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【新型コロナ新規感染者5/17 全国24:札幌6】


どうも、最近の新規感染者発症状況を見ていると、また北海道札幌の比率が高い。
というか、他地域が加速度的に減少傾向を示しているのに、
いっこうに札幌市内の事例が減らない傾向にある。
札幌ではとにかく「クラスター」感染が多発している。
最近急増している箇所は、介護老人保健施設での集団感染事例。
1施設で80人以上の感染者数になっていて、しかも低減化が見えない。
5.15朝日新聞北海道版記事によると、
「4月21日、介護老人保健施設(老健)と1階でつながるデイケアセンターで
1人の感染が判明。施設間で職員や入所者の行き来は頻繁ではなかったが、
同じ休憩所やトイレを利用することもあった。21日以降は出入りを禁じたが、
26日に初めて老健の入所者の感染が判明すると、一気に広がった。・・・
施設に残る入所者の半数以上が感染しているが、さらに感染者が増えており、
隔離が必ずしもうまくいっていない実態が浮かんだ。・・・
市によると、14日に入所者4人の感染が新たに確認され、感染者は入所者64人、
看護や介護の職員ら17人の計81人にのぼる。」<要旨抜粋>
と言うような記事で、なんとも滅入ってくる気分に打ちのめされる。

しかし、以前からそのクラスター状況は報告されていた。
「まぁクラスターなのだから、対処法は確立しているはず・・・」と
思って過ごしていたけれど、いっこうに沈静化せずむしろ猖獗を極めている。
記事でも、札幌市の担当者から
「感染者の発生状況から見ると、隔離が十分機能していないのではないか、
との反省はある」と認める。同会と相談しながら、隔離の徹底を検討するという。〜
ということから、きのうの発表で合計14人からなる外部チームが
状況をコントロールすべく入所するとされていた。
このような介護老人保健施設はそれこそ全国に多数あるはずだけれど、
なぜ札幌では抑制対応がうまくいかないのか、とは疑問に思う。
どうも最初期のクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス」の悪夢の再現のようだ。
写真のように遅い「八重桜」満開ではあるけれど、まだまだ朝晩は冷涼な気候が続く。
全国でもいち早く感染が拡大し、そしてもっとも遅くまで拡大し続けるのかと、
おののくような無常さを感じております。
たとえ感染者数が減少に至っても、新型コロナ要注意地域と受忍せねばならないかも。
秋冬の寒さはまた全国に先駆けて早くもやってくる・・・。
5月末までの期間でなんとか、国の定める基準をクリアしてほしいと
切に祈るしかないと思い定めております。

【奈良時代:感染症・天然痘と光明皇后の戦い】




日本史の中ではいくつもの感染症の記録が残されているけれど、
そのなかでもとくに嚆矢といえるのが奈良時代の天然痘大流行ではないか。
この時代は政治的には藤原氏が権力を掌握していくプロセスでもあるけれど、
その藤原氏の4人の実力者が一気に天然痘で死亡するような未曾有災害。
「鎮護国家」というような仏教崇拝から東大寺が建立され、
全国に国分寺・国分尼寺がつくられていった経緯には、この感染症大流行が
大いにかかわっていたといわれる。
そもそも奈良の大仏は疫病退散の願掛けが機縁ともいわれることから、
新型コロナへの平癒祈願が東大寺では行われているそうです。
遙かな時間を経て、感染症の恐怖が歴史も掘り起こすのだと思う。
まさに衆生への救済思想が具体的に政治テーマになっていた時代。
今日であれば、為政者が医学という科学者にその知見に基づいた
さまざまな「対応策」を諮問するけれど、
科学のない時代、ひたすらに神仏にすがる心情自体は痛切にわかる。

この感染症で斃れた藤原氏4兄弟の姉妹であり
ときの天皇・聖武の妻であり皇后の地位にはじめて民間人から登極した、
光明皇后が感染症対策として藤原氏の邸宅跡地に建立した法華寺(ほっけじ)。
奈良市北郊の海龍王寺や平城宮跡からもほど近い位置にある寺。
天平17年(745年)5月創建。
この法華寺に、写真のような「浴室」と名付けられた一堂がある。


