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【小さな感動(笑) 笹団子の包装】


みなさん、高速道路PAで疲れを休めるとき、
ふと甘い物に目が行きませんか?
わたしは、そういうとき、この好物に完全にノックアウトされる(笑)。
ということで、きのうも買い込んでいました。
1コ125kcalで合計5コ、全部食べると625kcalというカロリー計算をして
計画的に食べなければならないけれど(笑)おいしい。

で、ふだんはあまり考えずに
包装をすぐにはがして口に持って行くのですが、
ふとこの笹団子の包装に気付いてしまった。
これまでも同じような分量で同じような包装だったような気もするのですが、
よく思い出せない。というか、気にしたことがなかった。
笹にくるまれているので、そこそこ中の団子の保湿に役立ち、
なお、風味が笹から移り香のようにただようのは、素晴らしく日本文化的。
「あんこの入った草もちを笹の葉で包んだ後から蒸し上げることで、
殺菌と笹の葉の抗菌成分で日持ちする包装技術 」ということ。
で、今回気付いたのが、それを縛っている藁ひも。
これは5コ入りですが、この藁ひもは1コずつ上下で縛り上げて
さらに十文字に縛り上げ、それを1コずつの横のところで結んでいる。
食べるときにはそこをほぐすとするするとほどけていくのです。
この様子自体も1箇の演劇的要素を持っている。
ワクワク感が自然に盛り上がっていくのですね。
で、それらがまた連結して全体として5コのひと繋がりとして
縛り上げられているのであります。
なので、ビニールの袋に入ってはいるのですが、この藁ひもを持てば
全部を軽快に持ち運ぶことができるようになっている。
「おお・・・」と初めて気付いて驚かされていた。
ていねいにこの藁ひもをほどきながら、この包装の機械化技術にも
驚かされていた次第であります。
たぶん、初源としては家内制手工業の女性たちの手仕事でしょうが、
この工夫ぶりとムダの無さ、心配りと作業効率のバランスに
まさに日本製造業の一断面を見るかの思い。
そしてそうした手仕事の風合いを活かしながら、包装の機械化に
取り組んでみごとに完成させたに違いないところにも感動した。

多くの人の工夫と努力の集積が「文化」でしょうが、
包装という縁辺系でもこんな工夫があったかと。
長く生きてきたけれど、こういう工夫に初めて気付いた自分の至らなさに
思わず赤面しながら、小さな感動に浸っておりました。

【GW前にきのう、札幌もサクラ開花】

っていうことですが、それは標準木の観察結果ということで、
その他の一般のサクラやその他の木々や花々も
そこかしこで彩り豊かな表情を見せてくれていました。
以下、サクラ前線情報の抜粋。

<今年のさくらは、平年より早い地域が多くなっています。
現在、北海道で咲き始め、東北北部で見頃となっています。
今年の冬は、日本付近に寒気が流れ込みにくい状態が続いていたため、
暖冬となりました。このため、休眠打破は鈍く
花芽の成長のスピードは遅かったとみられます。
一方、2月後半から3月中ごろまでは気温がかなり高くなりました。
このため、平年より早い開花となったところが多いですが、暖冬の影響が大きい
もともと暖かい地域では、平年並みかやや遅めとなりました。>
というのがおおむねの総括のようですね。
なにはともあれ、GW前にも開花というのはすごくうれしい。
ことしは長い休暇になるので、スタッフからはあれこれの予定を聞きますが
この分ではどこに行っても楽しめそうな様子。
それぞれに愉しく過ごせそうなので、同慶の至り。

やはり自然のもたらしてくれるよろこびが
いちばんこころを和ませてくれる。
とくに北国人には一番最後にやってくるという独特のよろこびもありますね。
ということで、本日は多忙の日程を前に閑話休題でした(笑)。

【ニッポン技術の揺りかご。 農業土木】

ときどき、こんな風景の中を散歩しております。
現代の重機を使って幾何学的にクッキリと土地を区画して
機能的な農業耕作地を造成している。まぁ当たり前の光景、ですが。
農業という人類の創造した社会システム。
それまでの狩猟採集という生存手段に対して、圧倒的な人口培養力があった。
日本列島社会では既存の縄文的生存システムに対して
あらたに、たぶん大陸や半島地域から農業という
「生産システム」社会そのものが「進出」してきたのだろうと思います。
その進出の「波動」には時期的な「ズレ」があって、
初期に進出した社会が、一定期間の熟成を経て、
連合的なつながりを生み出し、八百万の神という形式で根付いていた。

