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【新型コロナ禍影響調査・住宅業界アンケート】


先日一般社団法人「エコハウス研究会」さんから会員企業向けに
アンケートが実施されていました。
この会は建築家・丸谷博男さんが中心的存在で、「そらどまの家」を提唱する
太陽光利用系の研究団体。会員企業はどちらかといえば温暖地域企業が多数派。

で、7月17日発出で会員企業向けに新型コロナの事業への影響調査を実施。
そのアンケート結果が1週間後の7月24日に発表されていました。
拡散許諾を得たので、ご紹介します。
<アンケート前文〜新型コロナウイルス感染拡大防止のため、2020年4月7日に
緊急事態宣言が発令され、5月25日解除されました。
現在、再び検査数の増加と共に感染者が増え始めています。
会員のみなさんの現在状況を把握させていただくために、
緊急のアンケートを実施させていただきます。
どうぞ、積極的にご意見いただければと思います。>
という要旨で、質問内容とその回答は上に図表として提示しました。
回答者属性では回答総数53人に対し工務店は17人32%、設計事務所29人55%。
その他7人13%、という分布になります。
アンケート結果からの「傾向」を見てみると
●受注状況、仕事状況では
「変化はない」という答が多いと言えるでしょう。
そしてむしろ緊急事態宣言解除後、受注が増える傾向が見て取れています。
これは先に発表した「大手ハウスメーカー」の傾向とも相似する。
●仕事の視点の変化では、
「変わった」という回答が58%と、主流を占めています。
この質問に対しての回答で、建築現場との距離に比例して
その他86%、設計事務所59%、工務店47%となっている点が興味深い。
ミクロの工事現場では世間の状況とはやや距離感があり、
いちばん世間そのものの心理状況と接している「その他」企業側が
視点が「変わっている」と答える傾向にある。
●将来受注について
これは押し並べて一様に不安を感じているのが趨勢。
このことには各業態的な相違は大きく見られない。
コロナ禍という目に見えない災禍なので、不安が先行するのはやむを得ない。
しかし、住宅業界というのは作り出すものが時間のかかるモノであり、
世間状況が即座に反映するという業種ではなく、現に製造工程のなかにあるモノも
多数抱えて進行管理させているビジネスなので近視的な「影響」は
出にくい業種ではあるように思われます。 しかし、より長期的な設問、
●在宅ワーク対応、コロナ対応を聞く設問では、
どちらも72%、75%とかなりの高率で「必要」と考えている状況。
それが実際的にはどのような「要素技術」であるのかについては
「必要」と感じつつ、「わからない」というのがそれぞれ4割強の回答。
これもコロナ禍の趨勢、可視化がまだプロセスにあるので、
明確化できないというのが正直なところなのでしょう。
たぶん、在宅ワークの方がより具体的で、それぞれの家族で
共働きの場合では個室を2つ以上作るとか、
その個室の配置計画、トイレの複数化など主に「プラン」側での対応が
ユーザーから迫られているのが実情ではないかと推察できました。

住宅業界の対応策は今後、換気の可視化、データの詳細把握提示など、
幅広く対応が求められることになると思われますが、
いま現在の認識状況を垣間見ることが出来た次第です。

<取材協力:一般社団法人エコハウス研究会
東京都国立市富士見台2-12-32 tel 080-5643-0005  http://ecohouse.ac/>

【IHヒーター部経年劣化故障➡交換】


わが家のキッチン加熱調理器具はIHヒーター採用。
かれこれ20年ほどの使用状況でしたが、
最近、加熱時に「煙・ニオイ」の兆候を感知しておりました。
どうやら、ほぼ密着していると判断していた調理台平面とIHヒーター接合部ですが、
どうしても「すき間」ができてしまって、そこに空気対流が発生して
ほんのわずかな空間に「油分」が浸入して長い年月わずかずつ積層し、
それが「油墨」となってしまっていた。それがヒーター加熱時にその熱で
ニオイを発生させて、徐々に「わずかな煙」まで引き起こしていた。
調理台平面は毎日清掃していたのは当然なのですが、
やはりミクロの単位のスペースでは、掃除も行き届かない。
そしてその「加熱時」の「熱漏れ」はやはりヒーターの劣化が原因。
毎日加熱調理に使い続ける機器では、やはり劣化は避けられない。
そのニオイの中に、ヒーター本体の疑いを感じるものも発生したので
IHヒーター本体の「交換」をお願いした次第。
万が一、それが火災原因になることも最悪考えられたので、予防的回避。

