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【戦争と人口増はウラ表 平和な社会は人口平衡】

しばらく北総研の研究発表での地域問題、人口減少社会テーマを考えました。
2045年で北海道地域人口が25%減少する未来予測に対して
地域自治体はどう対応するか、そして社会はどうすべきかは
真剣に取り組まなければならない。人口増は非常に難しい。
そもそも現代世界で人口問題が大きく扱われるのはそれが「市場の規模」を
決定し、それによって経済が大きな影響を受けることが大きい。
とくに住宅建築にとってはこの趨勢がいちばん重要なポイントだというのは
誰が考えても当然でしょう。
ただ、住宅着工数は近年は変化が「なだらか」な推移を見せる傾向。
マクロの人口動態より、むしろ景気対策とかによって影響を受けることが多い。
また、住宅は新築需要だけが存在するものではない。
基本的に人口問題との関係は冷静な視点で見る必要があると思える。

マクロ視点では上智大学経済学部教授・鬼頭宏氏の歴史人口学の研究では
江戸時代は戦国終結での開始期1600年ころに約1,400万人から
120年後に3,100万人口に到達して、幕末まで平衡状態で推移した。
では幕府は人口政策を持っていたのかというと、
そういった自覚的な政策はなかったのだろうと思う。
安定社会存続という志向から人口増加よりも平衡型の方向性が選択されていた。
それに対して、明治期以降は国民国家としての帝国主義国際情勢に対応して
殖産興業と、相次いだ戦争から基本的に人口増加が志向された。
で、第2次世界大戦での日本の戦死者数が310万人と巨大だったことで
戦後、一気にベビーブームが社会を覆った。
そこから1億2,000万人まで人口増加が続きそしていま人口減に直面する。
人口動態の推移では上のようなグラフが常識的に参照されます。
いわゆる「合計特殊出生率」を先進国で国際比較した資料。
現代は先進国では人口は平衡的状態にある趨勢。
わたしの両親は戦争中に結婚して、合計6人のこどもを産んだ。
それに対して子ども世代であるわたしの兄弟はおおむね2〜3人だった。
合計特殊出生率は低下しているけれど、図を見れば
多くの先進国ではいずれ、このような推移をするものなのでしょう。
こういった人口平衡というのは平和時の人類傾向のように思う。
逆に言えばビッグバン的な「人口増加」の方が特異なケース。
悲しいかな、戦争という事態が人口増減の決定的な誘因なのではないか。
戦争による出生増の特殊要因と国民健康向上での高齢化の相互作用で
明治以降と戦後の特殊な「人口増」があったというのが実態に近いのではないか。
国際外交の活発化や「国際世論」による緊張緩和バイアスの向上で
先進国間での大きな戦争が今後考えにくいとすれば
人口問題というものは自然にバランスしていく可能性も高いとも思える。

平和な時代には、おおむね2人の親から2人程度の子どもが生まれるのが平常。
経済と人口問題は関係はあるけれど、相対的には独立的な事象。
現代では経済政策、その運営が一番のキモ。
そこを安定させることが、人口動態変化に対応する最良の道なのでしょう。

【秋から冬へ愉しいイエゴト(家事) in北海道】


錦秋の盛りが札幌市内・山の方では過ぎてきて、
これからは市内の「里」でも本格的に落葉という風情になって来ています、札幌。
なんとも格別の歳月が感じられる本年ですが、カレンダーも残りわずか。
ことしは本当に「内省的」な年を過ごしていると思います。
接触コミュニケーションが限定される中で、否応なく身の回りのことに
多くの人が真正面から向き合っているというのが実際でしょう。
わたしもこれまで年間で50-60日は出張に出ていた平均的日常から
3月以降はほとんど限定的なスポット移動に留まり、
たぶん2−3ヶ月程度と思っていた社会停滞がここまで続くことになろうとは。・・・
逆に身近なあれこれにこれまで放り投げていた仕事が山のようにあることに
気付かされ、そのことに驚かされるような日々を過ごしております。
仕事人生の終盤近くで一気に気付きが襲ってきて
地道にそれらに取り組む機会を得たことには逆に感謝しております。