で、その社会では、農業土木という集団的な労役を基盤とした
支配と被支配の関係が当然のように存在していたのでしょう。
それまでの縄文的平等思想に対して、権力という
「見たこともない」というか、物理的強制力以上の力関係での目的的集団労役。
伝統的な縄文社会にして見れば、まことに不可思議だっただろう。
「あいつらはどうしてあんなことをしているのか、できるのか?」
初期の社会の遺跡である吉野ヶ里などを見学すると
こうした農業土木のための「道具」としての鉄器が、
集団社会の権力層によって「管理」されていた状況が見える。
田畑を造営するための基本用具としてのクワ・スキなどが管理されていた。
そもそも鉄の生産システムも管理されていた様子がうかがえる。
その後のヤマト政権の多賀城などの「遠の朝廷」でも痕跡がある。
ある時期まで、こうした社会と権力層が古墳のような大型土まんじゅうを
一生懸命に生み出していったのは、こうした管理農業土木の証しではないかと。
集団的労役で盛大に土をいじり回して、結果として
その残土を古墳というような形式にして積み上げていったのではないか。

こうした農業土木の進化過程は地域に根付いた技術資産になった。
地形と風土性を設計的に「読み取って」耕地の配置計画を行い
農業用水利用計画も、水田農業の結果、高度化していったのだろう。
たぶん、縄文システム社会の伝統派住民からすると、
写真のような光景は、許しがたい「自然破壊・環境破壊」と見えただろう。
しかし列島社会全域にわたってのこうした社会の伝播・波動は
それによってもたらされる経済発展で、縄文システムに置き換わっていった。
今日、われわれ社会では、こうした写真のような風景は
むしろ、郷愁を誘うというような印象が支配的なのではないか。
縄文的自由からすれば、奴隷意識の先に郷愁まで持つのかと思うだろうか?
土地を人為的に操作して、改変して経済的利得を獲得する。
その最大のテコが農業土木であり、またそこで培われた技術が
さまざまに変位していって、精緻な水田農業に特化進化した細密な技術が
日本独特の技術進化の起動力になった、そんな想像を掻き立てられます。

わたし的には、そんな妄想が似つかわしくみえる風景ですが、
やはりのどかな「自然の光景」という印象の方が多数派でしょうか?

【カラマツ無塗装目透かしで防耐火の外壁】


ふたたび新住協・鎌田紀彦先生の講演からの記事です。
あわせて、先日見学していた棟晶さんの新住協モデルハウスの写真。
一見して目を引いていたのがこの外壁の様子。
北海道、札幌で生まれ育ってきた住宅視認経験がわたしの原風景ですが
よく見ていたのは、外壁が下見板張りの木造住宅群でした。
わたしが札幌に引っ越してきて10数年住み続けていた家も
そうした外観デザインの住宅だった。
そうした記憶は、寒さが厳しい住みにくい家のイメージが刷り込まれていました。
無断熱でひたすら石炭暖房で冬を越すという「力任せ」の
越冬型の冬体験の象徴だったように思います。
寒かった、しかし、それが暮らしの原風景と体験であって、
ある部分では無性に恋しいと思えるような住宅デザインでもあった。
その後、モルタル壁に表面仕上げが移行していったのです。
そこに高断熱高気密住宅の革命が起こって
乾式仕上げのサイディングが通気層工法に対して加重の少ない外壁として
一気に普及していったと思います。