もう20年近い使用状況ですが、
JISなんかで寸法などの「規格」は定められているので、サイズ的には
以前のものとまったく同様でした。
ニッポンの平均的家庭の使用状況を平均化して、そこから加熱調理の
共通規格をずっと維持し続けている様子がわかります。
こういう部分では「メーカーの独自規格」などは迷惑の元。
それが一方では諸外国からの「市場参入障壁」にはなるけれど、
体格寸法基準などは、東西では違いがあっても自然でしょう。
ユーザー側としては、故障とか交換の必要がないに越したことはないけれど、
やはり経年劣化を考えたとき、このような規格的バックアップが
しっかり機能していることは、安心感につながる。

ということで、入れ替え工事ってどれくらい時間もかかるかと
身構えていたのですが、ものの30分ほどで終了。
ただし、20年の時間経過は「使い勝手」の部分で大きく変化している。
コントロールパネル、操作パネルがまったく様相を変えていた。
っていうか、以前の物はIH導入初期のもので、
たいへんシンプルな操作方法でしたが、今回のものは
調理の仕方でも「通常加熱・揚げ物・鉄板焼き」みたいに分かれている。
そのそれぞれでコントロール方法が細かく設定可能。
しかもそれらを「音声案内」で知らせてくれるようになっている。
「・・・うるさいなぁ」って言う感想は、へそ曲がり中高年オヤジだけのものか(笑)。
まぁ設定で音量を小さくも出来るし、無音にも出来るということですが、
さてその「方法を忘れたら」というこれもへそ曲がりの内語が響き渡る。
どうにも模範的消費者ではなく、研究探査型の感想を持つタイプ。
メーカーにはあんまり歓迎されないタイプなのでしょうね(笑)。
とりあえず、簡単な使い方で考えすぎずに扱いたいと思います。ふ〜〜。

【北海道木造住宅「出窓」デザインの歴史系譜】

北海道で一時期、戦前期から昭和20年代の木造住宅で、
写真のような「出窓」が重要なデザインコードであったことはあまり触れられない。
わたしの不勉強であることは間違いないのですが、気になっている。
わたしの3歳からの札幌生活スタートの最初の家は
この出窓が特徴的な木造住宅だった。
いまの札幌市中央区北3条西11丁目、北大植物園に東側が面した建物。
その植物園に向かって、その緑を取り入れるように大きな開口が開けられ、
この写真のような出窓が風景を切り取ってくれていた。
どういう設計意図でか、この出窓の手前側は「土間」であり、
ちょうど屋根のある「縁側」状で、手前側の居室に一段段差がついていた。
開口部としてまことに印象的な仕上げであり、
子供心に、その空間の「魅力的な佇まい」がこころに強く印象されていた。
であるけれど、親からは建築自体は当時の「建売住宅」だったと聞かされ
購入先の不動産業「木下藤吉」という人を食った命名会社の記録とともに
いまもわたしの探究を逃れナゾのママに放置されている(泣)。
しかしあきらかに注文建築ではなく、建売であることはわかったので、
そうするとこの「出窓」デザインというのは建築当時(戦前期から昭和20年代推定)の
札幌市内での一般的建売住宅に普遍的な、いわば「流行」のスタイルと思える。
いまとなっては、その空間性を確かめる術はないけれど、
その「流行ぶり」はこの写真の「北海道開拓の村」に、数軒こうした「出窓」を持つ
住宅空間が保存されていることからも容易に類推できる。
わたしは建築史の専門学究ではない、ただの住宅ジャーナリストなので、
事実そのように「流行」していたかどうかの特定はどなたかに譲るけれど
なぜこのような「出窓」がポピュラリティを持ったか、強く興味がある。