イラストのように、これは「サウナ風呂」の一種のようです。
「浴室(からふろ)」は、光明皇后が「福祉事業」の一環として設置した
薬草などを煎じて使用する「蒸気風呂」。現在の建築は江戸時代のもの。
現在でも6月に信徒向けに浴室が開放され「蒸気風呂体験」が行われているとのこと。
ひたすらに祈りを捧げるという対策の他に、
このような「入浴習慣」が疫病に対して効果があるのではないかと、
対症療法的なこころみを行っていた痕跡だと思われる。
浴室に隣接して「井戸」も併設され、衛生思想としての入浴が実施された。
藤原氏がその後の宮廷権力内で権力をながく維持したのは
この光明皇后の福祉政策実行という戦いが大きく支持されたことが
非常に大きな要素になったのではないかとわたし的には思えてならない。

今日にいたる日本人の「衛生思想」のレベルの高さは、
いまの新型コロナ禍でも奇跡的な感染者数の少なさ、死者の少なさとして
結果をもたらせていると思いますが、
はるかな奈良時代、いまから1,300年ほど以前からこうした衛生思想教育が
民族的資産として連綿と継続してきている結果とも思える。
日本の政治システムには、こういう衆生救済の基本コンセンサスが
刷り込まれてきている、というようにも感じられると思います。
日本の政治権力史と感染症のかかわり、深い部分で重なっている。

【じっと忍耐 札幌企業新型コロナ禍出口は?】

全国からは新型コロナからの脱却ニュースが入ってくる。
もちろん「あらたな行動モラル」が大前提ではあるけれど、
通常的な経済活動の基盤が広がって来つつあると言うところだと思います。
しかし北海道、とくに札幌はなかなか曙光を見いだせない。
上の図は北海道知事さんが示してくれている「目標」と
下の図は北海道全体の現状であります。
この目標自体、日本全体とはやや違って、1ヶ月くらい遅れたレベル。
人口1400万人の東京できのう新規感染者が9人という状況に対して
人口190万人の札幌では4人の新規感染者。
週当たり人口10万人・0.5人の新規感染者の指標が政府から示されているので、
札幌は1週間で9人程度という計算になる。
現状では4×7で週あたり28人レベルなので、3倍近くとかなり道通し。
ちなみに東京では指標は週当たり70人、きのうレベルで63人となるので、
一応「解除」の基準には到達していることになる。この差・・・。

これまですでに2月以降3ヶ月にわたって札幌の企業は実質的に
広域的営業活動は不可能となっている。
このあとの後遺症的なことを考えても、実質的に今年度はたぶん
半分以上は事業機会期間が失われていくことになるのでしょう。
テレワークなどで可能なことには取り組んでいるけれど、
やはり進取的な活動には大きな制約が掛からざるを得ない。
悲しいけれど、一部では風評被害的な傾向すら見られるようになって来た。
なんとか忍耐して状況の改善を願うしかないのですが、
自分たちにできることというのもひたすら家に居て自粛するしかない。
なかなか突破口は見いだせないというところでしょうか。
日本全体が厳しいというのはまだ耐えられるけれど、
自分の地域だけが取り残されていくというのは、さすがにキツい。

しかしさらに、ない知恵を絞って「いま可能なこと」を見つけ出して
そういった努力を積み重ねていくしかないのだと思います。
わたし的にはこのようにブログなどでの情報発信を継続して
情報分野としての感染症からの「突破口」のような気付きを探る、
っていうようなことが、当面の課題だなぁと考えたりしております。