そんな状況の中にあって、
建築家・倉本龍彦さんが、通気層工法で下地に防火建材を使って
いわば重厚な外壁構造の面材として、下見板外壁を復活させた。
コストはかかるけれど、再度あのなつかしい下見板張り外観を
北海道の住宅シーンに復元させてくれた思いがした。
今に至るも、倉本さんのデザインへの共感ははるかに持続し続けている。
このことは、北海道の住宅史のなかでも特記されてほしい。
そんな思いを持続させてきて、今回、この鎌田紀彦モデルで
ふたたび、板張りの外観が提起されていたのです。
今度は縦張りで目透かし張り、しかも素材の幅も3種類あるという趣向。
目透かしの間からは輸入の「透湿防水シート」が奥に張られていた。
その内側にはモイスという防耐火の基準を満たす面材が張られている。
コスト的には外壁塗装の積極的なキャンセルなど、抑える工夫が随所に見られる。
そうした構成が、充填断熱・付加断熱層と相まって
寒さから人々を守るシェルターを形作っている。

見学してからもう1カ月近くになっていますが、
やはりジワジワと、この外壁に対しての印象が深くなってきています。
北海道の家は、庭などの植栽演出が積雪の影響から
なかなか難しいこともあわせて考えると、
外壁の素材が他地域と比較しても非常に重要であるように思います。
ひとびとの目に触れる印象で、植栽などの「自然」がないとすれば、
やはり木質の外装が、人々と街並みの印象を和らげてくれるのではないか、
北海道らしい質感のカラマツなら、まさにふさわしいのではないか。

【藤原清衡の平泉開都、奥州振興計画】

さて今週が終わると、新天皇即位関連の大型連休が始まりますね。
それまでに片付けなければならない案件が山積なのですが、
どうなるか、頑張るしかない。

なんですが、しばらくカラダも酷使してきたので、
きのうはひたすらの体調調整日。
しばらく歴史探訪系のことは封印してきてしまっていますが、
ふと、中尊寺参詣の時の写真データとにらめっこしていて、
清衡さんの事跡とされる以下のことがふつふつと湧いてきた。
「白河の関から外ヶ浜まで、1町(109m)ごとに1基の笠卒塔婆を建て、
その中心になる中尊寺に1基の塔を建てた」という件。
そして、その「中心」たる平泉に都市を造営する。
北上川の水利を活かす「港湾施設」を中心にして
平泉の街区を造営して、宗教施設としての中尊寺・毛通寺などを
盛大に造営することで、中央権力とは異質の地域権力を作った。
その経済的基盤ということを意味するように、
この「街道建設」を行ったとされている。
いわゆる「奥大道」といわれる幹線道路ですね。
その後の平泉の繁栄を基礎づけたという意味では、
たぶん、もっとも大切な「地域振興策」であったにちがいない。
奥州の経済を支えただろう,産金産業、ウマ生産やその他の北方産品の
基本的な輸送ルートを担ったのでしょう。
今日に至っても、この道筋に東北道が縦貫しているのですから
古来、東北の経済大動脈を造成しようと考えれば、
必然的にこうした地理活用になるのでしょうね。
現代の東北道を往来してみるとわかるけれど、
仙台平野北部を抜けて、奥六郡と呼ばれた岩手県中央部平野部に至るには
この平泉地域が全体として、分水嶺のような位置に当たっている。
奥州全体の「地域開発計画」としてきわめて至当だと思います。
たぶん、こういった経済的な施策がうまくいったので、
平泉政権は3代にわたっての栄華を築き上げることができた。

滅亡の時には、武力の面では関東軍に鎧袖一触でやられるほどに
「貴族化・弱体化」していたとされますから、
経済に特化していた政権だったのでしょう。
この「奥大道」をどんな物資が往来していたのか、
長く、ずっと妄想をかき立てられてきています。

【沈黙が支配する空間を持つ日本社会】

写真は仙台市泉区の「柳澤寺」の山門見返し。
近隣でたいへん賑やかな空間を訪れた後、
無性に「静かさの支配する場所」への渇望が襲ってきて
神社か、仏閣か、と探すウチに出会ったお寺さんであります。
曹洞宗の寺院とかで、禅寺であります。
最近都市化が著しい泉パークタウンにほど近いけれど、
ごらんのような背景の緑もゆたかな環境の中にあって、
静寂が得られる空間が出現している。

