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【ニッポンの正月 注連飾りアラカルト】




お正月まであと2日。いよいよ押し迫ってきた年末時期、いかがお過ごしでしょうか?
ことしもコロナウィルス禍の最中ではありましたが、なんとか年中無休でブログ書き。
まぁ、一回書くのを休むとクセになるので継続し続けております。
誰のためと言うよりも、いまや書くこと自体が習慣化。
そのためには健康にも留意しなければならないことから、
自分自身の「長生き」のための大きな手段にもなっている(笑)。
現実的な実利に繋がっているようにも思えております。
書くためには、考える作業が前提になるので頭の体操としても有益。
で、ことしはワケあって複数箇所で年末に大掃除+片付け作業。
片方はようやく一段落が付いて、明日からわが家の方も着手する予定。

写真は日本各地の注連飾りのあれこれが展示されていたもの。
ことしは注連縄についても、いろいろ探究させてもらいました。
いつも見ている北海道神宮の注連縄にふと気付いて、その造形に驚き
しかも古い写真を整理していたら、津軽の岩木山神社の注連縄がクリソツだった。
おいおい、と思い起こして、その北海道神宮の注連縄を作っている
富良野神社社中を訪れたりもしました。
想像したとおり、富良野の周辺には津軽からの移住者が多く、
そのかれらの伝承の注連縄づくりが北海道での最古参級ということで、
晴れて北海道神宮に奉納されるようになったのだという。
米作が民族に根がらみになっている日本人として、
この注連縄、注連飾りというものはルーツを表現するDNA伝承なのでしょう。
いくつものデザインの注連飾りに、その地域固有のアイデンティティが込められている。

現代では、ほぼ一様な注連飾りが大型スーパー、AEONなどに
所狭しと並べられてますが、
上の写真のような個性表現の方が深く染みわたるように思われてなりません。

【古民家でみつけた「蓄熱囲炉裏」工夫】


写真は江戸期に建てられた宿館建築パブリックスペースの囲炉裏。
旅宿者は、広い土間に面したこの囲炉裏で迎えられる。
囲炉裏は周囲が土間に開放された板敷きスペース境界にある。
土間からそのまま板敷きに腰を掛けるようにもできる。
いかにも融通無碍な接遇装置と言えるでしょう。
こういった囲炉裏の切り方はけっこうたくさん見てきたけれど、
こちらで意表を突かれたのは、その基壇として石が積み上げられていること。

ご存知のように石には「蓄熱性」があることが知られている。
自然素材だけで建築が作られていた時代、石の効用についても
先人の知恵は現代人と遜色ないレベルだったと思われるので、
この「設備仕様」はかなりの「温熱環境的工夫」なのではないかと思える。
たぶんこの建築の目的性格から言って、この囲炉裏はほぼ常時焚かれていた。
いつ何時来客があっても「あたたかく迎える」ということが求められた。
その目的に対して先人はこのような建築仕様を用意したと思える。
常時火が熾されていれば、基壇分の石に常時熱供給されて
それが持っている蓄熱性から、石基壇全体から輻射熱が放散された。
それがWELCOME装置としてこの宿館の決定的差別化になったのではないか。
もちろん断熱性や気密性のレベルの低さはやむを得ないけれど、
なぜか日本では普及しなかった「オンドル」「ペチカ」のような知恵の
端緒的な形態をそこに見ることができると思われる。
今日の「高断熱高気密住宅」でも壁面・床・天井などの面からの輻射は
住宅の温熱環境で決定的な意味を持つ。
直接的な囲炉裏火の放射熱に加えて、床面からジワジワとくる輻射熱。
旅人にしてみれば、このような建築仕様は
「あの旅宿はなにより、あたたかいわ」という評判に繋がったのではないか。
加えて言えば蓄熱と放散は除湿にも繋がったはずでそういう便益もあった。

実際に囲炉裏に火が点けられていたわけではないので
実証性は確認できませんでしたが、
これは結構な温熱・除湿効果があったのではないか。
そう見ると板敷きの床面に基壇部分接続部分で熱変形とおぼしき形跡も。
たとえて言えばレンガで作る「ペチカ」にも似た温熱工夫だったと思える。
このような他事例も研究発掘してみたいと考えておりますが、
みなさんのご意見はいかがでしょうか?

