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【いのちの尊厳・・・無念の叫び】

日課になっている札幌円山自然林散歩途中の「オオウバユリ」チェック。
わたしがチェックしているのはいくつかのポイント箇所ですが、
毎日見続けることで、自然と「愛情」に似た感覚を持つ。
かれらオオウバユリはひとつの「いのち」であり、
そのいのちのいとなみを見続けていると、その必死さが自然、伝わってくる。
もちろん植物であり、動物のように切れば血が流れる、と言う存在ではない。
人類はそういった存在を「栽培」というカタチで自己都合で利用してきた。
コメという主食も自然界に存在したDNAに対して深く、長い年月関与しつづけて
人間に都合がいいように改竄して、主食にまでDNA改造してきた。
人類はそういう存在としての罪業は背負っているとは思う。
しかし、と思うような光景を見てしまった。

写真右側のあきらかな切断断面は、その上にオオウバユリの花芽があった。
左側写真のようなおおきな花芽。
見ると、散歩道に面したいくつかの個体がこのような状況に。
よく「花泥棒は捕まえるな」というコトバがある。
あまりの花の美しさに魅了された心根をおもんばかって、
その過ちを責めることをたしなめるように表現したものでしょう。
誰でも、道を歩けばその足下には無数のいのちがあり、
それを踏みしだき蹂躙して生きなければならないのが宿業なので、
なんとも言えないイヤな気分はこれを飲み込むしかない。
帰り道、北海道開拓神社に参詣していっとき祈る時間をすごす。

きのう、出産して休暇中のスタッフがその子といっしょに来てくれた。
まだ3ヶ月くらいだろうか、はかなげだけれど、
たしかな「重さ」をカラダで感じさせてもらった。
いっとき、いのちのリズムのようなものとゆらぎを共有する時間。
赤ちゃんって、神さまがこの世にカタチをもって
降り立ったようなものだと思わされる。
いのちには確かなパワーがある。
なんとなく未来はある、それは明るいに違いないと信じたくなる。
先日北海道開拓期に、伊達藩から移住してきた主従一行の苦難の道行きで
数人の赤ちゃんが生まれて、みんなが希望を持ったという消息を知った。
いのちは偉大だと深く思わされる。・・・

【印象への訴求/絵と写真のあいだ】


写真という表現方法が開発されてから長い年月が経過してきた。
1826年フランスで開発されたと言うから、200年ほど前。
写真と出会って、人類は長い間夢見てきた「画像記録」という手法を手にした。
それ以前、こうした映像記録は絵画がその役割を担っていた。
絵画と写真とは、その後、共存する時間を過ごしてきている。

わたしは住宅雑誌という表現の領域で半生を過ごしてきた。
実際の住宅を取材して、写真を指示し記録表現を継続してきた。
数多くの現場を見て、そしてたくさんの写真を収めてきている。
ライブラリーストックは、雑誌1冊あたり平均で700〜800点程度は越す。
年間でいえば1万点程度なので、総体数十万点の写真が保存され続けている。
写真にはそれぞれにコミュニケーションの記録が痕跡としてしのばれる。
そういう一点一点はやがて「あわい」印象で記憶化されていく。
そんな時間経過を経験してくると、
不思議と今度は「絵画」というものの持つ「風情」というものに心が動いていく。
さまざまな絵画が存在しているけれど、
絵画の作者の印象がそこに投影されて、そう「感じた」こととの対話がある。
その対話ということが、非常に興味深くなる。
そういえば、小学校低学年の時に、絵描きさんになるというすじみちもあった。
自分が描いた絵が、札幌と姉妹都市ポートランド(アメリカ西海岸地域)に
「日本の子どもたちが描いた絵」として選出されて送られた。
その自分が描いた絵とは、一度も再会できていない。
せめても、写真で残しておきたかった(笑)。
たしか相撲の絵を描いたのだ。コンクールの経緯からして
こういうテーマがふさわしいだろうと「打算」もあったように思う(笑)。

