本文へジャンプ

【なぜ各地神社ごと注連縄デザインは違うのか?】



宗教建築、とりわけ神社は毎日、北海道神宮に参詣する習慣もあって、
各地を訪れる度に各地域の神社を参拝させてもらいます。
まぁ歳も取ってくると、夜のクラスターのような場所は縁遠い(笑)、
こうした場所が親しい訪問場所になるのは、ごく自然でしょう。
建築としてこれらの神社建築はそれはそれでオモシロいのですが、
東大工学部・内田祥哉名誉教授から親しくご教授いただいたところでは、
神社仏閣建築では明瞭な「様式の違い」というものは確認できない、
というように断言されておられました。
日本の建築学の中枢にいられる先生からのお言葉なので、
そのように素直に受け止めさせていただいておりました。

なんですが、その周辺的象徴デザイン装置として「注連縄」があります。
どうも最近、この注連縄の「デザイン」の違いについて興味が募っています。
まことに全国各神社で個別デザインのオンパレード。
大きなグループ分けは可能だけれど、個別の違いも大きい。
たくさんの神社建築写真がありすぎるので、いわば代表選手的に
上から出雲大社、北海道神宮、そして相模国一の宮・寒川神社であります。
まぁ神社と言えば、伊勢神宮が中核中の中核でしょうが、
ご存知かと思いますが、伊勢では内宮・外宮とも注連縄はない。
榊がそれに代替するとして位置づけられているそうです。
そのこともまことに興味深いなぁと思っていますが、一方で伊勢のすぐ近くに
有名な「夫婦岩」があって、その夫婦は注連縄で結ばれている。

どうもこれの印象が強烈で、地域全体の「注連縄」の代わりではないのかと
思い込んだりする次第。「あれがあるから、ウチはいいだろう」と伊勢は考えた?
歴史年代を通してこの縄は波濤に耐えてきたのですから、
その継続管理努力たるや並大抵ではないだろうと思います。
伊勢地域全体を「引き締める」ような役割を果たしてきたのかもしれない。

おっと、横道にそれる。で、上の写真の注連縄群。
出雲と北海道神宮は、どうもでっぷりとした中太り横綱系のデザイン志向。
わたし的にはこの流れが「正調」と思っていたのですが・・・。
出雲の写真は「神楽殿」ですが、拝殿のものも同じデザイン。
初めて見たのは神楽殿で、その圧倒的な重量感に「おお」と感動した。
神社史からも最古参級の出雲に対して最新の北海道神宮の注連縄は、
上にオマケで俵が乗っかっているデザイン。
こういうのもほかであんまり見たことはない。
開拓の願いを込めて、地域の物なりがよくなるように願掛けしたのでしょうか?
注連縄本体は、出雲とは違ってねじれの少ないシンプルな中太りデザイン。
両端部分に組み紐的な飾りがつけられているのは、ご愛敬か。
で、関東、相模国の寒川神社では、注連縄は真一文字。
気持ちいいほどの「一本気」を感じさせるデザイン。
静岡県の三保の松原の御穗神社(下写真)でも同様の注連縄だったので、
「東海」地域のデザインであるようにも思われるのですが、さて。

神社の注連縄ってその場で「見比べる」ということは出来ない.
「お、注連縄か」と認識する程度で、オリジナリティに気付くことはそれほどない。
わたしは「地域住宅雑誌」を発行し続けてきたので、
こういった地域ごとの「文化の違い」ということが、どういう文脈なのかと
考えることが習慣化している部分があって、地域偏差がどうも気になる。
行方が心配・気がかりな「GoToキャンペーン」ではありますが、
健全な旅行観光の目玉としての神社仏閣の建築周辺デザインについて、
みなさんのご意見もうかがえればとブログに書いて提起する次第です。
お気付きの点を、ぜひ教えてください、どうぞよろしく。

【DNAの不思議なナゾ 人は「縁」を生きる?】


北海道は日本の他地域からたくさんの「移民」が集まって成立した。
「核家族先進地域」と評した人がいたけれど、
初期北海道に、「仏壇を背負って来た」ような家は多くはなかったのでしょう。
大多数は「一旗揚げて郷里に帰る」というメンタルで北海道に来ていた。
祖父は出身地(広島県福山市郊外)と北海道で「分骨」して眠り、
父親がはじめて北海道だけに「骨を埋めた」。
わたしは北海道ネイティブの第2世代。
ただ、北海道人というのはそういった出自を背負っているので
自ずから、北海道以前のルーツについて関心を持つのかも知れない。
あるいは逆に無関心を強く通そうとするのかも知れない。

