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【換気はメンテナンスが生命線。こまめな掃除を】

さて、8月19日日本建築学会発表の広報拡散第3回・最終回。
住宅における換気によるウイルス感染対策について
〜一般社団法人 日本建築学会 換気・通風による感染対策WG〜の情報発信。
(リンク先からpdfデータがダウンロード可能。詳細はこちらで確認ください)

わたしのブログでは、Replan誌面では紹介しきれないタイムリーな内容とか、
住宅ネタでも「深掘り」すべき内容などを扱ってきておりますが、
専門的な内容をわかりやすく伝えるのも役割かと思っています。
で、学会が発表した内容に即して2回掲載してきたのですが、
新型コロナ禍で「換気の悪い密集空間」というアナウンスが繰り返されたことで
ひとつの効果として「換気」が一般に大きく注目を集めているし、
今後の住宅建築に当たって、ユーザーの興味関心も高いだろうと思われます。
いわゆる「おウチ時間」の安全安心の大きな要素が換気だという気付き。
北海道では断熱気密のレベルが進化して行くにつれて、
室内空気環境の重要ファクターとして長く認識されてきている。
「断熱・気密・暖房・換気」として、住宅性能要件の4要素とされるのですね。
ただ、どうしても「可視化」しにくいテーマなので、機械の選択、
1種か3種かということに極小化されて認識されてきているとも思います。
今回のコロナ禍では、目には見えにくいこの換気がかなり「可視化」されてきた。
きのうも書いたけれど、電車車内で空調と同時に窓が少し開けられて
「暖冷房と換気」のバランスが、体験的にも多くの人に把握可能になった。
こうした集団的経験知はかなり大きなものとして、刷り込まれていく予感。

なんですが、やはりというかズバリというか(笑)、日本建築学会の発表資料でも、
「こまめなメンテ、お掃除」の重要性について触れられています。
というか、そもそもせっかく設備しているのに「スイッチを切って運転していない」
っていうオイオイの事例も多いのが実態ではあります(笑)が・・・。以下要旨。
〜給気口は汚れていると換気量が減少するので清掃を心掛けましょう。
また、給気口は外気に対して吸込み側となるため、外部に防虫用の網が
設置されている場合もあります。フィルター同様に防虫網を清掃しましょう。
第1種換気方式の場合は、壁内や天井裏などに設置の全熱交換器本体や
周辺のダクト経路に設置されるフィルターボックス内など、フィルター
が複数設置されています。ダクトの屋外フードに防虫網が設置されている
場合もあります。第1種換気方式にもフィルターがあります。清掃しにくい箇所
にフィルターや防虫網がありますが、しっかり清掃しましょう。〜抜粋以上。
そうなんです、寒冷地北海道でもせっかく立派な「機械換気」装置は導入しても、
これを「宝の持ち腐れ」にしないためには、ユーザーのメンテが最重要。
24時間連続運転が換気装置の基本ですが、
目に見えない空気の「動き」をコントロールするためには、
普段からの機器メンテナンスが不可欠なのです。
・・・って、恥ずかしながらわが家でもついつい、掃除を忘れていることがある(泣)。
壁天井などの中に仕舞い込まれる「ダクト配管」内部まではユーザー掃除は
難しいと思うのですが、少なくとも手で触れられる写真のような端部では
ぜひこまめな清掃、掃除。メンテを心がけたいものだと思います。
北海道ではこのメンテ問題のため機器を室内露出させているケースも多い。
毎日見ていれば、おのずとメンテするようになるだろうという、親心(?)。
いろいろな粉塵であるとかで給排気口周辺には常時ストレスが掛かっている。
最低年に1度以上はしっかりと機器を観察して、汚れを除去したい。
先般もわが家の局所換気の排気口のファンの羽根部分を見てゾッとした経験。
たしか設置から2年半ほど放置していたら、ホコリが黒々と・・・。
家への愛着は、こういう「手を掛ける」ことも大きく関係している。
愛情を持って、日々心がけて行きたいモノだと思います。(キッパリ反省)