【新型コロナ VS 106年前の「結核予防善悪鑑」】


きのうご紹介した「結核予防善悪鑑」続篇であります。
106年前には結核菌が発見されて、結核が感染症であることが究明され、
それとは日常生活の「予防」的な対応で蔓延を防ぐことが呼びかけられていたのです。
この「結核予防善悪鑑」はそれを一般にわかりやすく情報伝達する手段として
相撲の番付に見立てたポスターを作成して公衆宣伝を図った。
この広報作戦は1914年のことですが、
結核のワクチンであるBCGはフランスのパスツール研究所で開発されて
1921年に初めて新生児に投与され、以後、1924年には日本にも菌がもたらされた。
逆に言うと、結核菌の発見・感染症認定から相当の期間かかっている。
それまでの間、ひたすら人々の「行動変容」で人類は戦い続けていた、といえる。
その当時から100年以上の時間が経過しているけれど、
またふたたび人類はあらたな感染症と向き合わされている。
治療薬やワクチン開発はそのスピードアップが求められるけれど、
しかし疫学的な「安定性・科学的妥当性」が担保されるまでには、
忍耐して、感染症ウィルスと共存して行く覚悟を継続していく必要がある。
アナロジーとしては、この1914年には第1次世界大戦が勃発もしている。
時間経過からは、ワクチン開発は戦争を挟んで戦争終結後に世界にもたらされた。
このような世界史の推移が再現されないように理性的な対応を期待したいけれど、
中国共産党という非理性的、不合理的な存在が強権をふるっているなかでは、
現代人類の運命はあやういというようにも思われる。・・・

で、本日はこの106年前の先人たちからの「警告」を詳報したい。
きのうは横綱大関クラスの「目玉項目」を紹介したけれど、
それから以下の項目にも、先人の大きな「知恵」と人間への愛が感じられる。
●まずは「悪しき方」のほうですが、
「蒲団(團)没頭」というのは、どうも朝寝坊の生活の自堕落さ表現のようです。
「日光の来ない家には医者が来る」というのは住環境のありようへの警告。
「肺病の痰は火照る爆裂弾」というのはまさにウィルスへの注意報。
「倹約すぎる食い物」とは栄養補給による免疫力向上。
「旧式な酒盃の交換」というのは飲酒習慣での接触感染への警告。
「虫歯持ち」は衛生観念への気付き。
「手放しに○○する野蛮人」というのは旧字で不分明もイマドキの行動変容規範から
類推すると、飛沫感染への警告とおぼしい。
で、最後の「差し向かい三尺以内の談話」は、まさにソーシャルディスタンス。

●つづいて「善き方」は以下の通り。
「深呼吸」とは肺の機能向上を促す狙いなのでしょう。まさに生活行動変容。
「風の入る家に福の神がはいる」とは、まさに「換気の重要性」。
同時に「新鮮な空気は値なき黄金」とまで讃えている。
「菜肉豊富な食膳」とは、バランスのいい免疫力向上の食事習慣。
「文明的な乾盃」とは、悪しき方の乾盃方法とは換えて
それぞれの盃で「接触感染」を避けるべきだと言うことでしょう。
「完全な咀嚼」、よく噛んで食べなさいというのはまことに慈愛そのもの。
「飲食を強いない良き妻君」とは、あまり深酒させるな、という警句か。
旧字でわかりにくいけれど「食後にはうがいを」という注意喚起。

まことに今日の「行動変容」とも似通った内容が多いことに
あらためて驚かされるとともに、このようなわかりやすい「衛生思想」教育が
大正初年にも日本では推奨されていたことに、先人のみなさんの
ありがたさがしみじみと伝わって参ります。深く、感謝の念であります。

【感染症と住環境 106年前の「結核予防心得番付」】


全国的には新型コロナ禍、やや減少傾向が見られてきている。
本日、面積的には日本の大部分を占める県域で非常事態宣言が解除される方向。
しかし全国有数の突出地域である札幌を抱える北海道は、道遠しといったところ。
地域として「共存共苦」を受忍し、なんとか乗り越えていきたいと念願します。

写真は知人からメールで送られてきたもの。
「東京都公文書館」のTwitterアカウントから2014年3月26日情報発信された。
1914年(大正3年)3月20日から7月31日にかけて、当時の東京府が主催し、
東京市の上野公園地をおもな会場として開催されおよそ750万人を集めた
「東京大正博覧会」での展示ポスターのようであります。
題して「結核予防(豫防)善悪鑑」。
行司として結核菌の発見者・ドイツの医学者ローベルトコッホさんの名前。
結核はいまでも日本で年間約2万人以上が発症し、
2,000人以上が亡くなる最大級の感染症。
いま話題になっている「BCG」予防接種の機縁となった感染症であり、
日本史の中でも有数の被害をもたらし続けてきた感染症。
そういった感染症に対して、社会としてそれと併存しながら折り合いをつけていく、
という目的から、広く国民に生活習慣レベルでの「注意喚起」を呼びかけていた。
このポスターは、日本人に親しまれている相撲の「番付表」表現形式を
ツールとして利用し、感染症とどう対応すべきかをアピールしている。
感染症は目に見えない敵であり、生活習慣で戦い続けるしかない。
そういった昔人の知恵がここには表現されている。
<表現上、一部を色づけしたのはわたしの操作です。よろしく。>

