本文へジャンプ

【三つ子の魂か?人の生き方はそれぞれ】


写真はある古民家施設で囲炉裏を囲んでの子どもたちの様子。
っていうか、その履いてきた靴の様子がなんとも楽しくなってしまった次第。

わたし自身、母親から靴の履き方、揃え方を諭された強烈な記憶がある(笑)。
わたしは幼い頃、靴の右左に無頓着で、よく反対に履いていた。
母親はいつ言おうかと考えていたのでしょうが、あるとき玄関で
「見てごらん」と言って、靴の右左を教えてもらった。
いつもやさしい母親が真顔で諭すので深く足下に気付かされた。
「そうか、靴って右足、左足で違いがあるんだ・・・」。
その記憶が鮮烈、強烈に残っている。まさに三つ子の魂、百までもというヤツ。
日本人の「しつけ」としては、こういう靴の脱ぎ方について
作法として親から言われることが一般的なのでしょう。
なのでこういった場面、状況の場合は、ここから帰るときの進行方向に向かって
両方の靴の先っぽを向けて、2つの靴を左右も整えて脱ぎそろえるのが理想。
この場合には画面の上側に囲炉裏の部屋があるので、上から下方向にそろえる。
しかし、この見えている靴12足でそういった「傾向」が辛うじて見えるのは
最右側の1足だけという状況であります(泣)。
この1足にしても上がり床面からは遠い位置なので、やや減点対象。
しつけの観点からはまことに嘆かわしい日本民族の未来であります。
しかしまぁ、子どもたちにとっては楽しい「囲炉裏」体験のソワソワの場面。
われ先に、他の子よりもいい場所を確保したい一心がそうさせたのかも。

しかし、そういうしつけ問題とは別に、しげしげと見ると
靴の脱ぎ方の様子で、なんとなく性格とか人間性とかが表現されていてオカシイ。
よい子の模範的な揃え方は、それはそれで素晴らしいけれど、
大混乱しているような靴の盛大な乱雑さも、これはこれでなんとも可愛い。
物心ついて、あるいは大人になって、では確かに困るけれど、
天真爛漫なこどもらしさがそのまま表現されているようなのは魅力的。
「おお、囲炉裏だってよ、もち食べられるかも、うまそう!」
というような心の動きが正直にこの脱ぎ散らかしから漂ってくる。
もちを食べさせながら話をするのには、こういう不揃いな子どもたちも
オモシロいかも知れないと、ホッコリさせられる。
きっと、その子どもたちに自分との同質性を感じるせいでしょうか(笑)。・・・

【進む冬景色 2020年も師走・最終盤】


きのうなにげに朝6時過ぎ、いつものように北海道神宮参詣。
朝の気温はマイナス3度と確認しましたが、風も少しあって体感はもっと厳しい。
足下もすっかりスパイク仕様の冬用シューズ、外装上下ともダウンで防備し
アタマには毛糸の帽子という完全冬用スタイルであります。
本格的に根雪になった方がむしろ断熱され、それ以上は地上が凍り付かないので
かえって今時期がいちばん寒さが身に堪えるともいえると思います。
北海道人、暑さにも弱いけれど、寒さへの弱さもハンパない。
で、神宮にたどりついたら冬季時間体制で朝7時でなければ本殿境内は
戸締まりしているところ、開場しているではありませんか。
「あ、そうか」と思い出したのが、毎月1日に神さまから下賜される「塩」。
ここのところ1日は決まって雨で散歩中止していたりで、わたしは遭遇していなかった。
このために参道が1列になっていて、参拝に10分以上は掛かりそう。
見ると先頭では下賜塩が品切れしたようで、行列が進まない。
わたしは、特段下賜塩が目当てではなかったので、列を離れさせていただいて
こころしずかに毎朝の参詣をさせていただきました。
振り返ることもなく行列を離れましたが、みなさんけっこう忍耐強く待たれていた。