写真は家族旅行で訪れた「瀬戸内海」の様子と高速道路図。
道路図は淡路島から徳島上陸後、高松自動車道・津田の松原PAで撮影。
このPAの先には「さぬき三木」というICがある。
瀬戸内海を挟んで播州平野には「三木」というICもある。
姫路周辺には三木家ゆかりの古民家などが集中している。
家系伝承では、尾道近辺、福山や四国の愛媛県地域、讃岐地域などに縁があり
瀬戸内海地域で遠くは「河野水軍」の一翼として活動していたと。
そして1440年代に播州の飾磨という湊地域に根拠地を持つに至り
地域の「赤松氏」との縁を深めていったという。・・・
で、行って始めてわかったのが、このPAが「津田」の名を冠していたこと。
なんとカミさんの旧姓は「津田」なのです。
「三木のとなりに津田かよ」と家族で大笑いした(笑)。う〜む偶然か・・・。
DNAの古層でなにか沸き立ってくるように「縁」がざわつく感じ。
こういう「縁が身近」という雰囲気は、北海道では強くは感じない。
祖父や父が住んでいた、自分がそこで産まれたという土地に対しても
格段の「ゆかり」を強く感じたりはしない。
むしろ「通り過ぎてきた場所」という感覚に近い。
これは、個人的には「湿度」が大きく関係しているような気がしている。
北海道地域は基本的に「ドライ」であって、空気に重量感がない。
縁のある土地でも、基本的に空気流動性が良くて、
どんよりと定置的な重量感が希薄なのだと思ったりする。
一方で瀬戸内臨海地域では、海を渡る風も湿潤で、いかにも感情がこもる。
そういった空気感の中で、感受する事物に感じ方の陰影が濃くなる。

いずれにせよ、数度家族旅行で訪れたけれど、
カミさんもこの空気感には自然に浸れるような感覚を共有している。
DNAのどこかの部分が、いろいろな「刺激」を全身で受け止めて、
まったく意識下で反応を見せているのかも知れない。
人間はそういうDNAの意識下の気分に導かれる部分があるのではないか。
未知な謎めいた「気配」に素直に従いそうな自分がいます。
あ、これは別に「GoTo」キャンペーン協賛記事ではありません(笑)。

【庭の美vs自然の美 in北海道】


新型コロナ禍がふたたび不気味な猖獗を見せています。
やむなくSTAY-HOME的な暮らし方で対応することが広がってきて
「庭」への興味関心が高まっているとされてきています。
Replanは北海道を基盤とした住宅雑誌として、
さまざまなテーマを「全国誌」とは違った視点、地域の注文住宅づくり
という視点から考えてきている雑誌です。
地域雑誌とはいえ、その地にふさわしい「深みのある暮らし方」を希求する
多くの注文住宅ユーザーの心理に即したテーマ展開を心がけて来ました。
そのなかで、庭というテーマはなかなか悩ましい領域。

北海道は本格的に「都市」が営まれ、現代的住環境が作られてから
それほどの時間の蓄積がない地域。
200万都市札幌であっても、まだまだ「空隙」の余地が大きく、
年間6m積雪という条件から、残余地の割合がまだまだ大きい。
庭は基本的には「塀」で区切った私有地内で人工的緑を造営する営為。
札幌も日本の一部とはいえ、ものの数十分クルマを走らせれば、
大自然が原始の環境を開放的に見せてくれる。
その魅力の前で人工が果たして敵うものかどうか、ギモンが多くの人にある。
塀で隣接地との間を区切ると、除排雪に困難が伴う。
年間積雪6mを越える地域として、除雪のしやすい平坦な建築同士の空隙が
求められるという事情が大きいのかと思っています。
たとえば上の写真のような「お屋敷」の庭の植栽群に常時1−2mの
積雪があったとしたら、その雪の管理は非常に難しい作業を強いられる。
複雑繊細な「枝ぶり保護」のために雪囲いをしても、
その年の積雪荷重が予想を超えていった場合、破断も避けられない。
そういう危険を覚悟してまで、造園にお金を掛けるのは合理的ではない。
従って繊細な庭造りという志向は弱くならざるを得ない。
ちょっと目を向ければ、都市のごく近くにすら原始の森も保全されて
すさまじいまでの「自然の美」を堪能することが出来る。
下の写真は最近よくご紹介している札幌市中心部の円山自然林。
新型コロナ禍でわたし的に地域再発見は進んでいるのかも知れない(笑)。
札幌市中央区で都心から2−3kmに原始のまま保全された自然がある。
写っているのはカツラの巨木が3本、自然のママにある様子。
幹の途中から上は破断しているけれど、それはそれで
荒々しいこの地の気候条件そのものを表現していて、厳しさの美がある。
箱庭ではない、自然だけが造形できるダイナミックな美感の世界。

