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【注連縄シリーズ「厳島」カラフルな神姿】


さて最近ハマっている「神社建築・注連縄」探究シリーズ。
って勝手に「シリーズ化」しております(笑)が、
自由に取材活動ができない状況の中では、やむを得ない「探究」篇です。

なんですが、これはこれでいろいろな「気付き」があって
過去の「取材データ」も、自分自身の建築行脚の「まとめ」素材集と気付く。
住宅建築についてはいまはほとんどスタッフが体験し続けているので
わたし自身は年間でもそう多くの取材体験はなくなってきている。
しかし膨大な過去記録からの整理整頓は、なかなか出来なかった。
で、特定テーマ、いまは「神社の注連縄」関係に取り組んでいる次第。
厳島神社も過去数回見学しているけれど、
そういえば注連縄どうなっていたっけなぁ、程度のあいまい記憶しかなかった。
で、写真を整理整頓して探訪してみたのが上の2枚の写真。
下の写真は、回廊形式の社殿建築入口にあったもの。
厳島神社の場合、本来の「結界入口」は海上に自立する鳥居なんでしょうが、
鳥居にはさすがに注連縄はありません。
海と注連縄ということではやはり伊勢の夫婦岩に尽きるということでしょうか。
で、社殿建築のなかで注連縄はここと、
2つの神さま本体の居場所「本社本殿」とこの写真の「客(まろうど)神社本殿」
を飾っている注連縄ということになるようです。
どちらも同様のデザイン構成だったので、きょうは客(まろうど)神社本殿を。
注連縄本体としてはごく一般的な形式のようだと思われます。
出雲のようにまで太くはないけれど、やや中太りで、
ねじれ具合もしっかりと施され、標準的な印象を持ちます。
端部では右側が太いままで左側が細くなっています。
大根締め、ゴボウ締め、輪飾りなどの違いでは大根締めは両端がつぼまり、
ゴボウ締めは片側のみが細いとされるのでこれはゴボウ締め。

しかし、厳島神社は全国でも最先端のファッション性。
1枚目の写真の客(まろうど)神社本殿では注連縄はシンプルな分、
ほかのデザイン構成要素の賑々しさには、目を奪われます。
ほかの神社社殿と比較して隔絶しているのではないか。
たぶんこうしたデザイン構成は起案者・平清盛の性格要因が強いのではと。
平氏というのは大陸との活発な交易権益独占によって
勢力を伸張させたことがあきらかであり、
また当時の都の建築洋式としての「寝殿造り」を神社建築に導入したともされる。
都ぶりの華やかさの権化のような輝かしさがある。平家の盛衰の
両方の要因を奇しくも体現しているような建築なのでしょうね。
伊勢のような簡素さが全国の神社建築の基本なのでしょうが、
この「絢爛豪華」さは、まことに驚かされる。
寝殿造建築洋式が今日まで現存しているのは、この厳島が代表とされる。
カラー構成の朱赤、緑、黒という美感と、基本は格子状の
カタチの重層感が合わさって、なんとも「地上の天上界」感がある。
注連縄はその建築意図のなかでひっそりとマーキング役に徹している。
格子状の建具を通して空間の明度は明確に区画されているので、
手前の「拝殿」的なダークな空間とのコントラストが非常に見事。
光と色彩の時々刻々とした「ゆらぎ」が、拝み見る者に変転万化の神姿を見せる。
よくぞこういう神々しさを造形したと感嘆させられます。

【北海道「民間住宅施策会議」リアルで開催】

昨日は、表題のような北海道建設部・建築指導課の会議に出席。
わたしは、この諮問会議のメンバーを務めさせていただいていますが、
今回の新型コロナ禍で、ことしに入ってから開かれたのは、
書面会議形式での1回だけ。昨年中に「北方型住宅2020」の制度設計が固まり
さて本格的な推進という局面での新型コロナでの長いブランク期間。
昨日は、旧知のみなさんともたいへん久しぶりの顔合わせ。
ですが、これまでの会議室よりも大きな会議室で、
参加者間の間隔も、大きく開けてソーシャルディスタンスに配慮した仕様。
で、全員マスクを着用しての会議であります。