ことしもそういうことでついに「師走」であります。
すっかりコロナ禍で1年が、まったく違う様相で去って行く気がします。
仕事ではスタッフの安全最優先で「テレワーク」体制を組んでいました。
非常事態宣言期間中と期間明け、そして第3派襲来と
「働き方改革」が待ったなしで迫られるような状況だったと思います。
通常のビジネス業務はそれはそれで進めつつ、
しかし仕事のプロセスでは実にさまざまな困難が襲っても来た。
東日本大震災でも、「未曾有の」ということを経験しましたが、
今回のコロナ禍は同じような「非常事態」とはいっても
まったく始末の悪い状況だと思います。
しかし弱音を言っても仕方ない。この環境の中で
なんとか創意工夫で戦っていくしかありませんね。
Replanの旗艦誌「北海道版」も年末年始発売最新号が最終段階の真っ最中。
Zoomなどの手段も駆使しなにより集中力で仕事と向き合うしかない。
テレワーク、リモートワークというものももはや業務の基盤になっているし、
Slackとかchatworkなどの業務連携ツールも使い始めるともはや手放せない。
<でもこういった環境にMade in Japanがまったくないのは、う〜む。
たぶんアメリカとは起業創業に際しての金融環境が違いすぎる。
中小零細企業にいつまで「個人保証」を続けるのでしょうか、ニッポンは。>

こういった環境要件はコロナが収束しても継続していくことは確実。
まさに環境激変の2020年師走でありますが、
寒さに向かってアフターコロナ戦略を練って乗りきりたいと思います。

【「能登・上時国家」/日本人のいい家⑪-2】




能登・上時国家その2であります。
通常通用口の「大戸口」を入ると広大な「庭」と呼ばれる土間空間。
見上げると豪放そのものの太い構造材が力強く組み上げられた天井空間。
そしてその座敷側入口上部には、なんと駕籠が4機も吊り下げられている。
上時国家当主が外出するときには、この駕籠を降ろして
用向き先まで移動させたものでしょうか?
っていうか、駕籠の収納方法が太い梁に吊り下げるというのがすごい。
イマドキ住宅で、豪華な高級車を室内インテリアとして
住まい手の自慢のタネとして「どうだ」と見せることがありますが、
インテリア的な意図としては江戸期にもそのようなことだったのか、オモシロい。
そうではなく、実用性としてあったのだとしたら、
それはそれですごいものがある。
というのは、駕籠に乗って移動するのには当然「担ぎ手」が不可欠。
短距離であれば1台2人でしょうが、長距離移動ならば4人くらい必要。
能登の「代官所」まで、輪島としてもそこそこの距離を
こういう移動手段で移動した、それが常態化していたとすれば、
その財力はハンパないレベルなのでしょう。
きのうも触れましたが、この建物の建築それ自体が大納言格式。
北前船交易での「信用装置」と考えて、28年もの時間を掛けて
地元有数の宮大工に思う存分に腕を振るわせていた。
江戸時代の経済活動は日本海側の方が活発だったとされるけれど、
その中継点として、この上時国家の重要性、比重がしのばれます。



北前船交易では船が着岸すれば、活発なビジネスが展開した。
この場所ばかりではなかっただろうけれど、この土間空間、庭は
その中心スペースとして交易活動が行われたでしょう。
また、高級客人、たとえば高田屋嘉兵衛などには、駕籠が差し向けられて
丁重にこの屋敷まで案内されたかも知れない。
そして間取り的には大茶の間という自由空間から、王侯貴族クラスの接遇として
「上段の間」まで、どんな階層にも対応可能な接遇空間。
江戸期の流通経済中心の輝きがはるかに残照しているように思われる。

【北前交易拠点「能登・上時国家」/日本人のいい家⑪-1】




一昨日「神棚」のワンピース先出し紹介の家であります。
いまは、コロナ禍での移動自粛期間。GoToには罪はないと思うのですが、
県境をまたいでの移動については、出張などはしにくい状況。
とくに開拓型の掘り起こし営業ではWEB、Zoom環境での実現は困難。
まったくビジネス環境は変わったと思わざるを得ない。
なのですが、逆に過去取材の膨大な写真データ類の整理整頓には好都合。
そういうなかから、いろいろな「いい家」が自然に浮かび上がってきます。

