準の経済財政の現場的にはケインズ・近代系。
財務省主流とは意見を異にするとされ、自民党政権側では重用されている。
財務省の言うことだけを聞いていてはひたすら「健全財政」という均衡論に陥る。
いまはコロナ禍での世界経済の非常事態のただ中。
2019年段階の日本のGDPは540兆円。それに対して、いま直近の数値では
2020年度は対前年で30兆円のマイナスで、通常成長率からの下落率では
40兆円のマイナスになっているとされていた。
第3四半期の上昇率が見た目の大きさで目立つけれどマイナス回復には遠い状況。
いま第3次補正から2021年度予算策定が直近の未来指標になるけれど、
最低30兆円規模の手をうたないと不況から増えるとされる自殺者が
足下の月2000人台から来年半ば過ぎには月6,000人規模に増加すると予測。
自殺と経済状況には相関性が認められると。
要するに、経済が縮小しているので財政出動でそれを下支えしなければ
深刻な不況が襲ってくるというアナウンス。以下nippon.comから要旨。
〜警察庁のまとめで、2020年10月の自殺者数は速報値で2153人となった。
前年同月比で39.9%(614人)の増加。自殺者数は2010年から10年連続で減少。
20年に入ってからも1~6月までは前年同月比マイナスで推移していたが、
7月以降は4カ月連続で増加している。1~10月の累計の自殺者数は1万7219人で
前年同期より160人多い。〜


一方でこのグラフは直近の世界の人の往来状況。
Appleから発表されたデータと言うことでスマホの電波から
ビッグデータとして紡ぎ出されたものだということ。日経記事より要旨。
〜街角からは人影が消えつつある。地図アプリデータ分析した米アップルによると、
公共交通機関の利用は27日までの1週間で、1カ月前と比べて
イタリア、ベルギーで3割強、独仏で16~18%減った。
外出制限はユーロ圏の雇用の75%を支えるサービス業を苦境に追い込みかねない。
・・・厳しい規制を導入すれば経済は落ち込むが、規制をためらえば
感染拡大で経済はさらに大きな打撃を受ける。経済と感染抑止は両立できるのか。
ワクチンや治療薬が見つからないなか欧米当局は最適解を探しあぐねている。〜

こういった環境の中で個別の仕事環境を考えていく必要がある。
当面は第3次補正の規模と内容がどういうものになるのかが焦点。
単純に日本のGDPは前年540兆円からどう着地していくのか、
いま直近の景気投資マインドに大きく影響するので、注目せざるを得ません。
世界も日本も財政経済運営はいまが胸突き八丁というところでしょう。

【江戸期大工「名工・安幸」の工期28年住宅・神棚】


信長の家、安土城にハマっておりましたが、
きょうはまた遡って、源平合戦ころ由来の能登の旧家にタイムスリップ。
平家の配流人です。軍事の清盛とは肌合いの違う文官系の平時忠の家系。
平時忠は壇ノ浦合戦で捕虜となって3種の神器のひとつを守っていたことで
死罪を免れて能登に配流されたのだという。
その後、息子の「時国」が家を継ぎ、鎌倉幕府に配慮して
平氏の名を変えて「時国」というセカンドネームを姓にしたということ。
一族は一時山に隠れ住んでいたけれど頼朝直系の源氏嫡流政権が途絶して
ようやく追究の手が弱まり、周辺の農地を買い求めることができたのだという。
それ以来25代にわたって家が存続し続けてきている。約1000年。
ロッキード事件で田中角栄を裁いた判事は、時国家の末代の方とも。
というようなことですが、敬愛する歴史家・網野善彦さんが
この「時国家」に残された古文書類を整理された内容紹介を読んで、
北陸出張の機会に足を伸ばして写真撮影してきていた。
日本の民俗、家系というものの実質が時間を越えて迫ってくる。
なんといっても源平期からすれば1000年の時間規模。
そういう「家」があり続けていることに率直に感動させられる。
とくに北海道のように150年しか時間積層がない地域からすれば神代の感覚。
残念ですがこの上時国家、公開はこの11月29日で終了するという。・・・