English version⬇

[Ingenuity of “heat storage hearth” found in an old folk house]
The photo shows the hearth of an inn building public space built in the Edo period.
Guests are greeted in this hearth facing the large dirt floor.
The hearth is located at the boundary of the boarded space, which is open to the soil.
You can also sit on the board as it is from the dirt floor.
It can be said that it is a very flexible reception device.
I’ve seen quite a lot of ways to cut the hearth like this,
What surprised me here was that the stones were piled up as the foundation.

As you know, stones are known to have “heat storage”.
In the era when architecture was made only from natural materials, the utility of stones
It seems that the wisdom of the ancestors was at a level that should be dismissed, so
It seems that this “equipment specification” is a considerable “thermal environment device”.
Perhaps because of the purpose of this building, this hearth was almost always burned.
It was required to “welcome warmly” no matter when and when there were visitors.
It seems that the ancestors prepared such architectural specifications for that purpose.
If the fire is constantly burning, heat will always be supplied to the stones on the base.
Due to its heat storage, radiant heat was dissipated from the entire stone platform.
That may have been the decisive differentiation of this inn as a WELCOME device.
Of course, the low level of heat insulation and airtightness is unavoidable, but
For some reason, wisdom such as “Ondol” and “Petika” that did not spread in Japan
It seems that the introductory form can be seen there.
Even in today’s “highly insulated and airtight houses”, radiation from surfaces such as walls, floors, and ceilings
It has a decisive meaning in the thermal environment of a house.
In addition to the direct radiant heat of the hearth fire, the radiant heat that comes from the floor surface.
For travelers, such architectural specifications
It may have led to the reputation that “that lodging is warmer than anything else”.
In addition, heat storage and dissipation should have led to dehumidification, and there was such a benefit.

Because the hearth was not actually lit
Demonstration could not be confirmed, but
I think this had a good heat and dehumidifying effect.
If you look at it that way, there are signs of thermal deformation at the base connection on the wooden floor.
It seems that it was a thermal device similar to “Petika” made of bricks.
I would like to research and discover other cases like this,
What are your opinions?

【美神のプロポーション/日本人のいい家⑮】


建物というのはあらゆる人に分け隔てなく素性をさらす。
その姿カタチで、本然を伝えてくれるものだと思います。
同時に、その内部には「機能」を実現する空間を持っている。
その両方でわたしたちのために役立つものでしょう。

写真はよく見学に訪れている日本民家園に収められている
「蚕影山祠堂」(コカゲサンシドウ)であります。
わたし的にこのお堂、ひと目見たときからときめかせていただいている(笑)。
不思議な感じで、まるで「ひとめぼれ」そのもの。
祠堂という名付けの通り、蚕の紡ぎ出すふしぎにリスペクトした建築。
ということで建築の「施主」はいのちのありがたさ、そのものであるのかも。
そういった由縁が見る者のなにかを刺激するのかも知れません。
しかし造形する立場からして見て、巧みに丸、三角、四角が絶妙バランス。
そして造形素材は自然に帰る木、萱だけで構成されて
まるでいのちそのままで訴えかけてくる。
この建物は「入れ子」構造で内部にも、本体の小型建築が仕舞い込まれている。

川崎市教育委員会の簡要な説明が公開されています。
〜養蚕の神「蚕影大権現」を祀る宮殿と、それを安置する覆殿より構成される。
もと川崎市麻生区岡上の東光院境内に祀られ、人々の信仰を集めていたが、
養蚕の衰退とともにお堂の維持が困難になったため、岡上の養蚕講中より
昭和44年に川崎市に寄贈された。翌45年、祠堂を日本民家園に移築し、
それを機に覆殿は復原修理された。〜というのが来歴。
〜棟札によると、宮殿は文久3年(1863)に再興されたことが判明し、
造営には岡上村講中のもの38人が助力した。大工(番匠)の名は
字が掠れて読めないが、4字のうち2字目は「海」であり、
岡上の大工鳥海氏の先祖ではないかと推察される。〜
この建築年代は横浜の開港による外国交易の活発化で
日本は「生糸」の生産輸出で盛り上がった時期に相当し、
横浜にいちばん近い川崎市の当該地域では、盛んに生産されたとされる。
その経緯を伝えるように養蚕講中(女人講中)38人が助力して造立された。
蚕を飼って糸を生産するのは、女性たち主体の経済行為。
祀られているのが蚕の精霊とでもいえる金色姫という女神なので、
わたしのひとめぼれには大いにワケがあるのかも知れない(笑)。
ちなみに金色姫というのは、インドの女神で4度の苦難を乗り越えて
蚕となって女神になったとされる養蚕のシンボル。
したがって、そのような来歴、施主たちの思いを踏まえて大工鳥海氏は
命がけで、美神を建築表現したに違いない。