源平壇ノ浦合戦での捕虜、平時忠が能登に流人として流され、
その息子・平時国が家を継いで以降、「平氏」姓を秘匿して
セカンドネーム時国を姓として家を興してからの名家。
時国氏としても800年以上で、平氏の出自を考えれば1500-1600年の時間を
優に遡ることができる家格の住宅であります。
ブログ記事でも一度紹介しておりますが、シリーズの1篇として再掲。
写真の家はいまから188年前に竣工した本家・上時国家。
家という概念が、このように表現することで日本語として二重であるとわかる。
家系という概念の家と、建物概念としての家と日本人は使い分けている。
さらに建物概念としての家も、そこに生活手段は自明のこととして
備わっていることが普遍的原則だったと思う。
この時国家も鎌倉幕府初期、平家としての出自から源氏政権の迫害を受け
財力は持っていても、山中に身を隠さざるを得なかった。
3代将軍実朝が死んで源氏嫡流が途絶えたことでようやく「農地を買った」とある。
生産手段の裏付けのあるものが「家」として定住に値するということがわかる。
一所懸命というコトバは日本人に深く染み込んだ土地信仰だけれど、
具体的に農地はしっかりと耕せば、いのちを繋いで行ける生産手段。
そういうベースを確立させた上で、能登の海運上の立地条件を活かして
活発な北前船交易などで経済的繁栄を実現させてきた家系。

一方で住宅デザインとしては、「大納言」という家の家格を表現させることに
その経済力を注ぎ込んだとされている。
いま、国指定重要文化財として扱われるほどに、精緻に作られている。
玄関は2つあって、正式の「式台玄関」と通常の「大戸口」。
右側の式台玄関には唐破風が渡されて、この家の外観デザインのポイント。
左側大戸口は、生産手段としての農家の土間空間、庭に至る通常出入り口。
いかにも「格式建築」の表情を外観でも見せている。
2枚目の写真は「上段の間」の様子。壁上部が湾曲して格天井に連なっている。
枡形のなかには金箔が張られていたという。
書院造り的な様式、鄙にあるとは思えない格式建築。


そして心の字型の池を取り込んだ風格のある庭に向かって
「御縁座敷」という畳敷きの縁側空間が幅1間で広がっている。
その外側に板張りの「縁」があって、庭を鑑賞する仕様。

この建物を設計施工したのは、地元能登の宮大工「名工・安幸」。
竣工までに28年掛けたというのは、いわゆる「大納言家」の故実を
丹念に江戸末期に復元再建する工事意図から、
京都などの名建築を訪ね歩いて、その意匠の探究に精魂を費やしたのではと思う。
しかし、唐破風という平安期にはありえないデザインも取り入れた。
建築の用途としては、北前船交易での交易拠点として
耳目を驚かすような家格を表現する格式建築を見せることで、
交易での価格などの交渉を有利に運ぶ主要な目的があったかも知れない。
平安期からの名家という演出装置は、ものの価値に裏付けを与えた側面があった。
ビジネスマインドから考えれば優位な「営業戦略」とも言える。
「わが家は平家出自、平時忠公を先祖とする家柄でして・・・」という口上は
高田屋嘉兵衛らの江戸期有数のビジネスマンたちを信用させる価値があった。
住むための建築であれば28年も時間を掛けるのは不都合そのもの。
むしろ、「いや時間を掛けてホンモノを追求している」と宣伝したのではないか。
そうであれば時間を掛けることそれ自体も価値がある。
交易の「目利き」力、信用力の裏付けとして影響は大きかったに違いない。
本日はいわば建築のオモテ側のデザイン。他の側面はあす以降に。