座長の鈴木大隆さんからの発言でも
こうした住宅施策についての諮問会議でリアルでの開催はまことに久しぶり。
リアルの会議のよいところは、議題以外の情報交換機会が取れること。
会議の開始を待つ間に、「いやどうも」と挨拶できて、個人間でやり取りができる。
ほかの参加メンバーには迷惑にならないように会話が可能なのですね。
そこで交わされるコトバがヒントになって、情報にふくらみも生まれてくる。
鈴木さんとも会議テーマ以外の「打合せ」ができて有意義。
また、そのような情報交換がたいへん貴重であることに、
このような状況になって初めて気付くことが多い。
もちろんZoom会議などでも有効に会議を行うことは出来るけれど、
やはり意思疎通という点では、雑談的な部分で重要な情報が交わされたりする。
単一テーマ的な求心性はZoom会議で可能だけれど、
多様な意見交換という意味で、やはりリアルな会議は充実感がある。
空気に緊張感があって、集中力も高く維持できるのだと思います。

ということで、北方型住宅2020の本格始動、
新型コロナ禍を乗り越えて、秋には全道的にさまざまに告知されて、
北海道の住宅シーンが再起動すると思われます。
やはり住宅の「進歩」というのは、多方面の参加者が情報を交換しながら、
いわばオール北海道的な「チーム構成」で質的な進化を計るべきもの。
全国の中でも特異な位置を占める地域公共団体・北海道の住宅施策、
ようやく新型コロナ禍と折り合いをつけながら、発進であります。

【北海道開拓神たちの座所・風水的杉林】


北海道神宮は明治2年末に開拓判官・島義勇が開拓三神を背中にくくりつけ
函館から陸路北上し、余市を抜けて小樽市銭函に至り、
そこで停留し、年の明ける頃にようやく「札幌本府」建設の槌音が響きはじめ、
翌年ようやく仮の開拓三神鎮座所が札幌市中央区北5条東1丁目に建てられた。
その後、札幌本府内の風水のよき土地を諸人が跋渉して
結果、現在地である円山の麓、札幌市中央区宮ヶ丘に本格的に社殿建設された。
社地選定に当たっては、開拓使が乗り込む前からこの地に住んでいた
福島県人の早山草太郎が好適と建言して採用とされている。
かれは開拓三神を公儀決定に先立ってこの地で祀り、奉仕していたとのこと。
周辺敷地は開拓当時の建設業者・中川源左衛門が所有していたという説もある。
写真は現在の神宮敷地の「北海道神社庁」周辺の様子。
1枚目には右手に杉林、2枚目右の鳥居から左側には杉林が展開している。
この一帯は、杉の北限自生地であり、たぶん神社と杉木立という「好適性」が
決定の大きなファクターだったのではないかと思われる。
広葉樹の森の中にすっくりと立つ杉林にはその土地の「意思」を見るのでしょうか。
なににしてもまだ明治の初年であり、対ロシアの国境交渉すら流動的な情勢の中、
対ロシアの脅威への備えとして、全国で唯一北面して建てられた社殿。
開拓しながら国防にあたるという北海道の原初の国家意識がみえる。
本格的な「航路」開拓前の段階なので、東京からの「建設現地視察調査」はムリ。
場所の決定については、開拓判官・島義勇が現地担当官として現地決済した。
ただし彼の建設計画は壮大すぎて当時の政府支出は追いつけなかった。

この写真の光景は、周辺が太古の自然のままに保全されていることから
社地選定時にも同様の森の樹相だったことが窺われます。
円山の麓の自然林の一部であり、札幌一帯を跋渉しても杉の自然林は
ほかでは見られなかったなかで、かなり密に杉林が自生しています。
この光景をはじめて発見した人たちはきっと興奮したのだろうと思います。
神社建築というのは、単純な公共事業というよりも、
もっと国家そのもののような事業だったことでしょうから、
この蝦夷地で、このような立派な杉林が、と感嘆したことでしょう。
日本人の神さまが、神宿るのにふさわしい「風水の地」。
いまは手前側が駐車場になっていて、この杉林はよりクローズアップされる。
2枚目の写真から鳥居をくぐって大きく左折したあたりに社殿は位置している。
ちょうど杉林が繁茂している中心の場所に立地する。
1枚目の写真は、その社殿の奥で小川が流れているやや低地の流域に杉林。
わたしの好きなオオウバユリの自生地も点在する。