活字表現が一部不鮮明な部分もあり、推測しながら読解の要がある。
番付らしく「東西」に分かれて、右側が「善の方」左側が「悪しき方」。
●悪い方の横綱は「結核菌と薄弱な体質」が筆頭にあげられている。
張り出し横綱には「結核を不治の病と考えること」という意味と受け取れる記述。
大関は「煩悶幽鬱」とある。なんでも否定的な受け取り方への戒めか。
続いて関脇は「不性」。これは生活態度の乱れを戒める意味でしょう。
さらに「規律のない飲食」とあって、イマドキの夜の街クラスターとも相応するか。
以下、「汚濁・人込(混)み・街路の塵埃」という不衛生が指摘されている。
これもいまの「密を避ける」「接触機会の8割削減」とも通ずるのではないか。
そのあと「蠅多き臺所(台所)」とあるのは、当時の住宅の問題点なのでしょうか。
●一方で、善き方の横綱には「日光と空気」と大書されている。
「張り出し横綱」は読解不明なのだけれど、「結核は遺伝ではない」という考え方のよう。
大関には気の持ちようとして「楽天快活(𤄃)」が上げられている。
この先人たちの指摘は今回の新型コロナ禍では、どうも見落とされ気味のように思う。
どうしてもヒステリー的に危機あおりが横行しているのではないかと・・・。
以下、関脇:潔癖、小結:禁酒節酒、前頭:清新な林野公園の空気とあり、
やはり夜のクラスターには否定的な生活様式が推奨されている。
そういう娯楽は感染症への注意としては一時ガマンすべきなのでしょうね、やはり。
続いて横綱と関連するように「明るき居間」という住宅思想が上げられている。
住宅づくりに関連する考え方として「日射取得・採光、換気の重要性」という
基本事項がしっかりと明記されていることがわかる。
今回の新型コロナ禍でも、換気の重要性が社会的にアナウンスされてきていますが、
百年前もいまに至るも、こうした「感染症と住宅の知恵」は、変わらない基本とわかる。
太陽光取得に素直であり、暑さ寒さにはしっかり防御し、
しかも清浄な空気環境をつねに心がけるというのが先人からの「戒め」。

・・・日本の歴史と感染症、そして住環境のかかわり、
ちょっと掘り下げ、このブログ連載で思いつくまま、探究してみたいと思います。
みなさんもお気付きのことがありましたら、ぜひコメント期待。

【散歩道でチョー実用情報 イタドリはアスパラ代用食?】


みなさんの住まわれている地域では、この写真のような雑草、見かけませんか?
わたしがこれまで歩いてきた日本全国の道端では
やはり北海道でよく目にする雑草であります。名前はイタドリ。
Wikipediaを見ると東アジア原産で、明治以降ヨーロッパに「外来」して
世界中で嫌われ者の強害草として扱われているのだそうです。
散歩道でよくみかけるので、わたしのブログでは何回か、取り上げてきている(笑)。