JIAの10代目元会長・出江寛さんの講演を何回か聞く機会がありましたが、
氏から「沈黙が支配する」空間こそが日本文化の核心、
といったようなテーマのお話しが真骨頂のように感じていた。
沈黙は金、といった格言もありますが、
喧噪の巷から自我を取り戻すためのこういう空間を持っていること、
そしてそういう空間が集落なり、都市の中枢に
計画的に配置されているのが、日本社会の特徴である気がします。
東京の中心に皇居という森が広がっている社会をわたしたちは
ごく自然に受け入れてきているけれど、
このことの価値感とは、やはり「沈黙が支配する」空間性というものが
日本人的な心性に大きな共感を呼ぶ、ということを表していると思う。

沈黙にもさまざまな「表情」があり、
そういうことがらをデザインにまとめ上げるのが、
日本建築の重要なキーパーツなのでしょう。
この写真は山門全景から「切り取って」見た次第ですが、
写真画像の中から、沈黙が支配する要素だけにした、というところ。
自然の背景の中で、それと長い時間スパンで応答する装置としては
端正な柱・梁・屋根といった「結界装置」がふさわしい。
自然と対話する建築こそが、日本人の心性には似合っている。
どうも縄文くらいから由来する建築のこころの中核に
こういった精神が息づいているように感じられてならない。
・・・喧噪の「住宅展示場」から、無性にこういう空間に焦がれた次第。

【着々販売順調! 地域型住宅「南幌プロジェクト」】

一昨日、仙台で地域工務店グループの会合があって
「講演」の講師を依頼されまして、お話ししてきました。
全国各地にお伺いするケースが多いのですが、各地での地域工務店の動向について、
相互での「情報交流」という機会はそうないので、
いろいろに関わらせていただくケースをご紹介することがあります。
今回は、ちょうど全国からの見学者が相次いでいた北海道札幌市近郊の
南幌町での、北海道庁も関与した「南幌プロジェクト」についての
ご報告を中心にお話ししておりました。

2018年6月に5軒のオープンハウスが公開され
地域の工務店と建築家が協働して北海道が推進する「きた住まいる」の理念を
体現した住宅を多くのみなさんにご覧いただいてきました。
Replanとしても広報関係の総合的お手伝いをさせていただきました。
地域の「製造業」としての住宅建築のレベルを明瞭に示す機会だったと思います。
作り手のみなさんの情報交流の密度の高さ、協業の絆の強さ、
そして出来上がる住宅の品質・デザインのレベルの高さなど、
全国企業のハウスメーカー住宅展示場とは異質の「熱さ」がありました。
こうした「地域の家づくりパワー」について情報を各地に伝播させるのも、
わたしどもメディアの大きな役割ではないかと思った次第です。
Replanとしてはその誌面での表現、広報から、
販売に関わる広報宣伝、WEB利用でのマーケティング全般をお手伝いしました。
こうした過程で、雑誌表現とはいわゆる「ブランディング」がメインであり
ユーザーコミュニケーションの部分ではその「品質や深さ」に関わること。
そしてユーザーとのコミュニケーションではWEBでの「対話」を
さまざまに工夫していくという役割分担を実践することができました。
結果として、今回はいろいろな成果に結びついてきています。
販売ではすでに3棟が引き渡されていますし、
残りについても、具体的な展示場効果から別件の受注に結びついており、
中小零細企業ながら一般のみなさんへの
ブランドバリュー向上には大いに役立ったということができると思います。
また、これまで販売が停滞していた周辺の敷地の販売が活発化して
南幌町の地域の活性化に大いに貢献しているともいえるでしょう。

こうした実績は、全国各地の地域工務店にとって
大いに勇気づけられることなのではないかと思います。
全国大手による市場独占によって地域活力が失われていくのに対して
地域がどうやって中核的な製造業としての住宅産業を守っていけるか、
ランドマークの役割も果たせたのではないかと思います。
そうした北海道の経験をもっと多くの地域に伝えたい。
今後とも、こういった情報拡散の機会があればと願っています。