住宅でも「敷地選定」ということが、かなり決定的要因ですが、
神社建築ではまさに枢要中の枢要のことがらなのだと思います。
この北海道神宮の遷座立地が確定したことで、
周辺敷地は「宮ヶ丘・宮の森・円山」という住宅地最好適地として人家が集積し、
いまでは北海道有数の「高級住宅街」を形成している。
日本人にとって中心的宗教施設と住宅立地は、近接応答する関係にあった。
ムラ社会の「鎮守の森」思想は、営々と民族DNAに受け継がれているのでしょう。

【核使用正当化の「戦後」体制と中国尖閣侵略】

今週は広島・長崎と相次いだ日本への原爆投下の記憶継承週間が再来する。
「二度と間違いは冒しません」と戦後のニッポンはスタートした。
第2次世界大戦での戦争指導の「間違い」自体はまったくその通りであって、
それは「国のカタチ」も含めて国民の総意であったことは疑いがない。
しかし同時にそれは、核兵器を人類に対してはじめて使った戦勝国の罪、
あまりに非人道的で、結果それ以降一度も使うことができないほどの
惨禍を人類にもたらせた「人類的罪業」から目を逸らせる意味合いも強かった。
その罪から免罪するためには「戦前日本」を極悪非道とする必要があった。
朝日新聞をはじめ、戦前から継続してきたメディアの多数は、
GHQから呼び出されてその存続を許諾されるとき、
この「戦後体制」への翼賛を誓約し明治以来の日本の真実を封印して極悪化して、
「戦勝国」に対し二度と逆らわない国民意識コントロールを誓った。
GHQが示した「報道の自由」は蠱惑的「権力」として使いうると内心で考えもした。
象徴として、現実の国際政治とは甚だしく乖離する夢想的「憲法」が強制され、
その護持をメルクマールとして「進歩派」の衣装をメディアはまとい、
その実はGHQ戦後体制最大の「守旧派」として戦後日本をコントロールしてきた。
非道な民間人殺戮である「大空襲」や二度にわたった原爆投下という
人類史に深く刻印された「罪業」にいつか日本人が目覚めて
その正常な国際的審判を民族として要求しないように、
日本国内にその「不可逆性担保・社会装置」として構築されてきた側面があると思う。
朝日の戦前の論調は、背乗り的なアジア進出アジテーターだったとされるけれど、
戦後は過度な「憲法体制絶対翼賛」者であったと思う。
いま、そうした戦後世界体制が最終的に中国という簒奪者によって破壊されはじめ
剥き出しで具体的な侵略が尖閣に対して仕掛けられてきている。
中国、漁船群の尖閣領海侵入を予告 「日本に止める資格ない」<産経報道>

民主主義価値感は敗戦国の国際公約としても日本は順守すべきであるし、
それ以上に現実論として日米同盟が日本の基本国家戦略であるべきことは自明。
戦前の最終期、世界での海洋(貿易)国家連合ともいうべき米英と対立したけれど、
日本の地政学的な位置からして、本来、日米英(欧州)同盟志向が
明治開国以来の日本の基本戦略であるべきことは論を待たない。
いま、世界からあきらかに「孤立」し始めた中国は周辺国にケンカを売りまくっている。
ついには尖閣に大量の漁船群団を派遣し、軍・海警一体での侵略を公言した。
戦後ニッポン最高の緊張局面であることは間違いがない。
この局面で日本の報道メディアがどう反応するのか、注意深くウォッチしている。
朝日ははじめて、日本の安全保障、「国益」というものと直面させられる。
中国の戦狼外交戦略に対して、どういう風に論考評価するつもりなのか?
当面は「事実報道」に徹したとしてもやがて論考は避けられない。
あからさまに沖縄県尖閣に侵略を仕掛けられてきているなかで、
日本の報道メディアは「日本国内」でどのように意見発出するのか。
「戦後」守旧派という存在がどのようになっていくのか。
コロナ禍からの中国の戦狼外交が「尖閣簒奪」として激しさを増す中で、
日本の正念場が近づいてきているように思える。