●入れ子の中身の宮殿は、間口2尺、奥行3.28尺、隅木入りの春日造形式の
小規模な社殿で、向拝の正面に軒唐破風を付ける。総欅の素木造り。
両側面の板壁と腰壁に嵌め込まれた立体的な浮き彫り彫刻では
蚕神である金色姫の物語を表わしている。
●覆<サヤ>殿は桁行15尺、梁間9尺で、正面に入母屋造・茅葺の妻をみせた
妻入建物であり、背面を寄棟造にする。簡素な建物のなかにも
意匠を凝らしているのが窺える。建立年代は宮殿とほぼ同時期と推定。
建物の絶妙なプロポーションに強く惹かれて
その素性にも探究を迫って見たけれど、時間を越えて
はるかに魅了されるような小建築だと思い続けている次第です。

【コロナ禍、北海道はやや沈静傾向?】

さて北海道はきびしい冬に向かって相当猛威がと身構えているのですが
グラフのように「新規感染者」の傾向としてはやや減少に転じている。
やや意外とも思える傾向を示している次第です。
一方で下のグラフは東京都の様子で、こちらはまだ山場が見えない。
インフルエンザの一種とされるので、条件的には
北海道の方が気温や冬季の湿度低下などを勘案すれば
絶対に大きく山場が来るハズと思っていたのに、やや意外な展開。
これは北海道の人が行動抑制してきている結果であるのか、
よくわかりませんし、こういった情報については予断も許されないのでしょう。
これから年末年始の休暇期間が始まるけれど、
行動抑制的なアナウンスが繰り返されてきたことが、
どういう結果として表れてくるか、固唾を飲んで見守るということでしょう。
家族も今年は帰省しないとも言ってきている。
アメリカではワクチンの投与が始まってきている。
ただ、異例のスピード認可ということで不安もという指摘もある。
なんとか早く集団免疫が達成されていくことを願うばかり。

昨日でわが社も多くのスタッフは年末年始休暇に突入であります。
ことしはまったく1年、コロナコロナで振り回されたワケですが、
これはもう割り切って対応して行くしかない。
マイナス面は限りないけれど、対応の仕方でプラスの面も開拓はできた。
いちばん大きかったプラス面は、非接触型のZoomなどの
コミュニケーション手段が一般化することで、
ITに早くから取り組んできた企業には有利な条件が広がってきたことでしょう。
わが社の場合、DTPという領域企業ということで、
デジタル化は大きく進捗している。
その環境が多くの企業にも共有されることで、コミュニケーションの広がりが
より広がってきたということができるのだと思います。
たぶん、このデジタル化のさらなる進展という傾向はより顕著になるのでしょう。
こういう「新環境」にいち早く適応して、そのなかで生きる道を探すしかない。
年末、来年に向けて戦略戦術を練り直していく期間にしたいと思います。

あ、最近おかしいFacebookの表示。
掲載する写真ビジュアルがなぜか、1日遅れで表示されております(笑)。
なぜなのか、わたしのような1ユーザーには理解不能な事態。
もしきょうも不具合でしたら、それはお許しください。・・・

【共同体「普請」と現代住宅/日本人のいい家⑮】



以下は以前取材した「日本民家園(川崎市)」展示記録からの要旨抜粋。
<近世民家にかかる工事は広く「普請」〜ふしん〜と呼ばれる。
家の新築を始め、増改築・屋根葺き替えも普請という範疇。
普請の語源は仏教語で「功徳をあまねく請い願うこと。
禅の修行者が総出で働くこと」を意味した。
そこでは専門の職人の仕事と村共同体社会の人々の
相互扶助による仕事とが組み合わされていた。
屋根吹き替えでは村人たちは材料や品物を持ち寄り、その普請作業に参加した。
普請は一軒の家を村共同体でつくり、祝う共同作業であり「付き合い」でもあった。>
<民家の「普請帳」は江戸時代から残っている。そこには家普請にかかった
実際的な経費ばかりでなく、援助や協力を受けた人々の名前、提供された労力や
物品などが詳しく記されている。
普請の援助協力は近世の生活共同体ではひとつの「付き合い」であったが、
反面それは労働交換の性格を持っていた。家主は後の「お返し」に備えて
事細かく、援助協力の内容を記録した。>