で、ここからは個人的な類推でしかないのだけれど、
1 欧米の木外壁下見板張り住宅デザインでは「陰影感」が重視されたか?
2 開口部の「結露被害」は容易に想像できるのでそれへのなんらかの「対応」か?
という大まかには2つの可能性を想像しております。
そのどちらにも蓋然性があるように思っている。
下見板張り住宅はそれ自体、陰影感があるけれど、それをさらに強調して
「いかにも、モダニズム」という印象を人に惹起させるデザインとして
みた目重視の建売住宅顧客層に「お、なかなかいいね」と思わせる象徴として
効果的な外観位置にこの出窓を配置して、「見せびらかした」可能性。
一方は、当然のように多発する冬期の「窓面結氷」に対して
室内生活環境への否定的波及を抑制する意味合いで「張り出させた」可能性。
このように張り出させれば、結氷が溶解したときの水分処理が
より容易かった可能性が想像できるのですね。
窓辺の「カーテン被覆」も毎日濡れないで済む効用もあったか?
と考えると、その後の窓ガラスの複層化、耐候性向上進化方向の初見、
その最初期段階であったという想像も出来るのでは、と。
そしてその両方の要因が絡み合うように「ブーム化」したのか?
さらに、本州地域のこの時期同種住宅デザイン傾向はいったいどうであるのか、
北海道のオリジナルな「寒冷地デザイン」の初見ではないのか?
などなど、湧き上がる妄想はふくらんで止まないのであります(笑)。
おまけに建売不動産業者で「木下藤吉」屋号もまた、いかにも北海道的(笑)。
こういう業者の跳梁跋扈もきわめて興味深い北海道的特殊性の初見ではないのか。
新型コロナ禍で、このような寒冷地デザイン論議も進まないので、
ひとり勝手に妄想と疑問を膨らませ続けている次第。
再度、好事家(?)の反応・ご指摘を期待(笑)。

【北海道神宮:岩木山神社ほぼ同じ注連縄(笑)】


わたしの孤独のグルメ、ではない、孤独の神社注連縄探究。
ついにオモシロい発見に出会うことが出来ました。
上が北海道神宮の注連縄で、下が青森県津軽の「岩木山神社」注連縄であります。
おお、そっくり(笑)。
先日のブログでも書きましたが、神社の注連縄ってほとんど姿カタチを
記憶しているっていうことの少ないもの。
「ああ、あるよな」で済まされて、そのデザイン系譜をたどることはほぼない。
ちなみにWEBで検索してもはかばかしい進捗はない。
たぶんそんなことに興味を持つのは奇人変人の類だけなのか(笑)。悲しい。
なんですが、宗教建築というカテゴリーは建築の出自からの
営々と永続的なテーマであり続けてきている。
そして現実に全国の神社にはそれぞれ独特の注連縄がオリジナリティを
主張するように建築の表層を彩っている。
このデザイン的意味合いは、なにもないというようには言えないと思われる。

その全国の注連縄の中でも、北海道神宮のそれはかなり特徴があって
なんといっても注連縄上部に米俵が乗っかっている。
また、柱に巻き付けられた細い端部は「組紐」のように編み上げられている。
わたしは知らなかったのですが、これは「フラヌイ注連縄」と言われて、
富良野の人々からの「奉納物」であるとのこと。
奉納物であるので、神社側にはそのデザインを云々する意図は存在せず、
奉納者のデザイン意図だけが存在するというのです。
・・・っていうのは、いつもブログを激励してくれている方のご意見。
しかし、であるならば奉納者が代わるとデザインも変わるのかどうか、
また古来からの、たとえばきわめて特徴的な出雲の重厚な注連縄は、
いかにも、燦然とオリジナリティを放っていることはどう説明できるのか。
まことに奥行きが深いので全国の神社にアンケート調査する必要があるかも。
ところが、ひょんなことから写真の岩木山神社の注連縄を再発見。
わたしも2回くらいお詣りさせていただいているはずなのに
この注連縄はまったく初見の印象。
で、デザインがまったく北海道神宮とニアヒア。
ここまで似ていると、やはりデザインコードとして奉納者には意図があったのでしょう。
まぁ岩木山神社には本州社会の最北端の著名神社としての伝統もあるでしょう。
北海道神宮は、その流れからいわば「北のデザイン」として継承したのか。
ただよく見ると、米俵が3俵が2俵になっていたり、
注連縄の「ねじれ具合」が北海道神宮の方がより少ない。
また、端部の組紐状部分も、45度角度が傾斜しているなど、
ディテールでは違いが演出されてもいる。
さらに、北海道神宮は明治天皇との関係の方がはるかに強く、
明治神宮との同一性を追求させるべきという気もする。
で、明治神宮では神木を繋ぐような注連縄では、細めの出雲大社という
そういった印象のデザインがほどこされている。

このように検証してくると、この岩木山と北海道神宮の注連縄の酷似は
やはり奉納者にその意図を確認するしかないようですね。
とくにわざわざ「フラヌイ注連縄」とアイヌ語感の命名をなぜしたのか、
探究すべきテーマは沸き起こってきて止まないのであります。眠れない。
このテーマ、もし情報をお持ちの方はなにとぞよろしくお願いします。う〜む。