そんな写真と絵画の関係というのは、人類全体がここ200年程度しか
経験蓄積してきていない。まだ未分化で不明な関係段階だとも思う。
こんにちわれわれが人類史から残された絵画をみるときに、
過去において「写真」的記録性として残されたものと、完全な作品表現として
意図されたものとの境界は、あいまいなのだろうと思う。
ふと手にした画像ソフトで、写真から絵画風表現も可能とされていた。
たまたま古民家の写真を使って、その差異をまじまじと見ております。
具象である写真も、そのアングルであるとか、あるいは画像処理として
ある修正を施したりもしている。
そうした写真を、その画像処理の延長、一環として、絵画風処理が可能。
その仕方も、さまざまに加工可能。たしかに「絵」っぽくなる。
その比較が上下のふたつの「画像」であります。
人間の「印象」というものと向き合うようなプロセスだと思えてきている。
いまのところ、上の画像の方に強く惹かれる自分がいます。
写真と絵画では「人間度」が違うのかも。絵画からは物語性が漂ってきて、
この家を巡ってのいろいろな人との会話性が強まるのだろうか。
これがどういうことなのか、自分でもまったくよくわからない。・・・

【北の森に抱かれ読書「江別 蔦屋書店」でReplanブース】


蔦屋書店さんは全国で大型の書店中心の「モール」を展開しています。
北海道でも函館で展開していますが、札幌近郊・江別市で開店した江別 蔦屋書店で
Replanは今号でブース展示させていただき、バックナンバーの販売もしています。

江別 蔦屋書店は、石狩川が大きく南から西へと流れを変える要衝の地。
江別台地と呼ばれる「高台」地形が石狩川を大きく蛇行させるのです。
明治の開拓期からこの地形的特徴から北海道平野部の開拓要衝地。
店舗周辺には江別市の公共施設が集中立地しています。
また、石狩川河畔に向かって「四季の道」という緑道も整備されていて
江別 蔦屋書店の後背地になっています。
また江別市は大学キャンパスも数校設置される文教的環境。
そういうなかにこの書店はオープンしています。
2枚目の写真の通り、店舗からはこの緑道に繋がっていて、
書物からの学びと森林浴とが共生するような空気感が醸成されている。
店は大きな屋根が連なっていてまるでその「森」と連続しているかのようです。
建物のボリューム、屋根の高低も不揃いで自然の森と調和している。
そんな森に抱かれるように随所に読書のための空間が仕掛けられていて
活字を追って目が疲れたら、屋外の緑が優しく癒してくれる。
こうした「読書体験」が、人類が育ててきた「知的好奇心」を再発見させてくれる。

この江別 蔦屋書店のコンセプトに共感して
Replanでも「江別特集」というきわめて「ローカル」な地域特集を今号で実施。
写真のように一誌で広大な壁面ワンブースを使って展示。
誌面ではこの「江別 蔦屋書店」についても取材記事が展開しています。
こんな江別で家を建てたい、というユーザー向けに地域の優良ビルダーの
住宅事例も特集で取り上げております。
こうした大型書店は、地域全体にとっても大きなランドマークになる。
昨日は平日にもかかわらず、広大な駐車場には多くのクルマが来場していました。
多くのみなさんにこの空間の素晴らしさを体験していただきたいと思います。
合わせてReplan北海道の展示もご覧いただき、
最新号「職住一体の家」特集や、各バックナンバーなどを
お手に取っていただければと思います。