今日わたしたちは、資本主義社会で暮らしている。
生活共同体に近似してはいるが全然違う会社企業という「稼ぎ」組織に所属し
そしてその存在基盤とはほぼ無縁な「住宅地」に暮らしている。
とも働き夫婦ですら、別々の「稼ぎ」組織に所属して生きている。
その距離間を「通勤」というカタチで移動しているという暮らし方。
近世までの「民家」とはまったく性格の違うウツワにわたしたちは住んでいる。
いわば共同体とは「無縁」な社会を生きていると言えるのでしょう。
で、わたしたちはいま住宅を得るとき、無縁に住宅「会社」を選択する。
建築工事はその会社企業組織のシステムに沿って運営されていく。
依頼者は、ほぼそれまでの生き方からは無縁の地域の土地を取得して
ある機縁でたまたま知った会社に巨費の資金を用意して依頼する。
たぶん「普請」で掛かった費用とは隔絶する巨費になっていると推定できる。
資本主義的「商品」として交易されているのが現代住宅なのでしょう。

在宅ワーク、テレワークというまた新たな「環境変化」が不可避に始まって
さてこういった現代の住宅建築総体に変化が生まれてくるのかどうか、
きわめて興味深い社会段階をわれわれは生きているように思います。
かつての「職住一体」という意味合いとはまた違う住環境。
現代的な会社組織への通勤という要素が減衰して
一方で住宅にまた違う側面、機能がプラスされていくのでしょう。
どういった「変化のタネ」が見えてくるかと予断しながら、
注意深く考えていきたいと思いますね。

English Version⬇

[Community “Public-Architecture” and modern housing / Japanese good house ⑮]

The following is an excerpt from the exhibition record of “Japanese Folk House Garden (Kawasaki City)” that I interviewed before.
Starting with new construction of a house, extension / renovation and roofing replacement are also in the category of general contract.
The etymology of Fukon is a Buddhist word, “to pray for merit.
It means that Zen practitioners work as a whole. ”
There, the work of professional craftsmen and the people of the village community
It was combined with work by mutual aid.
In the roof re-blow, the villagers brought in materials and goods and participated in the construction work.
Fukon was a collaborative work and a “dating” to build and celebrate a house in a village community. >
<The “general contract book” of a private house has remained since the Edo period. It took a house contract there
Not only the actual expenses, but also the names of the people who received assistance and cooperation, the effort provided
Goods etc. are described in detail.
Aid cooperation of the general contract was one “association” in the modern life community,
On the other hand, it had the character of labor exchange. The landlord prepares for a later “return”
The details of the assistance and cooperation were recorded. >

Today we live in a capitalist society.
Belonging to a “earning” organization called a company that is similar to a living community but completely different
And he lives in a “residential area” that has almost nothing to do with its existence base.
Even working couples live in separate “earnings” organizations.
A way of life in which people move between the distances in the form of “commuting.”
We live in Utsuwa, which has a completely different personality from the “private houses” of the early modern period.
It can be said that we are living in a society that is “unrelated” to the community.
So, when we get a house now, we choose a house “company” unrelated.
The construction work will be operated according to the system of the company’s corporate organization.
The client acquires land in an area that is almost unrelated to the way he lived until then.
I ask a company that I happened to know about a certain opportunity to prepare a huge amount of money.
It can be presumed that it is a huge cost that is isolated from the cost of “general contract”.
It is probably modern housing that is traded as a capitalist “commodity”.

New “environmental changes” such as home work and telework have inevitably started.
Now, whether or not there will be a change in the overall modern residential architecture.
I think we are living in a very interesting social stage.
A living environment that is different from the former meaning of “integrated work and housing.”
The element of commuting to a modern corporate organization has diminished
On the other hand, different aspects and functions will be added to the housing.
While predicting what kind of “seed of change” will come into view
I would like to think carefully.