そんななかですが、住む札幌の四季感も深く感じられる。
こうした環境の中で多くの人が「家ですごす価値感」に目覚めてきている。
否応なく「緊急事態宣言」とか、ステイホームとかテレワークとか、
生きる拠点としての家での時間が大きな意味を持ち、考え直す機会になった。
家事、ということばは「かじ」と呼ぶのが一般的ですが、
そういうコトバにはちょっと現代生活との違和感を持ち続けてきていて、
ある企業と情報交流している中で、「イエゴト」という言い方と出会った。
「おうち時間」という言い方が、一般的にもReplanテーマ的にも、
表現の仕方としてはだいぶポピュラーになってきたと思いますが、さらに
家のことにあれこれと手をかける行為、その時間を充実させる行為に
この「イエゴト」という表現はなかなかいいかもと思っております。
写真のような札幌の街中、わが家周辺の様子ですが、
多くの落葉がわが家周辺でも押し寄せてきているし、
また時間経過とともに家周辺のメンテナンスは必要になってくる。
家での時間が増えてくるとそういったことへの気付き更新作業チャンスも増える。
昨日は落葉の処理と、壊れていたエアコン室外機の木製カバーを更新。
ついでに物置の整理整頓と、DIY的な家メンテを愉しんでいました。
よく欧米人に比較して日本人はこういった行為へのめんどくささ感が
社会的に大きいと言われるのですが、こうした「おうち時間」「イエゴト」って
今回の不幸な新型コロナ禍から社会が前に進んでいくなかで
数少ないメリット、前向きな面なのではないかと思っております。
結構愉しい、興味深いというように変化する可能性がある。

人間が手を加えていないと建築はすぐに機能劣化する。
空き家問題などはその社会的顕在化ということでしょう。
わたしはこれまでもこうしたことは比較的に好きな方だったのですが、
そういうことに、さらに愉しみ、再発見が増えてきております。

【3200年前・縄文期墓制「キウス周堤墓」で合掌】


北海道には多くの「遺跡」が点在しています。
国土開拓がいちばん最後になったことで、歴史的な痕跡が残ったのでしょう。
多くの「民族」がこの地に住み暮らしていた痕跡が見られる。
いまの新千歳空港にほど近い地域に遺されている
「キウス周堤墓群」はそのなかでも異彩を放つ遺跡痕跡だと思います。
北海道千歳市の北東、標高15~20mの緩斜面上。
地面に円形に竪穴を掘り、掘り上げた土を周囲に環状に積み上げることで
大規模なドーナツ状の周堤が造られる。その区画中に墓をつくる形式が周堤墓。
ときどき周辺を移動するときには、空気に触れるようにしております。
なんといっても「縄文後期」という歴史の古さにリスペクト。
訪れても格別の建築痕跡的なものがあるわけではない。
よく訪問する「三内丸山遺跡」は今から約5900年前~4200年前の縄文集落跡。
あちらでは木を使った「柱穴」など建築痕跡が多数復元されている。
いわば縄文の人々の「生存痕跡遺跡」。こちらは「死者の痕跡」。
それらをふたつながら体験同期する、いわば空間の経験値を高めることで、
なるべく豊かに縄文の人々の息づかいを追体験したいのです。


周堤を含む直径は18~75m、周堤上面から竪穴底面までは1~5.4m、
つくる時に積み上げられた土の量は最大3,400立方メートルにも達する。
竪穴内部には複数の墓穴があり、立石が伴うものも。竪穴構造の埋葬施設は、
世界の先史文化の中でも稀であり縄文文化固有の墓制を示す。
周堤墓は葬送や祖先祭祀に関する社会組織を示すものとしてきわめて重要であり、
他に例のない規模で群集し墓制を代表する存在。〜HPより引用抜粋。
縄文期というのは「狩猟採集」生活だけれど定住していた時代。
定住と「墓制」というのはワンセットのように思います。
人類時間的にはもっとも優勢な狩猟採集という食料「生産」段階の社会では
人間が生き延びるためには直接的なパワーとは人間力であり、
そして同時にDNAの存続として定住であれば、血の系統というのも明確。
いま生きている人間にはその両親があって連綿と死が重なっていく。
石器時代でもそういう死の尊厳はあったに違いないけれど、
明確に痕跡が残り始めるのは、縄文以降なのだろうと思います。
日本では縄文の住居は「竪穴」形式が一般的な作られよう。
竪穴住居は好適地を選択して、その場所の土を掘り、周囲にその土を盛り上げて
「低い地面」の生活ゾーンを作るという家の形式。
とくに寒冷気候対応ではこの地面掘り下げがより深くなっていった。
「凍結深度」という概念が人類知としてあったことは疑いがない。
この周堤墓でも、このような「建築様式」が採用されその低地内部に
各人の「眠る場所」が掘られて、埋葬されている。
いわば「死者の集団のための家」というようにみなせる。