【コロナに負けるな。元気溌剌カレー作り】

きのうから8月に突入。
ちょっと早めのお盆のお勤めとして、お坊さんに来ていただきました。
で、その後これも早々とお墓参りをいたしました。
こんなに早く、お勤めするのはまったくはじめてでしたが、
それでも墓地では数軒、欠かさずに墓参しているのか、
いくつかのお墓でお花が確認されていましたし、また墓参の様子も
幾家族かで確認されていました。
お坊さんのお話では、新型コロナの影響でお葬式などでも
「密を避ける」ということで、規模が大幅に縮小されたり、
そもそも葬式をしないとか、年忌の法要なども家族だけで親族も呼ばない、
などなど、日本人のライフスタイルの根源部分でも
大きく様変わりが迫られているとのこと。
そういった会話も、お互いにマスク越しと、お位牌のあちら側の
親やご先祖様たちも、世相の混乱ぶりに驚いているかも知れません。
きのうの札幌は本格的な夏の暑さでしたが、そのなかで
クルマの中など4人程度でマスクしながら行動するのも熱中症っぽくもなる。
本当に厄介な人類の敵でありますが、コブシを振り上げても相手は見えない。
しかしお墓でわたしの母親が好きだったユリの切り花を水に生けたら、
お祈りを捧げた後に、さっそくに開花していたりして、
ちいさなホッコリ感も味わうことができました。

で、先週末にはコロナ禍で出勤してくれているスタッフに
久しぶりに「社長食堂」きままなゲリラ的出没(笑)。
木曜日にも、肉じゃがで6−7人程度の「出社」スタッフにふるまっていたのです。
で、金曜日にも予告付きで、カレーのふるまい。
わざわざ、テレワーク日程を縫って出社して食べてくれるスタッフもいました。
これには、新設の「IH調理器」の本格的使用実験的な要素も。
写真ではイマイチわかりにくいかもですが、大型の「寸堂鍋」で
このIHがどの程度の性能発揮してくれるか、という興味。
炒めから煮つめ、長時間加熱と調理器としてはフル稼働のカレー料理。
わたしの場合、いろいろな野菜系を実験して入れたくなるタイプで
今回はオレンジの皮を短冊状に切って煮込んでみたりしました。
十分に煮込んでいるのですが、それでもオレンジは口に入れると酸味が広がる。
まぁスパイス感を狙ってみた次第ですが、
食べてくれたスタッフは一様に「オレンジが」と言ってくれていた。
毎日食べるとなればどうか、ですが、たまに食べるカレーでは
それはそれなりの味覚効果が発揮されたようでした。

ホント厄介な新型コロナの蔓延ですが、
元気と笑顔を蓄えて、乗り越えていきたいものですね。

【複数地域に「住む」シアワセの新体験】

仕事上での「コミュニケーション」が停滞状況から全国規模で再開するにつれ、
現状での住宅の「課題」などが浮き彫りにもなってきている。
コロナ以降のテーマへの気付きが手掘りされてくるという最近の実感です。
ここのところ、国交省の「世帯数と住宅政策」の公理的把握について
久しぶりに、いわば「呪文」的にそれを聞いて、受け止めている実感との乖離があり、
いろいろなポイントで再考し始めております。
一昨日WEBで聴講させていただいたリクルート社住宅誌・池本編集長の講演でも
「複数居住」について触れられた箇所があり、興味が深まりました。
その発表では、現状「2地点居住」実践者は1.4%で希望者で15%という数字。
ただ、コロナ禍関連のSUUMO-WEB検索状況分析がバックデータのようで、
いまわたしの考えていることとは少しニュアンスが異なっていると感じられた。

