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【モノと人間の「愛着」関係】

わたしは普段、わりとよくウエストポーチを使っています。
よく「切符切りの人みたいだ」とは言われるのですが(笑)
女性のハンドバッグのように男でも常時携帯不可欠なものは当然あるので
それらを集中して収納し持ち歩くというのは、
モノを忘れることがなくて便利だと思っています。

そういった必要性から使い続けてきたので
多少は好みのようなモノはあったけれど、ほぼ無造作に選択して
ずっと使い続けてきていた。
それがきのう、買い物に出掛けた折りにベルトを通していた保持部分が破断した。
「おお、」であります。
人間は必ず死ぬように、モノにも確実に寿命はある。日々使うものならなおさら。
このウエストポーチは人口皮革製だったようで端部で表面が破壊され、
内部保持の繊維質部分が露出もしていたけれど、特段の不具合も感じなかったが、
たまにカミさんから指摘され彼女は気にかけていた。
都度「あはは・・・」という意味不明反応(笑)で素知らぬふりを決め込んでいた。
「・・・いいべや、そんなこと」
という男女の意識を分ける決定的な部分の相違でしょうか。
外見をどうしても気にする女性感覚と、一部が破断していても
基本的なモノ性能が保持されているのであれば、特段気にしない、
という男性的ズボラ感覚のすれ違い、といったところでしょうか?
ただわたしの場合、機能を満たしているのであれば、
その表面的な一部分が破綻していようが、むしろ愛し続けるようなところがある。
っていう自分自身の性向に気付く機縁になっていた。
これを「愛着」と呼ぶことには、よく分からない部分がある。
愛着とは、しっかりした「保持管理」が前提であるとも思う。
それを大切に思うのであれば、一部でも破綻したら補修は心がけるべきではないか、
という意見にも大いに同意するからなのです。
しかし自分自身では、多少の破綻もまた、モノの個性というように
受け取りたい気分は濃厚にあるのですね。一種の偽悪趣味か?
また、そういう種類の「愛着」心理というのもあるのではないかと思っている。
ただ、そこまで日頃から「愛着」を持ってこのモノと接してきたかと問われれば、
それ以上はよくわからない。でも気にせず使い続けてきていた。

機能性が破綻したことで、別のウエストポーチに昨日無事買い換え。
同行してくれたカミさんからも審美的及第点をいただいた。ホッ。
やがてその不在に空洞感を感じたりするのだろうか、まだわからないけど、
断捨離よろしく、キッパリとゴミ出しして離別することに致します。
でも考えてみれば、このウエストポーチ、20年以上は相棒だった気がする。
心の中では、供養を唱えたりしている・・・。

【まずは健康 経済復興も元気と体力】

北海道の新型コロナ対応策、18日までは「慎重な対応を」ということで、
他都府県への移動、出張などは控えている状況ですが、
19日以降は経済活動を徐々に本格化させていきたいと思っています。

という具体的な目標を明確にしていますが、
なにをするにもまずは体力であります。
年齢も考えてとりあえずは1日の「歩数」を徐々にアップさせていく作戦。
昨日はことし最高の15,000歩越えを達成しました。
毎年、どうしても冬場は閉じこもり気味になるところに、
さらに新型コロナによる「移動制限」「外出自粛」が重なって
運動不足に陥っておりましたが、
逆に「緊急事態宣言」以降、順調に「散歩」の歩数が伸びてきています。
10,000歩というと、だいたい目安は6kmくらいの距離に相当。
これくらいを苦もなく歩ける体力を維持することが肝要。
歩いていると、カラダからのさまざまな応答にセンサーが働いて
自分自身でコントロールすることができるように感じます。

これまではクルマで自宅から北海道神宮の駐車場まで行って
そこから起点で円山自然林などを巡り歩いてきたのですが、
ことしは、ちょうど神宮駐車場が工事になっていたこともあって、
必然的に往復とも歩きになったことから、自然なカタチで距離が伸びている。
こういう偶然のきっかけというのが大きいモノですね。
このまま一気に活動を本格化させて活発な経済活動に結びつけていきたいと
本日もまた、早朝散歩に出掛けたいと思います。さぁ、頑張るぞと。