【新型コロナ感染の家族・在宅隔離の換気対策】


さて、きのうの続きであります。
8月19日日本建築学会発表からの広報拡散です。
住宅における換気によるウイルス感染対策について
〜一般社団法人 日本建築学会 換気・通風による感染対策WG〜の情報発信。
(リンク先からpdfデータがダウンロード可能。詳細はこちらで確認ください)
きのうは緊急的・実戦的と思われる「機械換気のない住宅での対策」でした。
エアコンを利用して気温を低下させながら適度の「窓開け」換気を確保することで、
コロナ感染症と熱中症に対応する作戦。
東京都内や関西圏などの公共交通機関では電車車両でエアコンを効かせながら
同時に窓をほんの少し開いて換気対策していますが、アナロジーとして同様。
イメージとしてはあの比率程度の窓開けとエアコンの利用で
コロナ対策と熱中症対策が同時にクリア可能とされている。

で、本日はもっと状況がキビシくなって、家族が感染した場合の対応策を紹介。
一般的には借り上げホテルなどで「隔離」されるケースが多いと思いますが、
やはり住宅建築、とくに計画時には万一の対応は考えておかなくてはならない。
期間的には寛解に要する時間は個人差もあるけれど、おおむね2−3週間といわれる。
家庭で療養する感染者は無症状や軽症が多いと予測されます。
まずは、感染した家族は個室に「隔離」する必要がある。
適切な「ウィルス管理」、相互距離確保で注意しながらの暮らしが肝要。
こうした場合「トイレ」が複数確保できているかどうかが、まずは重要ポイント。
既存住宅の場合、このポイントがどうかによって対応が変わってくる。
隔離とは言っても感染者にもトイレ利用は絶対必要。
家の中でトイレが複数ある場合は、感染者専用のトイレと非感染家族分とに分ける。
上の図はこうした対策での家のなかの「ゾーン仕分け」の考え方。
トイレが感染者専用を確保できて、なお動線的にも仕分けする、というのが
基本的な対応方法と言えるでしょう。
感染者個室と専用トイレとの距離、動線の仕分けが可能かどうかがポイント。
その上で「動線配置」をよく考えて、感染ゾーンと非感染ゾーンを仕分けること。
仕分けのための「仕切り」はビニールなどでのDIYが有効です。

そして換気で大切なのは、給排気で「排気」側に感染者個室を位置させることです。
2003年7月に建築基準法が改正され、シックハウス防止対策として住宅の居室には
換気回数0.5回/h以上の設備容量を持つ換気設備設置が義務付けられています。
現在で築後17年程度の住宅では基本的に装備されている「ハズ」。
(北海道など寒冷地住宅では換気は基本要素なのでそれ以前から相当普及。)
一般的な3種換気住宅の場合、おおむね各室に「給気口」が装置されているので、
その「開口」を利用して、局所排気ファンを追加で上履き的に装置させることで、
感染者家族の隔離室を「陰圧」に維持することができます。

この隔離室が家の中で「風下」として換気的な位置付けになるということ。
上の写真は、その設置方法を写真説明的に紹介しているもの。
そのように隔離室の環境をしっかり確保することが基本対策。

新型コロナは、最近の傾向として重症化率がやや低減化していますが、
情報では対症療法的な部分で経験値がかなり蓄積されてきているとされる。
熱中症の方が死者数ははるかに大きく上回っているのが現状。
迷惑なウィルスですが、簡単には消え去ってくれない以上、冷静に賢く対処することが
きわめて大切なことではないかと思います。
家での万一の場合の対応まで考えることで、注意深い暮らし方が身についていく。
そう考えて「新しい暮らし方常識」を身に付けていきたいですね。