なんですが、先日散歩中、ある老齢ご夫婦を見かけたところ、
奥さまがこのイタドリの茎の部分の先端部を採取されているではありませんか。
「???」と気になって、「それはひょっとして、食べられるんですか?」と質問。
そうしたらご親切にお答えいただいた。
「それですよ、これを水でよく洗って、斜めにそぎ切りにして
油で炒めて食べられるんですよ(笑)」という説明を受けた。
そういわれてみれば、たしかに先端部は一見してアスパラに似た感じはするので、
自然のモノでもあり、食べて毒のあるものではなさそうと思える。
このイタドリの繁殖力、拡散力はまことに驚異的であっという間に他の植物を駆逐する。
イギリスでは前の女性首相が政敵世論から攻撃されるときに
「イタドリ」とまで蔑称されていたというほどの「嫌われ」ぶり。
まぁあのときは、支持率が下がっているのにしぶとく居座っている、
その様子に対して、嫌われ者のイタドリがアナロジーされていたようなのですが、
もし食べられるという情報がもっと拡散すれば、
人類の食欲はまことに強力なので、たとえイタドリでもあっという間に
殲滅させることは可能なのではないかと妄想が広がった。
ただ、わたしもこの女性から聞いただけの情報なので、実際に自分で食べたわけではない。
「天ぷら」の素材などではクックパッドなどにもあるので、
結構食べられているようですが、まずは一回、人身御供で料理に取り組んでみたい。

ただ、イタドリの繁殖力はまことにハンパないので
わたしとカミさん夫婦、さらにお見かけしたご夫婦だけではとても
殲滅駆除までには至らないだろうと思われます。
また、今時期の若芽はやわらかいけれど、これから夏にかけて大きくなったヤツは
まるで樹木のようになるので、食して駆除は不可能なのかも。
まるで新型コロナのようなしぶとさが想像できるけれど、
とりあえず、戦いを開始してみようかと闘志を高めている次第。
ドンキホーテになるのか(笑)、それとも害草との戦いの先覚者(?)になれるのか、
はたまた食べ過ぎで食あたりして、病に倒れるのか・・・。
ムダな抵抗とは思いますが、せめて賛同者を募ってみたいので書きました。
まるでムダだよなど、ご忠告をお待ちしております。
っていうか、どうも鈍い決意ぶりかなぁ・・・。

【Hokkaidoが世界に教訓 報道グローバル化】


ちょっと前に既報したのですが、アメリカのNY州知事クオモさんが
トランプ政権が前向きになっているとされる経済再開について
性急な制限解除は感染の再爆発加速に繋がる危惧を表明したとされた。
その文脈の中で唐突に「Hokkaidoのようになる」と言ったと。
北海道人としてはまさに「おお」でありました。
日頃、日本のなかですら気候的にもやや差異のある一地方と自己認識していたので
突然、世界の耳目が注目する局面で名前を出されたことに驚いた。
いわば「第2波」の恐怖についての文脈であり、悪い例として出されたのだけれど、
そこまでワールドワイドに扱われたことに驚愕した。
本当はもっと明るい話題でHokkaidoが語られたらウレシイのだけれど、
まぁそれはそれで受け入れるしかない。ただニッポンの一地方であるのに、
世界の苦難の一体感の中で、共感力の及ぶ共有文化範囲として語られたことに
極東の一小島の住民として、ちょっと驚かされたという次第。

で、その情報の出所についてはどうやら、スクリーンショットのように
英国BBCの日本支局(?)の、BBCジャパンというHPでの記事なのだという。
スクリーンショットは日本語表記されているけれど、
クオモさんは当然、英語版を読んで北海道の新型コロナ禍の第2波の恐ろしさを
重要な警告として、例示されたようなのであります。
このこと自体は淡々と受け止めるべき事実なのですが、
わたし的には「報道のグローバル化」の進展ぶりという点に再度気付かされた。
日本人はいまでも「欧米では」という枕詞があるように
つねに欧米に対してキャッチアップ的なスタンスを持つことが常識的だったけれど、
世界の側では日本社会はまったく世界標準そのものと受け止め
多くの海外メディアも日本支局を開設し、そこから情報も発信されている、
考えてみればごく当たり前のことが、今回の新型コロナの状況の中で
加速度的に進展していることが実感されたのです。
WEBからの情報収集が当たり前になり、いわば世界標準の「報道」にカンタンに
万人がアクセス出来る時代になっていることが表現されている。
わたし自身も日本の新聞報道とかテレビ報道はほとんど見ずに、AFPとか、BBCとか、
WallStreetジャーナルなど、いわば「世界の常識」のほうに耳目が向かっている。
まぁ間違っても中国のメディアは参照することはないけれど・・・。

