あるデータを見ていて興味深いことを発見。
わたしは昭和27年生まれですが、どうもこの時期に
日本社会は「郡部」から「都市」に人口比率が重心移動している。
平成22年国勢調査で都市人口は1億1615万7千人と総人口の90.7%を占め,
一方、郡部人口は1190万1千人(9.3%) というデータがある。
約60年前の「逆転」から以降、ずっと人口重心移動が継続している。
で、わたしの兄たちはむしろ「郡部」が人口多数派だった時代を
経験し、その「常識」感を共通言語として持っている世代。
わが家は昭和30年に北海道岩見沢市近郊地帯の農家を離農して
札幌に移住して、食品製造業に生きる道を求めたのですが、
それ以前の郡部でのくらしのありようを話して盛り上がっている。
3歳までの実感しか持たないわたしとしては、会話について行けない(笑)。
「そうそう、あそこの家の隣に蹄鉄屋があったよな」
「そうだ、いっつも馬の蹄の焼ける匂いがしていたよな(笑)」
っていうような話題であります。
郡部では小規模な特定技能職者が独立自営できている状況があった。
主要産業である農業のための必需業種でのそういう存在があった。
かなり多様な「生業のあり方・生き方」が存在していたのだと思う。
家族のありようを考えるとき、こうした「生業のあり方」が大きい。
結局は「どう稼げるか」に人間の生き方は決定的に規定される。
この「職」の問題をどう解決するかが最大の問題だと思います。
現代では農林漁業や地方公務員以外では「定住性」を選択しにくい。
しかし、待ったなしで「人口減少」局面が訪れてきて
企業でも人材確保が最優先される時代になって来た。
また、女性の就業も格段に増えてきている。
女性の場合、いくら男女格差是正とか言っても家庭の優先・維持は
大きな人生選択要素であることは基底的な事実だと思います。
どうしても出産・授乳は女性にしかできない人類存続の基本要件。
事実、高学歴女性が結婚し出産することになれば、
おのずと定住的志向が強まっていくことは必然的な流れ。
女性の社会参加には、子育ての安定的環境構築が欠かせない。
いまの「核家族」下では必然的に「保育」を外部委託するしかない。
しかし、日本の社会生活伝統には大家族での「子育て」文化がある。
人生百年時代の健康な高齢者である祖父母の存在を生かすには、
必然的に「大家族」志向になっていくのが自然な流れだと思える。
そういった社会圧力から、企業の側でもこうした「働きやすさ」志向は
大いに考えなければならなくなってきている。
さらに世界で見れば、英米社会では「地域主義・一国主義」が強まり
いっとき世界を席巻したグローバリズムへの嫌悪が広がってもいる。
これまでの都市集中は資本主義的生産様式が世界に拡大した
そういったことからの社会変化だったけれど、
これからの変化は、その生産様式がどう変化するのか、
そこを見据えながら、ある志向性を持っている必要があると思います。
Posted on 9月 11th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 日本社会・文化研究
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