【ポケットWifi試行錯誤、異常なギガ減り?】


無謀な中高年のITわがまま利用術。
ついに移動中Wifi接続可能なポケットWifiも導入いたしました。
いくつかの用途を考えていたのですが、
ひとつは定置的な移動先環境でのPCやスマホの接続環境として。
さらにもうひとつは、最新のカーナビデータのスマホナビを使うためであります。
まぁ今後仕事上、そのようなモバイルな環境が想定されるので
そのテスト的な意味合いがあって、試行導入して見た次第。
で、6月に入って1日だけ、各種移動環境で使ってその夕方8時くらいに
画面確認したら、(写真の下の方の表示部分)7GB契約容量に対して
すでに1.4GB使用済という表示が示されていて、慌ててスイッチをOFFに。

その日は特段スマホでのカーナビ利用はなく、
通常での定置的なPC・スマホでのデータ通信に使ったきりで
その後、公共交通機関を利用しての1時間ほどの時間待ち中に
定置的通信として使っていた。けれど、特段「激しい」使用頻度とはいえない。
もちろん「動画視聴」のようなことはしておりません。
通常的NET接続、社内連絡確認などが主なので、テキスト確認のみ。
「え、この程度の利用で1日1.4GB超だったら、1ヶ月では50-60GB?」
というオドロキの「ギガ減り」状況だと不安になった。
<こういうデータ量のことを「ギガ減り」と表現することも初めて知った>
で、カミさんと情報交換してみたら、
なにやらスマホのアプリはやんちゃな連中でいつも勝手に接続しているとのこと。
「ああいうヤツ、悪さをするみたいだよ」
ということでiPhoneの設定からOFFにしてみたりはしたのですが、
けれど、この減り具合はなかなか難敵のようであります。
不安になってiPhoneアプリ(GoogleMap)カーナビ利用では
たとえば東京の「山手トンネル」では入ってすぐにカーナビ即死との情報もゲット。
う〜む。であります。
知らない土地、勝手のわからない場所での案内が中心のカーナビで
肝心のそいつが即死されては路頭に迷うではないか(怒)。
なんとかしろ〜と思うのですが、これはなかなか一筋縄ではいかない。
やはり安定的には専用のカーナビ装置に軍配が上がるようですね。
でもまぁ、トンネルのような場所以外ではおおむね大丈夫のような情報。
コスパを考えれば、定置利用・移動時利用の両用性は捨てがたい。

契約容量のコントロールも考えながら、ああでもないこうでもないと
試行錯誤しながら使っていくことにはなりそうです。
新型コロナ移動自粛期間以降、徐々に利用が進みそうですが、
それまでの間に、使い方を学習していきたいと考えております。
<あ、東京との連絡、ようやくいろいろ人の移動が出てきていますね。
北海道は基本的には18日までは「控えよう」とのことなので、自粛継続。>
しかしポケットWifi、なかなかメンドイようであります、憎いヤツ。
みなさん、迷える中高年にポケットWifi利用方・最新情報を教えて!

【日本の伝統「木外壁」で防火構造認定取得〜北総研】


写真はわたしの大好きな「海の京町家」と言われる「伊根」の街並み。
日本海に面した湾入り地形そのままに多数の木造民家が連続して
それぞれに船が住まいに接岸されている街並みです。
ながい民族の暮らし、いとなみがそのまま視覚表現されている。
生きていくために漁に出、漕ぎ出した船を見送り、また迎える「木の家」が、
いかにも民の暮らしを支えてきた様子が染み伝わってくる。
これらはみな「木の外壁」で素朴に作られ続けてきたけれど、
これほどの密集形式で建てられていれば、「防火」の問題からは
つねに脅威にさらされてきたことは明白。
日本の住宅政策とは、この「木の家の防火」ということが、
基軸的なことがらとして、いわば民族・民俗的課題として受け継がれてきている。

現代に至っても、とくに直近の「都市大火・消失」経験である戦争末期の大空襲で
首都がほぼ消失した経験から、防火性能が最大の政策課題になった。
つねに「防火」優先の建材開発が至上命題とされてきた。
そういうなかで、この写真のような「民族の風景」は
ノスタルジックではあるけれど、そのままでは「継承しにくい」景観になってきた。
住宅外壁はいま、主軸は防火外壁建材であるサイディングが主流になり、
木の外壁が持っている「時間経過感」からは印象的に隔絶のある
いわば「ツルッとした」外観印象に置き換わってきてしまった。
このようなやむなき「外壁規制」に対し民族的外観デザイン継続を願う
そういった動きはこれまでも数多く試みられてきた。
多くは外壁「防火」を区画範囲上の規制通りに叶え、規制外箇所に木を張る、
っていうような対応策を行ったり、あるいは木の外壁のその下地、内側建材部分で
防火基準を満たすという対応で制度とデザインの折り合いを図ってきた。
そういったなかで日本の住宅工法進化で最先端の北海道では
「あたたかい家」という基本性能は工法開発段階で確保され
その上でこの民族的ノスタルジーの再生に繋がる
「木外壁での防火構造」について、再度の「進化」が計られた。成果として、
地域の工法研究専門組織「北総研」から6月1日に発表された
「北総研防火木外壁(PF仕様)」が、建築基準法における
防火構造の大臣認定を取得し、実用化された。 以下発表概要。

