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【やっと授かった両親念願の子〜間宮林蔵生家-3】

後にその理工系の才能を認められて幕臣として登用され、世界情勢の中でも緊張を高めていた北辺地域の支配根拠となる正確な地理把握を日本発で世界に認識させた間宮林蔵。 当時、列強による世界全域での領土・利権争奪が熾烈を極める中で […]

【北海道に魂を残す先人住宅探訪〜間宮林蔵生家-1】

少年期、北海道で学校教育を受けはじめたときから、間宮林蔵とか伊能忠敬、松浦武四郎とかの人物名がいわば先験的に染み込んできていた。たしかに学校教育でその名を教えられたのだろうけれど、北海道に生まれ育った人間からすると強い直 […]

【家と「精神性」古文書類 土佐藩・旧立川番所書院-5】

紹介している旧立川番所書院は、管理の委託を県から受けた周辺住民のみなさんが交代で管理されています。こういう形式はほかの地域、知りうる範囲では奈良県の古格な建築施設などでも見られました。管理と見学のバランス、その行政コスト […]

【外壁・内観、質感フェッチ全開 鎌倉歴史文化交流館-2】

紹介している建物は歴史文化交流館という使用途の建築ですが、外見的な印象としては大きな石材平面が複数、並列しているような建物と見える。自然石ブロックの外壁。下の写真はGoogleMapでの上空からの画像と庭・崖面上部からの […]

【安藤忠雄氏構想スケッチと建築群 淡路夢舞台-5】

ホテルを出て夢舞台の公園地域に向かう手前には、「淡路夢舞台の歩み」と題した経緯の説明コーナー展示がある。そこにはたくさんの「構想スケッチ」が展示されています。建築設計者として安藤忠雄氏が明記されているので、こうしたスケッ […]

【江戸期までの日本的心性を伝える家 大庄屋「片岡家」-5】

やや高台にある片岡家からは周囲の起伏に富んだ地形が見晴らせる。「家から見える範囲全部が領地だった」という言葉がそのままの実感でわかる。下の写真は明治維新時の「太政官」による土地支配のお墨付き。 日本人はとりわけ「土地」所 […]

【建築文化継承と現代技術の対話 大庄屋「片岡家」-4】

この奈良県宇陀の片岡家住宅のことを書いてみて参考になったのは「JAPAN WEB MAGAZINE」さんの記事。「片岡家住宅」として記事構成されている。その記事(公開日:2010/05/06)中に当時の当主の方が「住みご […]

【権力誇示目的の建築デザイン 大庄屋「片岡家」-3】

江戸幕府の時代、支配階級・武家大名という存在が社会の基本秩序を構成していた。この奈良県宇陀市近郊に残る片岡家住宅は大名支配の経済の中核的存在。庄屋としてコメ生産の全過程を管理して収穫物を大名家に納税する責任者。そのなかで […]

【武家ヤンキーの建築痕跡 大庄屋「片岡家」-2】

江戸期の大和国の地政学的な位置付けは、京都・大阪を監視するような機能。大阪の陣を経て徳川幕府の覇権は完全に確立し、潜在的な危険因子であった前政権の血統は根絶された。しかし、本来の日本国家の中心地域としての畿内地域をコント […]

【大和国(奈良県)大庄屋 「片岡家住宅」探訪-1】

本日からはふたたび古民家建築探訪であります。日本列島37,000年史シリーズの最終章は日本国家始原期として大和国に神武東征した頃の探究。その象徴的な場所として奈良県宇陀市の桜実神社の八ツ房杉を紹介したけれど、そこから旧都 […]