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先人が感じた空気感

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いまは広島空港に向かうインターチェンジにほど近い土地に
関ヶ原合戦以降、わたしの家系の人間は確かに
いたという情報があって、強く興味を覚えて行ってみた。
関ヶ原は1600年のことだから、いまから500年前のことになる。
そんな昔のことでも探訪できるよすががあることに感謝する。
先祖の方が、書き残した記録があることで
こんなことも可能になるのだと思うと、情報というものの価値が再確認できる。
十数年前には、地元の歴史研究家のかたが、
わが家の兄の願いを聞いて、周辺の聞き取り調査もしてくれたのだという。
そしてそのときには、先祖の墓も確認できたそうです。
その場所を確認しに行ってみたけれど、
いまは雑木林になっていて、
その類縁にあたるであろうと推測されるお宅の「墓地」に
それらしき形跡を発見したけれど
やはり「ちょっと500年前のことですが・・・・」という質問は、はばかられた(笑)。
自分の行為がやや滑稽で愚かしいのでは、という気持ちが
どこか、そうしたことにブレーキになる。
まぁ、正直なところですね。
北海道の、それもリトルトーキョーである
札幌のような大都会に住んでいると、こうした地域性に対しては縁遠く
いわば無国籍性に慣れきってしまっているけれど、
こうした地縁社会が濃厚な地域を訪れると
その濃密な空気感、人間の生き死にの積み重ねの厚みに
どっぷりと浸りきってしまう感覚がある。
こういう地域感覚のなかにいまも感受性の中心を持って暮らしているひとがいて
地域の雰囲気を形成しているということに新鮮に驚く。

そして、大きな地図を眺めながら
生きがたき世を生き続けていたのだなと強く感じさせられました。
わが家系は、明治4年の廃藩置県にともなう日本中の騒乱の中で
焼き討ち略奪のターゲットになったということが
だんだんと明らかになってきました。
移動交通手段の少ない地縁社会の中で
抜き差しならない関係性が形作られ、
そういう「鉄鎖」がよくも働くし、悪くも働くということなのでしょうね。
いまは、こうした先人も感じた地域の空気感を
追体験しながら、思いを致し、
いま生きていることに感謝の念を持っていくことだな、と思った次第です。

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