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【明治6年 欧米近代衛生思想「札幌病院」建築】



行きつ戻りつの「北海道住宅始原の旅」明治6年に戻ります。
この年8月、現在の札幌市中央区北3条東2丁目に完成した病院。
人間が住むようになれば必ず病気になる。
対応した医療施設は不可欠。北海道開拓では明治2年11月に
札幌村(元村)に一舎が建てられたとある。
現在札幌村郷土資料館は札幌市東区北13条東16丁目にある。
北海道の最初の医療施設は、その周辺にあったと推定できる。
それから4年後にこの「札幌病院」は建築された。
建築に当たっては開拓使お雇い外国人である「スチャル・エルドリッチ」から
意見書が提出された。かれは当時の函館病院外科部長とある。
全17項目の「もっとも注意すべき諸件を開申する」と書かれている。
以下、長いけれど意訳して書きます。思想としての近代医学が開陳される。
1 病院の設営地は域外または都府外とすべき。
2 周囲に広く空地を余し増築の予備と大気流通に便ならしむべし。
3 高燥にして排水自在の地を選ぶこと。
4 病室は清潔なる高き1階にして堅木材で床を設け、天井壁は紙を貼って仕上げる。
5 病室は30床を列して足れること。
6 毎床1800-2000尺立方の大気を充す空隙を余すべし。
7 病室の窓は壁量に対して1/4たるべし。
8 毎室暖炉を設けるべし。
9 厨房浴室は別室に設け、病室には近づけるな。
10 食堂は歩行可能な患者のためなので厨房・薬室と一屋を設けるべき。
11 医員住所は近接させること、生徒教授のために別に講堂を設けるべき。
12 病室ごとに休息室・浴室を置き大気流通の廊下で病室と隔てること。
13 休息所は毎日開いておいて清潔を保つこと。
14 快復に近い患者のため乾燥静閑の園庭を設けいつも逍遙できるようにすること。
15 死室は必ず遠隔の処に設け、大気流通すべき大なる解剖室を設け生徒に教授すべき。
16 莧樋(地上にかけ渡して水を導く、竹や木の樋)を以て清水を引き病院中ところどころに配管すること。
17 医院(員の間違いか)1名に患者30人に限ること。多くても40人を超えないこと。
〜近代的な「衛生」概念に基づいた建言であり、開拓使も
迷うことなくこの建言通りに建築している。
平面図は上が北で一番下が診療棟。中央の左右対称棟が病室。
北側奥が食堂とコック室(厨房)の2階建て。
病室の奥に南側に看護人居室、中央に湯殿、北に便所を張り出して造作。
医学校も併設したわが国の当時最先端の大病院であった。本格的洋風建築であり
開拓使の主要建築である(遠藤明久先生「開拓使営繕事業の研究」より)。

江戸期までの古来の医療思想を離れ欧米近代を素直に受け入れようとする
謹直な明治の時代を感じさせて清々しい。

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