たぶん、国交省の公的な「住宅施策」では戦前期からの
「戸主」感覚が抜けがたく存在し、いわば家は世帯のイレモノ、という感覚かと。
そのように考えると、戸主がいま存在しない住宅は、
「空き家」という捉え方になるのではないか。
それはそれでひとつの捉え方ではあるけれど、
このあたり「居住概念」自体どのような公的定義なのか、不勉強で不明。
一方、世界の住文化でロシアのダーチャ、ドイツのクラインガルテンなどの
「住」形態は、日本の現状の住宅政策の中で位置付けがあるのか、ないのか?
どうも「別荘」という概念とはかなり落差があると思う。もっと庶民的存在。
現代的少子高齢化社会では違った意味で多地域居住形態があると思う。
そうですね、テレワーク・リモートワークの進展というファクター。
ダーチャは自給食糧確保が目的だけれど、仕事対応が目的の多地域居住。
こういう「生き方の変化」は既成の「住宅政策」視点ではスルーされる可能性。

さらに、わたしの年代(昭和中期出生)では、自分が建てた家と夫婦それぞれの
親の家2軒、合計3軒を「所有して管理している」という人も多い。
その上、かれらの子どもさんたちは東京などで賃貸で単身生活していて
そことの「往来」も活発にある、というケースがある。
こういうのも現代ニッポン的なダーチャ、クラインガルテンの一変種なのかも。
もちろん食料生産拠点ではないけれど、「居住」の拡大・複数化とは思える。
「世帯」という考え方と、「居住」という考え方の両方が「揺らいでいる」。
家族数の劇的な減少傾向は今後とも続いていく可能性が高いので
必然的にこのような傾向は高まっていくことが予測される。いわば2極分化の進展。
平均的4人核家族に1軒という「住宅政策」と現実は大きく乖離していく。
むしろ複数地点「居住」ということがもっと広範なテーマとして拡大すると思われ、
そういうデータは公的に収集把握されていないのではないか。
新たな「居住」のシアワセのありかがそこにあるようで興味深いのです。
基本的な世帯数と住居数とが正比例するという関係性の視点と、
同時にこうした「複数居住」という視点の両方で「住環境」を考えると、
まるで「人生二毛作」みたいな新発見があり得る。
生き方・暮らし方の豊かさを考えるとき、非常にオモシロい領域。
日本人の暮らし方に多様性が大きく広がっていくのではないでしょうか?

【米DGP過去最悪32.9%減。4−6月期経済状況】

図は先日紹介した大手ハウスメーカー系の「住団連」発出の資料から。
これは1−3月期までの日本のGDPと民間住宅投資の指標データですが、
この4−6月期のGDPの落ち込みは、たぶん記録的なレベルが予想されている。
緊急事態宣言があって、経済に徹底的な冷水が浴びせられた現実が
この8月初旬に一気に発表されていくことになるのでしょう。
それが「底」を形成して、それからかなりの角度で回復するという一般的予測。
「緊急事態宣言」以降の状況の中で、底の数字がどういうインパクトをもたらすか?

一方7月も終盤になって、徐々に各企業単位の数値が発表されてきている。
象徴的な企業指標として、東京ディズニーランド運営のオリエンタルランド
〜30日発表4~6月期連結決算、売上高前年同期比94・9%減の61億円、
最終利益が248億円の赤字(前年同期は229億円の黒字)だった。
東京ディズニーランドと東京ディズニーシーは新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、
2月29日から約4か月間、臨時休園していた。(読売報道)〜
まぁこれだけ巨額の赤字でもビクともしない企業というのもすごいけれど、
共同電では、仏ルノー、過去最悪の赤字 1~6月期、新型コロナでとのニュース。
〜 【ロンドン共同】フランス自動車大手ルノーが30日発表した
2020年1~6月期決算は、純損益が72億9200万ユーロ(約9千億円)の赤字。
ルノーによると1~6月期が赤字となるのは09年以来11年ぶりで、過去最悪。〜
ということで、世界の基幹産業である自動車産業も危機的な数字が予測される。
日本政府の用意している10兆円の「経済対策予備費」は大手企業の万一の事態に
資本注入するための原資の確保とささやかれている。
たしかにそういう用途ですと公表することはリスク管理としてあり得ない。
一時期、日産の経営権を中国が狙っているなどというニュースが流れたけれど
企業というのは資本主義社会の基盤的な「資産」だと思う。
雇用を生み出し、経済の実質をほぼ担っている存在。
深刻な経営数字毀損に対応することは、各国政府にとって最大防衛ライン。
これから8月にかけて日本のGDPの4-6月期発表がどの程度になるのか、
身構えているというのがいまの空気感といえる。