これだけ大規模な「土木工事」の、その器具は木製スコップが想定される。
炭化して形状が残らないその器具を使ってどれほどの労力が費やされたか、
それだけの集団労力を維持する社会の存在が明確であり、
その「集団意思」というものがはるかに感受できるように思える。・・・
カミさんはクルマの中でぬくぬく、寂寥と豊かさの入り混じった野外空間を
わたしひとり彷徨う楽しい時間であります(笑)。

【ありゃりゃ「LANで印刷接続不良」犯人探索】


昨日、ここ数日取り組んでいる国家機関への申請書類の作成業務。
まぁとにかくたくさんのデータを作成させられる。
重箱の隅を突くどころか、ひっくり返してハンマーで叩き割ってから
「こわれるから、このデータではダメですね(笑)」みたいな憎々しげな
様子が言葉の随所の隅に感じられる対応に耐え忍びつつ、
極力冷静を心がけながら、淡々と自分の事務能力限界と向き合う時間です。
ところが、そういう作業テンパり真っ最中のなかで、
わたしの背中の位置に配置しているプリンターが応答しない。
印刷した紙に手書きで書き込んでから、それをスキャンしてデータ化する、
そういう気の遠くなるたくさんの作業の途中経過段階で
まだまだ山場ともいえない段階なのに、印刷書類が上がってこない。
かれこれ8回印刷指令をパソコンから送っているけれど、
サッパリ作業開始音が聞こえてこない。
メッチャ忙しいので、とりあえず放置してほかのできる作業を進めるけれど、
ついに出力がなければ一歩も作業が進まない段階になって
やおら、プリンターの機械に立ち向かうことになった。
とりあえずスイッチの入り切り、再起動で様子を見るが、改善が見られない。
ほかのパソコン、となりの部屋のカミさんからのデータ出力もままならない。
そこで他の階のプリンターに出力指令を出してみたが、これもつながらない。
ネットワーク系トラブルは間違いないがパソコン(Macbook)はWEB接続できている。

で、他の階のパソコンのネットワーク接続も確認してみるけれど
そちらは特段のトラブルはなく正常通信している。
ここで気付いたのが、社内LANにはEthernetでのケーブル接続と
Wifiでの無線接続の両方がONになっていることに気が回った。
ほかの階のMacでこの両環境での接続確認を行って見た。
どちらの環境でも、問題なく接続できている。
最近VPN接続環境をあらたに導入したけれど、それも問題なく動作している。
・・・ということはわたしの近くの環境、LAN接続の「縁辺系」のみがあやしい。
わたしのデスク近く、隣の部屋には共働きのカミさんの環境がある。
彼女の接続ハブと、わたしの接続ハブは違っている。
ためしにカミさんの接続環境を精査するも、これも問題ない。
ということで、あやしいのはわたしのMac周辺のハブから以降。
こちらにわたしのMacとプリンターとはひとつのハブを共有している。
カミさんのパソコンからこちらのプリンター出力もできないので、
いよいよ問題は局限できるようになってきた。
で、わたしのMacの接続環境を確認しEthernetとWifiでの無線接続をテスト。
そうするとWifiでの無線接続はできたけれど、Ethernetが不通。
WEB接続もできなくなっている。
念のためハブの電源のONOFFもやってみて、ハブの無事も確認。


ためしに別のLANケーブルをMacに差すと、無事WEB接続も開始された。
ついに写真のLANケーブルの犯人特定に至った次第。
おいおいのLANケーブルの問題からの物理トラブルという結論であります。

