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北日本の1月遅れの「七夕」

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きのうは北国では「七夕」。
1カ月季節をずらしてくれるというのは、
日本文化の中でも、数少ない北国への配慮なのだと思います。
ただし、北海道ではゴールデンウィークをずらしてほしいという願いが強いのですが、
こちらの方は、可能性はまったくなさそうです。
逆に、どうしてこういう七夕の1カ月の変更が可能だったのか、
ちょっと不思議に感じる次第。
それとこういうことは誰が決めているのか、その主体もわからない。
不思議に思って調べてみると以下のような説が書かれていました。

<以下、Yahoo知恵袋から引用>
明治5年までの暦は旧暦とよばれる太陰太陽暦で、
明治6年1月1日からグレゴリオ太陽暦に改暦しました。
このとき、1月1日の正月元旦はじめ、
旧暦の月日による伝統行事はすべて新暦の同月同日に移行しました。
中央政府や出先機関は率先して新暦で行事を行いましたが、
都会から隔絶した地方などでは旧暦で行事を行う風習が近年まで残っていました。
しかし、旧暦だと新暦の1ヶ月から2ヶ月近く季節が遅くなります。
年によってその差異も違い、新暦に馴染むほど、その不便さが顕著になります。
そこで明治中期以降に、旧暦に替え、新暦から丸1ヶ月後にずらして行事を行う
「月遅れ」という便宜的な手法が生まれてきました。
民俗学では新暦と旧暦の中間を取ったということで「中暦」とよびますが、
実際にそんな暦が有るわけではありません。
「月遅れ」というのはあくまで便宜的手法なので、
すべての伝統行事を月遅れでするわけではありません。
月遅れの代表は8月15日の月遅れ盆です。これは旧暦だと年によっては9月に入り不便。
かといって新暦では梅雨の農繁期、ということで普及しました。
でも、2月1日に月遅れの正月を祝う地方など存在しません。

さて七夕の話ですが
よく例に引かれる仙台の七夕祭。意外に歴史は浅く
昭和2年に記念すべき第一回が開催されましたが、このときは旧暦7月7日でした。
当時の仙台地方では旧暦の行事が多かったのです。
翌昭和3年に8月7日にしたのも博覧会後の客が見込める日程にあわせたものです。
それ以降2回目と同じ日程で実施してきただけの話です。
同じ七夕祭りでも、七夕伝説発祥の地大阪府交野市交野が原の七夕祭りや
神奈川平塚の七夕祭りは7月7日に行います。
七夕は1月7日、3月3日、5月5日、9月9日とならぶ五節句のひとつで、
縁起のよい陽数(奇数)を重ねた日です。
それを月遅れにして、2月1日や、4月3日、6月5日、8月7日、10月9日では
頓珍漢で縁起も良くないと考えたのです。
つまり月遅れ行事とは、旧暦だと新暦の月日を変動するので不便だが、
かといって新暦に移行すると、また別の不便なことがある、という地方で、
その行事に限って月遅れという新たな方式を採用してきた結果にすぎません。
よく言えば合理的、悪く言えばご都合主義です。

書かれている内容から判断すると
誰が決めた、というような主体は特定しにくい。
要するに「慣習」というような部類に属するのでしょうね。
ちょっと勉強になった次第であります。
写真は、北海道神宮本殿門前のヤナギの木に掛けられた願い事短冊。
いいですね、こういう庶民の願いごと。
いっとき、神さまになったような優しい気持ちに浸れます(笑)。

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