【新型コロナ・熱中症対策も考慮の「自然」換気方法】

札幌は朝などは、もう長袖ジャンパーが必要で15-6度くらいにまで気温低下。
しかし本州地域ではまだまだキビシイ暑さが続いていると思います。
まことに残暑お見舞い申し上げます。
そういうなかですが、新型コロナは要警戒で重症者比率は下がっているけれど、
「あらたな日常」ということでマスクを欠かせない暮らし。
35度にもなる気温の中でのマスクはやはり熱中症リスクとも重なる。
わたしなども長時間マスクをしていると、少しくらっとすることがある。
そのように気付いたときには、ムリせずすぐに冷たい飲み物を補給するなり
リフレッシュすることが絶対に必要ですね。
長時間マスクを掛け続けて暑い気温のなかにいると、
無意識のうちに自分をリスクに追い込んでいると思います。
このブログでは日本建築学会などの公式的研究発表を逐次お伝えしてきましたが、
8月19日「住宅における換気によるウイルス感染対策について」の情報発信。
(リンク先からpdfデータがダウンロードできます)
〜一般社団法人 日本建築学会 換気・通風による感染対策WG
執筆 東京電機大学 鳥海吉弘 東京工芸大学 山本佳嗣
監修 東北大学 吉野 博 東京理科大学 倉渕 隆〜
このなかではエアロゾル、空気感染危険性が可能性として払拭できない中、
効果的な住宅の換気計画についてまとめられています。
本日はその情報発信のなかから蒸暑地・温暖地などで一般的な住宅、
機械換気ではない「自然換気」住宅での対応方法をご紹介します。
そのなかでもこの時期とくに重要と思われる表題のような
「熱中症対策(夏)過乾燥(冬)も考慮した換気の方法」。以下その部分抜粋。

●室温28度以下を確保し窓を5〜15cm常時開放を●
〜熱中症予防のためには、室内では扇風機やエアコンを使って、
室温を適切に調節することや室温をこまめに確認することが重要となります。
しかしながら、ルームエアコンは一部の機種を除いて換気の機能は付いていません。
空気を外気と混合せずに室内空気をフィルター経由で熱交換して再循環させます。
従って、新型コロナウイルス感染症の予防のため、
機械換気設備が設置されていない場合には、
<窓を開けて自然換気を連続的に行う>必要があります。
ただし、窓を大きく開けて自然換気を行うと、室内での冷房効率が低下して
室温が上昇する危険性があります。熱中症予防のための判断は、
室内の暑さ指数(WBGT:湿球⿊球温度)により行うことが好ましいのですが目安として
<室温28度・相対湿度75%、室温30度・相対湿度65%>が
「厳重警戒域」の境界に相当します。
具体的には室温が28度以下を確保できる範囲で居室の窓を5cmから15cm程度を
目安に2箇所(居室に窓が複数ない場合は居室のドアを開放)、
防犯に配慮して常時開放することが望ましいといえます。
蒸暑期は冷房を効果的に利用しましょう。
冬期の暖房時についても換気設備がない場合は、室温が18度以上を
確保できる範囲で窓を開けて換気をすることが必要です。
また、冬期は室内が乾燥し過ぎることがないよう、
相対湿度40%を下回らないように加湿器などを利用して調節しましょう。
エアコンについては、フィルターではコロナウイルスは除去できないため、
エアコンの直接気流が人に当たらないよう調整しましょう。〜抜粋以上。

最近は住宅建築計画で「換気」のユーザー認識がかなり高まっているとされます。
しかし本州地域の既存住宅では機械換気設備はあまり普及していない。
そういう住宅内で、換気による新型コロナ対策はきわめて重要。
適切な換気を心がけることで、熱中症とコロナ対策を万全にしたいですね。

【明治初年和洋折衷住宅「和/洋」の結界デザイン】


写真上下は、北海道開拓期の和洋折衷形式の代表的建築
永山武四郎邸と清華亭の写真です。
どちらも、その「和洋折衷」の結界、和室側から洋室を見たところ。
接続する部屋間の仕切りに重厚なモールディングが施されています。