ということで真犯人のLANケーブルは神妙にお縄を頂戴して
ゴミ箱に収容されることになりました。
でもまぁ3年以上も頑張ってくれたヤツなので責める気にはならない。
しばらくはわが家のどっかに隔離して忘れた頃に廃棄処分してあげたい。
そこから、遅れた時間を回復しようとしたのですが、やや疲労感のため、
スタッフにカレーライスを作ってあげることに(笑)。
疲れたときには料理がいちばんの疲労回復の「気晴らし」。
自分も食べて気分転換できたことで、そのあとの作業は快調に進んだ次第。
ふ〜〜やれやれでありました。みなさん良い週末を。

【人口減少自治体に「まちまかない」会社・民間活力】


さて、特集的に論評風取材記事として北総研のWEBセミナー内容紹介最終回。
さまざまな「課題の先進地」ぶりが摘出されたのですが、
2045年で400万人人口というのは確率性の高い北海道の近未来。
親の代から事業を営んでいて北海道内の各地で展開している友人は
どのように生き延びていくか、目の黒いうちに筋道を立てたいと頑張っている。
放っておけば、単純な「市場縮小」があらゆる業界を襲って
既存のほぼすべての「地域企業」には厳しい道が待ち構えていることは疑いない。
ペシミスティックな社会趨勢こそは確率の高い未来予測でしょう。
そういう近未来に対して、ちょっと前までは旺盛なインバウンド需要が
人口減少の痛みをやわらげるカンフルのように働いていたけれど、
そこに新型コロナの大津波が押し寄せて、まだ終息の気配も薄い。
ガソリンスタンド業界などではEV化、ハイブリッド化の波で業界そのものも
姿を消すような流れも強まってきている。
変化の速度はなだらかとは言っても、やはり右肩下がりの事業環境は
とくに地方中小企業には過酷な事業環境として姿を露わにすることは確実。

このことは地域企業だけに留まらず、地域自治体にとっても条件は同じ。
先日触れた、人口増大期に野放図に拡大した市街地域のインフラ維持危機から
公共サービスの維持リソースを極限的に縮小せざるを得ない。
地域の税収は人口減少から当然のように厳しくなっていって、
道路維持、水道維持、学校保育園など教育や福祉の維持も困難になる。
そういうなかで、こういった分野に民間活力が求められるのではないかという
「処方箋」提案がされていた。上の図はそういう民間活力として
「まちまかない」という事業エリア概念で公共サービスの外注先としての
コンパクトビジネスの可能性探究提案がなされていた次第。
で、わたし的には前期高齢者層の活躍機会創出もあり得ると考えています。
前に触れたように75才までの前期高齢者層の健康度は高い。
要介護率はおおむね10%程度と低いレベルに留まっている。
そういった年代層は社会キャリアも豊富に持っていて、有用な戦力といえる。
人口構成比でもかなりウェートが高くなり健康度も高い。
そういった子育て経験も当然もった人たちに「子育て・保育」という
社会的サービス業の受け皿を想定するのは、おかしいだろうか?
前期高齢者男女からの愛情は、子どもたちにも素晴らしい環境の可能性。

また、ある断熱材メーカーのOBは、親の田畑を受け継いで
食料生産に取り組んでいるけれど、野外作業で足腰も鍛錬することで
健康寿命はより前向きな進展があり得ると思える。
後期高齢者年代になっても健康維持し続けられるので「生涯現役」層は
増えていく可能性がある。またそういう年代者の「終の住み処」として
「日本の魅力」要素がきわめて高い地方は活力を維持し発展パワーを持てる。
昨年度まで年間で1,000万人近くが訪日していた中国の人たちには
日本の田舎への強いシンパシーが育っているとされている。
人口減少は同時に日本人の知恵と工夫が試される局面ではないだろうか?