【富山の薬売り・商文化/日本人のいい家⑬-2】



さて富山の薬売りおじさんのよすがを訪ねる探索その2.
越中反魂丹の池田屋さんの店舗風景であります。
全国への訪問販売が主な営業スタイルだけれどその本拠の様子。
上の写真は、昭和29年撮影の写真だそうで、柳行李を担いで店を出発する
2人の行商人を撮影したもの。
時代的にはわたしが話を聞いていた富山の薬売りおじさんの時期と
たぶん2−3年の相違しかないと思われます。
その下の写真は昭和20年の大空襲で店舗も全焼したけれど、
すぐ翌年にはこの写真のように再建築されたのだという記録。
その下には最近2014年段階の正面外観。
どうも、昭和21年にほっそりと植えられた街路樹が、成長しているようにも見える。
70年近い歳月が経過しているので、そうであるかも知れない。
そんなふうに写真記録を見ていると、いちばん上の写真の右側人物は
ひょっとしてわが家に来てくれていたおじさんかもと、想像が燃え上がる(笑)。

配置売薬の歴史について、「もうひとつの学芸員室」というWEBサイトから要旨抜粋。
〜元禄三年(1690)に遡る。加賀100万石の前田家から分封した富山10万石
2代目藩主・前田正甫(まさとし)公が江戸城に登城した折、
岩代三春藩の藩主・秋田輝季公が激しい腹痛を訴えて倒れた。
正甫公が持参していた「反魂丹」を与えると、たちどころに腹痛は治まった。
なみいる諸大名がその偉効に感服し、自分の領内での販売を望んだ。
正甫公の命で諸国に行商させたのが富山売薬のはじまりで、
やがて配置売薬にかわっていった。文久年間には
売上げ20万両、行商2,200人に達し、昭和9年行商人14,160人がピークという。
「反魂丹」は古くから中国にその処方はあったが、室町時代に泉州堺浦の
万代掃部助が唐人から教えてもらったのが一子相伝で伝わった。
3代目万代主計は備前国益原村(岡山)に移り住み医者となり万代常閑と名を改めた。
富山藩はその常閑から反魂丹の処方を譲り受け、松井屋源右衛門に命じて
製造・販売させるとともに、反魂丹役所を設けて奉行をおき管理させた。〜
とありました。なにやら「麒麟がくる」での「お駒さん」のビジネスと被ってくる(笑)。

店内に掲げられていた古い看板の類から、
売薬と日本人の暮らしの空気感が伝わってくる。
いまどきの大型ショッピング化したクスリ店よりもなんとも風情があるし、
なによりひとに頼もしげに、やわらかく感じられるのは、気のせいでしょうか(笑)。

【越中富山の薬店舗/日本人のいい家⑬-1】


北海道には北前船交易による江戸期からの移植文化が根付いている。
なかでも、北陸越中や越前、近江商人などの影響が大きい。
札幌の地元デパート・丸井今井さんは北陸出自とされていて、
そういった歴史的余韻が冷めやらず存在している。
彼の地の越中富山の「薬売り」という日本の「訪問販売ビジネス」は興味深い。
薬売りさんたちにして見れば、北前船で渡れる北海道は、
案外、行きやすい販売エリアであったのかも知れない。

わたしの子どもの時期、いまから60年も前になるけれど、
富山から来てくれる薬売りのおじさんは、2枚目の写真のように、
紙の風船をこどもたちに配って、子どもたちは大喜びでWELCOMEしていた。
まったくたわいのないギミックだけれど、
娯楽の少ない時代、こんな紙風船でも子どもは純真にだまされていた(笑)。
クスリというのはいまのようにたくさんの大型ショップがある時代ではなく、
しかし、在庫保存可能なものであったので、
年に1〜2回程度、定期的に訪問販売すれば、用が足りていた。
風邪クスリ、おなかのクスリ、軟膏類などの日曜薬品を定期訪問して
補充販売するというビジネススタイル。
オヤジやおふくろは、そんな薬屋さんを心待ちにしていたように思う。
それは得がたい「情報屋」さんの側面を持っていて、
本州、北陸地域の生きた情報を聞いて、たのしい歓談機会としていた。
わたしは、そういう歓談の様子を末っ子として臨席して聞いていた。
なぜかそういうヒアリングが好きだったし、オヤジも自然に同席させていた。
情報源としてそういう話を聞くことで想像力の羽根を広げていたのではないか。
いまはそんな気付きがしている。

そういういわば一方通行だったコミュニケーションが、
一度訪れた富山で双方向に広がる機縁を思い知らされた。
はじめて訪れたけれど、紙風船のような媒介ツールを通して、
情報のシンクロがお店の空気のなかで駆け巡っていたように思います。
「そうか、あのおじさんはこういう店舗から派遣されてきたのか(笑)」と。