【北海道は「核家族化」ニッポン最先導地域】

当社では毎朝、ミーティングがあります。
そこで毎日1分間スピーチとして誰かが「コメント発信」することを義務づけています。
自己表現力を鍛錬することはこういう「情報製造業」の場合、欠かせない部分。
で、全国各地から(一部隣国韓国も)集まっているスタッフ構成で
いろいろ「生活風習・習慣」についての違いにそこで気付くことがある。
たまたまこども時代の「七夕でのご近所めぐり」の話題を提起の函館出身スタッフ。
「唄を流しで歌い練り歩いてご近所家庭からお菓子を供出させる」という「風習」。
子どもたちの集団がかわいい徒党を組んで練り歩くのだという。
「◎●▲◇、●◎▲◇、」って、わたしの道南函館では歌うんですけど、
みなさんの地域ではいかがですか? という問いであります。
というか、意図的仕掛けでスタッフ間「差異」を探究確認するのが狙いの様子。
スタッフは北海道内はそれこそ全域、道南、道央、道東、札幌周辺バラバラ
という構成なのですが、ごく一部からしかそういう「歌」への反応がない。
みんな「え〜。そういうの、ないよなぁ〜」という顔、顔。
というか、七夕の風習として、そういう「押しかけ集団」自体記憶がないという。
本州、仙台出身者や、東京世田谷、長野県などでも
「聞いたことがないし、歌ったことはない」。
あ、韓国では七夕自体ちょっと違う習俗のようです(笑)。ま、これは置いときます。
かと思ったら、札幌出身者約1名から「え〜、だれもいないの?」と驚きの叫び(笑)。
・・・かく言う最年長のわたしは、3歳から札幌中心部での暮らしでしたが、
そのような子ども同士の「コミュニティ」集団体験は記憶にない。
子どもコミュニティでは「石合戦」というまことに危険で暴力的な「徒党」経験は
怖ろしげな記憶としてあるけれど、集団で歌い練り歩く平和的な光景記憶はない。

北海道は日本全体各地からの「移民」社会がその本性であり、
しかもその出身地域から「仏壇背負って」来たような人はそう多くはない。
比較的に「村落」においては出身地域が共有されているケースがあるけれど、
より広域になってくると、そういう文化共有は薄まらざるをえない。
道南地域は、それでも北海道内では歴史経過時間が長いので、
「日本の一地方」意識も高くなって、地域性という生活文化のマユが育ったのか。
とくに札幌などの都市部に入所した人間の場合、
たとえば自分たちは瀬戸内海地域から来ているけれど、そのお隣さんは
北陸から来ていたり、その隣は東北から来ていたりとバラバラなので、
それぞれの「生活風習」にDNA的な違いがある。
いわば現代の「核家族」が超先導的に日本に導入された地域であって、
日本各地で違いがある「生活風習」は地域に根付かなかった可能性が高い。
いつも拙ブログに貴重なご意見をいただくTさんから以下のようなご意見。
「地域ごとの日本の伝統・趣ですが、ブログの通り北海道は、
習俗的なものに対して、ドライですね。
ドライになってゆく理由はいろいろ想像できますが、まず、気候。
習俗をやろうとするとき、現実のミスマッチが著しいですからね。
七草がゆ、ひなまつり、彼岸などもそうですが・・・。
七草は雪の下ですし、ひなまつりの唄の桃の花・梅の花はどこ?。
春の彼岸は、お参りというよりは除雪作業。神社で使う榊も生えていない。
さらに、家族が核家族が多いですから、習俗が地域に帰結していかない。
しかし、とはいえ一方で新しい習俗が生まれやすいもの確か。
食べ物の場合、石狩鍋、甘納豆の赤飯だったり、ちゃんちゃん焼きetc。」
といったご指摘がありました。まことに言い得て妙であります。

北海道はやむなく伝統を破壊し、一方で合理的な「新伝統」を産みやすい。
全国から人が集まって過密で3密な都会になっているのが東京で、
同じ全国集合でソーシャルディスタンスが極端なのが北海道なのかも知れません。
住の新しい合理性、暮らしやすさへの積極性なども北海道の特徴かも。
北海道「伝統」の全国混合スタッフで新しい生活感受性、発信したいですね。