【朝の気温5度 いよいよ「雪」の話題まで】


きょうは閑話休題。
ここのところ、北総研のWEBセミナーでの「人口減少社会」テーマ探究記事、
そして「日本人のいい家」シリーズと2本の「連載」進行中(笑)。
毎日書くブログのなかでこういうテーマ特集をやっていると
反応もいただいて次から次へと企画内容が芋づる式なのでありますが、
あくまでも「人口減少社会」は基本は取材記事タイプ。
なので、先読みのための今現在の状況の整理整頓的把握が趣旨です。
テーマひとつひとつは既出ですが俯瞰的に状況を把握すると未来が見えてくる。
地方自治体シンクタンクとしては地域の延命に関わってくる重大テーマ。
またわたし自身も、加齢と共に次世代への思いも強くなってくる。

さて、そうこうしているうちに季節の進行は急激になってきている。
昨日は朝、散歩に出掛けるために家を出た瞬間、ジャンパー着替えUターン。
晴れ上がって気持ちの良い秋晴れ天気ですが、
午前6時前のクルマの外気温度計では5度を示しているではありませんか。
あ、わたしは家からクルマで北海道神宮駐車場まで行って
そこから参拝〜周辺地域散歩へというのが定番コースなのです。
ジャンパーの下には長袖トレーナーを着込み、ズボンは保温タイプ。
いまのところはキャップ帽ですが、そろそろ毛糸の帽子も欲しくなる。
神宮境内で行き交う人の言の葉には「そろそろ雪・・・」とも。
首にはタオルを仕込みますが、夏場には汗拭きだったものがすっかり襟巻きに。
またしばらく前からは手袋も欠かさず装着。
神さまの前で手袋を脱ぐにも一瞬のためらいがある。
まさに「つるべ落ち」のような季節の進みぶりに自然の摂理を体感する。
で、写真のような色づく山並みが毎日のごちそうの景色を提供してくれます。
この時期の朝日はまことにまばゆい「照明装置」で
山並みの色合い、コントラストがいっそう際だってくる。
わたし的にはちょっと寒いけれど、北海道は「天国に一番近い」島に思える。
子どもの頃に秋の遠足、写生の機会があって紅葉への感動のまま
この写真のような満艦飾の山の色模様をひたすら描いた。
美術が本職の担任の先生がいたく感動してくれたことを思い起こす。
どうも秋の山の景観が無上にシアワセ感をもって迫ってくるタイプなのです。
思い起こすと、遠足で藻岩山から尾根伝いに縦走して、
そこから見た景色だった記憶があり、山としては円山か三角山か。
イメージ的にはどうも三角山の景観だったように思えている。
この担任先生のコース決めだったか、特別な視野世界だった記憶が強い。
この写真はその記憶の中の視野角度にどうも近しく感じられて
いつも散歩途中このスポットで、朝日直射の彩りにゾッコン。

まさに爛ける秋、という語感が去来する。
たける、というように読んでいた気がするのですが、爛熟というような
単語の意味合いに似たあざやかな彩り感を表現するコトバ。
こういう風景を見ていると胸に去来してくる。
年齢的心象風景ともシンクロして、耽美な気分に毎朝浸っております。

【ポスト効率主義社会で持続可能な日本の魅力は?】



「課題最先端」北海道のシンクタンク北総研の人口減少社会WEBセミナーより。
きのうまでシリーズで「課題の最先端」ぶりをお伝えしてきました。
もちろんこの他にもたくさんの難題が山積ですが、
ようするに人口増加という社会条件と輸出主導型の産業構造という
戦後長く続いてきた「日本の経済社会環境」が人口減で激変時期を迎える。
長く続いてきたことで、それが当たり前のように思ってきたことが
そうではなくなってきて、それに代わる「持続可能性」が否応なく迫られる。
資本主義社会であることは不変。当然最小資本で最大経済効率を求める。
そして企業は当然のように右肩上がりの「成長」を求める。
このこと自体は変わりのない公理。世界の市場に打って出る企業以外の
「内需型」ビジネス企業にとっては、これは大きな転換期。
考えようによっては新型コロナ禍はそれをさらに後押しする要素かも知れない。
この効率主義の思考法が社会を支配し公益的部分・地方自治体運営も
「効率化」思考がこれまでは優勢に選択されてきた。
しかし地域企業にとって市場は縮小し、激烈な競争が避けられない。
アトキンソンさんという方が菅政権の参与として加わったことで
政権がある一定の方向性を志向していることも推定される。
人口規模は予測可能な2045年でピークから25%減がほぼ決定している。
人口減少が避けられない未来であるとすれば、
その条件下でどのような考え方で「生き延びていくべきか」。