江別 蔦屋書店 〒067-0005 江別市牧場町14番地の1 011-375-6688

【auポケットWifi 7月から「使い放題」契約へ】

さて個人的に悩み続けてきたauのポケットWifiその他契約問題(笑)。
一昨日、営業担当氏と話し合って、これまでの月10GB契約から
「使い放題」契約へ変更することに致しました。
そのほか、iPhoneについてはこれまでの2GBから5GBへ増量。
と言う契約に変更。さぁこれで、いまのわたしの必要性が満たされるのか、
今月の状況をさらにウォッチしていきたいと思っています。
このGB契約の最適解、みなさんにとってもなかなか悩ましい問題だと思います。
・・・って、大きなお世話かとは思いますが(笑)。
先月は、とにかくデータ通信残量と毎日にらめっこでありました。
仕事のために使っているハズが、どうも契約の最適解探究のために
仕事の仕方が制約を大きく受けていたといえる。本末転倒。

ポケットWifi契約では、10GBで3500円料金。
それが20GBでは4500円。う〜む、といったところだったのですが、
スマホカーナビだけではなく、通常のデータ通信でも仕事上、
大きな画像データを送受信するとかなりの通信量になることがわかってきた。
なので、1日普通に使っていても1.5GB程度は使うことがわかった。
それにさらにカーナビなどで多用すれば、事実上すぐに容量超え。
で、「使い放題」では4,880円ということだったので、安全側で考えて
そちらを採用することにいたしました。
ただし、カーナビについてはいちいちiPhoneを接続して外して、
という面倒な作業をしていると、ついついiPhoneをどこかに忘れる
っていう事態が複数回重なった。定置的に保管場所を特定しないで
コロコロ変えると、高速PAトイレなどに忘れることが発生するのですね。
自分自身の管理の問題ではあるけれど、複数回発生したことで
これの危険性の方がはるかに大きいことも確認できた。
幸いにしてそのたびに忘れたことにすぐに気付いたので
大事には至らなかったのですが、放置すればゆゆしき事態。
ということで、通常使いとして「ポータブルカーナビ」を導入した。
iPhoneカーナビもポケットWifiが無制限になるので、運転中オンにしますが、
自分のカラダからは離さないようにする。
で、ポータブルカーナビはクルマに定置的に設置して運用する。
いわば「複数台カーナビ作戦」であります。
ポータブルカーナビは必要最小限タイプで経費出費を節約し、万が一のときには
iPhoneカーナビを優先して信用するという作戦。
しかしいまのところ、ポータブルカーナビがなかなか優秀でコスパ的に優れている。
格安タイプですが、まずまず問題はない。想像以上のレスポンスの良さ。

っていうような対処法で今月は頑張ってみたい。
悩み多き「GB問題」、はやく最適解に至って安住の地を探したいと思います。
本日は個人ユースの書き込みで失礼。明日以降、住宅ネタに復帰予定。よろしく。

【WEB徹底活用「エアコン掃除」ビジネス検証】



みなさんエアコンの掃除、自分でやっていますか?
そもそもエアコンは北海道での普及率はイマイチでしょうが、
オール電化の「蓄熱暖房器」について雑誌で連載記事をお願いしている
東京大学・前真之准教授からキビシく指摘され、
わたし自身もその「勧告」をありがたく無条件受諾して撤去したあと、
事務所兼用の建物では、エアコンの導入が進んでおります。

で、ご多分に漏れずなかなか「掃除」をしていなかった(泣)。
たしかに埃の溜まるフィルターの掃除は自分でも出来るし、
それで2−3年ほどは過ごしてきているのですが、
やはり内部放水しての「洗浄」まではなかなか出来ておりませんでした。
特段、カビのニオイまでは検知しておりませんでしたが、
今回、はじめて「エアコンクリーニング」屋さんにお願いしてみた。
実地でその様子を見学することで、自分でDIYできるものかどうか、
検証したかった、という動機も大きかった次第。
作業はおおむね1時間チョットですが、
わたしはフィルターなどの掃除を自分でしていたので、
業者さんにしてみると、やや上客の類だったようで、早く終わりました。
作業ポイントしては、写真上のように「電気系統集中箇所」をしっかり防水保護する、
というのが最大のもののようです。
これさえしっかりやれれば、あとは洗浄自体は比較的に単純な作業。
加圧ポンプで放水するけれど、かなり局所的なので、
慎重に対応すれば、問題はないようですね。
機械本体を保護するテープ一体型のビニールシートできれいに保護できれば、
下の写真のように、内部の汚濁を除去することは可能でしょう。