【暴走覇権国家・中国の国際戦略での危機】

中国共産党独裁は、いったいどこに向かおうとしているのか?
〜本日はちょっと危うい現在の国際情勢・時事。非住宅ネタですがご容赦を。〜

今中国は全方位に敵を作り、目に余る剥き出しの「侵略国家」のふるまい。
世界中の迷惑・中華思想的な独善主義で「戦狼外交」に邁進中。
香港に対しては独裁専制国家そのものの暴政で強権の牙を剥き出し、
インドに対しては、国境で対峙するインド軍兵士を鉄棒で撲殺してきている。
新疆ウィグルでの「民族圧殺」への国際的非難にはウソと強弁の喚き声。
イギリスのテレビ放送での中国大使の居丈高な居直りはすさまじいばかり。
南シナ海での南沙諸島の軍事要塞化、国際司法裁完全無視の「行政区画」設定。
そして東シナ海では日本の尖閣諸島に対しての「侵略行動」。
ついには日本の漁民に対して、強権行使を脅迫してくるにまで至った。
さらに、日本領土の最南端・沖ノ鳥島に対して「島ではなく岩礁である」として
公然とした領海侵犯行為、測量行為を行ってきている。
まさに第2次世界大戦を引き起こしたナチスドイツと寸分違わない。
このふるまいのどこが、マルクスの唱えた人類的普遍思想の実現なのか?
孫子を産んだ兵法の国として、いまのかの国の国際戦略はまったく不可解。
ふつうに国家戦略を考えれば、主要敵性国家を絞り込んで
それ以外の国家群との「協調関係」を作って敵の孤立化をはかる、
「近攻遠交」〜遠い国と親しくし近くの国を攻略するのが戦略の基本。
そういった「理性的」戦略判断に基づいているとは思われない。
まぁ香港への対応について、一帯一路で手懐けた一部発展途上国群からは、
「中国の内政問題だ」という「強制された応援の声」もあるということなので、
かれらなりに、国際的戦略を立てて実行しているという思い込みはあるのだろうか?
しかし、ドイツ以外のヨーロッパ主流を含め世界の主要先進国は押し並べて
足並みをそろえて反中国の国際戦線が構築されてきている。
南シナ海ではアメリカ海軍艦隊が、暴走する中国艦隊に対峙する抑止行動を開始。
英国の空母も同調してアジアに派遣されるとしている。
対中貿易とロシア天然ガスエネルギーに深く依存しているドイツだけが
別行動を取りつつある、というのが当面する世界情勢。
ことしはアメリカ大統領選挙の年で、この世界最大の武力国家の帰趨が
不透明な状況であり、しかもいまのところトランプ政権継続には
黄色から赤信号が点っているとされているので、
中国としては「やれる範囲の限界まで」手を伸ばそうと考えているフシがある。
「どうせいまは、アメリカは大きな手は打てない」という足下見定め。

こういうのが中国を巡っての世界情勢ということでしょう。
そうした国際関係の中で先述のように日本も中国の侵略行為にさらされている。
第2次世界大戦での「敗戦国」という十字架から、占領連合国軍が強制した
「連合国絶対善・史観」への拝跪が根強い日本主流メディア論調だけれど、
しかしいまやその戦勝連合国体制そのものの「国連」すら機能不全に陥っている。
主要国であるアメリカが、世界の警察国家であることから撤収しようとしているし、
そもそも戦勝国ではない「中華人民共和国」が常任理事国を台湾から背乗り簒奪し
ロシアと結託することで利己的な利益追求をして、安保理が機能不全に。
そのロシアも「戦勝国」とはいえない。戦後世界体制は欺瞞に彩られている。
いまや国連事務総長・グテーレス自身がこのことを指摘している。
この流れからトランプは国連の一組織であるWHOからの脱退を宣言したけれど、
しかし民主党大統領候補バイデンは、就任したらすぐにそれを撤回と宣言。
世界はアメリカ大統領選挙の帰趨が決するまで、どうしても不透明状況が続く。
この間隙で中国の侵略の実験地域として尖閣や沖ノ鳥島がピックアップされ
侵略行為が現実化され既成事実化される危険性は高まっている。
戦前の「関東軍」のような「戦狼」跳ねっ返りが中国内で暴発する可能性はある。
そういう事態を抑制するような姿勢は習近平体制からは見えない。
いまとなっては危険極まりない「習近平国賓来日」カードは、むしろ
このような中国の侵略行為のなかで日本の行動制約要素になってしまった。
自民党若手による対中非難の動きは、現政権内での路線闘争といえる。
中国の侵略姿勢は、コロナ情報封鎖への不満と経済苦境から目をそらさせるため
対外的緊張を高めているという側面が大きいといえるけれど、
巨視的には中国はこのタイミングで対日侵略カードを切ってくる可能性はある。