しかし一方で、上の写真のような箱庭も、
建築が意志的に造形した、という美感を強く感じさせてもくれる。
この両方の「美感」の間で、まったく新しい「庭の美」というもの、
環境と共生しながら楽しめる「建築的な美感」というものもあるかも知れない。
花鳥風月という日本人的世界観、美感が北海道という大地で
どんなふうに花開くことが出来るかどうか、その可能性は興味深い。

【札幌円山自然林「オオウバユリ開花」宣言】


毎朝の散歩道で楽しませてもらっているオオウバユリ、
ここ数日でほぼすべての群落で各個体がいっせいに「開花」しています。
写真のように、いかにも「ユリ」の花の一種族であることがあきらかな花弁ぶり。
下の写真のような「群落」として目立ってきた次第です。
こういう状態になると、多くのみなさんが足を止めて観察される。
きのうも中高年のご夫婦の散歩中に遭遇。
わたしが「定点観察」している様子をご覧になって話しかけられてきた。
「これは、ユリですよね?」
「そうです、オオウバユリという自然保護された自生植物ですよ」
と、その根茎部分に堆積するデンプン質がアイヌのソウルフードだと説明。
いたく関心を示されたので、つたない説明をさせていただいた。
「いったいどんな味覚がするのでしょうか?」
「一度、苫小牧駒澤大学でのイベントで食べたことがありますが、・・・」
と話したら、目を輝かせて興味津々。
「わたしの味覚からすると、やや淡泊すぎて」と。
おふたりともワクワクと、強く興味を持っていただけたようでした。
お話の感じでは、北海道在住者ではなく本州地域から転居されて早々の様子。
この円山自然林の「価値」について認識を新たにしてくれたようでした。
地元人間としては、このように情報拡散できることはウレシイ。

群落は円山のふもとの川辺に沿って自生している。
たぶん和人社会がもっと興味を持っていたら、栽培食物として
DNA改造に着手して畑で大量生産させたものかも知れないけれど、
歴史経緯としては、そのようになされることはなく、
まるで円山自然林の「シンボル」的な存在として存続してきた。
写真のような、やや疎とはいえ、けっこうな密集群落ぶり。
こういう状況を見て栽培食物として利用しなかったことがやや不思議。
アイヌの人々も一定の耕作は行っていたはずですが、
そういう興味からもややズレがあったのかも知れません。
ただ、自生地は湿潤が条件なので定住地周辺には適さなかったのか。
たしかにソウルフードではあったけれど、主要デンプン質とまではならなかった。
アイヌの食習慣というか、婚礼時に「コメを山盛りでたべる」という
「伝統」があったとされていますが、
和人社会との「交易」でより刺激的な「コメ」文化に遭遇することで
地元の食材としてそこまでは有用性を持たなかったのでしょうか?
そういった文化経緯を経ていまわれわれは、
ごく自然で悠久な大地のいとなみを現代でも体験できている。
オオウバユリの群落が200万都市の中心に近いところで触れられる。
このことの方が、社会文化としてはきわめて価値が高い。
個人的にはそのように考えてきております。
夏の札幌。ビヤガーデンもいいけれど、こういう自然植生も楽しんでいただければ。