この写真の「神棚」は、いま「上時国家」として残る住宅に
残され、飾られていたものです。
この国指定 重要文化財の住宅は、いまから188年前の江戸期に建てられたもの。
「名工・安幸」と名の残る大工棟梁がなんと28年かけて竣工させた。
おいおい、でありますが、時国家は北前船交易にもからみ、
活発な江戸期の経済活動に参画していたので、
このような破天荒な本物志向で住宅建築、発注したものでしょうか。
それとも、この棟梁さんはあちこち掛け持ちでなかなか工事に集中できずに
だらだらと時間が掛かったのでしょうか?
残った住宅を見ると、さすがに大納言格式といわれるほどの出来映えであり、
大工棟梁としての人生をかけた労作であった、という方が正解に近いでしょう。
多少の工事中抜け期間はあったでしょうが、作り手の気迫は継続したに違いない。
よく神棚は、その家を建てた大工が、最期のワンピースとして
手づくりで作るというように言われます。
この上時国家の入口玄関にはこの神棚と同じ唐破風が装置されていますが、
神棚に唐破風までデザインされているものは見たことがなかった。
先日、富山の宮大工の手仕事の装飾木工品をわが家にいただいたのですが、
こうした手づくり工芸品の佇まいというのは、格別に感じる。
家に装置させてみて、その時間積層がじっくりとつたわってくる。
いわば画竜点睛というようなコトバの感覚に近い。
それが最期に一点加わることで空間にいのちが吹き込まれるみたいな
そういう空気感が漂うものだと実感させられる。
で、写真整理していて、やはりこの神棚にはそういう作り手の気迫が
ジワジワと伝わってくるパワーがあると感じられるのです。
28年間も手塩に掛けて作り上げた住宅。ほぼ職業人生時間に相当する。
ちょっと気の遠くなるような時間をひとつの住宅に対して掛けて
さてどんな心境で最期のワンピースを仕上げたか、想像力を掻き立てる。
現代でこんな家づくりというのはどんな高級住宅でもありえないだろう。
そんな家の様子を写真構成でまとめますが、その最期のワンピース先出し。
あ、注連縄も手づくり感ジワジワ・・・。

【ホントかなぁ? TPP「積極的に検討」習近平】


本日は連休中でトピズレ、気になる時事経済政治ネタ。
先週11/20日米中など21カ国・地域のアジア太平洋経済協力会議(APEC)
首脳会議において中国・習近平が「TPP参加を積極的に検討」と 言及。
これに先立って11/15にはRCEP(東アジア地域包括的経済連携)も締結。
このRCEPもTPP(環太平洋パートナーシップ協定)のどちらも日本が
安倍政権時に戦略的に推し進めた多国間貿易環境。
TPPはトランプ政権が「アメリカ第1主義」で国際協調から2国間交渉に軸足を移し
その後、日本が中心になって国際協調の枠組みを先導してきた。
RCEPも当初の「日中韓」の枠組みから大きく拡大させて全15カ国でのスタート。
日本はインドの将来的参加にも含みを持たせたカタチで締結にこぎ着けた。
TPPは言わずもがな、中国独裁に対し自由貿易原則を対置したもの。
とくに投資の自由とか国有企業規制について明確に規定している。
中国の参加は自国体制危機を招くのが必至で、ありえないとされてきた。
その基本条件は変更されるわけもないので、習近平のこの発言は、
トランプ後の世界の情勢を見ての「孤立回避」作戦ではないかと思われる。
いま世界は対中包囲網の顕在化、対中認識が非常に厳しい局面にあり、
中国としてそこからどう脱するかの戦略判断からの観測気球。
バイデン政権樹立となれば、経緯もあるので直ちにではないにせよ、
アメリカのTPP(復帰)参加は濃厚。
機先を制してこのタイミングで中国は孤立回避策を打ち上げたというところか。