【日本GDPは年間30兆円減予測 焦点の経済動向】



先週書き忘れていたけれど、日本の7-9月期のGDP速報が出た。
上の2番目の表は日経の記事からのもの。
事前には18%程度とアナウンスされていたが、21.4%と発表された。
アメリカやEUは4-6月期の「谷」が深かったので、リバウンド幅も大きかった。
日本はそこまでの巨大さではなかったのでそれなり。
で、一番上のグラフは数量物理学者・高橋洋一氏の
安倍前総理が座長を務める直近25日の自民党内経済財政研究会での
「ポストコロナの経済政策を考える」講演資料より。
安倍前総理は病気回復後、経済政策に依然強い関心を持っているようだ。
高橋洋一氏はいまの菅政権でも参与就任の近代経済学系の財務省OB。
長く安倍政権での経済政策にも関わってきた人物。
経済学領域では昔から日本の学会主流は「マルクス経済学」と言われる。
マルクス経済学では現実の経済運営をどうすべきかの判断力がないとされる。
それに対して世界標準の経済財政の現場的にはケインズ・近代系。
財務省主流とは意見を異にするとされ、自民党政権側では重用されている。
財務省の言うことだけを聞いていてはひたすら「健全財政」という均衡論に陥る。
いまはコロナ禍での世界経済の非常事態のただ中。
2019年段階の日本のGDPは540兆円。それに対して、いま直近の数値では
2020年度は対前年で30兆円のマイナスで、通常成長率からの下落率では
40兆円のマイナスになっているとされていた。
第3四半期の上昇率が見た目の大きさで目立つけれどマイナス回復には遠い状況。
いま第3次補正から2021年度予算策定が直近の未来指標になるけれど、
最低30兆円規模の手をうたないと不況から増えるとされる自殺者が
足下の月2000人台から来年半ば過ぎには月6,000人規模に増加すると予測。
自殺と経済状況には相関性が認められると。
要するに、経済が縮小しているので財政出動でそれを下支えしなければ
深刻な不況が襲ってくるというアナウンス。以下nippon.comから要旨。
〜警察庁のまとめで、2020年10月の自殺者数は速報値で2153人となった。
前年同月比で39.9%(614人)の増加。自殺者数は2010年から10年連続で減少。
20年に入ってからも1~6月までは前年同月比マイナスで推移していたが、
7月以降は4カ月連続で増加している。1~10月の累計の自殺者数は1万7219人で
前年同期より160人多い。〜


一方でこのグラフは直近の世界の人の往来状況。
Appleから発表されたデータと言うことでスマホの電波から
ビッグデータとして紡ぎ出されたものだということ。日経記事より要旨。
〜街角からは人影が消えつつある。地図アプリデータ分析した米アップルによると、
公共交通機関の利用は27日までの1週間で、1カ月前と比べて
イタリア、ベルギーで3割強、独仏で16~18%減った。
外出制限はユーロ圏の雇用の75%を支えるサービス業を苦境に追い込みかねない。
・・・厳しい規制を導入すれば経済は落ち込むが、規制をためらえば
感染拡大で経済はさらに大きな打撃を受ける。経済と感染抑止は両立できるのか。
ワクチンや治療薬が見つからないなか欧米当局は最適解を探しあぐねている。〜

こういった環境の中で個別の仕事環境を考えていく必要がある。
当面は第3次補正の規模と内容がどういうものになるのかが焦点。
単純に日本のGDPは前年540兆円からどう着地していくのか、
いま直近の景気投資マインドに大きく影響するので、注目せざるを得ません。
世界も日本も財政経済運営はいまが胸突き八丁というところでしょう。

【江戸期大工「名工・安幸」の工期28年住宅・神棚】


信長の家、安土城にハマっておりましたが、
きょうはまた遡って、源平合戦ころ由来の能登の旧家にタイムスリップ。
平家の配流人です。軍事の清盛とは肌合いの違う文官系の平時忠の家系。
平時忠は壇ノ浦合戦で捕虜となって3種の神器のひとつを守っていたことで
死罪を免れて能登に配流されたのだという。
その後、息子の「時国」が家を継ぎ、鎌倉幕府に配慮して
平氏の名を変えて「時国」というセカンドネームを姓にしたということ。
一族は一時山に隠れ住んでいたけれど頼朝直系の源氏嫡流政権が途絶して
ようやく追究の手が弱まり、周辺の農地を買い求めることができたのだという。
それ以来25代にわたって家が存続し続けてきている。約1000年。
ロッキード事件で田中角栄を裁いた判事は、時国家の末代の方とも。
というようなことですが、敬愛する歴史家・網野善彦さんが
この「時国家」に残された古文書類を整理された内容紹介を読んで、
北陸出張の機会に足を伸ばして写真撮影してきていた。
日本の民俗、家系というものの実質が時間を越えて迫ってくる。
なんといっても源平期からすれば1000年の時間規模。
そういう「家」があり続けていることに率直に感動させられる。
とくに北海道のように150年しか時間積層がない地域からすれば神代の感覚。
残念ですがこの上時国家、公開はこの11月29日で終了するという。・・・