国連体制、第2次世界大戦後の「戦後体制」が、
最終的に崩壊するタイミングが迫っていると思っていた方がいいかもしれない。
その時を考えて日本の進路を見定める必要があるのではないか。

【住宅投資意欲4月の底から6月へ急回復】



一社)住宅団体連合会という大手ハウスメーカーの業界組織が
「新型コロナウイルス感染症により落込んだ経済の早期回復に向けた
経済対策要望」を、7月13日に国土交通省住宅局に、7月14日には
経済産業省・環境省に経済対策要望を提出したという一般へのHP発表。
その発表文中に、上記のような「アンケートデータ」が添付されていた。
いずれも大手ハウスメーカー対象の調査データですが、
おおむね現在のユーザーの「心理状況」は表現されている。
図表はそのなかでの説明資料。この図表からは新型コロナによる
「社会収縮」の凄まじさがマジマジと伝わってくる。
とくに「住宅展示場新規来場者数」の推移を見ると、
3月で大きく下降が始まり、4月には対前年同月比80%を越えるダウンぶり。
5月には若干の上昇が見られたけれど、ほぼマイナス80%レベル。
一方で6月には「緊急事態宣言解除」があって、20%ちょっとのマイナスに収まった。
この「ユーザー心理」動向が全体の傾向を示していると思われる。
各ハウスメーカーの受注状況を示す「戸建て・低層賃貸」受注状況は
完全にパラレルではなく、3月・5月が「底」を打った状況だけれど
6月にはどちらの指標も上昇傾向を示している。
やはり全体として、「緊急事態宣言」の動向によって経済状況が連動している。
いまの感染拡大傾向のなかではあっても、経済をどう回すべきなのか、
知恵と工夫で対処していくことが求められているといえる。
ひとは感染症で健康被害を被るけれど、経済が止まれば食べても行けない。

このような住宅業界のマクロデータと呼応するように、
3つめの「消費マインドの動向」も、4月で底を打って5月6月とマインドは
徐々に「経済復興」の指標を示し始めていると言えるでしょう。
日本は10月に消費増税があったので、そういうマイナス要因に
この新型コロナが「追い打ち」というような状況であることは間違いがない。
住宅分野では、4−5月の「住宅展示場来場者数」の極端な落ち込みが
とくに注文住宅の場合の「プロセス時間」のタイムラグとして
今後の受注状況に対してどういう「跛行」原因として影響してくるか、
今後の展望の注意ポイントだと思われます。
やはりユーザーは、いざ住宅を検討するには一定の「準備期間」を要するので、
その時間的な長さに変化がないとすれば、影響は避けられない。
こういった状況に対して、作り手の工務店などでは国の「補助金・助成金」が重要。

上は工務店の全国組織JBNの調査ですが、早い4月段階でも
こういった国の手厚い「中小企業経営防衛策」への高い関心が見て取れる。
作り手のスタッフの雇用の安定、企業の経営保全への手当てが、
比較的に幅広く行き渡っていることが見て取れる。

さてこのような状況が4−6月の「住宅業界」マクロ指標。
こういうなかでどのような「対応策」が有効であるか、情報力を高めて
個別顧客へのアピールを考えていくことになる。
このようなキビシイ状況だけれど、一方で「おうち時間」の充実という
住宅「品質」への興味は広範にユーザーに起こってきている。
テレワークの普及は、2拠点居住などの前向きな住宅投資も掘り起こすと思われる。
既存の住宅価値感〜岩盤的な「利便性志向」の一部決壊が予測される。
都心への通勤利便性に代わって、家で過ごす時間の充実、価値感向上に注目。
いわば、「住む品質」が問われる局面になるのではないか。
誌面にしろWEBメディア、情報拡散にしろ、Replanでは住生活の豊かさに向けて
大いに情報掘り起こしを行っていきたいと考えています。

【オオウバユリ あっという間に開花から「結実」に】


札幌円山自然林のなかの「オオウバユリ」群落。
わたしの場合、つぼみを林の中で発見してから、開花寸前までが
まことにドラマチックだと思っています。
その後は、たくさんの花が面として咲き誇り満開時期を迎える。
この時期になると、不思議と「あとのまつり」的な雰囲気を感じてしまう。
急速に観察行動が緩慢になってしまうのですね。