いわば課題への「処方箋」もまたシンクタンクらしく素材を提供している。
上の図は日米での「幸福度」実感調査だそうで、
アメリカ社会では高齢者の「シアワセ」度が加齢と共に上昇している一方、
日本は加齢するごとに幸福感は減衰し、不幸が加速すると未来を想像する。
よく言われるように悲観主義じゃないとマジメではないと考えるのが日本人。
日本人は「根拠が明確でない楽観主義」のアメリカ人とは違って
「根拠がなければ悲観的に見る」メンタルだと知れる。しかし、
人口減少社会での大きな成員層の高齢者が本来前向きになる必要がある。
しかしこうした悲観的メンタルが支配的になった後、
そこから一気に局面転換する急激な変化が起こるのが日本史のパターン。
黒船のような「外圧」が日本社会を覚醒させメンタルの転換を図る気がする。
日本民族は危機が進行すると、無意識のうちに急転換を求めてきた。
明治維新のような時代変革、閉塞感打破の動きが湧き上がる可能性。
明治の時は近代化・工業社会化が求められたのだけれど、
日本民族の米作をはじめとする技術基盤が最大の発展資産として働いて
世界の最先端にあっという間に駆け上がった。
工業化社会に応用可能な技術資産に気づいた結果だった。
だから資源小国でありながら工業化に成功できたのだと思う。
今回の人口減少は過去の変革期と違って全人類的に遭遇しつつあるテーマ。
変革のありようは大きく違ってくるのだろうと思う。

一方下図はその「突破口」を匂わせるデータのように思われる。
悲観的な傾向にある日本人にとって、足下にあるシアワセ。
さらにここで挙げられたポイントは、効率主義とはあまり縁がない。
そしてどちらかといえば、都市部よりも郡部の方がメリットを感じやすい。
もちろん、さまざまな突破口があり得るそのひとつの可能性。
時代を乗り越えるタネは必ず自分たちの中にその可能性があるのだと思う。
工業化への成功的対応の原動力が気づかなかった民族技術資産だったように。
しかしコロナ禍までの海外からの観光需要の旺盛さは先行指標なのかも。
こういう「資産」をさらにどう役立たせるか、知恵と工夫が求められている。
振り返れば明治維新から終戦まで77年、終戦からはことしで75年。
世界と日本の大きな「節目」が訪れているともいえるのでしょう。
こう考えれば日本の魅力の根源・地方の生き残りは絶対に不可欠。
最後にWEBセミナーではひとつの方向性も打ち出していた。以下、あしたへ。

【市街地3倍膨張・人口1/3⇒インフラ維持は可能か?】


北総研研究発表会から「人口減少時代の地域づくり」テーマです。
人口拡大局面は都市での「住宅地」拡大局面でもあり、全国どこでも
「市街地の拡大」ということが普遍的に進行してきた。
農地などだった土地に人間が住むことで、そのためのインフラが整備された。
道路が整備され上下水道が開削され電気・通信などがネットワークされた。
経済的には活性化するし人間が住むことで住民税、固定資産税などの税収が上がり、
長期間かけて敷設コストと維持コストは見合うとされ「合理的」と判断された。
日本全国、ほぼ均一にその考え方で「都市が膨張」した。住宅の新築ラッシュ。

図表は北海道内の自治体事例として現在の「むかわ町鵡川」街区の俯瞰図。
1960年代から現在まで市街地面積はなんと3倍超になっている。
1961年に50万㎡だった市街地が2007年段階で167万㎡。
青の枠内から、赤の枠内まで市域が拡大したのだという。
世帯数は38%増加も人口はおおむね2/3に。世帯人員は半減。
そういった状況で、当然税収は総体的に減るけれど、
拡大した市街地に対して道路維持、上下水道維持などのインフラコストは増大する。
人口減少局面でもそこに人が住んでいればこれらは維持される必要がある。
人口予測では2045年にはさらに現在からも半減という推計。
半分になる人口が負担しなければならないコストは、当然2倍になる。
自治体経営と考えれば、誰が考えても同じ問題にぶち当たる。
むかわの事例は別に特異なケースではなく、それこそ北海道・全国一様。
まったく同じ問題がひとしく地方自治体を襲っていくことになる。