〜(地独)北海道立総合研究機構・建築研究本部 北方建築総合研究所では、
外装材に木材、付加断熱材にフェノールフォーム断熱材(PF)を用いた
「北総研防火木外壁(PF仕様)」を開発し、フェノールフォーム協会
(申請者:旭化成建材株式会社)において、建築基準法に定められる「防火構造」の
国土交通大臣の認定を取得しました。
この「北総研防火木外壁(PF仕様)」は、道総研重点研究「道産資材を用いた
木造高断熱外壁の防耐火構造の開発」(平成29年度~令和元年度)の
研究成果の一部を、旭化成建材株式会社に技術移転したものです。
「北総研防火木外壁(PF仕様)」は、建築事業者に自由にお使いいただけます。
さらにその社会的意義として、
・木材仕上げには、高い人気があり、多くのニーズに対応できます。
・法令の防火規制に適合しつつ、可燃材料である木材を外装材に使用できます。
・北海道で広く普及する高断熱仕様の外壁であり、特殊な施工を要しません。
・道産木材の利用を促進し、道内産業の振興、森林資源の循環に貢献します。

といったポイントが挙げられていました。
新型コロナ禍の最中ですが、日本の木造構造についてのすばらしい「進化」です。
北海道内に限らず、多くの全国の建築事業者に注目していただきたい。

【アベノマスクわが家に到着】


きのう外出先から帰ってきてなにげに〒ボックスを確認したら、
やや薄手の郵便物ですが、ポリシート状のなめらかな質感の封入物があった。
「なにこれ」と取ってみたら、例の「アベノマスク」であります(笑)。
わが家夫婦宛、2枚送られてきた。
今回の事態でもひときわ喧しくメディアなどから攻撃対象になっていたヤツ。
悪口雑言の限りを尽くしてヘイトされてきていた。
こういうことは、ものを大切にする日本人の心性、教育的にもいかがかと
わたし的にはたいへん疑問に思っていた。
むしろそういう雑音を日々発生させ中毒のように毎日情報受容し続けた人が
脊髄反射的な拒否反応しかできない状態をつくっている、
そのことの方が社会として危惧すべき事態ではないかと思っていた。
案の上、そのことをこのブログで書いたら拒否反応もあった。
それ自体はそれぞれの方の感じ方なので自由だと思うし、別に気にもしませんが、
このマスクをヘイトするのが当たり前だ、という危険な匂いの「同調圧力」には
明確にそれはおかしいと思っております。
政府として、市場からマスクが消えてしまっている現実に対して
どう対応すべきかのひとつの策として、批判は覚悟の上で
全国民家庭に布マスクを直接配布するという施策は、とくにおかしくはない。
むしろ市場原理的にはマスク市場に対して肯定的に働いて、
アベノマスクが国民に到着するごとに、市場にはマスクが出回り始めた。
批判するだけの意見からは「必要なかった」みたいな意見も出ていた。
また国の施策であり巨大社会システム特有の齟齬は当然発生する。
個別的にはいくつかの否定的な事実もあったのだろうと思います。
しかしそれはどんなことにもあり得ることであり、常識許容の範囲内のこと。
いまこうして手に取ってみれば、ごくふつうの「チョット小さめ」の布マスク。

<上は何回か洗って使っている「不織布マスク」。下がアベノマスク>
カミさんと「ちょっと小さい」「けど、これから暑くなったらいいかも」
みたいな会話も弾んだ。小さくて似合わないということもあるだろうから、
別にイヤなら使わなければいいだけの話だと思う。
ただ、国費利用なので当然、厚労省からの意見も反映した
必要十分範囲の仕様規格ではあろうと思われます。
わたしはそんなに不具合も感じないし、不織布マスクも「洗っている」現状なので、
洗えて長期間使えるマスクということで、使ってみようと考えています。
なによりも自分たち自身の命と健康の問題であるので
有効性のあるものはしっかり活用し、防衛利用するのが自然ではないでしょうか。

