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【紀州の国土地政学〜奈良・和歌山探訪-33】

紀州という北海道在住者からすると現代でもあまり縁の近くない地域。 たまたま家系伝承である起点になっている経緯に導かれて深掘りしてきました。 そのテーマについては非常にか細い手掛かり段階で これからできるだけ事実の痕跡を確 […]

【天守閣デザインの検討図面〜奈良・和歌山探訪-32】

城郭というのは戦国末期から江戸時代に非常に多く建築された。 地形のそれぞれの特徴を把握したり、軍事的な側面からの立地選択など、 いかにも「用」としての基本設計部分については 当時の軍事常識を踏まえた合理的な分析が可能だと […]

【戦国を揺るがす「雑賀衆」〜奈良・和歌山探訪-31】

雑賀衆というのは紀ノ川下流域一帯で中世後期に形成された地縁共同体。 かれらは紀伊水道を経て列島各地と盛んに交易活動を行った。 紀ノ川は奈良県から和歌山県へと流れ紀伊水道に注ぐ一級水系の本流。 古都の奈良から紀伊水道を貫く […]

【三十三間堂「通し矢」虚名の武士道〜奈良・和歌山探訪-30】

和歌山城の創建期から探究していていろいろな「掘り起こし」がある。 歴史というのは実にいろいろな人間模様を教えてくれる。 三十三間堂というのは京都の有名建築で、縁の長さが三十三間あるとされる。 京都市東山区三十三間堂廻町に […]

【和歌山城「高石垣」と「御橋廊下」〜奈良・和歌山探索-29】

さて和歌山城の初期設計施工にあたった藤堂高虎の一連の築城について スピンアウトして探ってみました。 かれの心酔した主君・豊臣秀長にその築城の才を見出され、 その最初の仕事とされるのがこの和歌山築城だった。 この「高石垣」 […]

【石垣と水路建設による列島改造史〜奈良・和歌山探索-28】

日本の城郭で基礎的な技術は「石垣」の積層技術なのでしょう。 自然地形を活かしベースにしながら、具体的な戦争行為をそこに反映させて 防御的な視点から陣地を構築して行くとき、 「攻め手が諦める」高い石垣というのが基本だと思わ […]

【要衝戦略眼と施工技術開発「膳所城」 奈良・和歌山探索-27】

関ヶ原で勝利した後に家康は藤堂高虎に命じて「膳所城」を築城した。 この膳所城は古来「瀬田を制するものは天下を制する」と言われる地。 東国から京都に向かう琵琶湖南端に位置していて、 源平合戦期でも木曽義仲軍がここでの戦闘で […]

【戦国末期からの城「建築」活況期 奈良・和歌山探索-26】

<和歌山城は「虎伏山」の自然地形を活用したもの。その由来を示す置物> 現代は人の集散機能性・交流優先の街づくりが行われている。 江戸末期人口が3,000万人社会から戦前期に6,000万人まで人口増加。 そして戦後から今日 […]

【城という建築分野 奈良・和歌山探索-25】

あんまり人気の無い戦国武将に藤堂高虎がいる。 関ヶ原をピークとする徳川家康の権力奪取時期にその先兵として なにか腰巾着みたいな印象を持たれている人物。 その功あって江戸期を通じて有力大名として存続したけれど、 幕末に至っ […]

【和歌山城の地政学と経済 奈良・和歌山探索-24】

和歌山城は1619年に御三家として徳川家がこの地に入府する。 全国支配構造のなかでこの地がいかに枢要であったかを示している。 和歌山県には宗教聖域として高野山があり、そこから分派して 全国有数の「鉄砲軍団」として根来寺を […]