さらにこのように拡大した市街地は、災害リスクも高めている。
上の図は太平洋に面したむかわ市街地域での「津波災害予測」。
人口居住地・市街地のほぼ全域が危険と青く色づけされている。
街が開かれた初期には災害危険度も勘案されて土地開発されただろうけれど、
人口膨張プロセスで徐々に「危険地域」にも人間居住域が広がった。
こうした地域の「防災」コストは当然嵩んでいくことは明らか。
被害想定の拡大はもちろん、そこからの復旧を考えてもコストは巨大化する。
これもまた想定災害に違いはあっても全国の自治体に普遍的な現実。

高度経済成長期、日本列島改造というようなイケイケドンドンが
社会の趨勢であって、人口減少の危機などは論じられなかった。
大きいことはいいことだ、みたいな一種の集団的思考停止が蔓延していた。
スマートシュリンク(賢い縮小)という提言が近年されてきているけれど、
しかし経済社会構造と既得権益システムはスケールメリット思考が前提で
社会常識の基礎深く人々の意識に根付いている。
「いまさら止められない」みたいな論理が幅をきかせているといえるでしょう。
しかし、どう考えてもこのコストは誰にも負担できない。
確実に訪れるカタストロフをどう回避できるのか、
今われわれの世代が解決の糸口をつけておかなければ、
若い世代はそのツケを大きく支払わされることになる。
非常ベルは深刻なレベルで鳴り続けていると言わざるを得ない。

【人口減と人類の未来「出生」幸福度視点】


人口減少の予測は大枠としては「変えられない未来」と言われる。
しかし、地域シンクタンクの北総研発表を仔細に見ていると、
北海道の自治体毎でこの「予測値」は変動していることに気づかされる。
上の図は、2013年の道内自治体毎の人口推定と、5年後2018年に再度推計した
2035年度の人口推計の「増減」を視覚化させたもの。
赤い色の濃淡がより推計値が下ぶれした自治体で、
一方青い色合いは、推計値が上ぶれした自治体のカラーマッピング。
この図表が表しているのは予測から、進行する現実は変化するということ。
人口減少がより激しく進行する地域もあれば、
むしろ反対に増加したり、趨勢スピードが鈍化する地域もある、
未来はまだら模様で推移していくのだということ。
大きな傾向としては、札幌および周辺地域、帯広、旭川、函館という
主要都市圏では総じて「青色」の傾向を示しているといえる。
変化は2極分化して襲ってくるということなのでしょう。
ただし、主要都市圏以外でも青色を示している地域が存在することは
その要因チェックに留意する必要があるだろう。
また同時に「赤色」を示している地域は総じて郡部と見なせるけれど、
これも一様にそうとは言えず、より細やかな分析が必要だと思われる。
青色傾向の地域としては、とくに新千歳空港周辺地域が注目。
これは産業として考えれば「運輸」という分野が人口動態に
大きな影響をもたらすということを明示しているのかも知れない。
札幌と新千歳空港というような「道央地域」がその利便性で成長性を持ち
その周辺地域はこの「中心」に対しなんらかの役割を提供する発展がありえる。


で、大きくは都市圏と郡部というように仕分けが当然できるけれど、
この表は、それぞれでのメリット・デメリットを集計したもの。
都市圏が優越しているポイントは、1 生活環境 2 健康維持 3 教育環境
郡部が優越しているポイントは、
1 労働環境 2 高齢者適応 3 人的交流 4 女性活躍 5 子育て
というように分けられている。
非常に興味深いのは、子育てしやすさ比較で「8:14」と郡部優勢なこと。
このことは別の指標でも現れていて、以下の指標が顕著。

これは「合計特殊出生率の全道地域マッピングデータ。
大きな傾向として、北海道内の郡部地域が基本的に青色であり、
札幌周辺などが低くなっている傾向が読み取れること。