【飛沫防止透明衝立:立派な中華料理店篇】


ほとんど病気になってきたわたしの密かな研究シリーズ。
いまきっと全国の誰もが「新しい日常」の大きな要素として
写真のような「飛沫防止透明衝立」のある風景を見ていると思います。
この衝立にはまだ正式な一般名称もつけられていないのではないか。
そうですね、「言語の創成課程」にも、いまわれわれは立っている(笑)。
内容伝達的には「飛沫防止透明衝立」で正確ではないかと思いますが、
これではどう考えても「一般通称」にはなれないでしょう。
こうした「機能」を短縮表現するとか、カタチからイメージを特定するとか、
さまざまなアプローチがあって、社会的に「定まっていく」ものでしょう。
個人的にはこの感染症の由来を明示させるために「習近 塀」〜しゅうきんぺい〜
いや、もっと機能性を表現すると「集金 塀」というイメージを持っていますが、
たぶん全人代で拒否宣言が発せられ、わたしは密かに弾圧される気もします(笑)。
しばらくは公共交通の駅では線路側には立たない方がいいかも・・・。

おっと、激しくオーバーランであります(笑)。
ようするにこの隔壁について、その構造的ありよう、デザイン性について
いろいろな迫り方がそれぞれに展開されていて、
あるひとつの「文化現象」化しているように思うのです。
「住宅雑誌」発行人としても、建築近縁のワンパートではあり、
万人が一気に体験しているという「経験値の総量」の巨大さに注目するものです。
たぶんこの装置は一過性ではなく、ワクチンや治療薬が開発されるまで
あるいは集団免疫がある程度達成されるまで
この光景を受け入れることが要請されているのだと思います。
そういう意味ではここから1両年は覚悟しておいた方がいい。
今回見たのはある高級そうな中華料理店レジカウンター設置のモノ。
この店はある高級集合店舗群エリアに立地している。
カウンター女性に聞いたら、商業エリア全体でこのデザインになっている、
という情報を聞き及びました。
たぶん不動産のオーナー企業側から、各自店舗で勝手にデザインされ
好き勝手に制作されたのでは、不動産全体の価値に影響すると危惧した可能性。
そこで「高級イメージ」を損なわないようにシャープでモダンな
デザインで機能性を満たすものを一括発注し配置させた。
したがって制作はプロの店舗デザイン系のひとが関わっているように思えた。

端部の詳細アップですが、全体バランスから言ってステンレス素材が
採用されてたいへん統一感が感じられる。構造的には
脚部は木製のようですが、シルバーっぽい被覆処理までされているので
全体としてスッキリとしたデザインに仕上がっている。
透明面材には厚手のビニールが採用されて「張り渡されて」設置されている。
面の縁辺部位に穴が空けられていて、そこに結束用プラスチック素材品を使用。
このようにすることで場合によっては面材の劣化時には交換を
デザイン意図しているのではないかと推測された。長期期間対応力。

こういう装置がそれぞれの店舗や事務所で工夫されてきている。
これはこれで、新型コロナ禍が生み出した「文化」ではある。
正しく怖れつつ、同時にそれをも文化的に咀嚼する、
そういった「したたかさ」がこれらの制作物に感じられております。・・・

【ニトリ繁盛は一過性? House Keep需要の予感】

写真は最近の「テレワーク」需要で自宅にデスク+椅子の用意がなくて
ニトリに大人気商品、デスク(ザッキー)5,083円ナリを購入に行ったけれど
「売り切れ」ということでやむなく購入を諦めた知人が
座卓の脚部にファンシーケースでかさ上げしてデスクとした様子の写真。
なんか「座布団1枚!」って言いたいアイデア(笑)ですが、
(あ、座布団じゃなくファンシーケース1個か。でもチョット足下狭い?・・・)
ことほどさように急に盛り上がった「テレワーク」によるにわか需要が
ニトリ繁盛現象を呼び起こしているとされていますね。
最近「ニトリ繁盛」の理由、という分析をしている方もいて、
ニトリはテレワーク家具、新生活需要等で繁盛しているとのこと。
ちなみに件の在庫切れの人気商品はこちらです。