北国人というのは、夏の暑さを激しく希求するけれど、
その暑さが来て見ると、途端に夏バテしてしまうのにも似ている(笑)。
・・・っていうのが例年の通例なのですが、
ことしは依然として「ステイホーム」的な雰囲気が続いているので、
夏が到来してもイマイチ、海や山やという気分の盛り上がりがない。
ということで、満開からのオオウバユリとも対話しております。
植物というのは、花はいっときの「仮の姿」であって、
人間どもはその美を愛でることが楽しみかも知れないけれど、
植物にしてみたら、この一連の過程で次世代継承することに余念がない。
花から「結実」させて、今度は種を産む過程が本格化する。
下の写真の左側の方に人間の興味は集中するけれど、
かれらにとっては、右側のタネ生産プロセスの方が貴重な時間かも。
オオウバユリはユリ科の花の繊細な造形美もあるけれど、
それらが1本の茎から多数花開く、ラッパのような群生ぶりがオモシロい。
その乱舞が一段落すると、花は急速にしぼんで
枯れた色合いに変わっていって、今度はその花の衣装を脱ぎ捨てた
結実の「タネの揺りかご」のような造形に変わっていく。
写真のように、上向きの「矛」のようなカタチに変容していくのですね。
いのちの変容の不可思議さにこれもまた驚かされる。
しかし、季節は盛夏よりもまだ時間があるけれど、
オオウバユリは季節を先取りして結実の秋に早々と歩を進めるのですね。
たぶん、この先取り変化スピードが速すぎて
人間の側では「もうちょっと夏を楽しみたい」という心理が強くて
観察意欲が薄れていく原因であるのかも知れない。

まぁしかし、わたしの観察の方が「先取り」しすぎで
上の写真のような群生ぶりも、やはり多くの人間を惹き付けてくれる。
花のいのちは短いけれど、その華やぎ、彩りもたのしい。
北国はいちばん遅く夏がやってくるのに、もっと楽しんでと
物語ってくれているようにも思います。

【新型コロナと社会分断・地方の地盤沈下】

昨日は久しぶりに「遠出」しておりました。
梅雨の気候が続く本州地区とは違って、北海道きのうは札幌で28.2度。
ほぼ快晴と言ってもいい天気で午後からカミさんと郊外へ。
久しぶりのドライブで各所で「キャンプ」風景が展開。カミさんのひと言。
「わたしたち子育ての時、いろいろな所に行けてよかったよねぇ・・・」
そうです、キャンプ施設などでは親子連れの行楽風景が見られたけれど、
新型コロナ禍による行動抑制で、ひたすら「Stay-Home」暮らし。
まさに待ちかねていた様子がしのばれてきたのです。
わが家も同様ですが、まだしもわが家は子どもたちは巣立っている。
夫婦ふたりだけ家でのストレスは大きくはない。まぁ夫婦ケンカもあるけれど(笑)
それに引き換え、成長期の子どもさんのいるご家庭は
そのストレスたるや想像にあまりある。どこにも行けない苦しみ。
それがようやくにして天国に一番近い季節の北海道で楽しめるといった様子。

しかし、その矢先にまたもや東京起点の新型コロナの蔓延拡大状況。
キャンプなどは、自然に親しむ行楽であり、
おおむね行動もクルマということもあるのでむしろ奨励すべきと思うのですが、
自粛気分が支配的な社会風潮から「空気を読んで」しまうのがフツー。
さらに、北海道はまだこういった郊外での娯楽に親しめるけれど、
東京などは、梅雨による雨も続いて追い打ちでの滅入るような感染拡大。
心配していたGoToキャンペーンも東京外しでの実施。
いまの感染拡大は「攻めの検査」で若年層の「無症状・軽症」者が多いとのこと。
緊急事態宣言のなかでの感染拡大とは違って、
重症者は少なく、重篤化が懸念される高齢者の割合が低いともいわれる。
しかしどうしても「感染者数」という指標が大きく取り上げられる。
「空気を読む」日本人気質として、ふたたび萎縮に向かう傾向が強まる。

どうも高度情報社会化がはじめて出会った世界規模疫病で
社会の方の「対応の仕方」により大きな経験不足があるのかも。
スペイン風邪とか、結核とかが蔓延した当時には、
このような情報社会、大衆化社会は進展していなかったので、
疫病は疫病の問題として、そう大きくは政治経済の問題にならなかった。
その意味で疫病情報の「社会常識」というものが現代では育っていない。
ひたすら危機発信を「オオカミ少年」のように繰り返すことは
社会収縮の方向をより強めているように思える。
経済基盤は「移動の自由」によって支えられてきたことに、
それが大きく毀損してから気付かされる。