この写真の「神棚」は、いま「上時国家」として残る住宅に
残され、飾られていたものです。
この国指定 重要文化財の住宅は、いまから188年前の江戸期に建てられたもの。
「名工・安幸」と名の残る大工棟梁がなんと28年かけて竣工させた。
おいおい、でありますが、時国家は北前船交易にもからみ、
活発な江戸期の経済活動に参画していたので、
このような破天荒な本物志向で住宅建築、発注したものでしょうか。
それとも、この棟梁さんはあちこち掛け持ちでなかなか工事に集中できずに
だらだらと時間が掛かったのでしょうか?
残った住宅を見ると、さすがに大納言格式といわれるほどの出来映えであり、
大工棟梁としての人生をかけた労作であった、という方が正解に近いでしょう。
多少の工事中抜け期間はあったでしょうが、作り手の気迫は継続したに違いない。
よく神棚は、その家を建てた大工が、最期のワンピースとして
手づくりで作るというように言われます。
この上時国家の入口玄関にはこの神棚と同じ唐破風が装置されていますが、
神棚に唐破風までデザインされているものは見たことがなかった。
先日、富山の宮大工の手仕事の装飾木工品をわが家にいただいたのですが、
こうした手づくり工芸品の佇まいというのは、格別に感じる。
家に装置させてみて、その時間積層がじっくりとつたわってくる。
いわば画竜点睛というようなコトバの感覚に近い。
それが最期に一点加わることで空間にいのちが吹き込まれるみたいな
そういう空気感が漂うものだと実感させられる。
で、写真整理していて、やはりこの神棚にはそういう作り手の気迫が
ジワジワと伝わってくるパワーがあると感じられるのです。
28年間も手塩に掛けて作り上げた住宅。ほぼ職業人生時間に相当する。
ちょっと気の遠くなるような時間をひとつの住宅に対して掛けて
さてどんな心境で最期のワンピースを仕上げたか、想像力を掻き立てる。
現代でこんな家づくりというのはどんな高級住宅でもありえないだろう。
そんな家の様子を写真構成でまとめますが、その最期のワンピース先出し。
あ、注連縄も手づくり感ジワジワ・・・。

【ホントかなぁ? TPP「積極的に検討」習近平】


本日は連休中でトピズレ、気になる時事経済政治ネタ。
先週11/20日米中など21カ国・地域のアジア太平洋経済協力会議(APEC)
首脳会議において中国・習近平が「TPP参加を積極的に検討」と 言及。
これに先立って11/15にはRCEP(東アジア地域包括的経済連携)も締結。
このRCEPもTPP(環太平洋パートナーシップ協定)のどちらも日本が
安倍政権時に戦略的に推し進めた多国間貿易環境。
TPPはトランプ政権が「アメリカ第1主義」で国際協調から2国間交渉に軸足を移し
その後、日本が中心になって国際協調の枠組みを先導してきた。
RCEPも当初の「日中韓」の枠組みから大きく拡大させて全15カ国でのスタート。
日本はインドの将来的参加にも含みを持たせたカタチで締結にこぎ着けた。
TPPは言わずもがな、中国独裁に対し自由貿易原則を対置したもの。
とくに投資の自由とか国有企業規制について明確に規定している。
中国の参加は自国体制危機を招くのが必至で、ありえないとされてきた。
その基本条件は変更されるわけもないので、習近平のこの発言は、
トランプ後の世界の情勢を見ての「孤立回避」作戦ではないかと思われる。
いま世界は対中包囲網の顕在化、対中認識が非常に厳しい局面にあり、
中国としてそこからどう脱するかの戦略判断からの観測気球。
バイデン政権樹立となれば、経緯もあるので直ちにではないにせよ、
アメリカのTPP(復帰)参加は濃厚。
機先を制してこのタイミングで中国は孤立回避策を打ち上げたというところか。