まさに機能そのまま、無装飾という商品で
テレワークの「作業平面」確保、ほかはとりあえず不用、
というユーザー需要にはまさに「ハマり」。
これがダントツ一番人気というのをよく見ておく必要がある。
従業員さんがあまりの来店客の多さに悲鳴を上げてSNSに書き込んだりと
話題を提供しているニトリさんですが、売上げ「異常」(笑)かどうか不明ですが
最近の発表では対前年比2%アップほどと。
外出自粛と営業時間短縮もあり、実質的にはもっとブームではあるのでしょう。
来場者数と個別商品売上げの推移比較があれば、動向がより明確になって
幅広いユーザーの現状ニーズがもっとわかるでしょうが・・・。
わたしも今次事態で数回買い物に行ったけれど、
3密を避ける行動抑制のなかでも、ニーズが高まっている様子が見られた。
で、昨日も久しぶりに見たテレビのニュース情報コーナーでは、
学校休校で自宅で過ごすことの多かった女子中学生がきょうからの
学校再開で「家での暮らしがここちよすぎたので、学校生活が心配」と
正直な不安を語っていました。
逆にとらえると、今回の新型コロナ禍で「Stay Home」を余儀なくされた日本人は
「House Keep」のいごこちにすっかり目覚めた可能性も高い。
一般的にHouse Keepは「家事」と言われますが、まさに家の事。
家で過ごすことについて、そのいごこち改善気運の盛り上がりと考えたい。
っていうか、住宅企業にしてみるとそこに注目し活用する必要がある。

当面はニトリの在宅勤務用・機能性家具的人気でしょうが、
そこで目覚めたユーザーが「家のいごこち」のどんな側面を発見していくのか
あるいは企業側はどのような「提案活動」が効果を発揮するのか。
失われることが確実な毀損GDP200兆円市場はどう「復元」していくか、
最大の想像力と創意工夫が試されることになると思われます。さて・・・。

【StayHomeが問い直す「住宅の価値」って?】

徐々に「ふつうの暮らしよう」を取り戻すプロセスに入ってきている。
しかし、新型コロナ感染の状況は予断を許さない。
あたらしい日常の全貌はまだこれから手探りしていくことになるのでしょう。

しかし、いくつかの「きざし」のようなものは確実にある。
テレワークの導入・Zoom利用による会議・打合せなどで
ときどき、スタッフの家庭の状況というのが垣間見えるときがある。
先日も子育て中、ようやく出産に伴う休暇から復帰したお母さんスタッフが
テレワーク会議に参加していたとき、産まれたばかりの子どもさんが
突然「自己主張」をはじめたのです。
わたしは育児経験もあるのでその泣き声に「意思」伝達を感じた。
「おい、かあちゃん、なんかオモシロいことやっているな」
「おれにも、参加させてくれよ!」というコミュニケーションのように感じた。
まだ言葉はハッキリしていない段階ですが、様子はわかる。
新米おかあさんスタッフも気付いたのか、膝の上に抱っこしてPC画面前に。
そうしたらテレワーク画面に男の子の大喜びした気分が激しく発散してくる。
両手を大きく振りかぶってパソコン操作キーボードに襲いかかる(笑)。
まだ膂力が足りないので画面が乱れることはなかったけれど
その全体の様子が、なんともほほえましく、
その子の喜んでいる様子が会議の雰囲気全体を一気に支配した(笑)。
「おお、仕事を楽しんでいる・・・」
こういう「句読点」はこれまでの「仕事環境」ではあり得なかった。
会議での打合せは緊張感を持って話し合われるけれど、
こういう「ON-OFF」経験はこれまであまり経験することがなかった。

いろいろな「捉え方」ができる一瞬のことがらだけれど、
住宅を考え続けるという意味では、ある気付きもそこで感じられた。
ようするに「住宅の価値」の実相というもの。
StayHomeは社会がやむなく迫られた緊急避難だったけれど、
わたしたち人間にとって究極の価値感が、住宅には確実に存在することが見えた。
テレワークによってそういう価値感が仕事にフィードバックする可能性もある。
テレワーク会議自体は、各個人がPC画面で表示されるので
むしろ「集中力」という意味では悪くはないといえる。
そしてその画面からはその人間のバックグラウンドも明瞭に「伝わる」。
ホンネの仕事との向き合い方というモノが見えてくるのですね。
そう考えてくると、仕事を通じて住宅の本当の価値感について
かなりクリアにみえてくるものがあると認識させられてきています。
よく「立って半畳寝て一畳」というコトバがあるけれど、
これからは、さらにプラスしてくる部分がある。
その「革新要素」がどのように進展していくのか、
たいへん興味深いポイントにいまわれわれは立っているように思います。さて・・・。

【日本人の靴脱ぎ習慣と衛生意識】

今回の新型コロナ禍は日本人の衛生意識について
「建築的」にも大きな気付き、再認識を促したのだと思う。
これまでは生活習慣、文化の問題として建築的には詰めて考えてこなかった。