作業ウォッチ自体は、このように完了しましたが、
興味をもっと刺激されたのが、おおむね1台あたり8,000円前後の
「売上げ」規模のビジネスを運用させているWEBマーケティングシステム。
小口で多様な顧客への対応型ビジネスとして
受注からアフターまで、WEBをうまく活用して業務フローシステム構築していました。
しっかり学習させていただいて、今後の仕事に活かしていきたいです。
それと、オモシロかったのが来てくれたサービスマンさんは
本業は大工さんだったということ(笑)。
かれははじめは建設会社で「営業」だったけれど、本格的に取り組みたいと
現場大工さんに職種替えしているというのです。
性格も明るくて前向きですばらしい方でした。このあたりもキーかも。

【手づくりマスクブームがやってきた!】

一昨日、早めに寝ようと思ったら、カミさんがなにやら布と針仕事を仕掛けていた。
お疲れさんと思いつつ、睡魔に誘われさっさと就寝。
で、朝起きたらやや不揃いながら、マスクが数枚テーブルの上に。
「おお、手作りしたんだ」と、ジワジワうれしさが(笑)。

世界的にはさらに猛威をふるい続け、日本でも夜の街などで
感染がなかなか終息を見せない新型コロナ。
日常の中で注意深く身を処していかなければならない。
しかし日本の暑さはこれからまさに本番が始まってくる。
北海道に居ても夏にマスクとなれば、「蒸し暑さ」対策が不可欠。
そこで「ひんやりする」触感の素材がいろいろ研究開発されているようです。
そういうマスク布材を購入して、手づくりでマスクを作るのが
流行り始めているようなのであります。
世界的に「マスク争奪戦」みたいなことが巻き起こったし、
アベノマスクみたいなことで喧しい議論を呼んだりした。
不足しているのなら「手づくり」すればいい、という発想が乏しかった。
手作りする発想がなぜかマスクにはなかったことが露わになった。
そういう過程を経てようやく民の側で「自分で作る」という「結論」が出てきた。
考えてみれば当たり前のことが、浸透するまで半年近く掛かったことになる。
とはいえ、カミさんはミシンを使う習慣がないし、持っていない。
なので、手縫いで挑戦してみたのですね。
わが社のスタッフの中には、自分の服を自分で縫うという強者もいますが、
そういう話を聞いて感じるものがあったと思われる。 すごい。
で、つけてみたら、はじめにひんやりとした感触が得られる。
あとは気にもしないでつけ続けていたので、まずは合格。
ただしきのうも札幌はエゾ梅雨で気温は20度前後。
なので、本格的な「暑さ対策」かどうか、まだ不明ではあります。

マスクは必要不可欠なものではあるけれど、一種ファッションでもあるので、
女性たちがいろいろに工夫してくれると男としてはありがたい。
彼女たちの審美眼に叶っていれば、男としてはただつけていればいい。
日常の中で、気をつけながら暮らしていくためには、
こういう女性たちの行動が決定的に重要だなぁと気付かされた次第。
ありがたく、使い続けていきたいと思います。感謝。

【無縁型とコミュニケーション型、住宅の2極化】

ひとが「いい家だ」と思う判断要素って、いろいろあるでしょう。
「ひとの健康を維持する、守る」という要素にとって、北海道は
日本人に最高レベルのきびしい気候環境が迫られてきたことで、
最先端的に室内環境の「いごこち」というものを究めてきたといえるでしょう。
高断熱高気密という技術要素は、日本の住宅の進化をもたらした。
その一方で、日本全体で見れば「現代化」ライフスタイルの
極限的な変化の進行で、自分たちは「なに人」であるか、
自己認識レベルでの混乱までが引き起こされているようにも思える。