【働き方改革は「職人仕事」を消滅させるのか?】

・・・テーマのような論議があまりにもなさ過ぎるのではないか?
先日来、建築の仕事で長年働いてきたいろいろな方と会って話してきて、
日本の行く末を大きく懸念されている人が多い。
ある方は、ドイツの技術力の源泉としてのマイスター制度が健在であるのに
日本社会は、その技術力の源泉である「職人仕事へのリスペクト」を
いま、大きく毀損させることに狂奔しているとされていた。
日本が日本たる最大の源泉はこのことにあるのに、
それを「労働行政」という観点から一掃させようとしている、とされた。
ちょっと前まで「ゆとり教育」という官僚統制型の施策が行われ、
あっという間に揺り戻しにさらされた「制度いじり」があったけれど、
この「働き方改革」にも同じ雰囲気が漂っていると思わざるを得ない。
職人仕事の世界は、かれらから見れば非論理的な「探究」の世界であって
労働行政的には「根絶したい」ものと見えやすいのだろうと。
官僚的視点から見てたぶん、いちばん制御不能に見えるのは、
「職人仕事」なのだろうと思えます。

しかし逆に、職人仕事的に「働き方改革」を志向する、
っていうような逆転発想もあってしかるべきではないだろうか。
職人仕事というのは、資本主義的な「即・換金」思想ではない価値感。
ひとの役に立つモノづくりを真摯に探究する営為。
お金というのは、あくまでも結果評価の世界であって
職人仕事は、そういう金銭価値とは違う価値観で労力を使うもの。
よりよいものを作り出すには、一見ムダにしか思えない
そういった労働を積み重ねる中から生まれ出てくるもの。
人が人の仕事に深いリスペクトを感じるのはその部分の「磁力」が強い。
すぐれた職人仕事を深化させられる方向で「働き方」を見直してみる
そういった「働き方改革」という視点を社会は持てないだろうか?
いま、多くの人からそうした意見が湧き上がってきている。

きのうも、大工仕事で「技能オリンピック」に参加されて
みごと金メダルを獲得された方の話を聞く機会を得た。
かれは、企業勤務ではない独立的職人稼業だったのですが、
そのオリンピックに参加するための費用を考えれば
多額の負担の怖れもあって活動を当初は「辞退」されたそうです。
同じオリンピックに参加した同期の人たちは企業勤務者ばかりで、
かれらへは、そうした費用を企業が負担した。
しかし個人事業主の職人である彼には、そうした支援はなかった。
結局オリンピックに参加するための「渡航費」や参加中の総費用は
多くの人の善意のカンパによって成就したと言うこと。
技術は職人仕事という「探究」によって成立する世界だけれど、
日本社会では、個人事業主としての「職人」仕事というものが
今後とも成立していくのだろうか、と思わされた。

働き方改革について、いま職人仕事がどうしたら存続可能か、
真剣に論議し、逆に職人として働くことを社会全体がリスペクトする方向に
大転換させていくことは出来ないのだろうかと強く感じる。

【階間利用のエアコン暖冷房】


本日は再び、アース21総会での鎌田紀彦氏講演より。
先日書いたように、鎌田先生としては基礎断熱から
「温熱環境コントロール」すべき気積がより少ない「床断熱」を
志向していく考え方を発表されていました。
寒冷地として、必要な「暖房用エネルギー」の絶対量があるレベルで
不可欠である北海道のビルダーとしては、
エアコン1台での室内環境制御が長期にわたって担保可能かどうか、
なかなか声が出ない、というのが「場の雰囲気」であったとはいえます。
事例として出されていたのは、新潟のオーガニックスタジオさんの事例。

基礎断熱された床下空間に暖房装置を設置することで
冬期の室内環境を全室一体のものとして室温・環境制御することは
基本的に寒冷地住宅技術の骨格を形成してきた。
暖気は上昇するという基本の性向を活かすものなので、
直感的にも理解しやすかった。
その基礎断熱をキャンセルして1階床断熱で代替させると、
土間下空間が消失するので、これまでのような
チャンバー的な床下利用想定ができなくなる。
そこで同様の活用ができそうだと目をつけられたのが1−2階の「階間」。
ここに、できればダクト式エアコンを入れ込んで
上下階に加温、冷却空気を供給するという考え方。
説明書きにも書かれていますが、
「暖房時は1階天井のブースターファンを作動させる。
2階は自然ガラリで十分。冷房時には2階は床のブースターファンを
作動させ1階は自然ガラリを使う。」という作動設定。
施工上の注意ポイントとして
「冷房時、階間部の外壁での夏型結露を防ぐため、防湿シートの内側に
50mm程度の断熱材を施工する」とされていた。
ブースターファンというのは2枚目の図のような
ファン付き吹き出しガラリのことを指している。
鎌田先生からは、その使用感も良好だという発言がありました。
たぶん、北海道のビルダーでは使用実績が少ないでしょうから
「そうか」といった反応感がありました。