永山邸は北海道屯田兵軍事組織と政治家としても北海道のトップの邸宅であり
清華亭は行幸された明治天皇のために造作された貴賓接遇施設。
いわば権威付けが意図されたような建築であって
そのような建築意図を表現する意匠であるのですが、
しかし、和室には本来このようなモールディング意匠というのは存在しない。
あえていえば欄間の装飾がそれに当たるでしょうが、
柱などの構造木材は素地のままというのが日本的定型。
明治になっての住空間デザインとしての「和洋折衷」のなかで、
その接点、和と洋との境界部分をどのように意匠処理すべきか、
悩んだ結果、このような「洋式」モールディングで仕切るという選択に至った。
少なくとも貴賓建築においては、この時代の設計者の心理の中で、
和洋折衷の結界部分について「どう調和」させるかという意識が存在したのでしょう。
それまでの日本建築では和室と隣室の仕切りは、「襖・障子」建具が使われていた。
同じように、タタミの室内と縁側という開口部が和室空間を包んでいたのですね。
しかし明治開国以降、洋室が徐々に日本人の住空間に入ってきて、
和洋の「結界」表現という新たな空間デザインが迫られたのでしょう。
ここで和室同士のように襖という選択もあり得たのでしょうが、
その場合には洋室の1面への影響が大きすぎると感じたことは容易に想像される。
和室のインテリアの方が、洋室よりもはるかに「柔軟性」が高くて
洋室に襖が取り付くよりも、和室にモールディングが取り付く方が
納まりとして、より自然と感じられた状況を伝えてくれる。
ハレの洋室に対して、ケの和室の方が柔軟に譲ったというところなのでしょうか?

一方で、このような和洋折衷形式でも玄関は靴脱ぎ習慣が厳然と残っている。
洋室とは言え、明治のこの導入時期から素足が採用されている。
やはり「結界」意識での玄関は日本人にとっては決定的な「仕分け」なのですね。
このような和洋折衷初源期を経て現代の住宅、とくに北海道では和室が
ほとんど住宅から消滅しつつあるのも現実。
今後は、この和室と洋室の北海道での比率割合推移なども面白い研究領域かも。
和風住宅と洋風住宅の異質な住文化がどのように「調和」していったのか?
このふたつの明治初年建築ではいわば常態では和室の方が優越的であって、
洋室は特別の存在と認識されているけれど、いつそれが意識において逆転したのか。
住空間の時代推移、なかなか奥が深いですね。

【リアルとWEB、そのコミュニケーション乖離】

やむを得ない状況から、WEBを利用しての「会合」が盛んになっている。
社内での連絡とか、お互いをよく知り合っているメンバーでの会合などでは、
それがWEBに移行しても、それほどの「距離感」は感じられない。
しかし、初対面に近い人間同士の「会合」においては、
ずっと「緊張状態」が融けない場合が多い。
結局は多数参加の場合、一方通行的な「授業形式」セミナーが多くなってしまう。

普段からの日常的な「コミュニケーション」で、性格などの詳細を把握していると
その「ベース認識」があるので、多少面接ツールに変更があっても、
なんとか「乗り越えられる」ことが証明されつつある。
お互いにそういった「基礎的コミュニケーション」があれば、
「ツッコミ」も入れやすくて、すぐに「座が馴染む」瞬間を創出することができる。
そういった「呼吸」感が、実は非常に大切な要素を締めているのだとわかる。
いわば「ホンネと建前」みたいなもので、
「ここだけの話だけれど・・・」みたいな部分が、一気に「座を盛り上げる」。
公式的というか建前的な話というのは、本当は「会合」の中核的意味ではなく、
その話題を巡っての、ホンネの部分を知りたいと考えて人は会合に参加する。
人間コミュニケーションの中核的な意味合いはそれではないか。
こういった基礎部分が形成されていない会合では、
「間違えちゃいけない」みたいなプレッシャーで固まってしまう部分が大きい。
即興性は許されず、いわば公式的情報発出の壁に閉じこもることが一般的。
しかし、そういう「WEBセミナー」はたぶんあっという間に意義がなくなる。
貴重な時間をそういうことに費やすのは耐えられないムダと認識されるだろう。
そういう公式的情報であるならば、「検索」すればすぐに入手できる。
人間が集まって情報交換しようという動機は、
そうした情報には「収まりきらない」部分の情報を得たいということが大きい。
「あの人、こんなことを言っているけれどホントはどうなの?」
っていう興味が強くて、そこを知りたいがために人は貴重な定点時間を
占有されることを受容して参加するのだと思う。