きっと日本の「情報流通」はこういった人々を介して
全国での噂話のようなカタチで流布されていったに違いない。
ビジネスと人間情報の深い関わりがこだまのようにリフレインしてくる・・・。

【日本の大空間木造建築 能登・總持寺祖院】



どうもわたしのブログ、時事ネタの方がかなり反応が大きい(苦笑)。
時事ネタはたまに気付きの大きなことを書くのであり、ブログ全体では
それがメインの興味分野とは言えないこともあって、
自分では中庸を考えて書いているつもりであります。
どう受け止められても構いませんが、先進国対中国という図式は長く続きそうだし
日本の地政学的位置は世界全体でも非常に重要になってくる。
主にそういった世界情勢の巨視的視点から
今後も、折に触れてチョコッと書きますので、よろしくお願いします。

さて、本来の建築・住宅ネタであります。
先週土曜日にも造作家具撤去で知人の大工さんに作業してもらっていました。
で、かれはわが家の玄関で第2のいのちを繋いでいる
北海道内の寺院建築建て替え・解体材としての木彫造作にしげしげと見入っていた。
木を扱っていく仕事として、大工さんとしてはその「一木」造作ぶりが、
いかにも強い関心興味を惹くのだなぁと再確認。
そういえば、先日ブログで紹介したこの木彫造作には、たくさんの来訪者が
強く関心を持たれるようです。ながく用を果たしてきたものには存在感がある。
寺院建築には日本人社会の永い民族的な情念と魂が籠もっている。
神社仏閣の方が、政治軍事的な建築よりも遙かに永い歳月と愛着を刻んでいる。
ことしは頻度が大きく減りましたが、仕事で関東・東京に出張する機会が多く
その折りには不思議と交通の便その他から、鶴見が定宿になる。
というか、一度鶴見に泊まったら朝散歩で「總持寺本院」が近くにあって、
朝勤(ちょうぎん)と言われる僧侶たちの毎朝の集団読経を拝聴することができる。
管主とおぼしき方の読経と調和する音楽的声明(しょうみょう)が浄土を感じさせる。
この集団読経の挙措動作、声明を身体で受け止めると、強くとらわれ、
以来、ほかに特別用事がない限りは、鶴見が定宿になった経緯があります。
JR鶴見駅からほど近い一山全域が寺域になっているようで、
堂塔伽藍がみごとに配置されていて、わたしのメンタルに刻印されております。
その總持寺、実はもともとは能登にあったものが火災消失し、横浜鶴見に移転した
という故実を知って、火災後再建されたという「祖院」を旅の機会に訪れた。

日本はアジア世界で普遍的に普及した仏教を、国家鎮護思想として
歴世の天皇権力が尊崇し、社会の隅々にまでその「功徳」が行き渡った。
この總持寺は曹洞宗の本山であり、禅宗の一大本山として存続してきた。
現在の祖院は建て替えですが、鶴見の本院とも
伽藍配置、本殿の様子など建築的には非常に似通っている。
たぶん、もともとの設計図が伝承され火災に遭っても記憶の残っている時期に
再建され続けてきたことで、創建時の骨格デザインが踏襲されている様子が
非常に良く伝わってきます。
これだけの建築群なので専任の「宮大工」が代々、守りをしてもいるのでしょう。
とくに3枚目の拝殿施設は鶴見での朝勤広間と瓜二つ。
手前側の石敷きの土間部分が鶴見の方が広く、広間の奥行きも広くは感じますが、
雰囲気はまったく同様だと思います。
アジア世界のなかでも日本ほどこうした神社仏閣が保存され、
衆生の「公共空間」が維持され続けてきた国家社会は珍しい。
こういう空間が、日本民族のDNAになにごとかを刷り込んできたのでしょうね。

【ピリッ 冬至北海道「衣類の断熱気密」朝散歩】


写真は12/20朝の札幌市中央区宮の森の動物園前気温計。
マイナス7.1度表示。上には時計もまるく付いているけれど、
ハレーションで表示が見えません。おおむね06:30くらいでした。

