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爆弾低気圧さなかの取材出張

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昨日は朝一番で仙台へ出張。
週末は大荒れという予想の中で、不安でしたが、
仙台までのフライトではまったくの順調な天候でした。
仙台到着後、前から行かねばならなかった秋田の会社まで、今回の旅程で訪問。
たっぷりと、三時間半ほど話し合ってきました。
たいへん有意義にこれからのことを話し合うこともできて、
やっぱり来られて良かったと安堵いたしました。
で、そこから仙台まで帰ってから、ついに低気圧の大荒れ天気が襲来。
一晩中、盛大な降りようと荒れようでした。
さて本日は仙台でイベントに出席取材してから、札幌に帰るのは最終便の予定。
今の状況だと、かえって遅い便の方が飛ぶ確率が高そうですが、
それも前の便がたぶん、相当に欠航すると思われるし、
通常は千歳ー仙台間は飛行機を折り返して使うケースが多いので
千歳からの便が正常に運行されるかどうか、まことに微妙。
月曜日にはいくつかのアポイントも入っているので、
ちょっと早めには取材を切り上げたいのですが、
もしできても、最終便に乗れるかどうかはきわめて微妙です。
さて、どうなるか、爆弾低気圧に翻弄されております。

ということなんですが、
最近多くのみなさんと話し合っていて、
家づくりと暮らしようについて考えるうちに
いわば、「生活の哲学」あるいは、生活の文化というようなことに考えが及びます。
現代は、多様な暮らしようがあるようで、しかし生活についての価値観は
きわめて一元的な物差しでしか測っていないのではないかと思われてなりません。
住宅づくりというのは、建て主の暮らしようの価値観に合わせて
具体的に考えられていくべきものだと思いますが、
どうも依頼する側も頼まれる側も、価値観が多様ではなくなっている。
おおむね経済原則のようなものに絡め取られていて、
価値観と言うよりも、その経済合理性のようなものに
すべて飲み込まれてしまっているように思う。
まぁ、最終的に建てられるモノとしてみれば、そのことは当たり前ではあるのだけれど、
しかし計画の仕方では、多様性を意識しなければならないのではないか。
出来上がるモノは、経済合理性だけの用で使われるものではなく、
いわば生き方の部分で、多様な「幸せ」を満たすモノであるべきなのだ。
こういった暮らしの中の「幸せ」って、
その実質は、やはり日本人としての暮らしようの価値観が反映されるべき。
具体的には生活に深く根ざした文化、ということになる。
こういった文化と言うことになれば、やはり京都などの歴史を背負った
そういう価値観を発掘する、ということが近いのかも知れない。
ただそのときに、様式化され権威化されたものと、
本来的な生活文化性との間に乖離が生じているケースが多く、
それをまっさらに見ていかなければならないのではないか。
・・・、どうもしきりとそんなことを考え巡っています。

さて、写真はきのう札幌出発前に
事務所の庭で、雪の下から芽吹いていた植物であります。
名は知らない(笑)。
ダメですね、こういう鈍感さは北海道特有なんでしょうか。
こういう草花をしっかり愛でて、それこそ一編の歌にでもするのが、
本来の「生活文化」というものなのかも・・・。
でも、雪の下で可憐に、またたくましく芽吹く姿、
まことに凜としていて、美しいですね。

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