江戸期までの住宅とは、たぶん「自己主張」の要素の少ない
機能性最優先で伝統的なライフスタイルに適合した住宅だったといえる。
古民家を見ればそれがいかに機能最優先の自然住宅か、よく理解出来る。
間取りを見ても基本的に田の字型の構造に素直。
そして家系の存続が第一として祖先への拝跪を神聖空間とするデザイン。
これらの基本要素に対し各身分階層ごとのライフスタイルに即応した住居。
そういう「規範性」が社会システムとして効力を失い、大量に生み出されたのが
現代の「都市集住でありながら職域最優先の地域無縁住宅群」。
サラリーマンが都市中間層を構成し、都市中心部への通勤距離だけで
居住地域を任意に決定して無縁に集住したのが現代住宅街。
あらかじめ居住者同士は無縁であることが普通という、きわめて異常な
社会環境が成立してしまっているのが、現代であると思う。

写真で示しているような「エントランス」での表情の作り方って、
上記のような暴圧的「無縁集住」圧力の現代社会では、
きわめて無力な「縁」の仕掛けというようにも思われる。
玄関に至るアプローチでは、建築的素材群と植栽が、
きめ細やかな「ハーモニー」を響かせて、物語性までがデザインされている。
訪問する他者の印象に対して、かくもこころを砕いている住人であり
そのような「社会環境に配慮」していますよと、伝わってくる。
社会的存在としての人間の自然な欲求、他者から「よく思われたい」欲求が
「出会いの演出」のようなカタチでディテールが意図されている。
こういう住宅づくりへの欲求が今後、どうなっていくのか、
たとえばマンションのような「無縁」そのものの「外観」が
ほぼ同様外観の郊外建売住宅群と共鳴して、多数派を圧倒的に構成するのか
はたまた、写真のようなディテールデザインの「関係の濃厚さ」に興味が向くか、
新型コロナ禍以降の住宅はさてどっちを向いていくのか、
きわめて興味深いと思われます。
ただ、やはり「家時間」は相対的に比重が高まるでしょうから、
傾向としては、このような「しつらい」感受性は高まるように思われる。
そういう意味では、無縁型とコミュニケーション型の2極化が進むか?
注意深くウォッチし続けていきたいポイントであります。

【日本の「うた」 誌的表現性と音楽性】

本日は休日につき、ちょっと自由テーマ。
というか、常日頃感じている疑問がありまして、
日本社会の歴史はそれぞれの分野で解明が進んでいて楽しいけれど、
どうしても解明しにくいモノとして「音楽性」があると思います。
楽器はモノが残って、その再現音を聞けば
ある程度は、その当時の「音楽体験性」は確認できると思う。
宮中雅楽などはリアリティがあるのでしょう。
しかしどうも「詩文」のような表現、それも「音楽的」韻も踏んでいるものが、
実際にどのように発信されたのかは、解明されにくい。
現代であればさまざまな「演出」が仕掛けられイメージ性が深められる。
一般的に、日本語のリズム感は5.7.5.7.7という単音配置が多い。
イマドキの発音でも、やはり基本はこの原則に沿っていると思う。
で、そうするとそれを朗々と発音するとき、音楽性に配慮しないわけがない。
いまに残る神道での「祝詞」や、仏教での声明〜しょうみょう〜、和讃など、
独特の「聞き心地」への配慮が非常に強く感じられるので、
こうした和歌などの詩文にリズム・メロディ・ハーモニー的な要素が
なかったとは到底考えにくい。

