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春のめざめ

1678

花の名前は、ほんとうに知らない、恥ずかしい・・・。
でもこれはたぶん、クロッカスだろう。
関東以南ではもうすでに夏日にもなっているそうだけれど、
北海道も、順調に春の芽吹きが始まっている。
毎年、それぞれの春の進み方があると思う。
ことしは、冬はいろいろな表情を見せてくれたけれど、
おおむね健全な冬らしい冬だったように感じられた。
そこから、雪融け、春の芽吹きまで、一直線だったように思う。
年は経てきても、四季変化は変わることがなく移ろってくれる。
なによりのことだと、小さなよろこびに満たされる。

日本は、他の国、風土よりも
この四季変化が明瞭なのだろうか。
「日本の美意識」について、考えるとき、このことが一番大きい。
花鳥風月というくらいで、花の季節による移ろいに
非常に敏感な感受性を日本人は育ててきたのだと思う。
縄文の頃に大きく広がったとされる照葉樹林の森で
季節の変化にともなって、さまざまに移ろっていく花々の変化から
始まっただろう日本人の四季変化の概念が
花鳥風月の文化を生み出したように思う。
それからあとの農業社会的な、その農耕時期をあきらかにするための
時期を確定させるための四季変化という概念よりも
やはり直接的な、採集社会的な心理文化に、
われわれ日本人の感受性の有り様は、どうも近いのではないか。
イネの王としての天皇制度以降は、
弥生的な農業生産にあわせた四季変化の概念が導入されたけれど
どうもそれよりも先行する概念、感受性の方が大きい。

そう考えてくると
「日本」という民族概念にも、疑問が生じて来るかも知れない。
日本という国号には、やはりイネの王としての天皇制が
色濃く刻印されていて、
そういった歴史的な残滓から、どうしても呪縛を受けざるを得ない。
つづめて言えば、中国や朝鮮との歴史的軋轢は
このようなことの集積の結果でもあるからだと。
網野善彦さんが繰り返し言っていたように日本ではなく、
「東アジア弧状列島生息人類」とでも概念措定して
語らなければならないのかも知れない。
そのひとびとにとって、
花鳥風月とは、そのようにも民族的な精神文化なのだと思う。

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