【床の間・縁側はDNA的日本人美意識か?】



きのうの続きです。
播州・福崎町の古民家・三木家住宅の「ハレ」の空間。
姫路藩の「大庄屋」として、藩主とか代官とかを接遇する「間」がある。
日本住文化ネイティブのような「南面座敷」であり、庭が造作され
その眺めを、床の間・床柱を背にして茶を喫しながら愛でる。
そういうような武家的精神生活表現として、典型が形成された。
北海道住宅ではこういう「和のデザイン」要素は
ごく初期には「日本伝統文化移植」として一部でつくられたけれど、
そういう文化性以上に本来的な「住性能」に興味が圧倒的集中した。
そもそも「格式重視」という「伝統規範」圧力が社会的に形成されなかった。
新開地である積雪寒冷地域では、住人がほぼ全員「移住者」であり、
伝統もなにも、「仏壇を背負って」移住したようなケースは稀だった。
そういった「家」意識は本州社会に残置させて新天地が北海道では展開した。
伝統規範形成より前に、ここで安定的に生存できるかどうか、
根源的生存環境の克服のほうが緊急的だったのだ。
とくに「縁側」という空間はその過程でほぼ棄却されてしまった。
それに伴って日本的な「庭」空間意識もまったく変容せざるを得なかった。
ごく初期に南面する庭と縁側という「伝統スタイル」を作った住宅では、
半年、積雪に閉ざされた庭を「柱が積雪荷重で折れるのではないか?」と
不安にハラハラしながら「眺める」ということになった。
縁側はヘタをすれば冬にはスケートリンク状態にもなった。
・・・というやむを得ない事情から縁側という日本住文化の
清華のような空間が、北海道ではまったくキャンセルされてしまった。
外部と親和する半外部という存在は忘却の彼方へ飛んでいった。

そういう寒冷地では、住意識では居間中心の大空間化が進展した。
熱環境的な必要性から、空間はなるべく一体的な環境が志向された。
そうすると小間割り思想からの座敷需要も激減し「床の間」も消滅する趨勢。
・・・で、そういう「住宅革命」を経過した新常識を持った北海道人は、
めずらしきものとして写真のような空間を「愛でる」ことになる。
写真のような「暮らし精神」を異郷風景として見るようになっている。
一方で明治以降の「都市化」「文明開化」的な「洋風志向」も
公団住宅LDK文化として日本本州社会全般でも同時進行していったのでしょう。
結果として居間中心型の住文化に移行したのが日本の主流だろうけれど、
その由縁にはこの2つの方向性があったのだと思う。
やはりこうした空間には、蒸暑の夏への対処法が示されていて、
縁側では、緑や周辺環境に対して「開放的」なライフスタイルが明示され、
蒸暑気候を耐えるため庇の長い軒の出での日射遮蔽が工夫された。
一方の床の間空間では「心を静める」みたいな精神性が追究されたように思う。
心頭を滅却すれば火もまた涼し、というような禅的心境で
ここちよい「薫風」が床の間付きの室内に涼を呼ぶ、みたいな。

で、日本人的精神性という部分、北海道人はこの「空間対応」でズレがある。
いわば日本文化として蒸暑気候対応の積層した住文化に対して
受容すべきかどうか、ふと迷ってしまう自分がいるのですね。
「いいけど、北海道じゃムリだよなぁ・・・」という内語はやむを得ない。
そこから北海道での「高級住宅」のしつらいについて、悩むことになる。
しかしこういう寒冷と蒸暑の対話から、次代の「空間性」が始まることもトレンド。
考えてみるとオモシロい住宅の歴史時間にわれわれはいるのかも知れない。

【DNA的出会い・兵庫福崎「三木家住宅」取材】




新型コロナ禍で生活している地域から他地域への移動行動がしにくい。
一時的な移動は別にして、広域への「取材紀行」が難しくなっている。
わたしの場合、仕事で各地域を訪れそこで地域を深く知るために
その地域の「古民家」を取材行脚するのが、ライフワークになっていた。
それがすっかりこの半年以上、叶わなくなってしまっていることに気付く。
写真を整理整頓する習慣があったことも半ば忘却していて
2019年度途中で中断し、更新されていない。・・・。
新型コロナがまた猖獗し始めたことで、再びそういう機会は遠のいてしまった。
たまたまご先祖探索を継続している兄と久しぶりに話し
この写真の兵庫県福崎町の「三木家住宅」のことに話が及んだ。
この古民家はわたしの直系家系と400年ほど前に枝分かれした家系が
江戸期を通して住み継いできた「大庄屋住宅」。
福崎町では「兵庫県指定文化財」として保護されてきていて、
3年ほど前に「復元工事」が完成を見ていた。
その様子、写真は細部まで撮影していて記憶はすぐに再生できる住宅。
いろいろな「縁」を感じて、もう7−8回は訪問し続けている。
で、町の教育委員会がこの古民家の復元に先だって1999年に
「三木家住宅総合調査報告書」「文献民具目録」を上梓してくれていた。