日本の菅政権にとって、これらの貿易協定は日本が中軸であり、
さらには日本経済復元の戦略、当面する世界戦略として最重要。
EU離脱後のイギリスにとっても魅力的な経済圏であり、
バイデン政権の動向も見通していち早く中国が反応したということだろう。
そういう意味では中国はなかなかにしたたかだと思わされる。
自国体制の根幹は絶対死守するだろうけれど、話し合いのポーズを取ることで
その果実、市場にはエントリーしておきたいというのが真の狙いだろう。
場合によっては譲歩もちらつかせながら、中国有利に持って行く底意。
日本の国益にとっても中国市場は無視し得ないけれど、
同時に中国の外交戦略からもいまは日本くらいしか懐柔しうる相手先はない。
ただ天安門事件時点での天皇訪中は日本の助け船だったけれど、
それに対して直後に中国は反日教育を対置してきた過去を持つ。
いまは習近平国賓招待が中国としてはカードになると踏んでいたけれど、
菅政権はスルーし続け不透明化するなかでの今回のTPP「参加検討」発言。
この変化球、揺さぶりは日本へ向けられたモノと考えた方がいい。
ただし以前のことは決して忘れるべきではない。冷徹な国益追求を目指すべき。
外交では欺された方がバカを見るだけなのだ。
今後の世界の焦点はこうした経済面にスポットが当たっていく可能性が高い。
日本経済にとって、ポスト中国市場も見据え自由で開かれた環太平洋市場を
自らの主導権で確保できていくのは最上戦略。大いに活用すべき。
日本企業としても、中国国内法に影響されない経済圏は貴重な存在。
中小零細企業も含めて、打って出る、あるいは国内市場に導引するのは重要。
こういった市場での活動が人口減少下での成長維持には欠かせなくなる。
コロナ対応政策には、ジェトロが海外のECサイトに「ジャパンモール」を作り
そこで販売する日本商品を募集しているという事業もある。
地方中小事業者でも海外戦略、こういった制度活用が考えられるかも。

外交的にこのTPP、RCEPは日本の平和の「武器」になる可能性が高い。
競争と協調の世界の戦いは矮小な国内政治をはるかに越えてドラスティック。
ポスト・トランプ、世界は徐々に陣取り合戦が始まっている・・・。

【宮大工伝統手彫り工芸、わが家のインテリアに】


3連休でありますが、感染拡大もあり自宅でのんびり。
兼用事務所なのでまぁふだんと変わらずの日常であります。
で、そういうことなのできのうご紹介した富山県宮大工の手になる浄土真宗寺院の
火災厄除け・木彫装飾の設置場所を検討して
玄関エリアの「DIYコート掛け」の上部が棟木のように見立てられる横架材なので、
その頂部であれば納まりがいいかもと考えました。
玄関であり、来客なども見ていただけるのでちょうど好都合。
多くのみなさんに、この富山県由来の木彫装飾を鑑賞いただける。
永い時間を「防火厄除け」の使命に捧げてきてくれたこの作品に
第2の役割を果たしてもらうに、いい箇所かもと考えた次第。

この手づくりDIYコート掛けはスタッフたちが手掛けたもの。
設計から施工まで「ああしよう、こうしよう」と工夫してくれた。
そういう労苦の作品に、富山の宮大工仕事の作品が「花をそえる」のではと。
まぁ大先生の見本作品が、ものづくりの心を教えてくれる(笑)。
わたしどもの事務所兼用建物はコンクリートブロック+混構造なので、
いわゆる木造的な構造部分は少なく、そのなかで
木造のこころが伝わってくるような場所、仕掛けとして考えてみた。
で、このコート掛けの「棟木」はツーバイ材で細い面が上を向いている。
そこにこれも幅約6cmほどの作品を「立てる」。
ということで、接着材は極力少量にしたい、また釘で繋げるのも
工芸作品に対して畏れ多いような気もしてくる。大工さんに申し訳ない。
しばし作戦を考えて、木ダボによる連結を思いついた。
緊結させる両方の接合部分断面にダボ穴を開けて、
そこにダボを埋め込んで上から押し込めば安定するのではという考え。

よく家具の接合では使われる手段だそうですが、わたしDIYでは初めての取り組み。
当面、設置場所への多くのみなさんからの「意見」も聞いていきたいので
ダボ緊結であれば、万が一、別の場所に移転させるにも好都合。
ということからまだ接着材は使わずにダボだけで保持させてみたい。