全体的な印象として、
暖房と冷房の必需期がほぼ半々というような気候常識を
前提とした機能選択という印象が強く、
北海道全域としてどうなのか、というのが率直な印象。
ただ、原理原則としては理解はできる、といったところでしょう。
このあたり、空調コントロールについては地域差があり、
全国一律的な対応ではなくなっていく感じがします。
住宅は考えれば考えるほど、その地域に根付くという印象が強まる。
設備設計、選択については地域分化が必然とも思われました。

【インテリア選択はその人の「暮らし方」表現】

きのうは鎌田紀彦先生の最新の住宅断熱手法について、でしたが
活発な意見交換が相次いで、わたしのブログ読者の傾向が明瞭でした(笑)。
どっちかといえば、住宅建築のプロのみなさんが中心。
なんですが、ユーザーのみなさんも同じ言語空間ではないけれど
「なんとなく」伝わってくるものを感じられるようです。
考えてみれば、わたし自身も自宅を建築した頃、
住宅雑誌はすでに発行していたのですが、まぁたしかに
「プロのひとたちが活発に意見を交わしている論点」というのは、
大きな「よりどころ」ではあったように思います。
ただしそこは「頼む立場」として、自分自身の感受性世界が判断の基本。
せっかくの自分が払っていくお金に関しての決定なので、
プロの先端的論戦を「わきまえた」上で、独自の判断をしたいと考えた。
結局は感受性の大きな選択のひとつとして、自分の世界を
一生に一度だけ、自分で選択できるのが住宅建築の機会だと思ったのですね。
当然だと思います。
そういった「技術論議」に参加したりして意見を戦わせるのは
建て主としての価値感とはまた違いがある。
そういうやり取りの中で、方向としての大きな技術傾向の中から、
自分に似合った感受性を探し出してみたくなる。
そういうときに「たくさんのイメージ」を見る,比較対照する、
っていうようなことは、無意識に行っていくものだと思います。
実際の空間を体験するということが基本ではあるけれど、
それには「もれなく営業行為がついてくる(笑)」のには閉口させられる。
ReplanやWEBマガジンなどで「よきものを見る目を養う」ことが不可欠。

住宅の実物を見る、というのがやはり基本でしょう。
わたしたちReplanでは、基本的にユーザー目線で住宅を伝えたいと
そう考えて誌面を構成しています。
実際の肌に伝わってくるような「空間の雰囲気」を表現したい。
作り手と施主さんの家づくりの対話の様子がいちばんのポイントだと。
で、インテリアを構成している要素の組み合わせ感覚、
そういった「よすが」から、作り手の感受性を見定めることが大切。
写真の住宅は岩手のビルダー、D-LIFEさんのオープンハウスから。
床壁天井とキッチン、さらにそこで選択されているテーブル・椅子
などの空間構成要素が一瞬にして伝わってきます。
この家は、施主さんが完成引き渡し前に公開を許諾した建物。
このような空間構成をある建て主とD-LIFEさんは
現実に打ち合わせしながら、実現させてきたワケです。
わたし的には、黒っぽいけれど木目も表現された床材・天井材と
キッチン・テーブルの色合いという背景のなかで、
いちばん人間の行動感覚に近しい「椅子」が目に付いた。
座卓面は透明な素材によるプラスチックなんですね。
それに対して、背景と連なっていく脚にはスチールが採用されている。
「そうか、こういう背景のなかでこのような意識で暮らしたいのだ」
っていうようなことが「伝わってくる」。
なんと呼ぶかは別として、現代の中でこういうふうに過ごしたいという
そういったホンネの欲求をそこに感じるのですね。
もちろん、そういう暮らし方がどのような「温熱環境」のなかで
実現しているのか、というのは要チェックの最たるものではある。
ただ、ユーザー側としてこういった「暮らしの感受性」について
多くの事例を体験しながら、きちんと自分を見つめることは重要ですね。
家の「見方」って、チョー重要だと最近強く気付かされる・・・。