この記録も日々の忙しさにかまけて、入手してから3年以上経つのに
目にすることがなかったのが、兄との久しぶりの会話機会で思い出し、
目を通し始めてみた。・・・その丹念な調査活動ぶりに驚かされ、
遠縁のひとびとの生きた「肉声」のようなものまでが胸に響き渡ってきた。
なんと、わが家家系の文書にも同名の人物が書かれていることも発見・・・。
記録に残る生存年代もほぼ同じであり、周辺的な事跡まで符合している。
本格的に調べないとイケない。ヤバい。深みにドンドンはまる。

播州と尾道周辺という、距離にして150km超の遠隔地ですが、
しかし瀬戸内海運というのは、想像以上に活発な交流圏でもあった。
同族血縁という関係性は、想像以上に強い紐帯で繋がっていたとも思える。
わたしの父親、大正から昭和を生きた世代ですら、
遠隔地の「地縁者」でも生きるための「縁」として大きなファクターだった。
どちらかといえば、商業者と思われる生き方をしてきた家系にとって
その地縁をさらに越える「同族」連帯意識は、きわめて大きかったと推測できる。
さらにことし、息子はある全国企業に入社して、なんと先祖と縁の深い
姫路市英賀保のすぐそばに住み始めている(笑)。
どうも、縁は時間をはるかに超越して巡ってくるのかも知れない。
DNA的な不思議さに驚かされているのですが、それにつけても、
新型コロナの社会「分断力」のすさまじさに深く無念を感じてなりません。・・・

【経済活動中心・東京に不安状況】

実相の定かでない不安の恐怖をまき散らす新型コロナウィルス。
ふたたび東京を起点として、日本の経済再開の足下を揺るがしている。
PCR検査の拡大に伴って、夜の街クラスター関連での感染例が不気味に上昇。
2日連続で200人超という上限張り付き傾向のアナウンス。
首都圏隣接各県などでもその影響から、漸増傾向。
危険回避という心理が強まってくるのは致し方ないところ。
また日本だけで経済回復といってもやはり世界との人的交流の制限が
本格的再開の足かせになることは避けられない。
一方北海道内の状況は、きのうの北海道新聞では要旨以下の通り。
「道と札幌市、新たに6人が感染 新型コロナ」
〜道と札幌市は10日、新型コロナウイルスの感染者を新たに6人確認したと発表した。
感染経路不明は4人。道内の感染者は計1272人(実人数)となった。
道内の日別の新規感染者が5人を上回るのは2日以来8日ぶり。
6人のうち4人は札幌市内で確認。市によると、会社役員の60代男性と非公表の1人の
感染経路が不明で、職業非公表の60代男性と60代女性は同居家族。
会社役員の男性は6月22日以降に東京滞在歴があったが、夜の接待を伴う飲食店は
利用していないという。市は「都内で感染した可能性がある」とみている。〜

こういった制約の厳しい中で、可能な活動でどこまでできるか、というのが今。
停滞状況、不安定状況は覚悟していくしかないのでしょう。
なんとも難しい局面だなぁと思わされます。
日本の地方はやはり東京との関係が最重要でまさに生殺与奪の部分。
地方だけでの経済活動には限界がある。
ちょうど世界に日本全体が制約されるのと同様に、地方は東京に制約される。
極限的な停滞を余儀なくされている旅行・宿泊関係業界への
支援策として「GoToトラベルキャンペーン」が7月22日からとアナウンス。
しかしここから2週間で状況が好転してくるきざしは感じられない。
いましばらくは、あまり打てる手はないのかも知れません。
まずは顧客先、スタッフその家族の健康最優先で企業活動はその制約範囲に。
ホント、手探りのような状況。共存共苦というスタンスで慎重対応でしょうね。