この疫病によって社会の分断、地域ごとの分断が進行するのでしょう。
そのとき、地方はバラバラにされ全国規模での経済参入障壁が高まる。
分断の結果、地方のさらなる地盤沈下が懸念されると思います。

<写真は愛で生き延びるオシドリ一家>

【播州英賀「参入勢力」の産土神利用・人心収攬】



新型コロナ禍でなかなか他地域への交流拡大は難しい。
なんといっても移動にはリスクが伴う。勢いブログ記事も過去に取材の
民俗的建築からの歴史探究に傾倒気味。本日は「鄙」の神社事例。
最近とくに播州の「三木家住宅」など家系伝承に取材した記事が増えております。
こういう現地検証済の身近な事例は、想像力が強く刺激される次第。
中世社会で、他地域からその地に新規参入した勢力側は、
どのように地域への参入・浸透を進めるのか、そのひとつの事例。
播磨国の「飾磨」湊に上陸し地域に根を張ろうと考えた三木氏は
この地域に深く根ざしていた「英賀神社」を利用した痕跡を発見した。
寄進を行い、新規の神さま勧請・社殿造営したと思われる記述が残されている。
地域を開発した産土神の社殿造営で人心を懐柔し経済振興を仕掛けた・・・。

上の写真はまことに古格な英賀神社社殿であります。
鳥居も横架材が掛けられていないで2本の掘立柱だけが立ち、
その間に「注連縄」が連結させてあって「結界」を構成している。
よく見ると社殿本体には上向き湾曲の注連縄もあって、目玉風の仕上げ。
合間から本殿建築が表情を覗かせ、
「唐破風」成立以前の建築様式を感じさせるファサードデザイン。
以前、このブログで神社建築の「ギョロ目デザイン」を書きましたが、
建築デザインにプラスして注連縄が「神さまが見ている」みたいな印象を
正対する人間に受け取らせるように仕掛けられている。
この英賀神社は、かなり古格な神社で、「縁起書き」にも、
英賀の地を開拓開発した古神男女2体英賀彦と英賀姫が書かれ、
伝承的な産土神信仰対象であったことが見て取れます。
1443年頃壮年期の家系の「三木通近」は、河野水軍瀬戸内海海上勢力で
その重要拠点として播州「飾磨湊」の支配権を確立することで
瀬戸内海の物流を抑えようと考えたと思われる。
讃岐地方から麺類の製法ももたらし地域産業振興を図ったとの家系伝承。
播州は「揖保乃糸」が有名で福崎の三木家でも「もちむぎ麺」にゆかりがある。
中世社会において武家という専門職意識は希薄で、たぶん自覚はしておらず、
商業にしろ工業、流通業にしろ地域振興が最大の「勢力」源泉だった。
経済と軍事・政治は一体的不可分であったと思われる。
河野「水軍」というのは戦時における「組織形態」ではあるけれど、
平時には海運流通を担う商業者ネットワークというのが実態。
商業者は、各地の在郷勢力と物流交易関係で深く結びつき、
その物資集散拠点として「湊」の支配を大きな勢力源泉とした。
三木氏は播州でこの飾磨湊を拠点化し、内陸水運要衝であった「英賀」も抑え、
地域の守護勢力、赤松氏と関係を深めていくのですが、
そのことと軍事的な能力云々とは直接関係がないと思われてならない。
まぁ経済を抑えているので、専門的軍事力は傭兵的に雇用していたか?
活発な水運流通展開が一族の主目的と思われる。
中世を通した経済発展「瀬戸内海物流ネットワーク」との繋がりこそが
在地の守護家・赤松氏にも、在郷の庶民にとっても非常に有益で重要だった。
支配を地域の人心に納得させ、平和的に受け入れさせるために
この古格な産土神信仰を利用しその振興に取り組んだようなのです。
社殿造営でさまざまな「産業」が刺激され、利益を地域経済にもたらした・・・。

どうも記事中の三木氏は、武家でこの地を「軍事的に制圧した」というより、
商業者的に、懐柔的に支配を進めていったように思われるのです。
中世史は軍記物より、地域経済史的解析の方が実際的ではと思う由縁です。