で、DIYショップであれこれと段取り購入。
目を皿のようにして「木ダボ」10個入りを発見。たしか100円くらい。
その寸法が太さ8mm、長さが30mmということでした。
それにあわせて電動回転工具の刃先のドリル金物を探した。
メガネをしてこなかったので、細かい商品説明書きが読み込めず、
親切なDIYショップ店員さんのお世話になって、たしか6−700円ほどの
ものを購入してきました。刃先の取り付けは各工具で違いがあるようですが、
その「締め込み」方法の違いで2種類あるということを初めて知った。
で、木彫装飾を採寸して、合計3箇所のダボ穴箇所を選定。
そこにマーキングして、ドリルで穴開け。あっという間に終了。
さすが電動工具であります、高齢者DIYの頼れる味方。
相方のコート掛け棟木にも同じ寸法位置にマーキング、穴開け。
多少木くずが発生しますが、たかが3箇所なので目立つほどではない。
で、棟木側にダボを装着。事前採寸通りピッタリと緊結された。
・・・本当は8mmといっても微妙に違いが、と不安だったが、さすが木工なので、
細部では木同士で円満に納まってくれるように思います。
最後に木彫装飾を上から落とし込み、嵌め込んだ。
これも、木同士の相性がバツグンだったのか、実に具合良く納まった。
すこし窮屈そうな手応えがあったあと、手での加圧によってピッタリ感が出た。
納まった後、手で確かめてみたがシロウト仕事にしては見事な緊結感。
この様子では、このまま位置が決定されても接着材までは不用かも知れない。

ということでしたが、どうもこの木彫装飾職人さんの導きだったかも(笑)。
シロウトDIYでダボを直感するなど、自分で信じられない。
天上から木彫装飾職人さんが自作品の行く末を案じて
わたしにスーパー超伝導で教えてくれたように思います(笑)。ありがたや。

【富山由縁の寺院火災厄除け・木彫装飾、わが家に】


北海道で古建築探究といえば三笠・岩見沢が拠点の武部建設さん。
民家関係の全国組織での活動も目覚ましく、実際の古民家再生などの実績も豊富。
そういうことで道内各所からの「引き合い」も多いのだと言うこと。

昨日事務所に帰ってきたスタッフから
「武部さんの社長から、これあげると預かってきました」と
差し出されたのがこの写真の木彫装飾。
武部社長が懇意の寺院の建て替えのときに、忙しくて受注できなかったけれど
「もし入り用なら、いまある建物の一部など、持って行って・・・」と
こころよくプレゼントされたのだと言うこと。
で、軒上に飾られていたこれをノコギリでカットして持ち帰り
それを「三木さんなら、喜んでくれるのではないか」と託してくれた。
さっそく武部社長にお礼の電話連絡すると
「これは浄土真宗の寺院で、富山県地方から来た宮大工の手のもの」
というような来歴をお聞かせいただいた。
北海道は日本海交易、北前船交易が歴史的にながく根付いている。
富山地方は戦国期以来、門徒(浄土真宗)の盛んな地域。
そこから北海道に渡ってくる人々が多かったので、必然的に
そういった宗派寺院も建てられるようになったとされるのですね。
札幌と室蘭を結ぶ「本願寺道路建設」という故実もある。
で、宮大工さんの手仕事としてこのような工芸的木彫装飾が作られた。
材質はタモだそうで、見た限り「一木」からの木彫品。
デザインは右側に滝と落ちる「波濤」が描かれ、そこを起点に川の流れ。
波頭がギザギザ表現もされそこに水鳥と思われる2羽が浮き彫りされている。
「寺だから火災をいちばん怖れていて、その魔除けで水がデザインされた」
という武部社長の建築的推定でしたが、作法として間違いないでしょう。
それにしてもいかにも丹精の籠もった一木彫り。
永くこの寺院を火災から守り通してきた一種のプライドも匂い立つ。
きっと大工職人の「心意気」みたいなものが籠もっているのでしょうか。
こういった木彫装飾は一軒の寺院に相当数作られたことでしょうが、
富山県から北海道に出張して来ていた間に造作したのか、
あるいは富山の「本社」の土場でたくさんの大工職人さんたちが
寸法規格を統一させて分業制作していたものか、
その制作工程にもいろいろな想像力が働いてくる。すばらしい。
絵図からこういった立体を紡ぎ出していく「手業」は、時代を超えて迫ってくる。

たまたま、最近ブログでは富山の豪農住宅も記事化した。
モノにはある種の「因縁」というものがあると思う。
いただいたこの木彫装飾、どこかに端座させたいと思案しております。