こういう情報交換の「あらたな環境」がはじめられてからまだ数ヶ月あまり。
初期段階を越えて、これから本格的にコミュニケーション環境の進化が
始まっていくように思われますね。
さて本日もリアルな会合が予定されています。徐々にではありますが、
ようやく再開されるような情勢になって来た。やっぱりリアルは楽しい(笑)。

【83年前の「テレワークボックス」電話室】


写真は、以前訪問したことのある旧小坂家住宅(きゅうこさかけじゅうたく)。
東京都世田谷区瀬田にある歴史的建造物。「瀬田四丁目広場」として公開されている。
棟札には「昭和12(1937)年10月2日上棟」とされる。
清水建設の前身の「清水組」の施工になる建築とされているけれど、
太平洋戦争の真珠湾奇襲が1941年12.8。同時代にこのような建築があった。
実業家・政治家の小坂順造(1881年ー1960年)の別邸として建てられた。
小坂は長野市の生まれで、信濃銀行取締役、信濃毎日新聞社取締役社長などを
歴任したほか、衆議院議員、貴族院議員を務めている。
そういった人物なので、国家の枢要の機密にも関わったりもしていたのだろうか?

過去取材の住宅写真を整理整頓していて、
なにげに「電話室」という空間の写真を収めていたものを再発見。
建物のなかでの配置としては、オモテと裏の境界的な廊下コーナーに位置し
使用人室にも近く、情報への感度が重視されて即応性の高い角位置。
いかにも電子媒体情報と、住宅の関わりを象徴しているような間取り。
電話という装置と住宅建築の「関係事例」として面白く思えた。
この「電話室」には入ってもみたけれど、
タタミ半畳分の「内法寸法」空間だけれど、やや大ぶりに感じられた。
たぶん1m四方以上くらいの感覚があったように思う。
こういう「空間記憶」というのは、けっこう持続するものだと思う。
そこそこの「充足感」のある広さであって、しかもガラス建具などで、
「そこはかとない」外部との応答性も確保されている。
今日的な住テーマである「テレワークスペース」に似つかわしいと直感。
もちろん完全な個室で収納なども充実していた方が、
「書斎」的な、情報ストックを大量に必要とする職種にはやや手狭かもしれないが、
家事とのアクセスという意味では、かえって新鮮な配置性格を感じる。

内部の棚などは「電話室」としての専用性がうかがわれ、
現代のノートPC、プラスアルファとしての配置収納には不都合も感じられるけれど、
人間居住サイズで考え、また他の「家事動線」との応答性も考え合わせると
過不足のない「ほどよさ」が強く感じられる。
とくにドア建具のすりガラス、上部の「すき間」、椅子背面のすりガラスなど、
採光と空気循環性では相当よく考えられていると思われる。
検討すべきなのは、壁面利用での「収納力強化」があるだろう。
そこに情報整理や人間生理対応のモノ収納が確保されれば、悪くない。
このような「テレワークボックス」という発想は、十分に現代に活かせるのではないか。
これくらいを「最小限機能空間」として基本設定して、
これを夫婦2人、プラスアルファとして住宅設計に「織り込んで」いく考え。
この程度のスペースであれば、現代住宅に応用させていくことは考えやすいし、
なによりも他のスペースと調和させやすいと想像できる。
まさに「立って半畳寝て一畳」に現代「働いて約半畳」空間のプラス。

まことに「温故知新」という思いが強くなっております(笑)。
「テレワークボックス」、どうでしょうか?