写真は円山公園の明治開拓以前からとおぼしきヤチダモの巨木。
自然のかわりなさがひととき、心の平安をもたらせてくれています。

【芽から花へ オオウバユリ劇的変化】


春から夏に季節は移ろっていくのですが、
北海道札幌では、開拓期以前のこの地の太古由来の自然輪廻が
保全されている地域が北海道神宮周辺にあります。
わたしの毎朝の散歩コースですが、
その地域に毎年顔を覗かせてくれるのが写真のオオウバユリ。
いつの頃からか、この花の成長ぶりが自然からの便りのように感じられ
日々観察し続けるのが、無上の楽しみになっております。
「きょうはどんなふうに変化〜へんげ〜するのか?」と
ワクワクしながら、その姿を固唾をのんでウォッチし続けている。
きのう、そのオオウバユリのいのちにわかりやすい「転機」がきた。
上の写真のように、花芽が大きく分枝して、まるで「花開く」瞬間。
その下の写真のように、たわわに膨らんだ花芽の各部位が
それぞれに分かれて、ひとつの花になっていく瞬間であります。
このひとつひとつの「枝分かれ」の先端部分が花として開いていく。
いかにも「ゆり」としての繊細な開花を迎えるのですね。
しかし、一個のいのちとしては、この分枝する瞬間がもっとも、
「お、お」と見る者に訴えかけてくれる。
神々しいまでのいのちの「美」を感じさせてくれるのです。

上の写真のような個体は、昨日朝時点ではまだ群落のなかで1−2個。
オオウバユリの姉妹群のなかでもいちばん「お姉さん」ということでしょうか?
たわわな花芽の房が、どっと崩れていく様は、まことに圧巻。
この地の自然環境がみせる初源的な大地のエロスとも思える。
この地に移住してきた南方からの和人にとっては、
たぶんごく一部の人間にしか、この花の美は知られていなかった。
この花の根茎部分に堆積するデンプン質が、
先住のアイヌにとっては、貴重な栄養補給源であったことも、
あまり知識はなかったことでしょう。
開拓から150年以上の年月が経過しているけれど、
和人たちの社会は、このデンプン質栄養源にはそれほど固執をみせていない。
植物のDNA徹底的利用民族文化を持っているのに、
このオオウバユリにそれほどの執着心を持たなかったことには、
米作への民族的な深い執着が最優先されたことがあっただろうし、
また、北米の「お雇い」開拓技官たちが、このような背景自然環境を愛し、
原始のままに環境保全すべきと開拓使に建言して採用されたことが
非常に大きかったのかも知れない。
いまとなってはわからないけれど、このような一個の尊厳ある
いのちのいとなみを現代に生きるわたしたちも感受することが出来ることは、
先人たちからの大きなプレゼントだとも思われます。

一期一会のいのちのいとなみとの出会い。
この種のよろこびはまことに得がたい「法悦」だと思います。

【まだら模様の「住宅世論」再起動】

写真はきのう開催の「アース21」雑誌委員会Zoom会議の様子。
(メンバーの方が上げてくれた写真に若干画像修正)
年に1度発行する北海道の地域工務店グループによる出版です。
これまではリアルに会場設定して集まって話し合ってきた。
それがこのようなカタチでの今年度キックオフであります。
途中、ひとりのメンバーの方の「集音マイク」環境が悪くて
パソコンからスマホに切り替えたりして時間ロスもあったけれど、
それはリアルの会議でも「話が脱線する」ことはままあるので(笑)
まぁご愛敬。逆に多数の「ああすれば、こうすれば」のアドバイスが飛び交って
そういうプロセスは笑える「息抜き」にもなってオカシイ。
環境引っ越し後、きれいな音声が聞こえて「よかった」の声多数。
で、こうして建築会社さんのさまざまな「意見」に接すると、
それは日々接している「住宅ユーザー」の声が反映されたモノでもあるので、
住宅についていま人々がとらえている「世論のありか」が表出する。
いろいろな意見交換で「落としどころ」が見えていくので
しばらくこういった環境がなかったことを考えると、意義深い。