景気というのは、「気」という文字を使うことから、
人心のありようを映し出すモノでもある。
V字回復を願いつつ、しかしいま再度の「感染拡大」が襲ってきているなか、
もう少し長期的に影響が強まっていく可能性も高い。
一方でいまの「感染拡大」状況では、無症状・軽症の若年層感染が多い。
重症者の発生は比較的に抑えられているのも現実とされている。
行きつ戻りつ、踊り場のような局面が続くようにも思われます。いずれにせよ、要注目。
・・・とここまで書いていたら、日経の速報メールで以下の発表。
速報:米GDP、コロナで過去最悪の32.9%減 4〜6月期年率。・・・う〜む。

【GoToと「住む」 進化する人生充足環境】

きのう書いたテーマは、ちょっと「あぶない」テーマだったかも(笑)。
国の「住宅政策」というものには、社会ニーズの変化を反映させるべきだ、
ということですが、縦割り行政機構では得てして狭い視点から、
人間のシアワセと建物のシアワセとの優先順位があべこべになる。
どうも、国交省的「論議」の枠組みでは「人間優先的」とは言えないと思う次第。
現代人の「よき暮らし方」と「住宅政策」には若干ズレがある。

よき暮らし方を考えるとき、その大きな領域として「移動の自由」がある。
それが制約された現在の状況で、その価値の重みを深く思い知らされる。
毀損してはじめてその「大きな価値」に気付くということか。
人類史で考えると、現生人類がかくも全世界に拡散を成功させたのは、
人間のシアワセが、必ずしも定住とその環境づくりに限定できるのではなく、
移動して世界を「見て、刺激され、啓発される」ということが、
かなり大きな「進化要因」ではなかったのかということに、気付かされる。
きのうのテーマとからんで言えば、移動の自由の拡大で「住」の「複数化」が
今後大きなファクターになっていくのではと直感させられています。
当然ですが住宅というのは、その土地に根付いて存在する。
人間はその住宅の中で、社会から隔絶された「自由な世界」を構築できる。
そこでは個人なり家族なりの「好適」な環境が自由に追求される。
住宅雑誌・メディアの基本的な探究テーマであろうと思います。
ただし、一方で人間の体の寸法は「立って半畳・寝て一畳」と
基本要件ではほぼ共有化できることも事実。
その意味で、「共有できる快適性」の普遍化というものも可能。
ホテルのような存在は、アメニティの共通言語化で可能になっている。
それをもう一歩進めると、セカンドハウス的な環境の構築も、
「移動の自由」の拡大深化によって、大きく可能性が膨らむ。
新型コロナ禍以前、世界的にLCによる移動の活発化が顕著になって、
国内移動についてもそのコストは劇的に下がり続けている。
その移動路線では、首都圏と各地域という路線のコスト減が大きい。
住が複数化したとき、どちらをメイン、サブと考えるかは両方とも考えられる。
移動の自由と居住の快適化という、従来思考では相反しそうなテーマが
究極的に「止揚」される環境が整ってきたように思える。

新型コロナ禍からいま、テレワークの進展という現実がある。
大都市中枢に集中することでの仕事上のメリットが逆にデメリットしてきた。
仕事の環境の自由度が高まってきて、どこにいてもある程度可能になってきた。
完全に自由というわけではないけれど、個性的ライフスタイルとの調和を図ることが
かなり両立可能になってきたといえる。
暮らしのテイストまで充足できる家と、社会的活動を担保する「拠点」住環境という
複数箇所に「住む」選択肢もかなり具体的になってきたのではないか。
人類ライフスタイル経験として特異的な「船乗り」の人生充足に近いものが、
かなり普遍性をもって実現されてくる可能性があると思うのです。
まぁ湊々に○○あり、という少し悩ましい問題もありますが(笑)。