玄関という言葉は、「玄関」とは「玄妙の道に入る關門」。
「關門」っていうのが字自体なじみのない字だけれど「関門」でいいらしく、
① 関所の門。また、関所。
② 通過するのに困難を伴うところ
というように意味が読解できるとされている。
文化的には道教とか禅が日本に導入されたときに成立した概念とされるけれど、
言葉としての「言い表し」だけの問題のようで
日本人本来的な文化習慣としての「靴脱ぎ」を意味表現したものとは思えない。
そうすると、日本人の住空間史から考えた方が自然なのではないか。
千年家(せんねんや)として有名な兵庫県の箱木家住宅は数回訪問現認したが、
土間から「上がる」空間というのが、歴史的初源経緯のような気がする。
それは板の間であったりタタミの間であったりの「居間空間」に
土間から「上がる」タイミングが「靴を脱ぐ」習慣に繋がったのだろう。
いまは西洋的な「靴」だけれど、一般的には「草鞋」であり、
それを脱いで、「上がれ」と家人が言って従う一般文化の由だろう。
日本人は土とか埃、芥というものを「穢れ」と考えて
それから隔絶した空間を家に仮託したというように思われる。
他人の家に「土足で上がる」という無道を表現したりもする。
ハダシの足の裏で感じる板の間とかタタミの間が日本的「結界」を構成した。
そういえば草鞋を脱ぐときには足を洗う、拭うという動作も付随した。
「足を洗う」という言葉にも、穢れからの離脱という意味合いが籠もっている。
このあたりに日本人の「結界」意識がどうも凝集しているのではないか。
日本ではヤクザから「足を洗う」という表現を使うけれど、
世界有数の被害を出したイタリアではマフィアから離脱するのに
どういう表現言語があるのか、知ってみたいとふと思う(笑)。
というか、家の中でも靴を脱がない習慣世界では
そういう「清浄世界」意識というのが育たなかったのだろうか。

今回の世界共通体験を通じて、この靴脱ぎ習慣について
建築の世界では大きな変動が起こるような気がしている。
もし日本式の生活文化習慣を導入したいと考えるひとが世界で増えたりすると
この「結界」認識がどのように変容して伝わるのかも
大いに興味を持つべきところだと思っております。さて。

【狭い空間も満喫する「低い視線」は日本文化】


写真はある賃貸住宅での「模様替え」の様子。
現代人はなんでも家具を買いまくるけれど、
発想を変えて、ソファ+ベッドライフスタイルの刷り込みをそぎ落とし、
洋風のフロアでも敷き蒲団を重ね敷きして、ちょっとしたクッションを背もたれに
「低い目線の安楽装置」とした事例。
いかにも日本的座り文化でありながら、それでいてソファのような雰囲気も楽しめる。
しかも目線が低くなるので、天井高が大いに強調される。
狭い空間でもそれなりに「広がり」感が楽しめるのではないか。

ふとんって、カバーを掛けるのが一般的だけれど、
蒲団生地って結構カラフルな図柄が多いと思う。ちょっともったいない。
いまの時代はほとんどカバーを掛けてカバーを定期的に交換して
洗濯して使うわけだけれど、たまにはこんなふうに蒲団生地そのまま
インテリアの主役にさせてみるのも楽しいのではないでしょうか。
世界の寝具の中でも日本のふとんはかなりオリジナル。
あんなふうに「上げ下げ」して毎日たたんで整理収納しながら
さらに時々は天日干しまで心がけるインテリア装置って他国にはあんまりない。
今回のコロナ禍で日本の清潔習慣について触れられる論調が増えているけれど、
この「ふとん」もまことに重要な役者ではないかと思っている。
こんなふうに重ね敷きして使っても、ときどき天日干しでもすれば、
いつも清潔を維持させることが可能。
今回のコロナ禍でもうひとつ、靴を家の中では脱ぐ習慣も着目された。
靴を脱いで裸足になることで、素材の柔らかな質感への感受性も鍛錬された。
蒲団が持っているあの柔軟な反応力は日本人のDNAに深く染みわたっている。
足を組んで座ることで、起居にもリズム感も生まれて
毎日の健康維持にも効果的な側面もありそうだ。

ふとんをもっとインテリア空間で活用する工夫、アイデア、
立って半畳寝て一畳+「座って安楽」みたいな文化、
住宅建築の側から大いに出てきてもいいのではないだろうか?