【上り坂・くだり坂、そして「まさか」】


人生を表現してか、あるいは企業経営を指してか、
よく言われるコトバ。まことに昨今は深く噛みしめさせられる。
戦前期を生きた人びとにとって、戦争・敗戦は「まさか」だったのだろうか。
国際紛争、戦争も含め個人の人生に「他動的な力」は不可抗。
考えてみれば戦争という民にとっての不可抗力は、日本史でも
江戸以前までは日常的だったことでしょうね。江戸期が奇跡だった。
わたしのように昭和中期に生まれてから今日まで生きてきて、
ありがたくもほぼ一貫して平穏な時代を生きてきたけれど、
核兵器という「抑止力」が働いて、核保有国同士の破滅的戦争は
可能性が非常に低くなって推移してきたその結果だけなのでしょう。
たまたま日本はアメリカとの間で同盟関係が続いて
強い抑止力として機能したのでその選択はおおむね良かったのでしょう。
しかし人類が全死する手段・兵器を持ってしまった以上、平和は均衡としての
それにしか過ぎず、理想論幻想は民の平和リテラシーを迷妄させる。
そうした均衡バランスは確保されていたけれど、しかしオイルショックもあり
その直後に就職して社会人になってからも、バブルの崩壊があり
リーマンショック、IT化の急進展がありと「他動的」要因はあり続けた。
そして「まさか」の東日本大震災が勃発した。
わたし人生的にはこの東日本大震災が最大のターニングポイントだった。

「あ、揺れている」と遠雷のような地揺れに身を委ねていた。
事務所の自分のデスクに座りながら、それ以上の行動を取れることなく
やがて揺れが収まって、情報を集め始めたら、
東北の状況が徐々に把握できるようになっていた。
ちょうど東北からの団体のお客様も数日前に接遇したところであり
わたし自身も、2日後に仙台に出張フライトを予定していた。
2日後、岩手県で仕事の予定があったのだ。それに合わせて
いろいろな企業先にアポも入れていた。
やがてテレビで仙台空港への津波の様子が映し出されるようになった。
2日違っていれば、あそこに自分がいたのかもとは、そのとき実感しなかった。
むしろ2日後までには水も引いているかなぁ、くらいに考えていた。
・・・そこから、「まさか」というコトバに実感が伴っていった。
その後、復興支援活動など無我夢中で東北に関わっていったけれど、
やがて落ち着きを取り戻すようになって、人生にはどうしようもない
他動的不可抗力というものがあると、深く胸に沈殿していく思いがあった。
これでこういう体験は終わりだとも思った。

しかしことしの、一向に沈静化の兆しの見えない状況も再びの「まさか」。
東日本大震災からの動きも時間経過とともに日常化して
それもまた与条件と客観化できるようになっていったけれど、
またふたたび、日常性を大きく毀損させる事態が、収束しない。
移動の自由が大きく毀損してそこからのビジネスの突破口は不可欠。
昨日もあるWEBセミナー、というか結局は売り込みセミナーを聞いたけれど、
手法として手詰まり感は否めなかった。確かにWEB利用プレゼンだが
自社だけにメリットがある内容を押しつけられるのは、受け手としてはツライ。
コミュニケーションの基本として、win-winの関係構築が
こういったWEB利用では非常に難しいのではないかと思われる。
対面でのコミュニケーションであれば、情報交換が相互的でwin-winで
進行させられる部分が強く、その上で「信頼」を得ることも可能。
WEBコミュニケーションは貴重だけれど、人間同士の信頼関係構築では
非常に難しいと思わざるを得ない。
・・・不可抗な他動的「非常」体験が、こういった部分でまで発生するとは
本当に「まさか」という思いが強くなってくる。ある意味核に匹敵の威力・・・。
しかも新型コロナ禍、ここに来て一段と猛威をふるってきている。
なんとか沈静化をと、祈る思いが募っています。

【身に付ける「屋根」 日本の雨具・蓑と笠】

雨って、地球創世以来の太古から天から降ってきた。
人間が出現する以前から、生命はそれとどう対応するか、
それこそDNAレベルで「考えて」きた痕跡がわれわれの血肉に格納されている。
どう対応しようかと考えるのは、人類みな普遍の工夫。
人類進化が分化してそれぞれ民族で違いも生まれたのでしょう。
そのなかで日本列島という自然条件で暮らしてきて、
ヒマラヤ出発の偏西風と日本海の水蒸気がこの列島に多雨をもたらす。
結果としてこの地に存在する素材を活用して、雨対策の知恵が蓄積される。
石器時代の雨対策は、たぶん森林や洞穴に逃れることだったと思うけれど、
長い採集生活は、自然界への注意深い探査で素材の特性も見極めていたでしょう。
そういった探究心、工夫の結果、民族的な雨対応文化が生まれてくる。
定住は縄文の世から始まったけれど、漁撈と薪の周辺バイオマス採集に
最適な場所を選定して、生活拠点として家を建てたときその屋根材として
周辺に豊富な「茅場」を確保もしていたと想像できる。
定住革命と同時に「萱」などの繊維利用が開始されたのだろう。
アイヌ集落などでは、集落共同の茅場は屋根材資源確保で必須条件。
まずは家の雨対応策、その確保実現があってそこからさらに雨具が考案された。