このような生き方の選択肢の大きな広がり・進化について、
いわゆる「世帯」と「住宅数」という国交省的な数値基準では掬いきれない。
現代人の人生投資では新たな「アメニティ」に注目する必要がある。
そんな思いが、非常に強くなってきております。

【社会の価値感変容を直視しない住宅政策の危機】

きのうは久しぶりに東北フォーラムのWEBセミナーで情報交換。
テーマが「既存住宅流通における住宅履歴情報の大切さ」ということ。
やむを得ない事由から接触交流制約が長引いてきているので
久しぶりに交わされている情報のコトバひとつひとつがむしろ新鮮な疑問を
感じさせてくれるモノでした。
テーマ論議とはまったく別に、国交省的な情報発信データで
日本は新築マーケット中心で先進国一般に対し既存流通が格段に「遅れている」。
だから、その「流通を促進」させることで現状の新築偏重のマーケット構造から
長期的な業界構造を樹立させる、という「強迫観念」的な受け止め方で語られる。
国交省は固くこのように信じていることが、遠い過去のことのように聞こえていた。

新型コロナ禍で、情報の分断化が進んでいるけれど、
ひるがえって、じっくりと「再検討」するのには良い機会だとも思えています。
わたし的に、上述のようなこれまでの「業界常識」から距離が取れたことで
逆に新鮮な「疑問」がふつふつと湧き上がってきていたのであります。
新型コロナ禍が暴き出した世界構造、国連などは第2次世界大戦の戦勝国が
未来永劫その位置に留まり続けるのに好都合なように機能してきたこと。
端的な例として、そのひとつの組織WHOが「背乗り簒奪の五大国」中国によって
好き放題に組織を換骨奪胎されて来ている実態が誰に目にも明らかになった。
これまでの世界観「常識」が本当にそうであるのか、疑問を持たねばならない。
先述の新築と既存流通への考え方もまた、一度精査すべきではないか。
また「すでに日本の住宅総数は総世帯数を超えている」という「刷り込み」も
それを久しぶりに声で聞いてみて、大きな違和感を感じてしまっていた。
総世帯数:住宅数について、日本では単身世帯が非常に増えてきているので、
必ずしも世帯数が住宅の必要数を表す指標とはカンタンには言えないだろう。
いわゆる「世帯」とはかけ離れる「単身生活者」がさまざまな社会趨勢から
非常な勢いで若年層〜高齢層まで加速度的に増えている実態がある。
今後考えなければならないのは、この「世帯概念」がどうなっていくかが
実は最優先で論議されなければならないのではないか、と疑問を持った。
原因分析を行わないで結果としての数量把握だけで政策対応するのは、愚策。
いま進行の高齢化社会では、2地点居住などの需要も生み出す可能性も高い。
世帯数とひとくくりで、いわば「標準的家族形態」を想定するのは危険だと思う。
いまやひとつの世帯だけれど、北海道に本宅があり子どもは関西にいて
東京にも行動拠点がある、すなわち数軒の「住宅」利用という「平均値」感覚も必要。
伝統的な「世帯数」指標だけによるマクロ政策立案行為それ自体が
どうも現実と相当の乖離を産んでいるのではないだろうか。

新築と既築更新の住宅需要についても、
そもそも欧米の「個人主義」の長い伝統に対して、
日本は伝統的な社会価値感はそれとは相違する「ムラ社会」型であって、
そこに戦後以降急速に、個人主義的な「個人資産」型住宅価値が拡散された。
社会変容の中身の論議もなく、集中豪雨的に住宅が都市部で大量生産された。
欧米の強固な個人主義に基づく「長期優良住宅」概念が確立するまでには
日本はまだ長い経験値を必要としているように思えてならない。
日本社会の長期優良住宅は全国の有力農家住宅として厳然と存在し続けた。
それはムラ中心型社会形態に最適化された「長期優良住宅」だった。
健全な個人主義思想に基づく「よき住宅」概念はまだ日本では未成立。
従って「あるべき家族形態」も、まだはるか遠い霞のなかにある・・・。
むしろそう考えるべきではないかと、論議とは違うテーマが大きな渦になって
アタマを巡っておりました。う〜む、テーマを整理整頓しなければ・・・。