日本の菅政権にとって、これらの貿易協定は日本が中軸であり、
さらには日本経済復元の戦略、当面する世界戦略として最重要。
EU離脱後のイギリスにとっても魅力的な経済圏であり、
バイデン政権の動向も見通していち早く中国が反応したということだろう。
そういう意味では中国はなかなかにしたたかだと思わされる。
自国体制の根幹は絶対死守するだろうけれど、話し合いのポーズを取ることで
その果実、市場にはエントリーしておきたいというのが真の狙いだろう。
場合によっては譲歩もちらつかせながら、中国有利に持って行く底意。
日本の国益にとっても中国市場は無視し得ないけれど、
同時に中国の外交戦略からもいまは日本くらいしか懐柔しうる相手先はない。
ただ天安門事件時点での天皇訪中は日本の助け船だったけれど、
それに対して直後に中国は反日教育を対置してきた過去を持つ。
いまは習近平国賓招待が中国としてはカードになると踏んでいたけれど、
菅政権はスルーし続け不透明化するなかでの今回のTPP「参加検討」発言。
この変化球、揺さぶりは日本へ向けられたモノと考えた方がいい。
ただし以前のことは決して忘れるべきではない。冷徹な国益追求を目指すべき。
外交では欺された方がバカを見るだけなのだ。
今後の世界の焦点はこうした経済面にスポットが当たっていく可能性が高い。
日本経済にとって、ポスト中国市場も見据え自由で開かれた環太平洋市場を
自らの主導権で確保できていくのは最上戦略。大いに活用すべき。
日本企業としても、中国国内法に影響されない経済圏は貴重な存在。
中小零細企業も含めて、打って出る、あるいは国内市場に導引するのは重要。
こういった市場での活動が人口減少下での成長維持には欠かせなくなる。
コロナ対応政策には、ジェトロが海外のECサイトに「ジャパンモール」を作り
そこで販売する日本商品を募集しているという事業もある。
地方中小事業者でも海外戦略、こういった制度活用が考えられるかも。

外交的にこのTPP、RCEPは日本の平和の「武器」になる可能性が高い。
競争と協調の世界の戦いは矮小な国内政治をはるかに越えてドラスティック。
ポスト・トランプ、世界は徐々に陣取り合戦が始まっている・・・。

【宮大工伝統手彫り工芸、わが家のインテリアに】


3連休でありますが、感染拡大もあり自宅でのんびり。
兼用事務所なのでまぁふだんと変わらずの日常であります。
で、そういうことなのできのうご紹介した富山県宮大工の手になる浄土真宗寺院の
火災厄除け・木彫装飾の設置場所を検討して
玄関エリアの「DIYコート掛け」の上部が棟木のように見立てられる横架材なので、
その頂部であれば納まりがいいかもと考えました。
玄関であり、来客なども見ていただけるのでちょうど好都合。
多くのみなさんに、この富山県由来の木彫装飾を鑑賞いただける。
永い時間を「防火厄除け」の使命に捧げてきてくれたこの作品に
第2の役割を果たしてもらうに、いい箇所かもと考えた次第。

この手づくりDIYコート掛けはスタッフたちが手掛けたもの。
設計から施工まで「ああしよう、こうしよう」と工夫してくれた。
そういう労苦の作品に、富山の宮大工仕事の作品が「花をそえる」のではと。
まぁ大先生の見本作品が、ものづくりの心を教えてくれる(笑)。
わたしどもの事務所兼用建物はコンクリートブロック+混構造なので、
いわゆる木造的な構造部分は少なく、そのなかで
木造のこころが伝わってくるような場所、仕掛けとして考えてみた。
で、このコート掛けの「棟木」はツーバイ材で細い面が上を向いている。
そこにこれも幅約6cmほどの作品を「立てる」。
ということで、接着材は極力少量にしたい、また釘で繋げるのも
工芸作品に対して畏れ多いような気もしてくる。大工さんに申し訳ない。
しばし作戦を考えて、木ダボによる連結を思いついた。
緊結させる両方の接合部分断面にダボ穴を開けて、
そこにダボを埋め込んで上から押し込めば安定するのではという考え。

よく家具の接合では使われる手段だそうですが、わたしDIYでは初めての取り組み。
当面、設置場所への多くのみなさんからの「意見」も聞いていきたいので
ダボ緊結であれば、万が一、別の場所に移転させるにも好都合。
ということからまだ接着材は使わずにダボだけで保持させてみたい。