日本では雨具は、ながく「蓑・笠」が一般的だったと言われます。
童謡で案山子を揶揄するのに
「天気も良いのに蓑笠つけて・・・」と歌われるほどに日本人の暮らしに根がらみ。
傘も古くから存在していたとされるけれど、なんといっても高価だった。
比較物価的考証では、江戸時代中期頃で1本2万円程度から
安価なものでも5-6000円程度はしたとされています。
それに傘は、手が1本それに取られるので「ながら」労働には適さない。
適度の体動の自由さと、雨水防御を両立させた「笠」はオモシロい。
そしてカラダ全体を覆って動ける「蓑」は、
その素材が藁などの繊維素材でまるで屋根素材そのものであり、
屋根をまとって動き回るというイメージが強かったのではと想像する。
日本列島は先述のように多雨が特徴的な文化圏だと思います。
そしてその気候風土に根ざして萱などのストロー繊維質が自生し、
それを束ねることで防寒性や防雨性を見出して利用し始めた。
そういった無数の先人の知恵にうたれる。
萱などの内部空洞繊維質素材は「防雨」性能の理由が以下のように言われる。
1)茅が厚く葺かれているので、下まで浸み込むのに時間がかかるから。
2)雨で濡れた茅が膨張して隙間を塞ぐから。
3)中のいろりの煙で茅に付いたススが雨をはじくから。
4)棒状の材料を束にしたものによる導水効果で表層だけ水が流れる。
5)ガラス管束を少しずつ隙間を空けた実験で雨漏り防止効果が実証。
・・・というような科学的な解明が進んできていて、深く納得させられる。
日本列島で人々が定住をはじめた縄文の世から
屋根と言えば萱葺きを最上と考える知恵があり続けたのでしょう。
蓑は、それとほぼ同様の発祥であっただろうと推定できます。
雨が非常に多い地域なので雨だから休み、というわけにはいかない。
早くから「水田」耕作を続けてきたので、雨中の労働機会が多かったのかも。
労働を確保するためには、アタマに対して「屋根」をかけて防御して
しかも両手を自由に動作させられる蓑は、革命的だったのではないか。

当たり前ですが、人類の知恵というのは急に進展するのではなく
先祖から連綿と工夫してきている様子がいかにも興味深いなぁと思います。

【いい家とはなにか?/1758年から8代の新潟豪農】



一昨日のブログでムラ共同体での家と戦後ニュータウンでの家の相違、
あきらかに次元を異にする日本の「家」概念にポイントを絞ってみた。
戦後社会が、集団就業の大資本勤労者・農家の次男三男層向けに
「都会でなら誰でも家を持てる」と日本人に普遍的な心理的ロマンを提供し、
都心から遠距離だけれどニュータウンに大量に持ち家を実現させた。
勤労者に約束した「持ち家」は確実に実現したのだ。
しかし、ではそれが「永続する家」であるかどうかは未知の領域だった。
ニュータウンにある家は「末代まで続く家」かどうか、いやむしろ、
多摩ニュータウンが象徴するように戦後社会の幻視になりそうなのだ。

