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マンモスの骨の家

きのう、ある人からわたしのブログについての感想を聞きました。
やはり毎日更新しながら、一定のテーマ性のあるお話しを書いていることに
率直なお言葉をいただきました。
まぁ、どうなんだろうと自分で考えてみるのですが、
やっている本人は必死でして、
当社のスタッフたちから、毎日更新のブログのリクエストがあり、
それを一度決めたことなので、絶対に書きたいと思っている次第。
で、そうなると作戦として、毎日書くのには時間の確保がまず第一の関門。
幸いにして(笑)高齢化してくるので、朝はいくら早くても対応できる。
なので、早朝、起き抜けのおおむね1時間程度を執筆時間とする。
続いては、大まかに興味分野のテーマ付けをする。
当然、住宅に基本的には関連する領域だけれど、
そのなかでも、いくつかの分類を頭のなかに描いて
そのテーマ付けを日々の「取材活動」に活かして、そのような行動様式を考える。
なので、必然的に住宅に関連する興味分野はどんどん広がっていく。
大学の先生とはまったく違うアプローチですが、
いわば、ジャーナリストとしての視点から
日々、日常的な行動に中にそういう住宅についてのテーマを仕掛けておく。
まぁ、そんなルーチンを自分に課しております。
で、やはり、書くということにだんだん、慣れてくるもの。
文章を書いたりすることが基本的に苦ではない。
やはり継続は最大の力ですね。これからも頑張ります。

前置きで、本日はおおむね文章量が多くなりましたが(笑)、
ここのところ、人類と住宅、というような分野にも興味が向かっております。
そんな取材の中で、一昨年だったと思いますが、
網走の北方民族資料館で見学した北方狩猟民の住まいであります。
動物の骨の利用という、まことに即物的で自然的。
こういう生命痕跡への態度には、人間の行動様式全体が試されるように思います。
やはり仏教的、あるいは宗教的素地をDNA的に経ているわれわれには
やや恐ろしげな光景に感じられますが、
かれらにとっては、ごく自然な素材選択であったのでしょうね。
というか、必要を満たすに、もっとも手近にあった素材だったのでしょう。
マンモスハンターという人類の生き延びる歴史的一段階では
本当に切実だったのだと思います。
こういう段階で、人類は生命というものに対する価値認識を
どのように持っていたのか、興味も湧いてきます。
そしてこのような「感受性」が、わたしたちにどのように繋がってきているのか、
そういうことにも、思考が巡っていきますね。
ふむふむふむ・・・。

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