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【共同幻想としての神社 北海道開拓一の宮建築】

国家というのは人類社会での「共同幻想」だと思います。
国家は成員相互と国際で認め合うことでのみ存立しうる共同体と規定できる。
北海道開拓に当たり明治帝は「開拓三神」をもって
この地の長久なるを祈願され、その証し・マインドとして神社を創建された。
詔により東京の神祇官において「大国魂神、大那牟遅神、少彦名神」の
三神を祀る「北海道鎮座神祭」が執行され、北海道開拓の守護神と規定し
石狩に本府を建て、祭政一致の建前から神を祀る事を命令された。
明治の時代がスタートすると同時に明治帝の大命を奉じ開拓判官・島義勇が
明治3年5月15日、北5条東1丁目に仮社殿を造営して遷座し
「一の宮」と称されたが明治4年5月14日「札幌神社」と社名が定まった。
写真は「開拓三神」がとりあえず「一の宮」として現在の北5条東1丁目に
安置された建物とされる。その後この建物は現在地の「円山」に移転された。
写真は明治4年に撮影されたもののようです。
後背の森は、まさに開拓期の原始の札幌の地の雰囲気を讃えて清々しい。
この地は、小鳥たちのさえずりが多かったとされる。そういう土地は
大きな街区形成に好適という瑞祥でもあったとされている。
まことにファンタジーそのものの共同幻想であるけれど、
日本人的心性からはこのことをリスペクトし尊重してきた。
人間が形而上的な世界観、倫理観を持つ以上、
こういったファンタジーにはやはり大きな力があると思います。
そういうことに粉骨砕身することには共同体へのリスペクトが存在する。

個人主義と資本主義的な考え方に
世界的に行き詰まりが見られてきていると思います。
友人でアメリカでずっと活躍してきたけれど、彼の地で一個人として
たとえば介護付き施設などでの最後の迎え方を想像したときに
人間としてのこころの問題で、どうしても受容しきれなかったという。
たまたまそういう歳になって老母を札幌で見送ってから、
やはり日本での最期を選択したいと考えたというのです。
日本も個人主義、核家族社会の進展が顕著ではあるけれど、
しかしこのような「共同幻想」にまだしも社会として力がある。
ポスト個人主義というようなことを考えなければならなくなった現代、
ある気付きを与えられたように思っております。

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