しかし一方で、ムラ共同体の「家」意識の方は健在かというとそうではなく、
その価値感もまた、大暴風とともに消え入りつつあると思う。
写真はそのものズバリの命名ですが新潟の「豪農の館」。
この家はまさに江戸期からのムラ社会での最大の「成功者」痕跡なのだ。
というか、こちらの家は江戸期にさかんに「干拓」を行って、
沼沢地を農地に改良してその所有する土地を広げていった。
やがて結果として小作たちの集住するムラができていった。
なので、一種の農地開発デベロッパーと言えなくもない。
当然開拓した広大な土地はこの家が所有し、小作・農奴が使役された。
そして幕末明治の「階級変動」で全国的に「大地主」層が勃興する中で
最盛期を迎えていった。先に見た「富山の豪農」とまったく瓜二つ。
日本の資本主義が武士の解体と同時進行して「土地が担保価値」という
金融資本主導型の発展に向かった結果、これら大成功者が生まれた。
発足間もない銀行は、まずなによりも「担保」を求め、
江戸期までに土地持ちになっていた階層に対しあらゆる「資本」を提供し
殖産興業に当たらせ、明治新政府側もそういう身分上昇した階層を
あるいは政治家として、資本家として取り込んで日本資本主義を成立させた。
富山の豪農もほぼ同様な経緯で地域の「有力者」になって国会議員にもなる。
明治維新から戦争までの社会は基本的にそのようにして骨格ができた。
それが第2次世界大戦敗戦の結果、農地が開放され「民主化」された。
しかし現代に至るも、基本的には土地こそが基本担保になるというのは
わかりやすい社会経済構造原理だといえるでしょう。


・・・いまこの家は大空間座敷の庭の眺望が話題の「テーマパーク」と化している。
江戸期までの大名家かと見まごうばかりの「系図」がこれみよがしに
展示されているけれど、「偉人」とはどうも素直に受け入れられない。
またこれはムラ共同体社会の成功者典型とは言えない。
住居痕跡としてはむしろ、明治の急激な資本主義勃興期の富の集中痕跡。
ムラ共同体に対しては新興の富豪権力者という存在であり、
その財力に拝跪させられる対象ではあっても、尊崇すべき対象とは思えない。
歴史の中で一瞬光芒を放った階層だが日本的メンタルからは距離がある。

住宅の豪華さのなかに空虚感が漂っている、
こうした「成功者」たちの罪業感が有島武郎のような飛躍行動を生んだ。
太宰治の小説世界的な心象のうつろさを感じるのは、わたしだけだろうか?

【管理が困難な「Apple ID」問題 う〜む】


全国の、いや全世界のMacユーザーのみなさん、お元気ですか?
あ、Win使いのみなさんも(笑)。
わたしが長年、困っていたことがありまして、日曜日に家にい続けたので、
ようやくAppleの相談電話窓口に問い合わせをすることができました。
普段は、「ありゃりゃ」とは思っても、問題を回避し先送りしていたのです。
問題点とは「Apple ID」についてであります。
Macユーザーのみなさんにはお馴染みのAppleのユーザー管理システム。
Winに似たようなものはあるのかどうか、不勉強で知らない。
Macパソコンを新規導入すると、あるいは初期化してOSインストールすると、
必ずシステムの方から問いかけてくるのがこれ。
「Apple IDを入力してください、お持ちでない場合は新規登録してください」
白状するとわたし自身もApple IDは4-5個持っている(泣)、もういらない・・。
登録内容の記憶がメンドイのでつい新しく作ってしまったりしていたのです。

パソコンという性質上、個人ユーザーを想定して
その「管理」をメーカー側として確保するための手段、ルートとして運営されている。
ただOS自体のインストールとか、更新についてはこのApple IDは紐付いていない。
なので、根底的な問題を惹起したりすることはない。
また、多くのソフトウエアは各メーカーごとに管理されているので
Apple IDとはまったく無関係。なので業務上は大きな問題は出ない。
しかし、Macオリジナルのソフトウエア、Pagesなどについては
これが紐付けられているので、それらを使うと頻繁に「最新版にアップデート」という
「親切な案内」が繰り返し発信されてくる。
ここでうっかりアップデートと答えると、Apple ID地獄(笑)が始まる。
・・・詳細はアタマがこんがらかってくるので割愛(笑)。

「こういう問題の回避方法を教えて欲しい」というのがAppleへの問い合わせ。
結果を先に言えば「その通りですね。う〜む」という答え(泣)。
Apple IDはApple社内的にも十分に対応策が練られているとは言い切れない。
古くからのMacユーザーとしてはこの手のクラウドビジネスでは
Apple社は決して褒められた対応はできていなかったと思わされます。
「ひとつの回避方法としてはソフトをいったん消去して、再度インストールされれば」
という提案がありましたが、そのソフトの「環境設定事項」まで削除するのは、
UNIXベースでありいかにもメンドイ作業で、トラブルも惹起しそうなことは確実。
ただ、こういった問題についてAppleでも認識してくれたというのがせめてもの救い。
Macは使いやすくて最近はシステムも非常に安定しているし、
このことで即どうこうもあり得ないので、メーカーさんの対応を待ちたい。
最後は「よろしくお願いします」とお願いした次第。
Apple IDという名詞、これでもかと多発してしまった、申し訳ありません(笑)。
アメリカ資本主義、信頼して忍耐するしかない・・・。