「熟田津〜にぎたづ〜に、船乗りせむと月待てば
潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」

額田王の「歌」としてまことに有名なこの歌。
熟田津で船に乗ろうと月の出を待っていると、月が出たばかりでなく、
潮も満ちてきて、船出に具合がよくなりました。さあ、今こそ漕ぎ出しましょう。
という行動への「情動促進」を強く感じ続けています。
天智と天武の両帝と男女関係があったとされた女性だけれど、
この歌を始め多くの歌の詠み手として万葉集古代文化史を彩っている。
この「熱田津」の歌は古代日本が朝鮮白村江に百済救援の軍勢を出兵の頃。
出陣に際し、瀬戸内に面した四国道後温泉のそばの港に集結した
兵たちの前で宮廷歌人としての彼女が朗々と歌い上げて、
兵たちを鼓舞した歌だという説がある。その説に共感を持っている。
歌詞としては5/7/5/7/7(8)という和歌の仕立て。
この歌を即興でか、あるいは事前に演出を考えた上で出征イベントの
掉尾を飾るような形で、クライマックスに持ってきた「檄文的仕掛け」なのか、
いつもこの発出シーンを想像たくましく、イメージしたいと目を閉じてみる。
かがり火が盛んに焚かれた広場、この世とは思えないイベント装置のなか、
この歌は、美しい神子による檄文として兵たちの心に火を点けたのではないか。
古代における「鏡」の使い方を知れば、古代権力の祭政一致仕掛けは自然。
数万と言われる軍勢が、その陶酔感を胸に刻んで、海峡を渡っていき、
そして白村江で無惨に死んだのだろう。
いまはその「音楽性」は記憶から失われたが、朗々と彼女は「歌い上げた」と思う。
その出征イベントの「陶酔感」を知りたいと強く思っている。
額田王と言う存在は、帝の妃というよりも、
ある種、アジテーター的に「芸能」の術を身に付けた存在だったのではないか。
後の世で「かぶき者」とでも呼ばれるような存在が、日本社会には
連綿として伝統があるのではないかと夢想しているのです。

まことに「トピズレ」でありますが、
こういう「妄想」をかねてこころに抱き続けております。ヘンかなぁ(笑)。

【札幌円山「原生林」と相模原「里山林」】


昨日、ブログをアップしたら、いつもチェックしてくれるSさんからコメント。
「札幌市の円山原生林は文字通り原生林ですが、この林は
下草を刈り適当に間引いて樹間を明るくした人工林ですね。
有用樹種を選択的に植林した「木の畑」ではありませんが、
人が落ち葉を集め、間伐することで極相にならないように維持される、
いわゆる里山を再生保存したものと思います。」
という的確なご指摘をいただきました。
上の写真が「円山原生林」で下がきのう紹介した「相模原中央緑地」。
この違いを即座に言い当てるのは、なかなか鋭い。

里山林は、人里から近接していて、
長い年月、ひとびとの薪などを供給するバイオマス資源地域。
多くの場合、「入会地」という権利形態が取られて
江戸期までの社会では「ムラ社会」の公共利用地域として
独特の管理形態で維持されてきた存在だと思います。
人間社会との関係性が非常に深く、その管理が長い年月継続されている。
それに対して上の写真の北海道札幌中心部で保護された「円山原生林」。
こちらは、まさに人間の管理が及ばなかった自然であり、
その価値感を深く認識した明治開拓期のアメリカ北東部の開拓技官たちが
明治の開拓使に建言して原始のままに保存させた存在。
もちろん円山原生林も現在では人間の散策路などが整理されて
遊歩木道などもしつらえられているので、
完全な原生林ではなく、いわば最低限の社会適合をさせた自然林。
写真で見るように、上の円山では真ん中に「カツラ」の自然木が
自然のままのすさまじい変異が樹木に対し与えている様が見て取れる。
一方の相模原では、適度に木々は資源管理されて「間引き」されたり、
下草もきれいに整えられている様子がわかる。