【ポスト安倍政権のニッポンへ】

本日はトピズレであります、住宅ネタはお休み。
ものごとにははじまりがあれば、必ず終わりもある。
さしも長かった「安倍政権」というものがついに終了することになった。
個人の健康問題からの結論なので外部からはなにも言えない。

ま、一般的な政治評論の類はヤマほど出てくるのでしょう。
先進国でドイツのメルケル政権に次いで長かった政権を持つ国から
ニッポンはこれから「離脱」していくことになる。
安倍政権支持不支持に関わらず、ニッポン国・国民はこのことに等しく遭遇する。
日本人的心性から考えて、政治的に追い詰められた結果でない政権交代の場合、
どのような「世論動向」になっていくのか、ということに強く興味が湧く。
このような「政権交代」でいちばん近しい事例は佐藤栄作退陣劇だろうか。
しかし、かの時代とは日本の国際的立場はまったく違っている。
一番に考えられるのは、次の為政者が背負うことになる国際関係「遺産」。
すでにして、国内対応だけからの「国際的外交方針」の変更は許されない。
日米基軸の同盟関係についてそれを逆走させるような「反米的」スタンスは
このキビシイ国際状況で選択肢としてありえない。
この局面で日本が現在の国際的位置を変更すれば世界の不信を呼び、
そのこと自体が国際緊張を高めてしまうだろう。責任ある国際的立場位置。
対トランプ政権、対米外交は相手がどう変わるのかによっても
大きく変動が考えられるけれど、その「相方」が定まらない段階で日本自身が
政権選択の事態になるというのは、想像を超えた事態といえるかも。
理性的に考えれば、トランプにしろバイデンにしろ支持・旗幟を鮮明にはできない。
まさか親中の方向に舵を切る選択はあり得ない。
尖閣への中国のあからさまな「攻撃」に唯々諾々とし対中シンパシーを持つような
そういった外交政策を日本がとれば、アメリカにとっては危機的事態。
責任ある地域の安全保障の観点から見て、ありえない。
国際的パワーバランスを壊す選択は日本にとって最悪だろう。
為政者がだれに代わっても日本の現在の国際的スタンスに変動があってはならない。
たぶん、この要素がいちばん継続されるべきポイントになるのではないか。
少なくとも対米・対中の位置取りでは、現政権の政策の継続が不可欠。
もしこれを忘れた政権選択になるとすれば、日本は世界情勢の中で漂流する。
中国はそれを強く希求するだろうが、それは日本の自滅だろう。

内政問題は別に、少なくとも「外交的継続性」は絶対に保守すべき日本の「国益」。
日本の国際的立場、安全保障についての継続性は非常に肝要だと思われます。
ニッポン国全体として、ぜひ賢明な政権選択を期待したい。

【日本の美意識の象徴:松花堂弁当】

久しぶりに「お弁当」をいただいた。
わたしは料理大好き男子なので、彩りとかも含めてすばらしい仕事に目がない。
こういう美感演出に、いつも率直に感動させられてしまいます(笑)。

松花堂弁当というのは、たぶん日本独特の食文化ではないかと思う。
懐石とか、京料理とかの美意識が反映されていった末に
プラスチックパッケージも含めて、ジャパンスタンダードを形成したのでしょう。
世界の食文化の中でも、これだけ「目で楽しめる」ものは少ないのではないか。
プラスチックパッケージのマザーは塗りが施された容器だろうから
伝統が現代技術で変容を見せているということで、
そのことも日本文化の対応力の底力を感じさせる。
プラスチックということでの「邪道」感は生活史的にも止揚されている。
よく見ると「視覚」のタテヨコ構成比率はおおむね5:3。
それが全12個の小枠に分割されて構成されている。
この「みた目」が食べる人の心理に与える影響というものも奥行きがありそう。
で、肝心の料理・食材には、そのバラエティの豊かさで感動させられる。
ごはんも通常のお米とモチ米の2種類が使われているけれど、
炊き込みご飯、お寿司系統、おにぎり系統、デザートのおはぎと手が込んでいる。
おかずも、エビチリソース、サケ。お肉も上段右から2つ目の枡に鶏肉料理。
野菜料理も天ぷらのかぼちゃ、きんぴらゴボウ、ニンジン、レンコン、
サヤエンドウ、青物煮浸し、カブの漬物と多彩な食材そろい踏み。
まったく日本人に生まれて良かった感が満載であります(笑)。
よく30品目を1日に食べることが推奨されますが、
これ1食ですでに越えているのではないだろうか?
自分でこれだけの料理をひとりで作るとなると気が遠くなりますが、
食事のバランスとしては、ここまで出来れば最高。
人間のカラダが欲する日本人の自然な食欲欲求を満たすバラエティは、
まさに山海自然に恵まれたこの列島風土の多様さを感じさせられる。