【家は末代か一代か? 持続可能な「住宅地」とは】

住宅雑誌+WEBを、主に注文住宅ユーザー向けに発信しています。
そういう情報メディアなので「どう建てるか」という探究がメインになる。一方の
「どこに建て、住むか?」という必須興味分野については前提条件ということで
あまり深く考え込むことは少ない。
気候風土条件としての必須な性能要件もまた普遍的条件の一端。
土地選択はあくまで建て主さんの生き方選択要件であり、
それについては受動的に「受け止める」ということになる。

しかし、自分自身の家づくり・環境選択ではこの
「どこに建て、住むか?」というポイントはきわめて大きかった。
「将来、この地域がどうなっていくか?」というポイントは人生の長期戦略選択。
当たり前だけれど、将来的な「不動産価値」としてきわめて重要。
また多くの住宅取得者にとって「先祖代々」とか地縁血縁条件は希薄になり
住む土地自体、いわゆる無名性の強い「郊外大規模開発住宅地」選択も多い。
そういった無名性条件の拡大が大手デベロッパーやハウスメーカーという
「量の市場条件」に最適化された事業者が業界主流を形成する要因になる。
大量生産・大量消費の資本主義的システムに順応するということになる。
しかし今日、その社会システム自体も「老朽化」してきている。
東京などでもいっときの「ニュータウン」が一斉に高齢化して
やがて地域の流動性発展性が毀損し停滞していくことが問題化している。
多摩地区などが象徴的ですが、それ以外の地域でも
ただただ現在の土地価格条件だけで住宅地の遠距離化が進んでいる。
都心の勤務先への「大量輸送」を前提としてほぼ同一年代のユーザーばかりが
その地域に集住し、その年齢構成のままに地域が衰退するという問題。
メディアとして「注文住宅での好適な環境作り」という視点だけでは
解決しにくい「住宅問題」が浮上してきていると思うのです。

この問題は日本人の伝統的住宅価値感、家の存続というテーマとも関わる。
資本主義的な社会システムとして地方から都市圏に人口移動させ
かれらを労働力として集約することで日本は社会発展してきたけれど、
それ以前の社会システムは、地域共同体「ムラ」社会型であって
地縁血縁が優先されたシステムだった。そこでは家とは永続するものであり、
家系の発展を建築形式で表現したものというのが普遍理解だった。
そういう社会で土地取得が難しい農家の次男3男層が都会に出ていく。
江戸期を通じてそのように社会が機能し江戸は人口調整機能を果たしていた。
ムラ社会では人口が増え続けたが、江戸で独立して伝承可能な
家系を新たに開くというのは、非常な狭き門であり、
そもそも極端に男性が多いいびつな人口構成で、そういう流入人口が
「所帯を持つ」ことは、事実上、非常に難しかった。
江戸期を通じて、そのような人口抑制機能を大都市は果たしてきたといえる。
それが機能した証拠に元禄頃到達の3,000万人口が幕末まで固定された。
明治、また戦後以降、資本主義的発展が進行して、
都市労働力層がふるさとを離れニュータウンに現実に家を持てるようになった。
このこと自体は江戸期からの大きな社会問題の解決ではあったけれど、
しかし田舎のように生産手段・田畑と近接した住宅ではなく、
ただただ、人が住むという機能にだけ特化した住宅であるに過ぎない。
言ってみれば「どう生きるか?」の機能がない住宅なのだ。
働く場所は満員電車で数十キロ先にあってその間を往復する人間環境。
生産手段と切り離されたそういう「集住環境」が永続的かどうかは
まだ、社会的に解明されてはいないというのがいまの現実だと思う。
こういう住宅を子どもたちはふるさとと認識し、永続を願うかどうか?

この問題、社会システムとしてまだ誰も「解」を持っていないのではないか。
そういう不安を感じているのはわたしだけでしょうか?