ことしはしっかりスパイクも装着している冬用散歩靴を準備していて
お医者さんからの勧告を果たすため、早朝散歩を継続しております。
通常年であれば気温の低下、積雪の進行で12月に入れば
朝散歩は休止していたのですが、ことしは意欲が無事継続している。
おかげさまで定期計測の健康指標数値群はどれも平常値内で推移している。
・・・あとは食欲の抑制が必要なんですが
健康生活らしく、こちらはどんどん旺盛になっていて、悩ましい(笑)。
寒さ対策の「防寒着」はわたしの生きてきた時間で長足の進化発展。
マイナス7度とは言っても、しっかり上下のダウンジャケットと毛糸の帽子、
両手袋、さらにコロナ禍で習慣付いたマスク着用という完全防備。
北海道の住宅室内環境と同様、「高断熱高気密」化が進んでいて
こと寒さについては、ほぼ問題なく克服できている。
住宅と同様、ダウンという「断熱材」とジッパーや接合部素材の進化で
「気密性」も格段に向上しているので顔面以外は保護されている。
その顔もマスク着用でかなり寒さが軽減されるのですね。
ただ、マスクの機能性上、どうしても密閉と湿度放出のコントロールが難しく、
1時間半程度の運動量で家に帰ってくるとマスクはほぼ水浸し。
また、カラダも下着シャツはうっすらと汗で湿ってしまいます。
このあたりが今後の課題ではあるのでしょう。
住宅では「換気」について第1種換気という「機械換気」が導入されているので
そのうちにその進化方向でより簡便な方法・素材が開発されるのではないかと
ひそかに期待しております。タイベックシート素材の冬用マスクとか・・・。
現状では衣類着用時の換気は、「第3種換気」で顔面は外気の取り入れ口。
断熱重視方向では顔面スッポリの帽子もあるのでそういう選択肢もありえる。
まぁ、マイナス20-30度となってくれば、そういう装備も考えられますが、
いまのところ、そこまでの重装備の必要性は感じておりません。

こういうしっかりした防寒対策を施すことで、
わたしが子どもの頃には考えられなかった、ブリザードのような気象状況ですら、
むしろそれを愉しむ余裕までできている。風はきついけれど、
風景としての雪煙の千変万化はそれはそれで独特の醍醐味がある。・・・
まぁ目も開けていられないような状況以外なら、真冬でも問題ない。
散歩道の落葉後の木々の様子、針葉樹とのバランス具合、
冷涼感あふれる自然光が映し出す北の自然美が冬のご馳走であります。

【海の長城構築? 英空母極東派遣・仏独同調】


本日は休日につき時事ネタであります。
中国発祥のウィルスが世界に蔓延して以降、国際関係が大きく揺れている。
とくに地政学的に遠隔であり、経済関係重視の姿勢で親中的だった
EU、イギリスなどのヨーロッパ諸国の対中認識が大きく変化しつつある。
いちはやく英国は南シナ海、東シナ海への空母クイーンエリザベス派遣を決め
(写真はWEB上2017年11月、英南部ポーツマス(ゲッティ=共同)でのもの)
フランスもそれに追随すると発表していたけれど、
もっとも経済的に親中姿勢だったドイツ・メルケル政権も同様に
自国海軍艦艇をアジアに派遣すると発表されてきた。
このドイツの決定には驚きを持って世界は受け止めた。
ドイツはEUの中軸として経済的に中国依存が強いけれど、そのドイツすら、
軍事政治的にあきらかな中国封じ込めに動いたのは大きい。
先日の報道では「海の長城構築か?」というように発表されていて
あきらかな「中国包囲網」がヨーロッパ主要3カ国で共通認識されている。
アメリカ空母による「航行の自由」作戦も進行中であり、
それにこれら3カ国が加わるという意味では「先進国vs中国」という
あらたな「冷戦枠組み」が進行しつつあるといえるのでしょう。
国際関係をもっとも冷徹に表現する軍事パワーバランスでは
こういった世界構造が当面する基本構図だと考えていくべきだろう。
これは日本が構想してきた「インド太平洋」戦略の現在進行形であり、
日米豪印のダイヤモンド、アジア版NATOへの先進国の支持といえる。
これらの艦艇に対する後方支援活動は日本の自衛隊がその根拠基地として
機能していくことも大きな方向になっていくだろう。
コロナ禍の中、世界のパワーバランスは大きく動いてきていることを
日本人は重く受け止めていく必要があると思う。
わが国領土・尖閣へのあからさまな中国の侵略は、台湾を含めた
東アジア情勢の一環であり今後世界最大の焦点と覚悟する必要がある。