現代世界での「常識」というものはどうもこういった情報基盤になるのではないか。
すくなくとも自由世界での情報メディアを複数参照して、
事実を把握して、常識を磨いていく必要性が高いのではないか。
日本のメディア報道・テレビの状況を見ていると、
世界常識とはかなりズレすぎた報道ぶりだと思わざるを得ない。
たぶん一時期言われていた「ガラパゴス化」が極限的にメディアに表れている。
だいたい、いまだに「宅配」という顧客囲い込みが新聞の主要販売ルートという
存立基盤自体も、かなり世界的に「奇異」な形態。
そのように見ていると、いま現在進行形で中国による情報戦争の仕掛けが
現にいま、行われてきている様子が明瞭にわかると思う。
かれらにとって、日本が最大の「戦場」であることは国際的に見てあきらか。
残念ながら、日本のメディア「報道」状況には深い危惧の念を持って見ざるを得ない。

【平常はどう再獲得できるのか?】


世界全体では感染拡大がまだまだ収まらない新型コロナですが、
5月になって日本の状況はかなり収まってきた感じがみえる。
<下の図は5/11AM5:00確認のYahoo「新規感染者」データ>
これがなにを表現しているか正確にはまだわからないけれど、
緊急事態宣言などで社会収縮が急速に進み、
それが効果を発揮し始めているというように受け止められる。
しかし、そうであればあるほど平常復帰のやり方の難しさも出てくる。
経済活動をどのように「再起動」させたらいいのか、
一度縮小させた活動を再開することは単純ではない。
ひとびとの「行動抑制」でウィルスを抑え込んだ後、
行動抑制を解除するには、ある「指標」が必要になるだろうと思います。
たぶん行動と移動の自由を徐々に解除する以上、
ある程度の「感染漸増」はやむを得ないこととあらかじめ折り込んで、
その数量的な許容範囲を定めておく必要があることになる。けれど、
このウィルスの場合、表面化してくるには最低2週間程度の
「タイムラグ」があるというのが非常に困難。・・・

経済活動は、さまざまな社会制度を前提として行われるものなので
社会制度の側がどのような「指標」を定めるかで、
その選択肢範囲が決まって、正常な「競争」がスタートするのだと思います。
いわば基盤になる常識の範囲が決まってこないと動きようがない。
当面は「気をつけながら、徐々に・・・」みたいな
どうとでもとらえられるあいまいな基準が設定されるように危惧する。
・・・まぁ、未知のウィルスとの「共存」という困難なので
だれにも正解は導き出せないのだとは思う。
自然界では、弱肉強食、自然の摂理のまま自然適合力だけが
優勝劣敗を決めていくファクター。
さて人間界「新常識」基準は、どういうプロセスで広がっていくか、
企業人としては社会の状況をしっかり見ながらという局面ですね。

【コロナ危機有効利用でDTP・PC「機器管理」】



今回の新型コロナ危機から対外的な活動には大きく制約が掛かっています。
継続的ビジネスについては、顧客先もテレワーク環境でむしろ中身の濃い
打合せが出来てきたりもして、今後の環境の広がりが実感できる。
あらたなビジネスチャンスも展望できてきていると思います。
しかし開拓的な業務分野では、難しさもある。
いずれにせよ、各企業ともスタッフの「在宅勤務・テレワーク」体制が作られて
「あらたな日常」が否応なく始まってきていると思います。
で、これまで気付かなかったことが大きなテーマで浮かび上がってもくる。
仕事環境での「過密を避ける」というテーマ。
先日スタッフ相互距離を確保すべく、透明間仕切り壁DIYに取り組みましたが、
もっと能動的に、デスク配置管理も「あらたな環境対応」が求められる。