【出窓は寒冷地ニッポンの縁側ミニチュア?】



先般、出窓についてのわたし自身のノスタルジー空間記憶を書いたのですが、
そうしたところ、ブログ読者の方からコメントがあり、同時に
住宅関連の「専門家」2名の方からも反応が寄せられた。
専門家の1人は北海道内の住宅研究者であり、もう1人は東京の専門家。
どちらも古建築から現代建築まで幅広い知見をお持ちの方。
最初のブログ読者の方からコメントは以下のよう。
「どうも出窓は、縁側と雨戸を意匠としてレリック的に残したのかとも思います」
という直感的印象、ご意見をいただいたのですね。
<注)レリックとは、①遺物②残存種という意味。>
わたし自身はそのような印象は強く持ってはいなかったのですが、
しかし、そう言われてみると確かに2番目写真の出窓には、
日本建築の粋ともいえる「縁側」のミニチュア的な雰囲気が見て取れる。
見ているうちにそのご意見に、身体的に奥深く刺激されるモノがあった。
「そうか、出窓の意匠は縁側と景色の切り取りをワンセット化させたもの・・・」
という強い形態記憶がその根本にあるのではないかというもの。
まことに魅力的な推論で、深くとらわれてしまった次第。

明治の開拓期、防寒に優れた洋式建築の導入が一貫して追及されたけれど、
洋式建築での「出窓」はいわゆる「ボウ・ウインドウ」的なものであり、
1枚目の写真の明治帝迎賓施設「清華亭」の写真のようなタイプが主流。
札幌に残る同時期の洋式建築・時計台にも豊平館にも開拓使本庁舎にもない。
明治初期の開拓使建築では、この清華亭で唯一建築されている。
しかし、これはその後の「出窓」とはデザインの系統が異なっていると思われる。
床まで窓の下の壁面が届いており、床が「張り出している」というタイプ。
どちらかといえばバルコニーの室内版とでもいえるもの。
それに対して、その後の北海道で特徴的な「出窓」写真である2枚目では
かなり「出自の違い」が直感できるのです。窓は腰までくらいしか開口せず、
その窓の張り出し部分平面にはまるで「縁側の踏み板」状デザイン。
わが家でもこのようだったのですが、他家ではここに刀を納める例もあったという。
これは感覚的には、縁側を中空に浮かせることでレリック的に残したに近い。
そう考えると、寒冷地木造建築で「和」のデザインが独自に変容した、
という寒冷地ニッポンでの民族DNA的創意とも考えられるのです。
3枚目の写真は清華亭の和室と外周の「縁」ですが、
外気との間にはガラス障子建具が「透明な壁」になっている。
このような和風住宅の縁側空間は、北海道の寒冷気候では採用できなかった。
しかしそういったデザインへの民族的ノスタルジーは根深くて止みがたく、
作り手の大工棟梁たちが、ガラスを嵌め込んだ窓に対して、
それを見立て上の「景色を切り取る縁〜出窓」という空間創造力を発揮し
いかにも、和の住空間を象徴するデザインとして形象化させたのでは・・・。
そして、寒冷地でのニッポン的「中間領域」継承を創意工夫した。

こうしたひとつの可能性が浮かんできて、それについて、
いろいろ意見交換を始めている次第です。まだプロセスではあるのですが、
もしそのような経緯で出窓が独自進化したものであれば、
北海道住宅はいきなりニッポンを放棄して無国籍化したのではなく、
その過程で、出窓というもので和のデザインを
変容させて取り込ませようとした痕跡といえるのではないか。
本州地区の専門家からも、同時代に本州地区建築での「出窓」は
その存在をほとんど記憶していないという意見もいただきました。
ただ、戦後の一時期の住宅面積規制時に出窓は面積参入されないことで
ブーム化し、メーカーは全国市場に大量出荷した経緯もあったとされる。
出窓の出自について、ひとつの大きな可能性が膨らんできた次第。
ちょっと北海道住宅建築探偵団(笑)を緊急出動させたいと思い始めております。