「人間疎外」というコトバがかなり以前、高度成長期などに使われたけれど、
どうもこの指標からは、都市化・資本主義的「合理性」発展が
必ずしも人間の幸福度とパラレルではないことを示してはいないだろうか。
このデータを見させられて、いろいろな発想が湧いてきている。
人口減少へ社会の知恵を集める必要があることが自明だけれど、
そのもっとも核心的な指標こそは「出生率」ではないか。
いま、女性がこどもを産むことに積極的である地域傾向とはなにか?
ということ以上に重要な指標はないと思われるのです。う〜む。

【2045年人口25%減 どうする?試される北海道】



一昨日夕刻に北総研からWEBセミナーでの発表資料が開示されました。
記録も取れない(録画権限も制限)、スクリーンショット不可ということでは、
記事を書くにも、記憶とメモだけということになって、
非常に大きな制約になるとお伝えしたところ、開示いただいた次第。
一部は知的所有権への配慮が必要なので非開示ですが、対応に深く感謝。

先日のブログでも書きましたが、人口減少問題は
この国の未来にとってその生存を左右する大問題だと思います。
伝統的に移民に寛容な社会であるアメリカを除いて、
いわゆる近代の工業化社会を先導してきた「先進国」で
おしなべて人口減少が大きな社会問題として突き付けられている。
世界最大の人口を擁する中国も一人っ子政策もあって逃れられない。
第2次世界大戦での戦死者が多い結果として人口構造で
この問題の最先端地域国家として日本は急進的先導的な位置にある。
世界の中で日本は「課題の最先進地域」というように捉えられる。
そもそもどうして社会が豊かになると人口減少に拍車が掛かるのか、
そのメカニズムの解明も社会経済学的探究のメスが必要だけれど、
この研究領域で画期的な発表は寡聞にしてまだ聞かれない。
人口減少問題が進行する中で、誰でも考えられる処方箋は「移民政策」。
伝統的なアメリカ社会のやり方ということになるけれど、
そのアメリカでもその中核と言えるWASP層では人口減少に歯止めが掛からない。
<WASP〔White Anglo-Saxon Protestant〕>
移民政策は、この人口減少に対症療法的「対処」ではあるでしょう。
しかしそれでは伝統的民族社会の希薄化と民族的反発も当然発生する。
イギリスでのEUからの離脱・ブレグジット、アメリカでのトランプ政権の誕生も
伝統的なその国家社会の本音・根幹部からの「異議申し立て」だと思う。
日本社会は伝統的に移民には慎重な社会であり、
皇室という独特の「民族統合の象徴」を持っていることなど
英米社会の動向に親和性が高いと見なせるでしょう。同じ海洋国家でもある。

このように世界情勢の基本因子にもなってきた人口減少問題。
タイトルに書いたように日本社会でもっとも「新開地」である北海道でも
2045年には最多人口時点から25%減少する予測が立てられて、
現在に至るもその趨勢は進みこそすれ、衰える傾向にはない。
ただ、その進行具合はまだらな傾向を示して、一部地域では増加もある。
上の地図グラフは人口の増減状況をマッピングしたもの。
当面人口減に劇的な「改善施策」が出てこない以上、
個別企業にしてみれば、あきらかな「市場収縮」にどう対応するかが問われる。
右肩上がり社会での経済常識では絶対に乗り越えられない。
25%の市場収縮が目の前に迫ってきている危機状況なのだ。
しかし北総研研究発表では下のグラフのような「可能性」も出ていた。
人口減少は同時に「高齢化社会」の進行でもある。
そしてちょっと前まで65才定年というカタチで労働市場から疎外されてきた
65〜74才の「前期高齢者」層での「要介護・介護認定者率」は
10%未満、9.1%に過ぎないというデータ開示。
これまで国レベルでも労働人口減少に対して「女性参加」が謳われ実行され
アベノミクスなどで人口減が始まってからも500⇒540兆とGDP増加が達成。
人口増加社会で想定していた寿命常識からの60才定年制だけれど、
このグラフからは明確に人間社会に構造的変化が起こっていると見なせる。

地道に人口増政策を考え実行すると同時に、当面は状況対応的に
労働人口の拡大をはかるのがひとつの作戦ではないか。
施策によって「未来は変えられる」という提言も同発表会ではあったけれど、
「課題の先端地域」は同時に知恵が湧き出す地域でもありたい。