ということで、業務仕分けでの管理を考えております。
わが社には、スペース利用でまだそれほど利用できていない空間があるので
そちらに社内ネットワーク担当者のデスクを移転させることに。
雑誌・情報制作編集という仕事は、どっちかというと「文系」ワーク。
しかしこの30年という仕事時間は、同時にDTPという「環境転換」があった。
非常に変化の激しいベース領域だったわけですが、
なんとか「理系対応」して現代の情報産業の基盤は継続させてきたわけです。
ちょうど社内情報系の基盤についても再度進化変容させる計画進行中。
・・・っていうように仕事を継続してくると、大量の「残滓」も生産される(泣)。
そうなんです、一時期は必要があって経過的に使い、
またデータバックアップのために別途「保存」させる、という必要性もあって
外付けHDDの類や周辺機器、それらの接続コード類その他、
実に大量の残存物が残され続けてきている・・・。
もちろん何度も見直しながら必要な廃棄・交換などはしてきているけれど、
スタッフ20名程度ということでハンパなく残り続ける。
昨日、それらを整理すべく取りかかったら、重量だけでも100kg以上の
多様な「Mac/PC/周辺機器類」が「掘り出された」。
それらを取捨選択する作業に取りかかり、おおむね整理整頓の道筋をつけた。
写真はおおまかに外付けHDD類の整理ボックスと、
各種ケーブルコード類のボックスの様子。
とにかく一覧表示させておかないとこういう類はやっかい。
重層させておくとどこになにがあるのかすら、すぐにわからなくなる。
そのためには目的別に「集約」して一覧表示させて常時整理整頓が不可欠。
ラックに集約させてごらんのようにして見た次第。「管理作業」も大変と再認識。
これらも全部の機器類を初期化とか、作動チェックした上で収納した。
上の写真で右側のヤツは、なんとSCSI対応のHD類だった(泣)。
当然担当スタッフに月曜日以降確認の上で廃棄処分予定。

このほかにMac・PCの未利用品などが多数あって、
それらの動作確認、取捨選択も10台程度あった。
でもうれしいことに、まだまだやることは山積しております(泣)。
ほぼ1日、これらの作業で追われたのですが、中小零細情報産業企業、
環境整理整頓の大切さにふたたび三度、絶望的に気付かされます(笑)。

【動物界は通常営業中 カモさん「婦唱夫随」@札幌】


人間界は新型コロナ禍で世界中で非常事態が継続中。
そういうなかでは日本は「自粛」程度でゆるい社会閉鎖ですね。
一例ではイタリアなどでは自宅から半径200m以内でしか散歩も許されず
違反すると罰則があるとされていますが、
それに比べたら日本はかなりゆるくわたしも自宅から往復6km以上の散歩を継続中。
日本は死者数も世界とは隔絶しているけれど、
社会の緊張感はかなり高く、ストレスはどうしても高まる。
そういった情報の大洪水とヒステリーっぽい反応も見聞きすると「疲れる」。
心頭滅却にはやはり自然の変わらない様子が「癒やされる」。
昨日は自宅から1kmほどの琴似発寒川にかかる橋の上を歩いていたら
カモさんとおぼしき「つがい」の鳥さんと出会った。
こちらが、その動画撮影Youtube。こちらが、その動画撮影Youtube。
<リンクをクリックしていただくと動画画面に>

カモさんはいま「繁殖期」なのではないかと推察しております。
近縁種の「オシドリ」はあちこちで雌雄のランデブーが目撃され、
ときどき人間たちに直撃撮影されたり(笑)していますが、
カモもまた繁殖期のようで「雌雄のつがい」が目撃されます。
カモもオシドリ同様この時期メスは目立たない色彩の毛色でオスの方が派手。
この動画でも最初画面左側のやや色合いの強い方がオスであります。
様子を観察していると、メスの方が非常に活動的で好奇心も強そう。
夫唱婦随というコトバがありますが、
やはり様子からはむしろ「婦唱夫随」という印象を強く受ける。
このあたり、オスの様子を見ていてどうも身につまされる(笑)。
「おい、もっとオスの威厳を見せたらどうなんだ」とツッコみたくなる。
しかし現実はきびしく、メスが「わたし飛ぶからね」と先に行くと
「おい、オレも連れてってくれよ」みたいに追随している。
オレについてこい的な雄の威厳期待はあわく、もろくも潰えさる。
しかし、平和の時代というのはだいたいこういう婦唱夫随だそうなので、
このあたりは動物の世界に学んでいる人間界なのかも知れませんね。
きのう書いた「春雪融け時期の水音」も全編にこだましている。

1日も早い人間界の平常回復を期待して
それまでは、みごとに通常営業中の自然界の様子に学ばせていただきたい。