そういった世界情勢を知ってか知らずか、
日本のメディアの中でもっとも疑問な動きが見られるのが朝日系列。
日本の「はやぶさ2」の人類史的成功の時期に中国の「国威発揚」的な
「月の土採取」のニュースを12.19テレビ朝日系列は深夜ニュースとして流した。
写真はそのWEB動画の中から画像化させたものです。
報道としてはとくに独自的な視点は成されず、中国側発表にほぼ沿っている。
ふつうの日本人感覚でいえば、はやぶさ2による「りゅうぐう」からの資料採取と
同列的なニュースとは思われない。
すでに40年以上も前当時に米ソが成功した事柄であり、
その月の石の実物もたくさんの国際博覧会などで見ることができたし、
わたし自身も見た経験がある。いまさら人類的意義があるとは思えない。
たしかにムダだとも思わないけれど、ニュースバリューとしては
中国共産党政権のプロパガンダの意味合いのほうが大きいのは明らか。
はやぶさ2の資料回収の様子と比べても、ある種、時代錯誤感は否めない。
動画の最後の方ではなぜか銃をもった兵士までが登場している。
日本人にニュースとして報道する意味合いがどうも感じられない。

まぁなかなか厄介な巨大人口国が隣人であるという現実。
日本としては世界の常識を持って冷静に対応して行くべきでしょうね。

The English version is below. ⬇

[Building the Great Wall of the Sea? British aircraft carrier Far East dispatch, France and Germany follow]

International affairs have been shaken since the virus that originated in China spread all over the world.
In particular, he was geopolitically remote and pro-Chinese with an attitude of emphasizing economic relations.
European countries such as the EU and the United Kingdom are undergoing major changes in their perceptions of China.
Britain decides to dispatch aircraft carrier Queen Elizabeth to the South China Sea and East China Sea
(The photo is on the web in November 2017 at Portsmouth, Southern England (Getty = joint))
France had announced that it would follow suit,
The German Merkel administration, which was the most economically pro-Chinese, also
It has been announced that it will send its own naval vessels to Asia.
The world was surprised at this German decision.
Germany is economically dependent on China as the center of the EU, but even Germany,
It was a big move to contain China, which was clearly military and political.
In the news report the other day, it was announced as “Is it the construction of the Great Wall of the Sea?”
The clear “China siege network” is commonly recognized in the three major European countries.
A “freedom of navigation” operation by an American aircraft carrier is also underway,
In the sense that these three countries will be added to it, it is called “developed country vs. China”.
It can be said that a new “Cold War framework” is in progress.
In the military power balance that expresses international relations most coldly
We should think that this kind of world structure is the basic composition for the time being.
This is the ongoing form of the “Indo-Pacific” strategy that Japan has envisioned.
It can be said that the diamonds of Japan, the United States and Australia are the support of developed countries for the Asian version of NATO.
Logistics support activities for these ships are based on the Japanese Self-Defense Forces.
It will also be a big direction to function.
The power balance of the world is moving greatly in the midst of the corona
I think the Japanese need to take it seriously.
China’s outright invasion of Japan’s territory and Senkaku, including Taiwan
It is part of the situation in East Asia, and we need to be prepared to be the world’s largest focus in the future.

Do you know or don’t know the world situation?
The Asahi series is the most questionable movement in the Japanese media.
China’s “national prestige” during the period of human historical success of Japan’s “Hayabusa2”
The news of “Moon soil collection” was broadcast on 12.19 TV Asahi series as midnight news.
The photo is an image of the WEB video.
The report does not have a unique perspective, and is almost in line with the announcement by the Chinese side.
In the ordinary Japanese sense, collecting data from “Ryugu” by Hayabusa2
It doesn’t seem like the same news.
It was the success of the US and the Soviet Union more than 40 years ago.
I was able to see the actual stones of the month at many international expositions,
I myself have seen it. I don’t think it has any human significance anymore.
I don’t think it’s wasteful, but as a news value
It is clear that the propaganda of the Chinese Communist Party administration has more implications.
Compared to the collection of materials from Hayabusa2, it is undeniable that there is a sense of anachronism.
At the end of the video, even a soldier with a gun appears for some reason.
I can’t feel the meaning of reporting it as news to Japanese people.

The reality is that a hugely populated country is a neighbor.
Japan should respond calmly with the common sense of the world.