で、本題は「色・カタチのバランス」であります。
ご飯がメインスターとして、円形のデザインでまとめられているので、
その他の食材群も、形態としてはなんとなく円形を意識している。
そういった楽しさも演出しつつ、なんといっても色合いがいい。
料理を作る時、感覚でいちばん動員されるのは「色彩感覚」だと思う。
もちろん素材が持っている色彩を引き出してその素を活かすのが基本。
食材が本来持っている色合いをベースにして、
それらのハーモニーがどうであるか、
色彩的に多様性を演出できているかどうかが、キモだと思う。
栄養素のバランスも、彩りの「ほどよさ」を考えればそれが最適解と言われる。
食材はそれぞれ、その栄養素を「色彩」で伝えているのだ、とされるのですね。
ニンジンが赤いのはそのような意味合いがあるのであって、
白っぽい、緑っぽいなかに赤い色が入れば、栄養的にもバランスが取れるのだという。
けっして人工のあざとさを感じさせない素の風合いの交響楽。
結果として、こういう松花堂弁当では「全体としての」四季感も表現される。
おいしさを封じ込めた缶入りの「お茶」も味わいながら、
いっとき、三昧の世界を楽しませていただきました。ごちそうさまでした。

【明治の永山邸・「手づくり」の暮らしのいごこち】


すっかり明治初年建築の「永山武四郎」邸がシリーズ化であります(笑)。
現代の住宅と比べてサイズはむしろ小ぶりで
主要居室も4つだけの平屋住宅ですが、その分、使い手の息づかいもみえて
好感を持てる住宅だと思います。
このところ、発表できる住宅以外でも「住宅取材」を多数行っております。
やはりどんな住宅も面白みがあって興味が尽きません。

写真は建物全体の主要居室である座敷に南面した縁側の東側奥にある
トイレに接続した「洗面」であります。
配置的には、正面の開口は完全に南面した「一番いい場所」。

外側から見るとこの開口部は「ガラス建具」ではなく、外部は木で桟組みされて
室内侵入を防いで、外光の取り入れに紙障子建具を使った、
いわゆる一般的な和風住宅の開口部仕様。
室内の用途造作も、洗面としての機能をしっかりと満たしていて
人間サイズの「使い勝手」に対してやさしく対応している様子が伝わる。
これらの内外部の仕上げすべてが大工造作による手づくり。
洗面ボウル部分はサイズにピッタリな金物ボウルが据え付けられている。
現代住宅では、こういう部分はすべて既成建材が用途を果たすので、
イマドキの大工さんにこういう仕上げを頼んだら、大変なことになる。
しかしこういう視覚的な「感触」は非常に「人にやさしい」と感じさせてくれる。
なんというのか、作ってくれた人の「思いやり」のようなものが伝わってくる。
使用する人間はご主人だけでなく、いろいろな体の寸法の家人・客人。
そういった人間サイズについて大工職人の「手作業」ルーティン化がされて
「ほどよく」なっていたことは明白ですが、つい最近のコロナ禍から
ここで石鹸を使って手を洗ってみたいと、強い衝動を覚えてしまった(笑)。
なんか、そういうふとした動作のために費やされた労を思わされる。
現代の仕様と違うのは水道蛇口がないこと。
「あ、そうか、この時代は「水道」がないだろうから、水を甕に入れて
この左の平面に置いていたものだろうか」みたいな想像力が働いてくる。
その水くみ作業は毎日のことであり、家族が暮らしを維持するのに、
家事を分担してみんなが労と楽の両方を共有体験していた。
そのような暮らしようって、作ってくれた人や維持してくれている人への
自然な感謝の気持ちがごく普通に芽生えるのではないだろうか、と。