わたし的には、このどちらもが「貴重」だと思われる。
たしかに原始のままの樹相を垣間見せてくれる円山原生林の価値は
まことに北海道らしく誇らしいと思える。
このような明治以来の人々の思いをしっかりと後世に残したいと強く思う。
一方で、下の写真、ほんのいっとき訪問させていただいた
関東の樹林が見せてくれる「歴史的経緯」にも深くうたれる。
そこには日本社会が育んできた「公共心」というものが見えると思う。
日本人の基本的生存形態だったムラ社会の「掟」というものが
持っていた人倫観の大きな価値感がまざまざと迫ってくるのだ。
たぶん列島社会で農耕生産形態が永く存続してくる中で
自然発生的にひとびとが涵養してきた「倫理観」の中心に
このような「里山林」の存在があって、公共心を普遍化させてきたのだ。
いわば草の根的な公共心の発露であり、存続形態であると。
今日「日本人の民度」が話題に供されるけれど、その根源かとも思える。

そうした中身までは知らないまでも、日々こうした森とふれあうことで
地域の子どもたちには、伝わっていくなにかがあると信じたい。

【江戸期に「不毛の地」だった森林緑地】

関東を走っていると、突然そこそこの緑地を発見することができる。
北海道のような広大な大自然の中では意識することはないけれど、
一円住宅やビル群が密集している地域では、こういった「自然林」のありがたさが
突然響き渡る「自然の呼び声」として印象に残る。
そういうオドロキを感じさせられた森のひとつが以前行ったことがある
神奈川県相模原市の「こもれびの森」、正式には相模原中央緑地です。
たまたま用事があって周辺を訪れたのですが、迷宮のような緑地に
思わず吸引されてしまった。別に北海道にはたっくさんあるっしょ、ですが(笑)。

周辺は住宅地や大学病院などがあるのですが、
市街地の中に忽然と出現する様は、なんともミステリーゾーン。
で、思わず周辺の駐車場を探して、クルマから降りて歩いてみた次第。
わたしは札幌にいるときには円山自然林を毎朝散歩しているので
どうもこういうのに出会うと、身体的に反応してしまう。
歩いてみると、クヌギとかコナラなどの広葉樹主体の森。
まことに多様な樹種があって、北海道札幌の森とはまったく違う森林。
また足下には多様な微生物や虫たちの存在感が感じられる。
下草の類も多種多様密生という感じで、「武蔵野」という一般地名は、
こういう樹林のことを言っているのだろうかと、頓悟させられる。
しかし、あまりにも迷宮的で駐車場に戻ってくることは難しそうだったので
あんまり深入りせずに、じっと深呼吸しておりました。

WEBで調べてみると、この森は「水利」が悪くて、江戸期までは
農耕作地に適さない「ヤマ」、周辺農民の「入会地」として
炭焼きに利用されるような場所だったようなのです。
たぶん農地に適していないのだろうなという直感的判断をしていたのですが
正解だった。
司馬遼太郎さんの著作では、日本はなんとか台とか、丘陵地などの
なんとかが丘というような土地は無価値としてきたとされる。
幕末明治になって、西洋人が横浜や神戸などに住むようになって
かれらが好んで「高台」に住む様子を見て奇異の念を抱いていたとされる。
日本人がそれまで好んでいた「土地」とは、なんとかが谷とか、なんとか田という
水利の良い河川周辺地域、多くは低地だったとされている。
米作農業、田んぼが最高の定住地域である生活文化からは
高台とか、水利の良くない土地などは、どんなに人口集積地でも
歴史的にそれほど利用されなかったと言うわけです。
そういうことの結果、現代に至るまでこのような森林緑地が保全されてきた。
同様の地形ポイントである千葉県印西市に行った経験もありますが、
あちらもつい最近20年ほどで都市計画が始められた地域だそうですが、
地形的に丘陵地で、江戸期までは「狩り場」として軍事演習林だった。
水利がなく井戸を掘ってもなかなか水が出なかったようなのですね。

そういった緑地が現代に至るまで保全されてきて
今度はエコロジー循環環境のような場所として子どもたちの環境教育に
大いに利用されてきているということです。
人間社会と自然環境の有為転変、輪廻転生を思うとオモシロい。