で、DIYショップであれこれと段取り購入。
目を皿のようにして「木ダボ」10個入りを発見。たしか100円くらい。
その寸法が太さ8mm、長さが30mmということでした。
それにあわせて電動回転工具の刃先のドリル金物を探した。
メガネをしてこなかったので、細かい商品説明書きが読み込めず、
親切なDIYショップ店員さんのお世話になって、たしか6−700円ほどの
ものを購入してきました。刃先の取り付けは各工具で違いがあるようですが、
その「締め込み」方法の違いで2種類あるということを初めて知った。
で、木彫装飾を採寸して、合計3箇所のダボ穴箇所を選定。
そこにマーキングして、ドリルで穴開け。あっという間に終了。
さすが電動工具であります、高齢者DIYの頼れる味方。
相方のコート掛け棟木にも同じ寸法位置にマーキング、穴開け。
多少木くずが発生しますが、たかが3箇所なので目立つほどではない。
で、棟木側にダボを装着。事前採寸通りピッタリと緊結された。
・・・本当は8mmといっても微妙に違いが、と不安だったが、さすが木工なので、
細部では木同士で円満に納まってくれるように思います。
最後に木彫装飾を上から落とし込み、嵌め込んだ。
これも、木同士の相性がバツグンだったのか、実に具合良く納まった。
すこし窮屈そうな手応えがあったあと、手での加圧によってピッタリ感が出た。
納まった後、手で確かめてみたがシロウト仕事にしては見事な緊結感。
この様子では、このまま位置が決定されても接着材までは不用かも知れない。

ということでしたが、どうもこの木彫装飾職人さんの導きだったかも(笑)。
シロウトDIYでダボを直感するなど、自分で信じられない。
天上から木彫装飾職人さんが自作品の行く末を案じて
わたしにスーパー超伝導で教えてくれたように思います(笑)。ありがたや。

【富山由縁の寺院火災厄除け・木彫装飾、わが家に】


北海道で古建築探究といえば三笠・岩見沢が拠点の武部建設さん。
民家関係の全国組織での活動も目覚ましく、実際の古民家再生などの実績も豊富。
そういうことで道内各所からの「引き合い」も多いのだと言うこと。

昨日事務所に帰ってきたスタッフから
「武部さんの社長から、これあげると預かってきました」と
差し出されたのがこの写真の木彫装飾。
武部社長が懇意の寺院の建て替えのときに、忙しくて受注できなかったけれど
「もし入り用なら、いまある建物の一部など、持って行って・・・」と
こころよくプレゼントされたのだと言うこと。
で、軒上に飾られていたこれをノコギリでカットして持ち帰り
それを「三木さんなら、喜んでくれるのではないか」と託してくれた。
さっそく武部社長にお礼の電話連絡すると
「これは浄土真宗の寺院で、富山県地方から来た宮大工の手のもの」
というような来歴をお聞かせいただいた。
北海道は日本海交易、北前船交易が歴史的にながく根付いている。
富山地方は戦国期以来、門徒(浄土真宗)の盛んな地域。
そこから北海道に渡ってくる人々が多かったので、必然的に
そういった宗派寺院も建てられるようになったとされるのですね。
札幌と室蘭を結ぶ「本願寺道路建設」という故実もある。
で、宮大工さんの手仕事としてこのような工芸的木彫装飾が作られた。
材質はタモだそうで、見た限り「一木」からの木彫品。
デザインは右側に滝と落ちる「波濤」が描かれ、そこを起点に川の流れ。
波頭がギザギザ表現もされそこに水鳥と思われる2羽が浮き彫りされている。
「寺だから火災をいちばん怖れていて、その魔除けで水がデザインされた」
という武部社長の建築的推定でしたが、作法として間違いないでしょう。
それにしてもいかにも丹精の籠もった一木彫り。
永くこの寺院を火災から守り通してきた一種のプライドも匂い立つ。
きっと大工職人の「心意気」みたいなものが籠もっているのでしょうか。
こういった木彫装飾は一軒の寺院に相当数作られたことでしょうが、
富山県から北海道に出張して来ていた間に造作したのか、
あるいは富山の「本社」の土場でたくさんの大工職人さんたちが
寸法規格を統一させて分業制作していたものか、
その制作工程にもいろいろな想像力が働いてくる。すばらしい。
絵図からこういった立体を紡ぎ出していく「手業」は、時代を超えて迫ってくる。