現代的な利便性、既製品選びという「合理主義」は当然だと思うけれど、
たまにこういった「手づくり感」と出会うと、
その失われた部分にリスペクトを抱くと同時に人へのいたわりを感じさせられた。

【明治開拓使時代の「窓回り」ディテール】


明治初年札幌の永山武四郎邸シリーズ第3弾であります。
明治10年代の初めという時代の建築で、住宅以外にも北海道庁本庁舎とか、
豊平館、清華亭、時計台など「洋造」建築が実験場のように多数作られた。
和風住宅と「洋造」住宅の決定的な違いはやはり「窓」。
ガラス自体は江戸期にも日本で製造されていたそうですが、
欧米のように住宅建材として使うという考えは全くなかったようで、
ギヤマン細工で繊細な工芸品としてしか考えられていなかった。
住宅建材としてのガラスは欧米人が日本に住むようになって、
かれらの住宅で、透明な建材として「舶来趣味」的に受容されていった。
明治初年段階では、本州地域では居留外国人住宅以外ではそれほど普及しなかった。
しかし、先日も触れたように「気密性」を空間に確保するという
きわめて寒冷地らしい合理主義が北海道移民たちの間でブーム化した。
いや、気密であることで室内の暖房効率が高まるという
きわめて即物的な、いわば背に腹は代えられないみたいな需要で
高価な輸入健在のガラスが、生活の見通しすら不明な北海道でもてはやされた。
ガラスは半紙大の大きさの規格寸法で流通して、
写真のように桟木で嵌め込まれてガラス建具・窓として作られていった。
この住宅はいわば「高級住宅」であり、窓回りの「モールディング」の重厚さには
いかにも「見よう見まね」にまっすぐな日本人的職人気質を感じる。
ディテールを研究し咀嚼する職人的倫理観、それを生む社会倫理が存在した。
それまでの日本住宅建築では木製建具+桟木など+紙障子で
窓が組成されていたが、このような本格的なガラス窓が北海道標準になった。
今日でも北海道は「高断熱高気密」という性能面での先進性が大きいけれど、
そういった素地、事始めは明治開拓期から一貫していたといえる。

引き違いに比べて外部からの操作性、防犯性が高いことが理由なのかどうか、
欧米には「引き違い」という窓の開閉形式は少ないようで、
まだ「見よう見まね」の住宅「洋造」段階だったことから、
この明治初年段階では、写真のような「上げ下げ窓」形式が採用された。
一方で、和洋混淆の和室側では下の写真のような開口部。
きのうも触れたように、縁側外周が2重のガラス建具で覆われている。
このスタイルがどこまで「一般化」していたかどうかはよくわからない。
ただ、清華亭でも縁側外周はガラス建具仕様になっているし、
先般ご紹介した大正末年の上富良野でも同様の仕様になっていた。
このシリーズを読んだ読者のAさんから、現代の高野山の「宿坊」でも
同様にガラス建具で縁側が仕切られていたと言う情報。
まぁ高野山も近畿圏とは言っても高地なので、北海道と同様の気象条件か。
この写真の「雨戸」的なガラス建具はみんな「突き付け」仕様のようで
雨戸として戸袋に収納されることのみで「開閉」される仕様。
だけれど右側の薄い「戸袋」では1−2枚しか収納不可能だと思います。
1−2枚だけ戸袋に収納した後、残ったガラス建具は外側から外したのではないか。
ただきのうも書いたように、やがてこの「常設」状態で固定され、
ほとんどガラス建具を取り外すことはなくなったのだと推測。
だいたい、スムーズに取り外し作業が可能なのは、北海道では
6−9月くらいが限度で、それ以外の時期にはそもそもガラス建具を
「動かす」こと自体、けっこうな重労働であったに違いない。
冬期には当然積雪し、結氷凍結が避けられなかったことは自明。
春秋もその危険性がつねに迫っていて、いわば季節の「模様替え」習慣には
とても至らなかったのだろうと思われます。

見かけとしては、ガラスの寸法に合わせた規格的な木枠構成。
これはこれで非常に正直な姿を見せていてデザインに好感を持ちますね。