折から、北海道建設部の「住宅施策会議」のリアル会議日程も確定。
こちらも昨年末からですのでタイムラグは半年以上。
途中ではメール返信などでの「意見交換」もあったけれど、
ようやくにして、住宅世論の再構築が図られることになった次第。
住宅は人間が生きている直接的な環境であり、
それへのなまなましい「感受性」の把握、協議には
いま現在の人間の暮らし方状況全てが反映するのだと思われます。

一方で、仙台に置かれている「新住協本部」からは、
今年度9月末予定だった「総会・研修会・基調講演・懇親会」などの
予定会場であった群馬県高崎市内の施設から、総勢300人以上ということで
新型コロナ禍から「お断り」の連絡を受けて、やむなく規模縮小の通知。
一般社団法人としての「総会」だけを仙台で行い、
それへの参加も少人数で行いたい旨の書面通知が寄せられました。
全国各地で「高断熱高気密」住宅に取り組んでいるみなさんとの意見交換は
貴重な「情報交換」機会だったわけですが、
これは規模が大きすぎて、いまの状況の中ではやむを得ないかと。
やはり「社会復元」には、行きつ戻りつのようなジグザグがつきもの。
しばらくはやむなくこのような展開が進行していくと思われます。
可能なことから「積み重ねて」いくしか、当面は仕方がないでしょうね。

【検索ランク急上昇「浸水被害住宅の復旧」情報】

昨日北海道の住宅建築研究機関「北総研」の方から情報提供。
「平成28年の南富良野の洪水被害でつくったもの。
被害の事実を写真で見せるコンセプト。公表してから4年経過。
ここ数日、yahoo、googleの検索上位にランキングに復活している状況をみて、
HPのお知らせ欄でみえるようにいたしました。」というご案内。
北海道はいまのところ、今回の「豪雨」被害は大きくは出ていませんが、
日本全体としては九州地域をはじめ各地で悲惨な状況が伝えられています。
そういうことなので「情報の杖」としてシェアしたいと思います。
浸水被害を受けた住宅の復旧における注意事項
以下「はじめに」として記述があります。(要旨)
「水害からの復旧、復興の一助とするため、平成28年8〜9月にかけての
大雨災害による被害について、南富良野町を対象に調査を実施しました。
積雪寒冷地である北海道では、断熱・気密化した住宅が広く普及していますが、
こうした住宅は浸水被害を受けると排水されにくい(乾燥しにくい)という特徴も
併せ持っています。浸水した部分に水分や汚泥が長時間留まることで、
凍結による水道管の破損や断熱材の性能低下、腐朽による柱・はり等の
耐久性・強度の低下、汚泥に含まれる雑菌やカビ等の発生による健康被害などに
つながりやすく、早期の対策が重要です。」
・・・ということから、浸水被害を受けた住宅の注意ポイントがまとめられています。
九州地域でも先進的なビルダーは高断熱高気密住宅を推進し強く支持されている。
ひとつのガイドラインとして、あるいは万が一のための「情報の備え」として
一般のみなさん、住宅関係者のみなさんに活用されればと思います。
なお、弊社「ReplanWEBマガジン」でも北総研に取材した災害対応記事を
アップしておりますので、あわせてご覧いただければと思います。
https://www.replan.ne.jp/articles/6489/

北海道では新型コロナ禍感染者状況に小康がみられ、
ようやく住宅関係でも各種の情報交流の動きが徐々に起動しつつあります。
北海道の住宅施策についての諮問会議なども日程が提示されてきています。
会議に向けてのテーマ整理なども行われてきて
先般書いたような「常識・世論」を盛り上げていく場が確保されていくと思います。
通常の世界、常識豊かな「判断力」が涵養されていくことはきわめて貴重。
人間同士の「分断・断片化」というのがこのコロナウィルスの最大の悪業。
ソーシャルディスタンスなどに十分留意しながら、
よりよい「住環境」を人間社会として再構築していくためにも、
この新型コロナ禍をも乗り越えていきたいものだと考えます。
災害はやむことなく人間社会を繰り返し襲ってきますが、
それとの戦い方を整備し、知恵をもって克服していけるのも人間社会。
洪水や疫病、その複合といった危機が今回襲ってきていますが、
衆知を集めていきたいと強く思わされますね。