たまたま、最近ブログでは富山の豪農住宅も記事化した。
モノにはある種の「因縁」というものがあると思う。
いただいたこの木彫装飾、どこかに端座させたいと思案しております。

【上り坂・くだり坂、そして「まさか」】


人生を表現してか、あるいは企業経営を指してか、
よく言われるコトバ。まことに昨今は深く噛みしめさせられる。
戦前期を生きた人びとにとって、戦争・敗戦は「まさか」だったのだろうか。
国際紛争、戦争も含め個人の人生に「他動的な力」は不可抗。
考えてみれば戦争という民にとっての不可抗力は、日本史でも
江戸以前までは日常的だったことでしょうね。江戸期が奇跡だった。
わたしのように昭和中期に生まれてから今日まで生きてきて、
ありがたくもほぼ一貫して平穏な時代を生きてきたけれど、
核兵器という「抑止力」が働いて、核保有国同士の破滅的戦争は
可能性が非常に低くなって推移してきたその結果だけなのでしょう。
たまたま日本はアメリカとの間で同盟関係が続いて
強い抑止力として機能したのでその選択はおおむね良かったのでしょう。
しかし人類が全死する手段・兵器を持ってしまった以上、平和は均衡としての
それにしか過ぎず、理想論幻想は民の平和リテラシーを迷妄させる。
そうした均衡バランスは確保されていたけれど、しかしオイルショックもあり
その直後に就職して社会人になってからも、バブルの崩壊があり
リーマンショック、IT化の急進展がありと「他動的」要因はあり続けた。
そして「まさか」の東日本大震災が勃発した。
わたし人生的にはこの東日本大震災が最大のターニングポイントだった。

「あ、揺れている」と遠雷のような地揺れに身を委ねていた。
事務所の自分のデスクに座りながら、それ以上の行動を取れることなく
やがて揺れが収まって、情報を集め始めたら、
東北の状況が徐々に把握できるようになっていた。
ちょうど東北からの団体のお客様も数日前に接遇したところであり
わたし自身も、2日後に仙台に出張フライトを予定していた。
2日後、岩手県で仕事の予定があったのだ。それに合わせて
いろいろな企業先にアポも入れていた。
やがてテレビで仙台空港への津波の様子が映し出されるようになった。
2日違っていれば、あそこに自分がいたのかもとは、そのとき実感しなかった。
むしろ2日後までには水も引いているかなぁ、くらいに考えていた。
・・・そこから、「まさか」というコトバに実感が伴っていった。
その後、復興支援活動など無我夢中で東北に関わっていったけれど、
やがて落ち着きを取り戻すようになって、人生にはどうしようもない
他動的不可抗力というものがあると、深く胸に沈殿していく思いがあった。
これでこういう体験は終わりだとも思った。

しかしことしの、一向に沈静化の兆しの見えない状況も再びの「まさか」。
東日本大震災からの動きも時間経過とともに日常化して
それもまた与条件と客観化できるようになっていったけれど、
またふたたび、日常性を大きく毀損させる事態が、収束しない。
移動の自由が大きく毀損してそこからのビジネスの突破口は不可欠。
昨日もあるWEBセミナー、というか結局は売り込みセミナーを聞いたけれど、
手法として手詰まり感は否めなかった。確かにWEB利用プレゼンだが
自社だけにメリットがある内容を押しつけられるのは、受け手としてはツライ。
コミュニケーションの基本として、win-winの関係構築が
こういったWEB利用では非常に難しいのではないかと思われる。
対面でのコミュニケーションであれば、情報交換が相互的でwin-winで
進行させられる部分が強く、その上で「信頼」を得ることも可能。
WEBコミュニケーションは貴重だけれど、人間同士の信頼関係構築では
非常に難しいと思わざるを得ない。
・・・不可抗な他動的「非常」体験が、こういった部分でまで発生するとは
本当に「まさか」という思いが強くなってくる。ある意味核に匹敵の威力・・・。
しかも新型コロナ禍、ここに来て一段と猛威をふるってきている。
なんとか沈静化をと、祈る思いが募っています。